新しい時代に適応した 「ふれあい体操」のすすめ |
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日本大学名誉教授 濱田靖一 |
体操について | |
体操は健康に直結した身体活動の文化です。 「体操」を定義することは、歴史的にみて困難です。 なぜならば、体操の歴史は、その国の、その人々、その時代思潮や社会構造、戦争や国際的イベント等の影響により、領域や方法に幾多の変遷や変貌の過程を経ながら、今日に至っているからです。 しかし、それらの現象の根底を流れているものは、人間の健康に対する熾烈な渇望と、からだの正しいあり方の探求と模索でした。 21世紀の体操も、その延長上にあると考えてさしつかえないでしょう。 さらに、新しい世紀にふさわしい体操の歩みが望まれます。 体操は昔から、スポーツのように社会性を養う機会が少なく、人間関係は希薄な領域でした。スポーツが相手との勝敗や得点を競うところに興味があるのに対し、体操は自分自身の体が対象で、相手も、競争や勝敗も存在しません。文化の性格の違いです。 しかし、歴史の古い体操は数多くの種類や方法があり、時代の推移やニーズにより、活用、展開、開拓すべき選択肢も多い。スポーツとは異なって、社会性や人間関係に寄与する面も方法も少なくありません。 ですから、私が、新しい世紀に、是非、登場させたいのが組体操です。 |
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組立体操と組体操 | |
組体操というと、学校の運動会や体育祭などの、人間ピラミッドや塔、橋などの集団演技を思い浮かべる人も多い。しかし、それらは組立運動という別の運動領域です。 私が奨める組体操は、2人以上の人たちが組んで行うパートナー・エクササイズ(ペア・ジムナスティク) と呼ばれる体操の方法です。 お互いに力や体重を利用しながら、一人では行えない運動によって、よりよい効果を狙った体操のやり方です。 重さ利用の体操には、ダンベル、バーベルなどの器具がありますが、組体操は、そのような器具の利用ではなく、お互い人間同士が対象で、両者のふれあい、交流が特徴です。お互いが手を組み合って、同じ動きのリズムを共有し、協力、連体し、健康をわかちあう体操です。競争心理が強調され、選手、勝敗、メダルの獲得、新記録等だけがピックアップされがちな世相の中で、この体操の存在価値は尊い。特にこれからの世紀になくてはならぬものを創り出してくれる体操でしょう。 |
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組体操の歴史 | |
組体操自体、珍しいくも新しいくもなく、ヤーン(1829-1901)
のような近代体操の先達も対人運動として行っています。 明治11年、日本が招いた米人リーランドも体操伝習所で相互幇助体操という名称で実施しています。 戦前来日して、日本体操界に大きな影響を与えたデンマークのニルス・ブック(1880-1950) なども彼独自の数多くの組体操を見せてくれました。 このような歴史を持ちながら、日本の体操界では、あまり関心が払われていません。それは、体操とはこのようなものという固定概念が安易に定着してしまったこともあるでしょう。礼儀作法、風俗習慣、あるいは、儒教の影響から、みだりに他人の体に手をふれることはタブーとする民族でもあったからです。 しかし、交通網や情報文化のめまぐるしい発達で、きわめて狭くなった地球上では、「ふれあい」の具体的な行為の浸透に無関心ではいられないのが現状です。 |
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ふれあいの組体操 | |
ふれあうことは接触であり、握手や抱擁は欧州の儀礼的な身体接触ですが、生活の中での身体的接触にも、それぞれ質的な違いが、当然、厳存します。親子、夫婦、兄弟のような親族間のふれあいと、友人や知人、初対面の人達とも、それぞれ質的な相違があるでしょう。 組体操は、相手の体に、健康に有効な刺激を提供するための接触であり、相手の動きや意図を尊重して行わなれます。当然、体操としてのふれあいのマナーが存在するのです。 ですから、組体操をなるべく多く使い、組体操の良さを十分に発揮する体操を「ふれあい体操」として奨めたいのです。 体操は一人でもできるところが大きな特徴です。 「ふれあい体操」はふれあいを上手に使い、効果を上げたいという意図を持った体操です。始めから終わりまで組体操を実施することは、もちろん可能(親子体操など) ですが、必要に応じて、組体操を活用するのが普通です。 ふれあい体操は、組体操に焦点を絞り、なるべく組体操を多くします。組んで行う相手の状態状況により、体操内容を考慮し、次のような分類ができると思います。 |
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・同性で体格、体重状態など大体同じような相手 ・発育家庭が極端に異なる場合(乳幼児体操、親子体操) ・体力、技術に差のある者(老人と若者等) ・身体障害者と健常者 ・その他の場合 |
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いずれの場合も、相手の身体状況を十分に斟酌して行うことが大切です。 | |