International Deutsches Turnfest Berlin 2005
ドイツ国際体操祭 ベルリン大会

日本体育大学 体操研究室 荒木 達雄

 Deutsches Turnfest(ドイツ体操祭)は、1860年にコーブルグで第1回が開催されて以来現在まで継続して開催され、本ベルリン大会で34回目を迎えた。
 また、前回まではドイツ国内のイベントであったのが、今回よりInternational(国際)となり、33カ国(視察のみも含め)より大会に約3,500人が参加した。ドイツ人の参加人数は95,000人、そして、多くのボランティアも含めると10万人規模の大イベントである。
大会期日:5月14日-20日
参加国(演技発表に参加):オーストリア、デンマーク、スイス、イタリア、ポルトガル、スペイン、ベルギー、オランダ、ポーランド、スロバキア、エストニア、スウェーデン、トルコ、ラトビア、ブラジル、アメリカ、カナダ、日本、中国、イスラエル。
− 私とDeutsches Turnfest −
 私が最初にTurnfestを視察したのが、1978年にハノーバーであった。その当時はジャズ体操が注目されはじめ、体操とダンスとの融合が大きくクローズアップされた時期であった。メッセ(博覧会)会場のホールに特設されたフロアーで多くの人々が演技発表するのが主であったが、市内の公園やビルの一角の特設会場でも発表が行われており、日本では考えられない規模での体操祭に驚愕したのを鮮明に記憶している。特に多くの中高年者の参加が目をひいた。ハノーバーに到着して、プログラム内容も理解しないままに、最初に入ったホールでは、多くの観客が見守る広いフロアーには、赤いレオタード姿の初老(60歳前後)の女性がリングを持って演技が始まろうとしていた。そして、ピアノ曲が流れ演技が始まった。まずリングを丁寧に前へ転がし、その転がるリングの横をリズミカルにスキップして5mくらいしてからリングをキャッチし、その短い演技発表は終了するのであるが、観客席からは多くの拍手が送られたのである。それまでの私の中での"発表演技"の捉え方とは180度違う環境下に置かれた現場であり愕然とした。しかし、その後の演技も同様に淡々と展開していったのである。そこには、参加者全員が両面性(演技・観る)を大いに楽しんでいる光景であった。
 ハノーバー大会の印象が、私の脳裏にその後も鮮明に刻み込まれた事は、Turnfesは見学するのではなく参加し演技を発表し、そこに集った人々と交流を深める事が最大の目的であるとの事であった。
 それが実現したのが、20年後の1998年ミュンヘン大会で、"お〜るど・ボーイズ"と北ドイツ体操協会の男性チームと合同で演技発表した"パワー・メン"というプログラムであった。これは、体操離れした男性を体操フィールドに呼び戻そうと計画されたプロジェクトであった。ドイツでも男性(中高年層)の体操人口は減少しており、その現象を改善するプロジェクトが組織され実施された初のケースであった。
 2002年のライプチィヒ大会では、"お−るど・ボーイズ"の単独演技での参加であった。
ミュンヘンも同様であったが、出来るだけ大会の慣習に従った手続きをして実行した。それは、学校宿泊である。勿論ホテル宿泊も可能ではあるが、ヨーロッパにおける体操祭の宿泊施設は基本的には学校である。出来るだけ経費を節約して、効率よく快適に1週間が過ごせるようにプランニングされている。長い歴史の中でその慣習が根付いているので、学校にはシャワー・トイレが必要以上に完備されている。それは、生徒達のだけの環境を想定しているのではなく、いつでも誰が宿泊しても対応できるように設計されているのである。我々のメンバーは以前より世界体操祭で経験済だったので、なんの違和感も無く快適に過ごせたのである。
 今回は同じ学校に宿泊していたスロバキアのチームと合同で、日本食パーティーも開催出来大いに国際交流の輪も拡がった。
− ベルリン大会 −
 Turnfesの特徴は"指導発表"であった。ただ演技発表を行うのではなく、色々な指導者が独自の指導方法を他の指導者に提起をして議論しあうプログラムである。今回はその数を増大させ、"Festival Academy"と称して実に581のプログラムを計画した。
そして、25,100人がそれに参加した。事前の参加申し込みであったので、当日受付は無く、ほぼ全てのプログラムの定員は満杯であった。器具・手具体操の実践内容からエアロビクス・エクササイズまで幅広い講習が実施されていた。
 日本もそうであるが、ヨーロッパ諸国の現在における一番の関心事は高齢者への運動プログラムの実施であろう。昨年デンマークでは、中高年者のみ参加できる体操祭が実施された。そして、ベルリンでは"50プラス"という名称で50歳以上の人々で構成されたチームの発表会場が設けられた。日本からは、愛知県の"サンフェローズ"がそれに参加した。
また、毎晩ガラショーが開催され、多くの参加者が普段観られない洗練された体操ショーを楽しんだ。それと並行して、市内の特設ステージではロックコンサートやダンスショー等も毎晩夜遅くまで開催され盛り上がっていた。
 最終日の閉会式は、新装されたベルリンスタジアムで6万人の観客を集め盛大に行われた。ミュンヘン大会やライプチィヒ大会に比べ、集団演技を軸とした演技構成になっており体操祭の原点に戻った素晴らしい締めくくりであった。
 閉会式後に、大会委員長のハーバート・ハートマン氏が私に、「今回の国際フェスティバルは多くの困難が予想されたが、想像していたよりも順調に進行した。従来のドイツだけの規模よりも国際化した事により、バラエティー豊かな演技と人々との交流を生み出すことになり大変満足している。次回2009年にフランクフルトで開催するTurnfesには、日本から多くのチームが参加する事を希望します。」と語ってくれた。
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左から1856年ライプチヒ絵葉書、1864年ミュンヘン絵葉書、1900年絵葉書



 2005年ベルリン大会
 シンボルマーク


 
 1984年ミュンヘン大会での
 "お−るど・ボーイス”

スロバキアのチームと合同で、
日本食パーティー

2005年5月14日
ベルリン大会開会式
雨の中でのパレード



体操アカデミー

"50プラス"の演技

インターナショナル ガラ ショー
でのスイス チームの演技
野外発表

2005年5月20日
ベルリン大会閉会式

ドイツ全土より集まった
参加チームの旗
ドイツ国際体操祭 ベルリン大会