井口[いのくち] あぐり
19世紀の半ば、ドイツ体操とスエーデン体操は二大潮流のように、当時の文明諸国に波及した。日本にスエーデン体操を紹介したのは、井口あぐりと川瀬元九郎の二人によってであり、共にスエーデン本国からでなく、アメリカを経由しての流入であった。川瀬元九郎に関しては、別に触れるとし、本項では井口あぐりについて述べることにする。
彼女は1870(明治3)年秋田市に生まれ、秋田女子師範を卒業後、明治21年、東京女子高等師範学校に入学、明治25年卒業後、明治32年渡米、留学、マサチューセッツ州ノーサンプトン・スミス大学で生理学、体操を研究、明治33年、ボストン体操師範学校に入学、明治35年卒業後、更に、ケンブリッジ、ハーバード大学で体操を修め明治36年に帰朝した。帰朝後、母校女高師の国語、体操専修科の教授となり、特にスエーデン体操の普及に努めた。明治37年、文部省から「体操遊技調査委員」を命ぜられ、スエーデン体操を学校体操の中心教材として採り入れることに成功した。明治44年、後を二階堂トクヨに譲り、再び海外に渡った。1924(大正13)年イギリスから帰朝、1931(昭和6)年3月に亡くなった。
日本の体操は、最初はドイツ系の徒手、手具体操の形で登場し、次に体操伝習所のジョージ・リーランドの普通体操が明治末葉まで小、中師範、高等女学校の体操科の中心教材になったのである。しかし、20世紀の初頭、大正期の学校体育運動の中心は、スエーデン体操中心に切り替えられるのである。その原動力が、川瀬元九郎とこの井口あぐりの二人であったのである。 |
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