五郎山古墳
筑紫野市南部に江戸時代の筑前六宿のひとつ原田の町がある。
原田の町を見下ろす丘の上に、五郎丸古墳がある。
1947年に五郎山(標高66m)の頂上を開拓中に発見されたのが、
考古学会に有名な五郎山装飾古墳である。
五郎丸古墳内の壁画は、横穴式石室の奥壁の下段に集中している。
他の多くの装飾古墳にみられる幾何学的図形とは異なり、人物・動物・器材・船などの具象的図形が、赤・黒・緑の三色で自在に描かれている。
専門の学者は、「一篇の叙事詩を見る思いがする。」と、この鮮やかな壁画に賞嘆している。
古墳は二段築成の円墳で、規模は、下部墳丘(一段目)が東西32.5m、南北31.8m、高さ6.2mで、深さ平均30cmの溝が巡っていたと推定されている。
筑紫国の国号起源の神社・筑紫神社はすぐ近くにあり、この地域にいた古代地方豪族との関連も考えられている。
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