探訪筑紫野

原田宿跡





原田宿跡

原田宿跡


筑前六宿のひとつ原田宿は、筑後・肥前と接した国境の宿場で、いつ頃できたものかは正確にはわからない。
「黒田家譜」に、寛永15年(1638年)1月1日に島原の乱を鎮圧するために冷水峠を越えてやってきた松平信綱の一行50騎1300人あまりの軍勢が原田に宿泊したことが記録してある。

 文化9年(1812年)9月25日には、全国測量の旅を続けている伊能忠敬の測量隊が、田代宿(佐賀県鳥栖市)から北上してやってきた ことを「測量日記」から知ることができる。
また、この「測量日記」から原田宿には、通行手形を調べる「口留番所」、旅行者に馬やかごの世話をする「問屋」、幕府や藩の法令を掲示する「制札所」、そして「町茶屋」があったことがわかる。
 原田宿からさらに進むと博多道と長崎街道の追分にで、正面に筑紫大明神の鎮守の森があることが記されている。
この筑紫大明神が、現在の「筑紫神社」である。