観世音寺



観世音寺



梵鐘

宝物殿

 観世音寺

 観世音寺は正しくは清水山普門院観世昔寺といい、天智天皇発願の寺である。
百済救援のために九州に遠征した天智天皇の母・斉明天皇が、 661年筑紫の朝倉橘広庭宮で崩御された。
その菩提をとむらうために創建されたものである。
観世音寺造営には様々な困難がともない、723年に朝廷は、沙弥満誓を別当(造営長官)として派遣し、造営を急がせた。
 約80年を経た746年、玄ムによってようやく完成の式が行われた。
その後、大宰府の庇護のもとに観世音寺は鎮西第一の名刹となっている。
 来日した唐の僧鑑真や留学より帰国した空海は、まず観世音寺に滞在して、上洛の日 を待っていたという。
 当時の伽藍配置は、川原寺式を簡略化した観世音寺式といわれ、講堂、 金堂、五重塔など七堂伽藍の整った大寺院であった。
その後、火災や台風などで往時のおもかげはなく、現在の建築物は江戸時代、黒田氏 によって再建されたものである。

梵鐘と仏像

 大宰府に配流となった菅原道真が「都府楼はわずかに瓦色を看、観世音寺はただ鐘声を聞く」と 詠んだ梵鐘が観世音寺梵鐘である。
大形で精緻な文様の竜頭を持ち、上帯・下帯に唐草文を入れる。
京都の妙心寺鐘と並ぶ日本梵鐘史の劈頭といわれている。
 また本堂の本尊である聖観音菩薩像、金堂の本尊である阿弥陀如来像、その他馬頭観音像、大黒天像などの重要文化財は、筑紫路を訪れる者にとって必見といえよう。