鴻臚館



鴻臚館跡
(平和台球場跡)


7世紀、唐や新羅などとの外交関係が成立すると、その使節の対応をするのが大宰府の職務となった。
外交使節の接待にあたったところは、大津館・筑紫館あるいは鴻臚館とよばれ、今の大宰府ではなく て、福岡市の福岡城内にあったことが確認されている。
 近世初期の福岡築城によって地形がかえられ、戦後平和台球場や病院が建てられ、遺跡は破壊されてしまったが、礎石や奈良大宰府文化ともいうべき独特な形式をもつ瓦や中国製青白磁などが出土している。

 昭和30年代、プロ野球西鉄ライオンズ時代に数々のドラマの舞台となった旧平和台球場が あった場所こそ、古代朝廷の迎賓館であった鴻臚館の場所である。

九州大学医学部の中山平次郎博士は次の4つの論点から鴻臚館が福岡城内にあると考えた。

@736年に新羅へ派遣された人々が詠った和歌からみて、筑紫館は志賀島と荒津浜を同時に見渡せ 路雨や波音が聞こえる小高い丘にあった。
A869年の新羅海賊船博多侵入事件後、鴻臚館に付設された「博多警固所」は、今の中央区警固 に近い。
B1世紀はじめ刀伊入寇事件の記事から見て、警固所が福岡方面の小高い丘の場所にあった。
C福岡城内で、大量の古代の瓦、青磁を発見し、ここに壮大な瓦葺の建物があった。

鴻臚館福岡城内説は、1987年末にほぼ確定した。
鴻臚館跡は、1987年末に平和台野球場外野席の改修工事中に発見され、翌年度からその全容解明 にむけて本格的な発掘調査が始まった。
また平和台野球場跡地の発掘調査が行われるようになり、遺構や遺物の新しい発見が続いている。
鴻臚館跡からは主に現在の河北省、浙江省、湖南省などの中国各地で生産された大量の陶磁器が 出土している。
さらに、新羅〜高麗王朝の朝鮮陶磁器、イスラム系陶器やペルシア系のガラス器など 海と陸の交易ルートを経た遺物が出土しており、鴻臚館がその当時、国際的な交易の拠点であったことを物語っている。