蔵司跡



蔵司跡

蔵司礎石群


大宰府政庁近くの蔵司は、大宰府管内の西海道九国三島から納められた調庸の出納処理をし、管理した役所である。
大宰府の機構の中で、文献上から知られる諸官衙の中で、その所在場所が特定できる数少ない 例のひとつである。

ところで筑紫の綿は大宰府管内の特産物であった。
九州の養蚕は弥生時代にはじまっている。
綿は木綿ではなく、カイコのマユからとった真綿のことである。
綿が特産品といっても民衆が真綿で身をくるんだわけではない。
筑紫の綿は、過酷な税の象徴であった。
筑紫の綿は各地から大宰府に集められ「蔵司」に収められた。
蔵司と反対側の月山は「辰山」がなまったもの。
天智天皇の時代、ここに漏刻台という水時計があった。
蔵司の西側に「匠司」という地名がのこる。
工務官とでもよぶべき役人の官舎跡かと想像できるが、ここから 日本最古のモノサシとでもいうべきものが発見された。
荒削りの木片に確かな目盛りを見ることができる。