九州太平記
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南朝方の菊池武光を頭とする宮方は、懐良親王を奉じ、熊本県菊池から北上、筑後川をはさんで北軍と対立した。 菊池武光は五千の兵を率いて筑後川をわたり宮瀬あたりに陣をとった。(「宮の陣」の由来) 武光の部隊は、今の西鉄大牟田線のコースを北上し「味坂駅」付近をめざした。少弐軍は戦いを避け「大保駅」付近まで後退した。 この戦線は半月ほど膠着状態が続いたが、
8月15日夜半、武光は3000の決死隊を連れ、少弐軍の東側をとおおって北に回りこみ挟み撃ちをした。 数刻おくれて菊池武政率いる千騎が支援にかけつけ、「大保原合戦」が開始された。 両軍は小郡一帯で一進一退の激闘をくりかえしたが、菊池軍がじりじりと少弐軍を圧迫し、少弐軍は国鉄甘木線のコース沿いに北東に退き、太刀洗周辺に広がる「山隈原」においつめられた。 少弐軍は、四分五裂した勢力を花立山のなかで再編成しようとしたが、その隙を与えぬ菊池軍の猛追の前にあえなく懐乱し、15キロ北の宝満山の中に逃げ込んだ。
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