刈萱の関



刈萱の関跡



関屋交差点付近

飯尾宗祇の歌
太宰府天満宮参道

西鉄大牟田線都府楼駅から徒歩5分ほどで刈萱の関跡に着く。
現在は、マンションが立ち並び石碑のみが立っている。
このあたりは現在、関屋という地名がついている。

「天智天皇三年対馬、壱岐、筑紫などに関守を置く」と「日本紀」にあり、大宰府警固のために 置かれたものである。
その後、中世室町時代の末まで、昔のままに残っていたが、戦国乱世となり廃止された。
本道筋は博多より九州各地へ、また九州各地より博多へ通う大路で、鎮西府がなくなった後まで関所を 置いたのである。

室町時代、大宰府を訪れた連歌師飯尾宗祗が「筑紫道記」の中で、1410年にこの関所を通過した際に「どこへ行くものか」と関守に厳しく問われたことを記している。
なお後にこの時のことを
「数ならぬ身をいかにとも事とはじ いかなる名をか刈萱の関」と述懐している。