旧約聖書は、「休むこと」(安息日)をとても大切にしている。また、新約聖書は、「神の国に入る」ことを「安息に入る」と表現している。
「安息日の休みが、神の民のためにまだ残されている」(ヘブル人への手紙4章8節)
そして、「モーセの十戒」の第四戒は「安息日を覚えて、これを聖とせよ」である。
その淵源は、神が「天地創造」を終えて七日目に休んだことによる。
「六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである」(出エジプト20章)とある。
またイスラエルでは、七日目ばかりか「七年目」も「安息の年」とされた。
「あなたは六年のあいだ、地に種をまき、その産物を取り入れることができる。しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。そうすれば、あなたの民の貧しい者がこれを食べ、その残りは野の獣が食べることができる。あなたのぶどう畑も、オリブ畑も同様にしなければならない」(出エジプト記23章)。
ここで「安息の年」は、貧しい者や野の獣への配慮があることがわかる。
加えて、寄留者や奴隷に対する配慮も含まれる。
「安息の年の地の産物は、あなたがたの食物となるであろう。すなわち、あなたと、男女の奴隷と、雇人と、あなたの所に宿っている他国人と、あなたの家畜と、あなたの国のうちの獣とのために、その産物はみな、食物となるであろう」(レビ記25章)。
特にイスラエルは、「あなたは寄留の他国人をしえたげてはならない。あなたがたはエジプトの国で寄留の他国人であったので、寄留の他国人の心を知っているからである」(出エジプト25章)とある。
以上とから、「安息の年」の規定が与えられている理由は、三つ考えられる。
(1)土地は神の所有であり、その地の収穫は主の恵みによるものであることを覚えるため。
(2)土地(自然・動物)そのものを休ませるため。
(3)貧しいもの、寄留者、負債を負って奴隷になっている人々の解放のため。
さらには、古代イスラエルには50年に1度、「ヨベルの年」というものがもうけられた。
「あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。安息の年七たびの年数は四十九年である。七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。その五十年目を聖別して、国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。この年はあなたがたにはヨベルの年であって、あなたがたは、おのおのその所有の地に帰り、おのおのその家族に帰らなければならない。その五十年目はあなたがたにはヨベルの年である。種をまいてはならない。また自然に生えたものは刈り取ってはならない。手入れをしないで結んだぶどうの実は摘んではならない」(レビ記25章)
このように古代イスラエルにおいて、7年目の年を「安息の年」としていたが、その安息年が7回めぐってきた翌年、つまり50年目を「ヨベルの年」といい、この年は負債や奴隷からも解放される喜びの年とされていた。
ちなみに、「ヨベル」とは、安息日の始まりと終わりの合図として、会堂の屋上からラビが吹き鳴らす「雄羊の角笛」のことである。
さて、神が天地を創造されて、第7日目に安息に入られたため「七」は完成・完全を表す数字として聖書の中で繰り返し用いられている。
例えば、ヨシュアがエリコの城を攻め落として勝利したとき、彼らは6日間、エリコの町を回り、7日目には「七度」町を回った。
その時、堅固なエリコの城の城壁は崩れ落ち、イスラエルは大勝利を収めた。
「七」は完成・完全を表す数字であるが、それが繰り返されることで、決定的な神様の介入と、神様の「時」が示されているといえよう。
新約聖書にペテロがイエスに、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」と聞いた場面がある。
するとイエスは「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい」。(マタイ福音書18章)と応えている。
これは7×70=490回という「計算」に意味があるのではなくて、「七」という数字を繰り返すことによって「完全」に赦しなさいと教えているのである。
新約聖書においても、「安息日」や「ヨベルの年」は、新しい契約の「型」としていくつかの場面で登場する。
それはイエスの十字架の後に聖霊が下ったのは、7週後の50日目(五旬祭・ペンテコステ)であった。
イスラエルで一番有名な祭りは出エジプトを記念した「過越の祭り」であるが、次にい大きな祭りが「七週の祭り(シャブオット)」で、この祭りは、7週(49日)を経た50日目の日曜日に行われる。
「あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って来た日から、満七週間が終わるまでを数える。七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を主にささげなければならない」(レビ記23章)。
興味深いことに、イエスの十字架の刑死は「過越の祭り」の時であるが、使徒に聖霊が下ったのペンテコステの日は、「七週の祭り(シャブオット)」の時でなのある。
これは50年目にめぐってくる「ヨベルの年」を思い起こさせる数字である。
ただ、日本人には仏教の「四十九日(しじゅうくにち)」という喪の期間を思い浮かべる。
この期間、親しい人々は故人のご冥福を祈り、この期間を経て、亡くなった人の魂は仏様のもとへ行くと考えられていく。
伝搬過程のどこかでで影響があったのかもしれない。
ところで、「ヨベルの年」には、人々は土地を休ませただけでなく、借金の全てが免除された。
自由な経済活動は、今も昔も富の格差を生むのであるが、この時代には自分の土地だけでなく、自らを奴隷として売らなければならないほど困窮するということがあった。
そして、ひとたび奴隷となってしまった人々は、自力で自らを買い戻して(贖って)自由人となるということは不可能であった。
そのために、売られてしまった土地や、奴隷となっていた人々が、7回の安息年を経た50年目に解放されることは、そうした行き詰りからの脱却を意味した。
そしてこの年は「恵みの年」とも呼ばれていて、国中に大きな喜びがあったのである。
イスラエル民族独自の定めや律法が旧約聖書にあるが、それらユダヤ教的な要素を「メタファー」としつつ、より普遍的なものとして広がっていったのがキリスト教である。
そころが、不思議なのはユダヤ教では週の7番目の日「土曜安息日」を聖なる日であるのに、どうしてキリスト教は週の初め日曜日を聖なる脾と定めたのであろうか。
実は、ペンテコステの日に聖霊が下り、エルサレムに誕生した「初代教会」は聖書の教えどおり安息日を聖別し守っていたことがわかる(使徒行伝17章2節/18章4節)。
エルサレムから始まり復興した初期キリスト教は、イスラエルから近い小アジア地域に続きマケドニアとローマにまで伝えられた。
その過程で避けられなかったことが、ローマ土着の宗教との摩擦であった。
ローマ人たちは、もともと多神教的宗教観を持っており、「ヤハウェ」という唯一神を信じるユダヤ人を理解することができなかったため、ユダヤ教を信じるユダヤ人たちのことを非常に嫌っていた。
その後ローマでキリスト教徒が増えその信仰が認められる一方で、ローマに住むユダヤ人達(ユダヤ教徒)は、イエスを救い主とは認めす、そうした信仰を理由にローマの命令に従わなかった。
ただキリスト教徒は、ユダヤ人たちと同様に七番目の日を安息日として守るので、外見上はローマ人たちにはキリスト教がユダヤ教の一分派に見えた。
それゆえ、迫害を避けることができなくなったキリスト教会は、キリスト教がユダヤ教と違うということを認識させようと努め、その過程でローマ人たちが元々守る「日曜日」を礼拝日として受け入れるようになる。
実は、日曜日(Sunday)は、もとローマミトラ(太陽神)教の「太陽神崇拝日」だったのである。
BC1世紀頃ローマに入って来たミトラ教は、ペルシアのゾロアスター教から派生した宗教で、太陽神ミトラが「征服不可能な神」、また「不滅の若い神」として描写され、主に軍人たちによって熱烈に信奉された。
キリスト教がローマに伝えられる頃には、帝国と皇帝の「守護神」に格上げされ、ローマで一番影響力ある宗教として定着していたのである。
ローマ教会は、ミトラ教で守る日曜日を礼拝日として受け入れることで、ローマ人たちの迫害から脱しようとしたのである。
2世紀頃、日曜日礼拝を受け入れたのは、ローマ教会とその影響下にある一部の教会だけで、エルサレムを中心とした東方教会は、聖書の教えどおり七番目の日である土曜日を安息日として守った。
しかし、AD313年、コンスタンティヌス皇帝がすべての宗教を同等に認めるという内容の「ミラノ勅令」を下してから、キリスト教は一大転機を迎える。
コンスタンティヌスは、ミラノ勅令頒布以後、聖職者たちに各種特権を与えたり、教会設立を支援するなどキリスト教を擁護する政策を広げて行く。
かと言って、彼が完全にキリスト教に改宗したのではなかった。
キリストを自分が一番好きな太陽神ミトラと同一の神として理解した彼は、死ぬまで「ポンティフェックス・マクシムス」というローマ宗教界の最高祭司職位を所有していた。
結局、帝国全体を一つに統合する政治的目的でキリスト教を選んだと見ることができる。
コンスタンティヌスはこのような宗教思想を土台とし、今後「日曜日に仕事を休む」法令を宣布したのである。
これが「太陽崇拝日」が、キリスト教の礼拝日に変わるようになった経過である。
世界的ベストセラー「ダビンチコード」(2003年)にもそのことが書かれている。
321年の「日曜日休業令」は、ローマ教会の位置をより確固たるものにする結果をもたらす。
皇帝の権威によって、帝国のすべての民が日曜日に強制的に休むよう規定することで、安息日を守って来た東方の教会までローマ教会の方式どおり従うしかなかったのである。
その一方で、変えることのできない「神の創造の秩序」を守ろうとした人々は、砂漠や山の中に隠れて過ごして「安息日礼拝」を固守したが、日曜日礼拝が教会全体に拡散することを阻むことはできず、「日曜日礼拝」は、今日まで続けられてきたのである。
新型コロナウイルス以後の社会秩序(ニューノーマル)を巡って2022年にスイスで「ダボス会議」が開かれた。
この会議のスローガンに掲げられたのが「グレート・リセット」である。
これは、いまの社会全体を構成するさまざまなシステムを、いったんすべてリセットすることを示す。
いま、我々が生活する世界は、さまざまな金融システム、社会経済システムの多くは、第二次世界大戦以降につくられてきたものだ。我々の生き方や働き方の基本方針は、これらのシステムによって決定されていると言っても過言ではない。
しかし、既存のシステムのすべてが完璧だったわけではなく、現代社会が抱える多くの「ひずみ」も生み出してきた。
さまざまな問題を解決するために、これまで当たり前であったシステムを白紙に戻し、まったく新しい仕組みを一からつくり出していくことこそが、「グレート・リセット」である。
この「グレート・リセット」は、旧約聖書の「ヨベルの年」を思わせるものがあり、実際にその関連を指摘する人々も少なくない。
個人的な話だが、新型コロナウイルスが広がり始めた頃、自分の脳裏に浮かんだのはモーセの十戒の第4戒の「安息日を覚えよ」であった。
農業は「土地を休ませる」ことを自然に学んだ社会である。ヨーロッパ中世において定着した「三圃式農法」がそれをよく表している。
またキリスト教会が大きな力をもった社会では、「安息の思想」が身についていたこともあろう。
ところが、産業社会においては「自然(土地)を休ませる」という考えは次第にうすれていった。
「休む」といえば、労働者の権利として「休日」が求められ、その休みは聖なる日でもなんでもなく、余暇と娯楽による気晴らし(パーストタイム)としか
認識されなくなっていった。
こうした生じた自然への過大な負荷(森林の開拓)などが、パンデミックに繋がったのではなかろうか。
それは自然からの「警告」だったとも受け止められる。
ところで2018年9月、フランシス・ローマ教皇が、新型コロナウイルス感染拡大の反省として、「地球に『安息日』を設けるべき」と強調。地球と調和した、よりシンプルな生活への回帰を求める」という新聞記事が掲載された。
フランシス・ローマ教皇は1日、新型コロナウイルス感染からの反省として、人類は地球を「休息」させることができれば、地球は回復できることを示したのである。
コロナの影響防止のための外出や営業の自粛措置等が世界中でとられていることで、人々は従来に比べてシンプルな生活を送るようになり、その結果、温室効果ガスの排出量が減少するなどの「休息効果」が得られた点に言及。
そればかりか先進国には最貧国向け債務の放棄を呼び掛けたのである。
教皇はこの中で「休息の時(A Time to Rest)」と題し、「神は『安息日』を定めて、土地と人々に休息を与え、再生できるようにした。ところが、現代社会での我々の生活手法は、地球に対して、その限界を超えて追求し、成長へのあくなき要求と、際限のない生産と消費を進め、地球の自然資源を疲弊させてきた。その結果、森林は浸食され、土壌は劣化し、草原は消失、砂漠は拡大、海は酸化され、嵐は増大している」と指摘。人類が地球を休ませることなく、こき使ってきたことの弊害を強調した。
そのうえで、コロナ感染の影響で、結果的に、外出自粛や禁止、ソーシャルディスタンスの確保等の措置がとられていることで、人々はやむを得ずシンプルで持続可能な生活を再発見させられている、と述べた。
また、「ある意味で、危機はわれわれに新しい生活に戻るチャンスを与えたのかもしれない」と、そうした制約こそが大気や水は以前よりもきれいになり、動物たちも以前生息していたところに戻るようになっている、と「パンデミックのプラス効果」に言及した。
また、人類が途上国に押し付けた膨大な生態系負債によって途上国の資源を過剰採掘してきたことを忘れるべきではないとし、「正義の回復」を求めた。
その「正義の実現」として、先進国諸国は、コロナ感染拡大の影響をもっとも深刻に受けている最貧国向けの債務を放棄するよう要請した。
法王は「大地と調和をした生活をし、多様な形の生き方をしているのは先住民族たちだ」と指摘し、彼らの生活を、過剰な採掘をする多国籍企業から守る必要があり、これらの企業は、化石燃料や鉱物、森林資源等を壊滅的に採掘する連中だと痛烈に批判した。
コロナ感染によって引き起こされた医療、社会、経済危機からの回復は「正義の修復の時」でもある訴えたのである。