聖書の言葉より(自由をえさせるために)

ドイツの哲学者・イマヌエル・カントは、人間の自由意思と道徳的義務について考察している。
たとえば、親や教師が幼い子どもに「嘘をついてはいけない」と言うとする。
それは単純に嘘をつくことが悪いことだから、ということだけではない。
「嘘をついてはいけない」という道徳的な義務は、私たちが「嘘つくことが出来る」「実際にしばしば嘘をつく」ということを前提としている。
カントは道徳的義務に従って生きることだけではなく、それに逆らって生きるということさえも選択する自由を人間に与えている。
我々の行為が全て自然法則によって決められているのだとすれば、嘘をつくにせよつかないにせよ、それは法則に従って自動的に果たされることにすぎない。
言い換えると、「私たちには嘘をつく自由がある」からこそ、「嘘をついてはいけない」という道徳的な義務が意味をもつ。
我々に備わった理性により、心の中に美しい星座のような「道徳律」を見いだしたとしても、それを実践するか否かは自然法則ではない。
カントは、条件のつかない自らの命法に忠実であるとき、人々は真の自由であると考えたのである。
「条件がつかない」とは、行為の結果を斟酌することなくということであり、かなり難しいことでもある。
またカントは、「汝の人格や他のあらゆる人の人格のうちにある人間性を、いつも同時に目的としてあつかい、けっして単に手段としてのみあつかわないように行為せよ」と述べている。
具体的には「~のために人間を使う」というように、何かしらの手段のために使われるのではなく、「人間のために~が努力する」というように、人間を究極の価値(目的)として 尊重されるべきだと考えた。

2022年、東京大学の国語試験に出題され、話題となったのがパリ大学教授の小坂井敏晶の著書「神の亡霊」である。
小坂井によれば、森羅万象は神の影響下にあると考えられていた中世社会対して近代社会は神の存在を否定し、代わりに「私という主体」をもち、「自由意思」で行動する人間像を採用した。
「我思うゆえにわれあり」のデカルトにはじまり、合理論と経験論を統合したカントの哲学が、そうした「近代的自我」の観念を生んだといえる。
そして小坂井は、近代は人間の内部に、疑問をはさむ余地のない中世の「神のような存在」をでっちあげたと考える。
それは「死んだはずの神が姿を変えた。神の亡霊、神の擬態だ」というわけである。
神の代用品として、人間の内部に捏造された「自由意思」こそが主体の正体で、それは遺伝・環境・偶然という外因の相互作用が生み出す「虚構」にすぎず、自由の感覚は脳が作る幻影だという。
小坂井はこの問題意識に立ち、様々な制度にひそむ不都合な真実を暴こうとした。
例えば、「機会均等」の観念、近代社会は機会を平等に与えれば、貧富はちちまり公平な社会になると想定する。
機会を平等にして自由競争をすれば、結果として生まれる格差は正当で、それは「自己責任」だということになる。
しかし学校教育を通じて、親の階層構造が子でも再生産されることは国内外の研究で明らかになっている。
小坂井は、「近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理に変わっただけだ」ということになる。
小坂井は、能力はほぼ外因により決まるのではなく、"すべて"外因に決まるという。
小坂井は「親ガチャ」という議論があるが、遺伝も外環境も偶然も当人には選べない。したがって内因はどこにもない。
能力はクジ引きの結果にすぎない。こういう極論は、自己責任論にさいなまれる人々を救う一方で、何をやってもしようがないという虚無感を生んでしまいそうである。
そこで小坂井は、「偶然」というものに積極的な意義に注目する。
誰と巡り合うか、どんな人と恋をするか、どんな言葉を交わすのか、偶然がもたらす思い込みや勘違いによっていい変化が起こりうる。
小坂井の人生をみれば、偶然に左右され、未来は誰にも予測できないから絶望はしない。
小坂井は、愛知県生まれ。名古屋の高校から二浪して1977年に早稲田大学文学部に入る。
高校時代から陸上ホッケーに熱中し、ホッケーをやるため大学に入ったが日本代表選手になれず、次の目標を見つける目的で1978年から1年間ユーラシア大陸を放浪。
その後、日仏技術通訳としてアルジェリアに滞在。
1981年、大学を除籍となり渡仏する。
カーン大学歴史学部で学んだ後、高等研究院ではセルジュ・モスコヴィッシに師事する。
1994年、フランス国立リール第三大学准教授、2002年パリ第8大学に異動し2022年に退官し、現在はパリ西郊外サンジェルマン・アン・レーに在住。
小坂井のいう「偶然」というものに積極的な価値を見出すというのには幾分違和感がある。
出会いが出会いであるためには、その人の人格が大きく左右する。
人が出会うのは善きものもあれば、邪悪なものに染まっていくこともあるからだ。
また、偶然を装ってやってくる「必然」ということもあるのではなかろうか。
その点で思い出すのは、「テルマエ・ロマエ」を書いた漫画家ヤマザキマリの「偶然」である。
ヤマサキは1967年、東京都に生まれる。母親がヴィオラ奏者として札幌交響楽団に在籍していたことから、幼少期を北海道千歳市で過ごした。
父は指揮者であったが、幼少のころ亡くなった。
14歳の時、母親に勧められて1ヶ月ドイツとフランスを一人旅した際、老齢のイタリア人陶芸家と出会い、旅をしている理由(芸術のため)を話すと、「イタリアを訪れないのはけしからん」と叱られる。
この出会いこそは、ヤマザキにとってどれほど運命的といえるものであったかは後に悟ることになる。
ヤマザキは、そのイタリア人陶芸家に招かれて17歳でイタリアに渡り、フィレンツェのイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵を学びながら11年間を過ごした。
21歳の時に一時帰国するが、スキー旅行に向かう途中、交通事故にあい全身打撲で肺胞が潰れるという重症を負う。
健康を回復し、フィレンツェの学生アパートのに戻り、隣室のイタリア人詩人と恋愛をする。
いつしか妊娠が発覚したものの、その詩人とは別れ、シングルマザーとなった。そんな境遇にあって生活費を稼ぐため漫画を描き始めた。
そしてヤマザキは1996年、イタリア暮らしを綴ったエッセー漫画でデビューする。
2002年、中学時代にイタリア旅行をすすめたあのイタリア人陶芸家の孫と結婚することになる。
後にイタリア文学者となるこの14歳年下の夫の家族の壮絶ぶりをギャグにして綴ったエッセー漫画などを講談社の雑誌に連載する。
実は、ヤマザキの夫は、ローマ皇帝の名前を全員言えるほどの古代ローマおたくで、日常会話でも古代ローマの話題が当たり前のように出るほどであった。
そういう家庭環境の中、古代ロー マをモチーフとした「テルマエ・ロマエ」が生まれた。
こうしてヤマザキ自身、考えもしなかった人生を歩むことになったが、何が偶然で何が必然なのか、分かちがたい。
さて前述の小坂井は、「前近代は共同体の外部に投影された神に身分制の根拠を求めた」。「神を殺した近代は、根拠を各人の内部に移動し、自由意思の捏造により格差を正当化する」としている。
だが「主体の神は亡霊」であり、自由も平等虚構である。身分制を打倒しても格差正当化の詭弁はつづくという。
格差や差別はけしてなくならず、どんな時代も様々な手口でそれを隠そうと虚構の制度を作ろうとすると。
小坂井のこうした考えかたは、「近代的自我」という考えかたに慣れ親しんだ我々の既成観念をうちくだく。
小坂井は、人間は他者と比較してアイデンテティをはぐくむ。だから格差のない社会には生きられない。
格差は社会の機能不全をおこすのではなく、逆に社会が正常に機能するゆえだという。

明治の文豪・森鴎外は、「かのように」という小品を書いている。その中で、人がモノゴトを認識する際、「かのように」認識する傾向のことを、我々の心の中のモンスターだと言っている。
実際、「かのように」の実例はいくらでもある。
人々が紙きれを価値ある「かのように」受け入れることによって通貨は流通し、経済社会がなり立っている。
そこに疑義が生じれば、経済社会は一気に崩壊する。
また「法人」という考え方も、人間の「かのように」思考の好例である。
「法人」とは、ヒトである自然人ではないが、法律の規定により「人」として権利能力を付与されたもので、会社などの団体をあたかも一人の人間と同じであるかのように、権利・義務の主体としたものである。
こうみなすことで会社を一人の人間のごとくに相手取って損害賠償などを要求することができる。逆に会社は一人の人間であるかのように権利主体として行動したり責任が生じたりする。
ところで人間個人の責任を考える場合には人間の「自由意思」が前提となる。
しかし、いかなる行為も過去にその原因を持ち環境の諸作用の結果として生じており、純粋な「自由意思」など本当にあるといいきれるだろうか。
つまり善行や犯罪も「自然現象」とおなじく自然に生起する現象に過ぎないのかもしれない。
しかし法律では、人間の行為をそうした諸要因から切り離して、本人の自由意思が働いた「かのように」に見なすことで、はじめてその行為の責任を問題として、社会秩序の維持を図ろうとする。
ソノ点でいうと、「かのように」思考は、歴史上の人物を評価するする際に猛威をふるっているように思える。ここでも「ないもの」を「あるかのように」認識する。
つまり我々は、歴史上の人物ががまるで自律した行為、自由な行為として行ったかのように考え「審判」するのである。
人の自由を前提にしてはじめて物事の正邪を明確にし、偉大さや卑小さを浮き立たせることができるからである。
英文法で能動態と受動態を習ったが、驚くべきことは、かつての言語では、能動態と受動態ではなくて、能動態と中動態が対立していたという。
たとえば古典ギリシア語を勉強する時には、中動態の活用を学び、「受動」というのは中動態がもつ意味の一つに過ぎないのだ。
例えば、「謝る」や「仲直りする」は、「する」と「される」の分類では説明できないものである。
文の形式は「能動態」であっても、自分の心の中に「私が悪かった」という気持ちが現れないかぎり「能動態」にはならない。
だからといって「受動」で説明することもできない。もし、それを受動で説明しようものなら、それこそトラブルは拡大する。
人間は日常、それほど明確な独自の意思をもって行動しているわけではない。それが一番あてはまるのが消費行為。消費者は品物を買うように見えながら、実は買わせられてる面があるからだ。
今のように能動と受動でこれを分類するようになったことの背景には、「責任」という観念の発達があるからかもしれない。
「これはお前がやったのか、それともそそのかされたのか?」という取り調べを想起すればわかりやすい。
逆にいうと、今日という時代は、「中動態」が消し去られた世界ともいえる。

カントは確かめようのないこと(形而上のこと)を排除して、つまり神を持ち出すことなく、「道徳法則」を導きだそうとした。
そのカントの考えを聖書の創世記にあるエデンの園にあてはめると、神がアダムとエバに「園の中央の木の実を食べてはいけない」と命じたということは、人にはそれを食べる自由がある、ということになる。
神は、人間を「自らに似せて」造ったということは、神は人間を奴隷でもロボットでもない「自由な存在」として創造したということである。
そして、「エデンの園」の出来事が教えるメッセージとは、本来のコトの良し悪しは、人間がこの世の経験で学んだ「善/悪」にあるのではなく、神の意思そのものにあるということだ。
しかし人間はもはや、神の意思をたずねることをしない、自ら「良し」と思うことを基準にして生き、その基準で人を神のごとき存在になったのである。
一方で聖書は、人間がそれほど自由意志で生きている存在ではないことを示している。
聖書には、人が”思う”のではなく、神が”思い”を起こさせるということであふれている。
紀元前13世紀頃、飢饉がおきてエジプトに寄留していたイスラエルの民が、いつしか奴隷の待遇を受けて苦しむに至り、神がイスラエルの指導者モーセをエジプトの王パロの元に送り、「イスラエルの民を去らせよ」と迫るように命じる。
しかしパロは幾度もそれを"拒絶"して、そのたびごとにエジプトで、イナゴが大発生したり、ナイル川が血の色に染まるなど、神のワザが現われる。
この出来事の中で、聖書は、パロの度重なる”拒絶”の理由について意外なことを語っている。
「神がパロの心を頑なにした」(出エジプト記7章)というのである。つまり、パロがモーセの言葉に耳を貸さなかったのは、神がそのように仕向けたということに他ならない。
その結果、神の力が次々に表われていき、”ヤハウエ”の名が諸民族に広まったのである。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ2章)。 ところで、パリ大学の小坂井のいうごとく、「才能や能力はくじ引き」という考えかたは、人によっては謙虚にさせることもあるかもしれない。
一介の羊飼いからヘブライ王国二代目の王になったダビデは神をつぎのように讃えている。
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか」(詩篇8)。
まて使徒パウロは元々は律法に熱心なユダヤ教徒であり、キリスト教の迫害者であったが、迫害の途上で強烈な光に照らされてキリスト者となる。
パウロは信徒への手紙に「母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、 異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった」(ガラテヤ人への手紙1章)と述べている。
そのパウロによる信徒あての数々の書簡の最大の主題は、エデンの園以来、アダムとエバが犯した罪によって入り込んだ「死」から解放されるという「福音」につきるといって過言ではない。
「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである」(コリント人第一の手紙15章)。
さらに、「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」(ガラテヤ人への手紙5章)と述べている。

例えば、「出エジプト記」に登場するエジプト王パロ(ラムセスⅡ世)のことである。
8:5ただ少しく人を神よりも低く造って、 栄えと誉とをこうむらせ、 8:6これにみ手のわざを治めさせ、 よろずの物をその足の下におかれました。