聖書の言葉(ダニエルと福音)

戦国時代、日本にやってきた宣教師・バリニャーニの勧めでヨーロッパ派遣された少年達がいた。これを「天正遣欧使節」(1582年)という。
少年達はローマ法王と謁見されることを許されるものの、彼らは帰還後、「病死/海外追放/棄教/殉教」とそれぞれ異なる歩みをしていく。
この見目麗しき波乱万丈の4人の少年で思い浮かべるのは、旧約聖書「ダニエル書」に登場する4人の少年の話である。
きっと、バリニャーニの脳裏に”少年使節”の原型として存在していたにちがいない。
さて、紀元前6世紀にメソポタミアの新バビロニアの王として君臨したのが、ネブカドネツァル王(在位、BC604~562年)である。
BC7C、ネブカドネツァルがエルサレムを攻めてユダヤ人を捕囚として首都バビロンに連行した。
ネブカドネツァルは宦官の長に命じて、ユダヤ人の中から、能力のある「四人の少年」を仕えさせた。
そのなかでも秀でいていたダニエルは、飲食で身を汚すまいと心に定め、宦官の長にユダヤの戒律に従う食べ物を願った。
しかし宦官の長はダニエルらの健康状態が悪くなっては、自分の責任が問われることになると心配した。
そこでダニエルは、10日間限定で野菜と水だけを与えて、自分たちの顔色が他の者のより悪ければ、そうしなくてよいと願った
宦官の長の家令はダニエルの言うところを聞きいれ、10日の間彼らをためした。すると、彼らの顔色は、他の少年よりも良く、からだも肥えていた。
そこでダニエルら少年達の希望するようになった。
ある時、ネブカドネツァルはあるとき奇怪な夢に悩まされ、バビロンの占い師や祈祷師を呼び、"謎解き"を迫った。
しかしそれに応えられる者はいなく、王は怒り占い師らの命は"風前の灯"となった。
侍従長にこの話を聞いたダニエルは夢の中身も聞かずに謎を解いて、バビロンの智者たちの命をも救った。
ネブカドネツァルは、すっかりダニエルを気に入り、全州の長官に任命した。
そればかりかダニエルの推薦で、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤら他の3少年も行政官に任命された。
しばらくして、ネブカドネツァル王はドラという都市に突然高さ巨大な金の像を建て、決まった時刻にひれ伏して拝むように人々に命じた。
ところが、その地にいたユダ捕囚民の中にそれを拒否する者たちがいた。
彼らこそ、ダニエルと一緒に宮廷に仕えして行政官になった3人の少年だった。
ユダヤ人を中傷しようとしていたバビロン人がこのことを王に告げ、王は怒りに燃えて3人を呼び出し、直接命令したが、それでも3人は拒否した。
王は血相を変え、いつもの7倍も熱くした燃え盛る炉の中に、3人を投げ込んだ。
このとき不思議なことに、3人は衣服をつけたまま縛られて炉の中に入れられたのに、炎の中には「もうひとつの影」があって、4人(?)が自由に歩き回っていたのだ。
これを目撃した王は、3人が信じるヤハウェ神の偉大さに驚き、3人を炉の中から引き出すと、以前よりも高い地位につけた。
時はネブカドネツァル王を次いだダレイオス王の時代、ダニエルは120人の総督を管理する3人の大臣の1人となっていた。
あるとき総督と大臣たちはダニエルを陥れるために、王に次のような禁令を発布させた。
「向こう30日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる」。
ダニエルはこの禁令を知っていたにも関わらず、日に3度自分の神に祈りを捧げ続けた。
その事実を確認するや、役人たちはダニエルを獅子の穴に投げ込むように王に訴え出た。
ダレイオス王は大いに悩んだが、役人たちに迫られ、ダニエルを獅子の穴に閉じ込めた。
その翌日、王が心配して獅子の穴に出向くと、中から無傷のダニエルが現れた。
こうして、ダニエルの神の力に感心した王は、人々がその神を恐れ敬うように勅令で命じた。
ヤハゥエの神を信仰する4人の少年達は、燃え盛る炎にも、猛り狂うライオンにも、傷一つ受けることなく生き残った。
そればかりか、彼らはそうした試練を経過した後の方が、より髙い身分につけられた。
これこそが「呪いを祝福に変える神」(申命記23章)であり、「福音」の原型である。
何故なら福音とは「死の呪い」を、イエスの十字架によって「命の祝福」に転じさせる良き知らせだからだ。

旧約聖書は、「ダニエル書」は歴史書であると同時に預言書である。
当時のダレイオス王は、思いのままに裁き、殺し、やりたい放題の独裁を続けていたが、ある夜の大酒宴の会場で、目の前の白の漆喰で塗られた壁の上に現れた「指」の幻を見た。
その指は、壁に文字らしきものを書いた。
しかし、その場にいた者たちの誰もが、その文字を読めなかった。国王は不吉な予感にかられ、恐怖のあまり顔は蒼白となった。
ただちに、あらゆる学者が集められたが、それを読める者、意味を解ける者は誰もいなかった。
そこで王の前に連れてこられたのが、ダニエルであった。
ダニエルは、その壁に書かれた文字は、「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」で、「数える」「分ける」という文字であることを王に伝えた。
その意味するところは、永遠に続くように思える国であっても、国王であっても、その悪政の年月は、神によって数えられている、ということである。
これまでの王の傲慢な心は神によって量られていた。そしてついには、その全ての力は、王から取り上げられ、他の国の者に分け与えられてしまうということを意味する文字だった。
そしてこの壁に書かれた神の言葉は、そのまま実現し王は殺され滅びた。
また新約聖書にも、「指」が地面に何事かを描く印象的場面がある(ヨハネの福音書8章)。
律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに「モーセは律法の中で、こういう女をを石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」と訊ねた。
イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられたが、彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼ら「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言われた。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられたが、イエスの言葉を聞くと、年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスと女だけになった。
そこでイエスは身を起して「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」と訊ねた。
女は「主よ、だれもございません」と応えると、イエスは「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」と告げられた。
ところで、イエスは身をかがめて、その指で地面に何を描いていたのだろうか。
フランスのあるカトリック作家は、女から目をそらしていたという解釈をしてる。
しかし、この文脈の中で「地面に書く」ということがとても重要な位置をしめている。
パリサイ人や律法学者が問い続けているその真ん中で主は文字を地面に書いており、さらにそれを二度までも繰り返されたからだ。
実は、聖書全体を通じて「単数の指で」ものを書いているという場面が2か所あり、もう一ヵ所は旧約聖書にある。
それは他でもない神が石の板に「十戒」を書き込む箇所である。
出エジプトに「こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた」(31章)とある。
仮にイエスが地面に書かれた文字が、モーセに「十戒」であるならば、この場面に即した戒律が浮かぶ。それは、「十戒」のなかの第7戒で「汝 姦淫するなかれ」。
「地面に文字を書く」と言う行為は、その戒律を与えたのはイエスであり、イエスが「罪を許す」権威をもつ者、すなわち神であることを示している。
イエスは律法学者に、病人を癒したことを問い詰められたことがある。その際に病人に対して「あなたの罪はゆるされた」といったからだ。
律法学者が「神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と論じたのである。
イエスは、神が罪を許す権威をもつことがわかるようにと、立って歩めというと中風の者はたちどころにいやされ、人々は神をあがめた(マルコの福音書2章)。

旧約聖書の「ダニエル書」はイスラエルの預言ばかりか「人類の預言」が含まれている。
具体的な数字が書いてあるので、過去の出来事から「預言の正確」さを検証できる。
神は、ダニエルからみて未来の出来事を次のように示された。
「あなたの民と、あなたの聖なる町については70週が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なるものに油をそそぐためです。それゆえ 、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、7週と62週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。 その62週の後にメシヤは断たれるでしょう」(ダニエル書9章)。
この箇所に過去から現在に至る年数について検証したい。
まずこの預言に登場する「メシア」であるが、当然イエス・キリストのことである。
最初に、「エルサレムを建て直せ」の命令がキュロス王によって出されたもので、年表で調べるとBC538年となっていた。
しかし命令は何度かでても、実際にはなかなか実行されなかった。
それは、アルタクセルクセズ1世の時代、王に仕えたユダヤ人ネヘミヤが書いた「ネヘミヤ記」によって知ることができる。
ネヘミヤは生き残った者から、次のような故郷エルサレムの情報をえる。
その者は、ネヘミヤに「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」(ネヘミヤ記1章)と語った。 つまりエルサレムの復興はすすんでいなかった。
この情報をえて深い悲しみを覚えたネヘミヤは、自ら復興のリーダーとなるべく王に願い出たのである。
そしてネヘミアは希望どうり地方の長官として任命された。
そして「城壁再建の許可」の書簡を携えてペルシアのスサを発った。
年表で調べるとこれが紀元前445年となっている。
つまり「エルサレム再建」は、実質上ネヘミヤの地方長官としての帰還をもってはじまる。
ダニエルの預言では「エルサレムの建て直し」から「メシアが断たれる」まで7週と62週すなわち69週があるとしている。
計算すると7日×69週=483日となる。
聖書は、預言の全体から「日を年と読み替える」ことが可能なので、ネヘミヤがスサを発った紀元前445年から「7週と62週の後にメシアが断たれる」とあるので、483年をプラスすると紀元38年にあたる。
イエスの生誕は、歴史学では紀元6年であるので「38-6=32」、イエスは30歳前後(ルカの福音書3章)から、ヨハネにより洗礼をうけて「救世主」と公言され、その2年後ぐらいに亡くなっており、歴史学の考証と一致している。
ただ、69週を7週と62週にわざわざ区切ってある点で、イエスとパリサイとの間の「エルサレムの神殿」についての問答が思い浮かぶ。
パリサイ人たちが「神殿の復興に46年かかった」といった場面がある(ヨハネの福音書2章20節)。
7週は49日、年に読み替えると49年、カナン人の妨害による停滞期間を3年とすれば、「エルサレムの神殿の建設期間」と考えても大きな矛盾はない。
さて前述のダニエルの預言で最も重要なポイントは、「あなたの民と、あなたの聖なる町については70週が定められています」である。この言葉を解くヒントは、パウロが書いた手紙などにある。
ところでイエスは復活後に使徒達に次のように語っている。
「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章)。
これが使徒達による「福音伝道」の起点である。
イエスの福音は、パウロらによりユダヤ人以外の異邦人に広がって、教会が各地に建てられていく。
つまり、我々が生きているこの時代は「異邦人の時」にあたり「福音の時代」(教会時代)ということがいえる。
重要なことは、パウロが「ローマ人への手紙」の中で、「ユダヤ人の時」と「異邦人の時」を分けている点である。
「ダニエルの預言」と合わせると、「あなたの民と、あなたの聖なる町については70週が定められています」というのは、「ユダヤ人の時」の70週にあたる。
キリストの生誕以前、すなわち旧約聖書の時代は「ユダヤ人の時」でダニエルの預言でいう「69週」がすでに過ぎている。
ということは、ユダヤ人の時「70週-69週」の残り1週(つまり7年)が宙に浮いたカタチとなる。
この宙に浮いたような「7年間」とは、何なのか。実は、「ヨハネ黙示録」に、その「7年間」と合致する箇所がある。
さて、パウロが信徒に向けて書いた手紙を、より明解な文語訳聖書で示すと次のとうりである。
「兄弟よ、われ汝らが自己をさとしとすることなからんために、この奥義を知らざるを欲せず、即ち幾ばくのイスラエルの鈍くなれるは、異邦人の入り来たりて数満るに及ぶ時までなり。かくしてイスラエルはことごとく救はれん」(ローマ人への手紙11章25節)。
パウロは、異邦人の数が満ちた後に「イスラエル人の救い」の時が来るということを明瞭に示している。
「そこで、わたしは問う。”彼らがつまづいたのは、倒れるためであったのか”。断じてそうではない。かえって彼らの罪過によって、救いは異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。しかし、もし彼らの罪過がよの富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことであろう」(ローマ人への手紙11章)。
ここでパウロがいうユダヤ人が救われる期間「ユダヤ人(イスラエル)の時」こそが、前述の宙に浮いた「7年間」であり、これからの未来に起きることなのである。
なぜならば、使徒ヨハネに黙示された「黙示録11~12章」の「時と期間」が、「ダニエル書9章」に示されたと内容が重なっていることを確認できる。
「ヨハネ黙示録」11章に記載された「42カ月」(=3年半)と、12章に記載された「1年、2年、また半年の間」(=3年半)とを加えると、ピタリと「7年間」になるからだ。
つまり「黙示録」のこの箇所は、前述の「ユダヤ人の時」の浮いた「7年間」を預言したものである。
聖書は、イエスの再臨によってユダヤ人がかつて十字架に架けたイエス・キリストをメシアとして受け入れ、真のイスラエルの復興がなされる「神の国」が実現することを預言している(ヨハネ黙示録20章)。