聖書の言葉(ダビデと福音)

古代イスラエルの初代の王のサウルは、祭司サムエルに見出され油そそがれた者、神より大いに祝福された人物であった(サムエル記上10章)。
サウルは裕福な家に生まれ、「イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった」とか「肩から上の分だけ、民の誰よりも背が高かった」というように、見た目にも際立った存在だったようだ。
サウルは、アンモン人がヤベシ・ギレアテの町を包囲した時、強力な反撃で包囲を解いたことで民衆の支持を集め、ギルガル全ての部族の前で正式にイスラエルの王につく(サムエル記上11章)。
しかし鉄器が使え、統率された軍隊を持っったペリシテ人(アンモン人含む)の脅威が去ったわけではない。
そこでサウルは王位について2年後、三千人の兵を集め、ペリシテ人に攻撃を仕掛ける。
ここでサウルは、運命の転機となる過ちを犯す。
サムエルから「7日間待て」と命令を受けていたにもかかわらず、民が散り始めたためか、遅れたサムエルを待ちきれず、自分の判断で儀式を執り行う。
これに対してサムエルは、「愚かなことをした」とサウルを非難する。
ペリシテ人は大群を繰り出して反撃に出て、イスラエルはミクマシという町を占領され、後退を余儀なくされるが、息子ヨナタンによる奇襲が成功してペリシテ人の軍勢が崩れ、勝利を収めることができた。
祭司サムエルはサウルにアマレク人を、人も家畜も全て殺してしまうよう告げたものの、サウルはアマレク人の王の命を救い、家畜のもっとも良いものは殺さずにいた(サムエル記上15章)。
旧約聖書の時代は、選民イスラエルと異邦人の区別がはっきりしており、神は偶像に繋がるものを徹底的に滅ぼすことをイスラエル人に命じたのである。
、 サムエルは、ベツレヘムの「エッサイの家に新たな王がいる」というの神の声に従ってベツレヘムに向かい、ここで羊飼いの少年ダビデと出会う。
そして、サムエルはダビデに油を注いだ。
ダビデはエッサイの8人の末っ子で、羊飼いであった。
そして、投石器の技術をもってゴリアテを倒し、人々によく知られた存在となる(サムエル記上17章)。
サウルはその頃より悪霊により気分がふさぐことが多くなり、家来の勧めで竪琴をうまく奏でる羊飼いの少年ダビデを呼んだ。
彼の竪琴を聞くとサウルの気分も回復し、サウルはダビデを大切にした。また、サウルの息子ヨナタンもダビデと深い友情で結ばれる。
ダビデは、数々の戦いで戦果をあげ、そんなダビデに対して民衆は「サウルは千をうち、ダビデは万をうつ」と語るようになり、その声はサウルの耳に 届く。
サウルは悪霊にくわえ、ダビデの名声への嫉妬心からか、精神の平衡さえも失っていく。
サウルは、ヨナタンの説得によって一旦は怒りを和らげるが、サウルが息子ヨナタンにまで槍を投げつけるに至って、ヨナタンはダビデの隠れる草原で別れを告げ、ダビデは放浪の身となる。
ダビデは、サウル王に対する忠誠を示そうと、サウルが陣で寝ているところに忍び込み、サウルの上着の「すそ」を切り取った。
そして離れた山の上からサウル軍の指揮官アブネルを呼び、自分は陣に忍び込んでサウルを殺さず出てきたと、証拠となる上着の「すそ」を示したりもした(サムエル記上24章)。
ペリシテ人との抗争が再び激化して、サウルはヤハウェの導きを得ようとするがそれをえられず、変装して巫女(みこ)の元をを訪れる。
そして巫女に、亡くなったサムエルを呼び出させるが、サムエルの口から出た言葉は、「ヤハウェは既にサウルを見放した」というものであった。
イスラエルの軍勢はギルボア山で大敗、ヨナタンらサウルの三人の息子は殺害される。
サウルも深手を負い、従者に殺すよう命じるが、誰も従わなかったので、自ら剣の上に倒れ自害する(サムエル記上31章)。

サウルとダビデは、祭司サムエルによって「油そそがれた者」であった。
それは王位に就くための形式ではなく、二人とも祭司が油を注ぐと、「主の霊が激しくのぞみ新しい心が与えられた」(サムエル記上10章/17章)。
"救世主"を意味する”メシア”は、この「油そそがれた者」に由来する。
ただ、サウルとダビデの違いは、「油そそがれたこと」に対する意識の違いといえるかもしれない。
それを軽んじて神から遠ざけられるサウルと、過ちを犯してもなお神の憐みをうけるダビデ。
サウルはダビデにとって、あたかも反面教師のような存在である。
また「神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさる」(ローマ人への手紙9章)とあるが、ダビデが神に愛されたのは、どのような面であったのだろう。
ダビデは、王になって最初の戦でペリシテ人を打ち破り、「契約の箱」を携えてエルサレムに凱旋した。
そのときダビデは喜びのあまり、主の箱の前で力を込めて踊った(サムエル記下6章)。
ところが、その様子を窓から見たダビデの妻ミカルは家に帰って来た夫を罵った。
ミカルは先王サウルの娘で気位が高かったのか、皮肉を交えて次のように語った。
「きょう、イスラエルの王は何と威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」とチクリと刺したのである。
それに対してダビデは「わたしはまた主の前に踊るであろう。わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう」と応えている。
人に気に入られるより神を讃えようとするダビデは、人の声に動かされるサウルとは対照的である。
ちなみに、妻ミカルがダビデを皮肉った言葉が「呪い」となって、子供に恵まれなかった。
また、そんな幼子のような心をもつダビデだが、神が立てた(聖なる)ものや聖域に対しては、厳しいわきまえをもった人物であった。
ダビデがサウル王に仕えていた時代、サウル王ににより狂ったように命が狙われ、原野を逃げ惑う。
その合間に、サウルを殺す絶対的チャンスが二度ほどあったが、「油そそがれたもの」、つまり「神が立てたもの」に自ら手をかけることはしなかった。
ただ、自分がサウルの命を手中に収めたことの印として、サウルの服の一部を切り取ったりしたことに対してさえも、自らを責めるほどであった。
また、サウルが死んだ後、サウル王の一族で親友でもあったヨナタンの障害をもつ子を、常に自分の食卓において面倒をみたりした。
またダビデの神に対する絶対的な信頼を示すのは次のような出来事である。
ある男が、ダビデが一線敗地にまみれると、ダビデはサウル一族の血に呪われている、と言いふらして歩いていた。
ダビデの部下が「あの男を殺して黙らせましょう」というと、ダビデは「神がそう言わせているのだからいわえておけ」と命じる。
「呪いを祝福に変える」神の力(サムエル記下17章)を信じていた。つまり自分に対する誹謗や中傷でさえも祝福に転じる神を信じゆだね、言わせておくという態度を貫いたのである。
しかしそんなダビデも、年がすすんで大きな過ちをおかす。
ある晩、宮殿の屋根にいたダビデは、下を見下ろしていたところ、バテシバという大変美しい女性を見る。
バテシバの夫ウリヤは戦いに出かけていて留守。
ダビデはバテシバに言い寄り、後に彼女が身ごもったことを後に知る。
ダビデは非常に心配し、軍隊の総指揮官であるヨアブに命令を送って、夫ウリヤを戦いの一番激しいところに送り込む。
ダビデの目論みどおりウリヤが戦死すると、ダビデはバテシバと結婚する。
神は、そうしたダビデに対して大いに怒り、預言者ナタンをつかわし、次のようなたとえを語らせる。
「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、ひとりは貧しい人でした。富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、貧しい人は、自分で買ってきて育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。
子羊は彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、彼のふところで休み、まるで彼の娘のようでした。あるとき、富んでいる人のところにひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れからとって調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、自分のところに来た人のために調理しました」(サムエル記下12章)。
ダビデは、間髪をいれず、裁定をくだした。
「そんなことをした男は死刑だ。その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない」。
これはイスラエルの律法に従った正しい裁定で、ダビデの応答に対してナタンがすかさずに応じる。
「あなたがその男です」。そしてダビデは自分のしたことをようやく悟る。
その後、ダビデの家には多くの問題がおきる。
ダビデは幼子の一人を失い、さらに息子の一人がダビデの王位を奪わんと反乱をおこす。
ダビデはその反乱に追い詰められるが、その息子が事故で死ぬや、誰の慰めをも拒絶するほど号泣する。
またダビデは、戦いにおいて神に頼ることを忘れ「民の数をかぞえた」罪に対して、神によって「敵に3ヶ月おわれる/3年の飢饉か/3日の疫病」かという三つの選択肢を提示される。
ダビデは、人の手に落ちるよりも神の手に落ちることを願う。そして、疫病がダビデの地を襲う。
ただ、ダビデは「何の罪もない牛や羊が殺されるのはなぜか」と神に問い、「災いはダビデの家にのみむけて欲しい」と願う。
それに対して、神は疫病を下したことを「悔いた」と、聖書にあるほどであった。
そしてダビデは祭壇を築き、神はそれ以上の災いを思いとどまる(サムエル記下24章)。
ただ、ダビデにとって唯一めでたいことといえば、一度は死産をした美しい妻バテシバが男の子を生み、ソロモンと名付ける。 ダビデが年老いて病気になると、息子のアドニヤが王にならんとする。
そこでダビデはソロモンが王になることを示すために、ザドクという祭司に命じて、ソロモンの頭に油を注がせる(列王記1章)。
ちなみに、ヘンデルの最も有名な作品の1つである「司祭ザドク」は、すべての英国君主の戴冠式で主権者に油を注ぐ前に今なお歌われる。

ダビデは、イエス・キリストの系図上にある人物で、民衆はイエスを「ダビデの子」とよぶ場面がいくつもある。
例えば、イエスがエルサレムに入る際に、民衆は自分たちの上着を道に敷いたり、木の枝を切ってきて道に敷いて、「ダビデの子に、ホサナ。 主の御名によってきたる者に、祝福あれ。 いと高き所に、ホサナ」と叫んだ」(マタイ福音書21章)。
民衆は、旧約聖書の預言により、ダビデの血筋より救世主が生まれることを知っていたのだ。
新約聖書においても、パウロは信徒への手紙で次のように書いている。
「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである」(ローマ人への手紙1章)。
さて、イエス・キリストを「王の王、キング オブ キングス」と呼ぶことがある。
「王の中の王」ということなのだが、イエスの現実の生涯と「イスラエルの王」のイメージは随分かけ離れている。
イエスのエルサレム入城のわずか「1週間後」に、民衆はイエスを「十字架に架けよ」と叫ぶことになるからだ。
イエスが十字架に架けられた時、「ユダヤ人の王」と書いた文字が掲げられていたが、それはいわば「罪状書き」である。
イエスの現実の姿は、イザヤの預言に表れた姿であった(イザヤ書53章)。
「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与えその打たれた傷によって、われわれは癒されたのだ」。
ではイエスはどうして「イエスがキング オブ キングス」なのであろうか。
それはイエスが「キング オブ キングス」として「再び来たりたもう」からである、それはイエスが再臨して「神の国」において初めて実現することである。
これこそが、「福音」の本質といえる。
パウロは信徒への手紙で次のように語っている。
「神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた」(エペソ人への手紙1章)。
ダビデ王が、いまだサウルに仕えた時代に、気が狂い始めたサウルに命を狙われ、ヘブロンのアドラムのほら穴に逃れる場面がある。
「彼の兄弟たちと父の家の者は皆、これを聞き、その所に下って彼のもとにきた。 また、しえたげられている人々、負債のある人々、心に不満のある人々も皆、彼のもとに集まってきて、彼はその長となった。おおよそ四百人の人々が彼と共にあった」(サムエル記上22章)とある。
これはイエス・キリストの次のような場面を思いおこさせる。
「それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである」(マタイの福音書30章)。
旧約聖書の「ミカ書」には「主のあなたに求められることは、 ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、 へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」とある。
「ノアの洪水」のノアは、酒を飲んで裸のまま地面に倒れ寝込んでしまい、息子達から布をかぶせられるような失態を犯す。
それでもノアについて、聖書は「ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」と述べている。
神とともに歩んだという点では、ダビデ以上の存在はなかったかもしれない。それは、ダビデが詠った旧約聖書のかずかすの「詩篇」がそれを物語っている。
ところでダビデをおそう不幸やそれによる苦悩みをみて、この人は本当に神の祝福を受けた人なのかと思わぬでもないが、聖書は次のように語っている。
「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった」(ローマ人への手紙8章)
神に召された者が経験するすべてが、御子イエスに「似る」ために起こるのだとしたら、ダビデの生涯はしっかり「福音」に沿ったものだといえる。

まず、バテシバとの間にできた子が死に、ダビデの長男アムノンは(異母)妹のタマルをひとりにならせ、強引に関係をもつ。 そしてダビデのもう一人の息子のアブサロムは、そのことに腹をたてアムノンを殺す。
そのアブサロムは人々の人気を得て謀反を企て、自ら王とならんと謀反をくわだてる。
結局、ダビデはアブサロムと戦って、その戦いのなかアブサロムは殺されてしまう。
ダビデはそのことを知って涙がかれんばかりに号泣する。
自身の家来の妻が気に入り自分のモノとして、さらにその旦那を戦場の最前線に送り込み、結果として殺してしまうのである。
もちろんこの行為は神を大いに怒らせ、ダビデは大きな試練に直面する。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。 するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。花婿と一緒にいる間は、断食はできない。 しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう」(マルコの福音書2章)。