バルーンかドローンか

東京杉並区高円寺北の馬橋(まはし)公園は意外な歴史を秘めている。そこは陸軍気象部の跡地で、その敷地内には「気象神社」というものさえあった。
また現在も、公園すぐ近くに気象庁の職員住宅が残っており、個人的な話だが、この職員住宅の塀際のアパートに住んでいたことがあり、馬橋公園を迂闊に通り過ぎていたことを、幾分悔やんでいる。
陸軍気象部にあった気象神社は空襲によって焼失するが後に再建され、1948年にJR中央線を挟んで高円寺南の氷川神社内に移された。
陸軍気象部は戦後陸軍が解体されると、変遷を経て国立「気象庁気象研究所」として生まれ変わった。
近年まで、お天気キャスターだった「福井のおじさん」(福井敏男)は陸軍気象部に属していた。
ちなみにペンネーム「新田次郎」として知られる作家の藤原寛人は、1963年より富士山「気象レーダー建設」責任者となり、また長年気象庁で気象観測の実務に携わってきた。
藤原は「芙蓉の人」で、人工衛星がない時代に気象観測所を当時の世界最高所の富士山に設置するため尽力した野中到(いたる)千代子夫妻を描いている。
ちなみに藤原寛人の息子が数学者で著書「国家の品格」で知られた藤原正彦で、夫人「藤原てい」は「流れる星は生きている」のベストセラー作家である。
さて、陸軍気象部は、大日本帝国陸軍の機関の一つ。1938年に、「陸軍気象部令」によって設置された。
そして気象観測にしばしば利用されたのが「無人気球」である。
無人気球は「ラジオゾンデ」などを下げて高層大気の気温・湿度・気圧などを測定するのに活用される。
現代では大抵ゴム気球であり、ヘリウムガスや水素ガスを入れ、あらかじめ気球の厚みや中に入れるガスの量を調整して地上から放出・飛揚する。
そして高度30km程度で破裂し、パラシュートで降下する。航空機によりもはるかに低コストで高高度に到達できるため、気象観測ばかりか軍事利用も考えられるようになる。
気象観測用の気球は、一般の飛行船や気球とは異なる独自の発展を辿った。
特に1920年代末に「ラジオゾンデ」が発明されて以来、高層気象観測に欠かせないものとなっている。
「ラジオソンデ」とは、地上にいながらにして上空、高度およそ30kmまでの気温、湿度、気圧などのデータを得るために、主にゴム気球にとりつけて飛ばされるGPO機能付き「気象観測機器」のことである。
。 「ラジオソンデ」はフランス人発明者ロベール・ビュローの造語で、「ラジオ」は無線電波、「ゾンデ」はドイツ語で"探針"を意味している。

最近、中国からアメリカに流れたと推測された気球が撃墜されたというニュースがあった。
撃ち落とすのに、短距離のミサイル一発3000万円ものコストもかかるらしく、なにもそこまでしなくてもという気もするのは、それはたかが「気球」という気持ちがあるからであろう。
第二次世界大戦まで、一般にアメリカは本土攻撃を受けたことはないとされるが、厳密にいうと日本の「気球」をつかった攻撃を受けたことがある。
その気球は「風船爆弾」といわれ、和紙でつくった風船に、爆弾と焼夷弾を装着し、千葉や茨城、福島から打ち上げた「風船爆弾」は、偏西風にのってアメリカ本土はおろかアラスカからメキシコにまで到達している。
この「風船爆弾(気球爆弾)」は、実に大胆な発想から生まれた兵器で、女子大生・高校生を中心に有楽町の旧日本劇場(日劇)などで製造された。
和紙をコンニャク糊で固めた直径10mの巨大気球に、爆弾や焼夷弾のほか高度調整装置などを積み、高度1万mまで上げて偏西風にのせて飛ばす。
アメリカ本土上空まではおよそ2昼夜。爆弾は自動的に落下させる仕組みであった。
1944年11月から45年4月までに、千葉県の一宮、茨城県の大津、福島県の勿来(なこそ)から約9000個を打ち上げ、アメリカには300個弱の到達が確認され、数名の市民が被害を受けたという記録がある。
歴史を遡ると、気球の軍事利用は思いのほか古い。
1794年 フランス革命戦争中、フランス陸軍がモーブージュにおける戦闘で敵情視察と着弾地点観測のためにガス気球を使用した。
これが航空機が戦争に利用された世界初の例である。
また1870年 ~71年 普仏戦争において、拠点同士の連絡用として用いられる。
パリ包囲戦ではナダールらが気球を多数建造して偵察のほか、包囲されたパリから地方への航空郵便輸送に使用した。
またレオン・ガンベタなどが気球を使って街を脱出し、プロイセン軍と戦った。
1877年 日本の陸軍士官学校で上原六四郎が気球を試作、飛揚に成功。島津源蔵 (初代)がガス気球で日本初の有人飛行に成功する。
1904年 日露戦争の際に、芝浦製作所(現:東芝)製の気球を配備した臨時気球隊が旅順攻囲戦に投入され、戦況偵察に活躍した。
1944年 日本の風船爆弾によるアメリカ本土攻撃。戦後、連合国軍最高司令官総司令部の指令により気球に関する研究等が禁止された。
戦後は、1984年 ジョゼフ・キッティンジャーが気球による単独での大西洋横断に成功。
1999年 ベルトラン・ピカールとブライアン・ジョーンズがロジェ気球「ブライトリング オービター3」による無着陸世界一周飛行に成功した。
また記憶に新しいのは2013年2月26日 エジプトのルクソールで気球が墜落し、乗客19人が死亡する気球としては最大の事故が起きたこと。
ところで、「有人気球」は人が乗るための気球で、気球の下にバスケットやゴンドラを下げ、その中に人が乗り込む。
飛行船と違い、横移動するための推進装置は持たないが、意図的な上下移動は簡単にできる。
上下動は容易にできることを念頭においた上で、周囲の多様な風向や風速をよく読みとってすすむ。
ベテランであれば、ある程度意図した方向へ移動することはできる。
とはいえパイロットの技量や気象に大きく左右され、細かい運行予定は立てられず、貨物運搬や定期便などの目的には適さない。
ところで、日本人で気球を使った冒険野郎に「ロッキー青木」という人物がいる。
サンフランシスコのジャパンタウンにいくと「BENIHANA」という人気のレストランがある。
このレストランが全米に知られたのは、コックが肉を鉄板焼きする際のはでなパーフォーマンスである。
創業者の青木廣彰(あおきひろあき)は、1938年東京中野生まれ。もともとプロレスラーで、「ロッキー青木」の名で知られて、2008年に亡くなっている。
青木家は江戸時代は紀州徳川直参の旗本だった和歌山県士族の旧家である。
父の湯之助はかつて「郷宏之」の芸名で活躍していた俳優・タップダンサーで、後にレストランチェーン紅花(BENIHANA)の 共同創業者となった。
1957年に慶應義塾大学経済学部に入学し、在学中にはレスリング部に所属し、レスリング日本選抜で米国遠征し、そのままアメリカに残った。
ニューヨーク市立大学シティカレッジ に入学、レストラン経営学を学んだ。
1962年、ニューヨーク市ハーレムで移動アイスクリーム屋を開き、「和傘のミニチュア」をアイスクリームに添えるアイディアが功を奏し成功を収めた。
また1960年代前半、レスリング全米選手権のフリースタイルとグレコローマンスタイルでそれぞれ優勝し、レスリング選手として活躍した。
1964年、米国選手として東京オリンピック出場選手に選ばれるがアメリカ合衆国の市民権がなく、オリンピックに出場することができなかった。
同年、両親が既に日本橋を本店に銀座などで洋食屋「紅花」を数店舗経営していたため、両親兄弟も伴い家族も渡米し、鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」第1号店をニューヨーク・マンハッタンに開業した。
コメディアン的ボードビリアンのステージアクターだった父・青木湯之助(郷宏之)のアイディアでパフォーマンスを取り入れた鉄板焼きをはじめる。
珍しさも相まって多数のマスコミに取材され店は繁盛した。
ヒルトンホテル会長・バロン・ヒルトンからも出店依頼が来るようになり、後に米国内80店を含む世界110店舗を展開する、一大日本食チェーンとなる。
さらにロッキー青木はバックギャモンの全米チャンピオンになるなど活動の幅を広げ、パワーボート世界大会で2位になるなどした。
1982年には、4人乗り気球「ダブルイーグルV」での太平洋横断を行っている。

「アマゾン・ドットコム」がドローンをアメリカで商品の配達に利用する計画を発表して一躍話題になった。日本でも農業用、測量用などですでに商業利用が始まっており、さまざまな分野で実用化に向けて実験が行われている。
しかし、ドローンに対してはさまざまな懸念の声があがっているのも事実。
テロリストが爆弾を搭載したドローンを飛ばし重要施設に体当たりさせる「特攻」をかけるなど、犯罪に利用される危険性。それ以外では「プライバシーの侵害」と並んで「墜落」の危険などである。
そうしたことを背景に、日本では2015年12月、改正航空法が施行されて人口密集地、空港周辺での飛行や夜間飛行が原則的に禁止され、政府施設や原発周辺の飛行を禁止する「ドローン規制法」が施行された。
オペレーターの講習や免許制、機体の登録制、保険の強制加入も検討されている。
そこでドローンに代わって注目されてきたのが「気球」つまりバルーンの活用である。
「バルーン」を100年前の遺物と言うなかれ。現代のハイテクで進化を遂げており、警備会社のセコムは「飛行船」をドローンとの併用で東京マラソンにも実戦投入した。
飛行時間の長さ、機材をより多く積めること、落ちても安全なことがドローンに対抗できるメリットである。
これらを武器に、「飛行船」や「気球」はドローンと共に急成長できる可能性がある。
NHKBS放送で見る上空から俯瞰(ふかん)する美しい映像など、ドローンは我々の目と手をかゆいところまでも映像を届けてくれる。
その一方で、現在進行中のウクライナ戦争につき、「ドローンの戦争」とまで表現する人もいる。
ドローンはウクライナの戦場を、偵察や情報戦、攻撃の手段として飛び交っている。
ウクライナ軍が最前線で偵察用として使っているドローンは、すぐに組み立てて飛ばすことができ、戦場で多用されている。
従来は偵察兵が森林などの陰から偵察していたが、ドローンは相手の兵士が持つ電子機器などを発見し、至近距離まで近づく。そして正確な位置情報を把握する。
ドローンが今飛んでいる緯度・経度と時間は、手元のコントローラーに表示される。
そのデータを「戦場のウーバー」と呼ばれるソフトウェアに入力すれば、火砲がその地点をピンポイントで攻撃できる。
結果はドローンからの映像で確認でき、外していれば情報修正して再び攻撃する。
つまり、攻撃の精度が格段に上がったということだ。
それは「空飛ぶスマホ」のようでもあり、ちょうど「内視鏡カメラ」が患部をメスで切り取るようになったように、ドローンも映像を提供するにとどまらず、攻撃も行う。
2022年にアメリカがウクライナに対して追加軍事支援の中に「戦術無人機」100機が含まれて、この戦術無人機が「スイッチブレード」であると報じた。
アメリカのエアロバイロンメントが開発した「スイッチブレード」は、全長約61cm、重量2.7kgと兵士1名で持ち運びが可能な、電気モーターを動力とする無人機である。
このサイズの無人機自体は珍しいものではないが、「スイッチブレード」は機首部に搭載されたビデオカメラと赤外線センサーで攻撃目標を捜索し、発見後は目標に突入して、内蔵する爆薬によって目標を破壊する能力を備えている。
攻撃目標に突入し、内蔵する爆薬で破壊する点はミサイルと共通しているが、ミサイルが“すでに発見されている目標”に対して使用される兵器であるのに対し、スイッチブレードは約10分間滞空して、ビデオカメラと赤外線センサーで自ら目標を捜索し、発見後はオペレーターの指示により突入して、自爆する仕組みとなっている。
欧米などでは「カミカゼ・ドローン」と呼ばれることもある。
1機で偵察と攻撃の2つの任務に使用でき、また目標を破壊する可能性を高められ、誤爆の可能性も低減できる。
1990年の湾岸戦争で、夜間の無人飛行機でのピンポイント攻撃はまるで「ゲーム」をみているような感覚があったが、現在のウクライナ戦争の大きな特徴は、民生と戦争との距離が縮まったことにある。
戦場で使われるドローンの多くは、民生用ドローンを改造されたもので、搭載されるカメラやバッテリー、半導体も民生品で日本製も多い。
デジタル化にが進むにつれ、民間人が戦争に関わる比重が増えて、中学生でも偵察用ドローンに操縦に関わることもありうる。
つまり戦場にいかなくても戦争に参加できるのだ。ガバナンスがきかず戦闘の暴走につながらないか。
開戦直後、ウクライナ軍はIT軍を立ち上げ、世界中からエンジニアやハッカーを集めた。
オープンソースのプラットフォームには、攻撃に使うプログラムも公開されるなど、誰でもみられるので敵味方の境さえない。
つまり、互いに「見せて戦う」情報戦ということ。
さて「セコム」は民間防犯用として世界初の自律型小型飛行監視ロボット「セコムドローン」、新サービス「セコム・ドローン検知システム」を自前で開発・商品化し、改正航空法の施行に伴う承認を取得して、サービスを開始している。
オンライン・セキュリティシステムと組み合わせたセコムドローンは「空飛ぶ監視カメラ」。侵入者や侵入車両があれば自律飛行で飛び、最適な方向から撮影した画像をセコムの「セキュアデータセンター」に送信。それが全国約3000ヵ所の緊急発進拠点からの迅速・的確な防犯対応につながる。
セコムドローンに取り入れられている技術は、画像認識技術、センシング技術、人物追跡技術、飛行ロボット技術、情報セキュリティ技術、空間情報技術、ビッグデータ解析などである。
「セコム」が民間防犯用として日本初の自律型飛行船「セコム飛行船」は、ドローンと同じように上空から地上を俯瞰し、迅速で的確な防犯・防災対応に役立てるというもの。
サイズは全長19.8m、最大径5.65m。航続時間は2時間以上。複数台の高精細カメラ、熱画像カメラ、指向性スピーカー、集音マイク、サーチライトなどの機材を搭載している。
利用する技術は画像認識技術、センシング技術、飛行ロボット技術など、ドローンとほぼ同じだ。
現在、マルチコプタータイプのドローンがいろいろな分野で利用され、発達を続けている。しかし、その安全性は飛行機やヘリコプターと変わらず、故障等によりプロペラが停止すると墜落事故となる。
人類は飛行機やヘリコプターを発明し、高速輸送システムとして発達させてきたが、最新の航空機をもってしても墜落の危険性から逃れることはできない。
一方、気球や飛行船は風まかせで制御が困難であり低速であるが、どこかの機械が故障しても原理的には墜落はしない。
現在、気球(バルーン)とドローンを組み合わせた新しい飛行システムが模索されている。
両者の名前を合わせて、その名は「バローン」とよぶ。

古谷知之さんに聞いた。