聖書の人物(墓のない人々)

パレスチナのヨルダン川西岸の都市ヘブロンに「マクペラの洞穴」がある。そこにアブラハム、サラ、イサク、リベカ、ヤコブ、レアの六人が埋葬されている。
旧約聖書をよむとイスラエルの人々が墳墓の地をとても大事にしていることがわかる。
例えばアブラハムが妻サラを埋葬するために土地を買い取る場面はホッコリさせられる。
「もしわたしの死人を葬るのに同意されるなら、わたしの願いをいれて、わたしのためにゾハルの子エフロンに頼み、彼が持っている畑の端のマクペラのほら穴をじゅうぶんな代価でわたしに与え、あなたがたのうちに墓地を持たせてください」(創世記23章)。
サラ以後に埋葬される人々の場面も、同様にホッコリさせられるが、そんなに墓を重視するイスラエルで、なぜか重要人物の墓が見つからない。
それは出エジプトを率いたモーセの墓で、終焉の地ネボ山(海抜817m)から「約束の地」を眺める場面で、神はモーセに次のように語っている。
「"わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない"。
こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない」(申命記34章)。
ネボ山は、神がヘブライ人に与えられたとされる「約束の地」を預言者モーセが率いていた民に差し示した場所とされている。
しかし神は、モーセ自身が約束の地に入ることを許さなかった。その理由は、メルバの泉におけるモーセの行動に責めべきとがあったともいわれる。
ここで注目したいのは、「モーセの墓を知る人はいない」という記述だが、新約聖書には「モーセの死体」について不思議な記述がある。
それは、ヨハネの兄弟ユダが書いた手紙の中にある。
「御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、”主がおまえを戒めて下さるように”と言っただけであった」(ユダの手紙1章)。
この記述は天界の出来事で、我々の理解が及び難いことだが、この記述からモーセは死後、神によって昇天したという伝説が生まれた。
ところで、イスラエルでは律法では、「十字架の刑」について次のように定められていた。
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。
その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。
あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない」(申命記21章)。
そこで、十字架刑の遺体は、城壁の外にあるヒノムの谷に投げ捨てられたという。
ではイエス・キリストの遺体はどうなったか。アリマタヤのヨセフという人物がローマ総督ピラトに頼んで引き取ったとある。
そればかりかヨセフは、イエスの遺体に香料をにぬり亜麻布に包み、岩で掘って造った自分の新しい墓に葬った(ヨハネ福音書19章)。
しかしその墓が役だったのは、わずか3日であった。
十字架の出来事の翌週のはじめ、マグダラのマリヤが墓にいくと、墓から石がとりのけてあるのを発見。
彼女が使徒達に「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」というので、墓へ行ってその中を覗いたところ、マタイが亜麻布がそこに置いてあるのを見つけた。
シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。
彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。
すると、先に墓に着いたマタイもはいってきて、これを見て信じた。
「しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった」とある。
さらにその日の夕方、「弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、”安かれ”と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスはまた彼らに言われた、”安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす”と語られた」(マタイの福音書20章)。
このように聖書には、イエスの復活の痕跡が非常に具体的に描かれている。
その一方で、イエスをローマに売って使徒のユダは、その後自害して、ヒノムの谷に投げられたという。
ところがユダがイエスを売った見返りに得たお金は、意外な使われ方をする。
そのことは、遡ってイエスがローマ兵によって捕縛される場面に書いてある。
「夜が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを殺そうとして協議をこらした上、イエスを縛って引き出し、総督ピラトに渡した。 そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して言った、"わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました"。しかし彼らは言った、"それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい"。そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、”これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない"。そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている。こうして預言者エレミヤによって言われた言葉が、成就したのである」(マタイの福音書27章)。

旧約聖書には、大洪水が起きたノアの時代から数代あとに、エノクという人物の記述がある。
「エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記5章)
なんとエノクは死んだのではなく、そのまま天に取られた。つまり墓がないのである。
ちなみに、人間の齢が120年と定められたのはエノクから後で、聖書には「そこで、主は、"わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう"と仰せられた」(創世記6章)とある。
モーセは定めどおり120歳で亡くなるが、「目はかすまず、気力は衰えていなかった」(申命記34章)。
さて、新約聖書で「天が取った」エノクについて、パウロは次のように書いいる。
「信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれる者と証されていたからである」(ヘブル人への手紙11章)。
つまりは、エノクは死を味わうことなく天に移された稀有な人だったのである。
さらに旧約聖書には、「天に移された」もう一人の人物についての記述がある。
「彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬が現れて、二人をへだてた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天に上った」(第二列王記2章)とある。
何か童話のワンシーンのような描写であるが、ここで「彼ら」とは、預言者エリヤとその後継者エリシャなのであるが、エリシャは地にあって、エリヤが天に移されるのをしっかりと見届けている。
同様に、イエスの昇天も、弟子達に目撃されている。
「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。 イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った"ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう”」(使徒行伝1章)。
実はこの昇天の場面で「白い衣を着たふたりの人」という言葉に注目したい。
実は、この「ふたりの人」に符合する言葉が別の箇所に見つかるのである。それはイエスがその本体を表わした「変容」の場面である。
「六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。弟子たちは非常に恐れ、顔を地に伏せたが、 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、”起きなさい、恐れることはない”と語り、人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない”と、彼らに命じられた」(マタイの福音書17章)とある。
この「イエスの変容」の場面から推測できることは、イエスの昇天の際に現われた「白い衣を着た二人」とは、モーセと「天が取った」エリヤである。
二人の共通点は、「墓がない」ということである。
しかし、聖書で「天が取る」などということを特異なケースとみてはならない。
なぜなら、それは「キリストの再臨」とともに大々的に起こることが予言されているからである。
「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。 そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう」 (マタイの福音書24章)。

使徒パウロは信徒への手紙のなかで生きながらにして「天に昇った」人の話を書いている。
しかしそれは自ら誇ることのないよう「第三者」的に表現したもので、実際は自分の体験なのである。
「私はキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にひきあげられた。それが、からだのままであったか、私は知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表せない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている」(コリント第二の手紙12章)。
パウロがここでいう「キリストにあるひとりの人」とは自分のことであることを断っておこう。
パウロは、人々の注目が集まることを極力さけ、神の方を向くように仕向けているのである。
ちなみに、パウロがいう「第一の天」とはこの世、「第二の天」とは天使が住むところ、「第三の天」とは神の住むころである。
そのような体験をしたパウロは、自ら「奥義」として次のように語っている。
「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケ第一の手紙4章)。
ここでパウロは、キリスト者の蘇りと生者が共に天に移されるということを預言している。
「わたしたちはすべては、眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちないものによみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なざなら、この朽ちるものは必ずくちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである」(コリント人第一の手紙15章)。
「キリストの再臨」とは、イエスの昇天の際の出来事のちょうど反転で、「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう”」(使徒行伝1章)とある。
そして聖徒が空中に引き上げられ、次の段階でイエスが聖徒とともに「地上再臨」するということである。
聖書には、天体の異象や自然の異変、社会的な分裂(多くの人々の愛が冷える)まで、様々なかたちで描ているが、次の言葉もそれにあたる。
「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている」(コリント人への第二の手紙5章)。
こうしたイエスの再臨につき、イエスがサマリアの井戸端で出会った女性に語った言葉を思いおこす。
「イエスは女に言われた、"女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(ヨハネの福音書4章)。
そしてイエスはこの言葉の直前に、女に次のよう語っている。
「この水を飲むものはだれでも、また渇くであろう。しかし私が与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
この水とは聖霊をさすのであり、この聖霊こそ「天に上げられる」保証となるものである。
さて、イエスがサマリヤの女に語った「あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所」とはどのような場所をさすのだろうか。
よくわからないが、聖書には次のような言葉もある。
「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、天から下ってくるのを見た」(黙示録21章)。
「聖なる場所」について、出エジプトの指導者モーセは次のような体験をしている。
モーセが神から「イスラエルをエジプトから導き出せ」という使命を受けたのは80歳の時であった。
それまで40年間、モーセはミデアンの地で平凡な羊飼い生活を送ってきたのである。
ところがモーセはある日シナイ山のふもとで不思議な光景と出会う。その光景とは「燃えているのに燃え尽きない柴」であった。
モーセはそこに近づこうとした時、神の声を聞く。
「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である」(出エジプト記3章)。
この「靴を脱げ」という言葉に、「最後の晩餐」において、イエスが弟子達の足を洗う場面を思い起こす。
「こうしてシモン・ペテロの番となった。
すると彼はイエスに”主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか”と言った。
イエスは答えて言われた。"わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるだろう。"
ペテロはイエスに言った、”わたしの足を決して洗わないでください”イエスは彼に答えられた、"もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる"」(ヨハネの福音書13章)。
このイエスの言葉の中の「あとでわかるだろう」という言葉は、文語体聖書では簡潔に「後さとるべし」だが、悟るためには「後がある」ことが大前提である。
パウロは、「後のこと」を次ように書いている。
「私たちは今は鏡に映してみるようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時のは、私が完全に知られているように、完全に知るだろう」(コリント人第二の手紙13章)。