インド:第三極の衝撃

インドは、婚前恋愛の難しさや、女性が多額の持参金を負担する慣習なども、息苦しさもある社会である。
そんなインドで「アプリ婚」が普及しているのだという。
インドでは、婚姻の8割が見合い婚だとされる。家や身分が根強く意識され、親や親戚が子供の結婚相手を探し回ってきた。
新聞の「お相手探し」広告は今も盛んだが、スマホの普及でマッチングアプリの利用者が急増。
チェンナイの企業「マトゥリモニー・ドットコム」の年間登録者は約800万人に達している。
見合い婚だと、相手が好みではなくても断りにくい。アプリは条件を事前に選択できる。
年齢・身長・学歴などに加えて、言語や宗教、カーストといったインドならではの設定は多い。
「星の巡り」も重要で、生年月日・時刻・出生地などをもとに伝統的な占星術から相性を確認していく。
1995年のインド憲法は、カーストによる差別は禁じてきた。階級や職業、地域などと結びついてきたカーストの分類は複雑だ。
現実には、結婚相手のカーストを重視する家庭は今も多く、「マトゥリモニー・ドットコム」では800以上もの中から選択できる。
こうしたマッチングの技術は、アメリカを中心に急成長した「プラットホーム・ビジネス」が発端である。
この「プラットフォーム」とは、IOT(モノとインターネットの結合)、ICTを通じて収集したビッグデータを利用したオンライン上の土台(プラットフォーム)を指す。
プラットフォーム企業は、サービスを提供する企業側とその利用者(顧客)とをこのプラットフォームでマッチングさせ、サービスを提供しているのである。 その際、利用者は提供されるサービスを「所有・占有」するのではなく、「共有」することが特徴である。
例えば、自動車は、自分が運転しない間は何も価値を生みださないので、他の人と「シェア」しようというアイデアである。
こうした点が、「シェアリング・エコノミー」とも評される所以である。
「プラットフォーム」エコノミーは、IOT技術を活用することで、スマホで簡単かつ迅速にサービスを利用することが可能である。
2009年に設立されたアメリカのウーバー・テクノロジーのサービスは、自動車の配車をアプリを介して行うといった点である。
利用者は、スマホで専用のアプリをダウンロードすることで、オンラインでの配車状況の確認が可能だ。
従来は、こうしたサービスはタクシー会社が実施していたが、その「配車状況」の把握は無線によって行われており、しかも利用者が把握できるというものではなかった。
「プラットフォーム」では、AI・IOT技術を活用しての「現在、提供可能な自動車はどこにどれくらいあるのか、あとどれくらいの時間で配車可能であるのか」といった情報をも知ることができ、それに基づいて自ら選択するので、会社としては必要となるコストを圧縮できる。
この際、技術的なポイントをいくつかあげると、配車サービスの利用者は登録さえすれば、スマホのみで乗車から料金支払まで可能である。
GPSをもとに、より短時間で配車できるようにプログラムされており、到着の時間がアプリを通じて確認可能である。
運転手及び乗客が相互に評価を行うことでサービスの品質向上をはかている。これもタクシー会社の人事評価にかかるコストをおさえることができる。
ウーバーはこのようにして、アプリを通じて輸送車と利用者をマッチングさせる「プラットフォーム」を形成したのである。
インドでは、安全に迅速に移動するのに圧倒的に便利なのが、「ウーバー」だという。
都市部にはメトロやバスもあるが、駅から目的地まで炎天の中歩くのは大変である。
インドではまだまだ道が舗装されていないところも多いので、オートリキシャやバイクで長距離走るのはしんどすぎる。
値段交渉しようとしても、人によっては母語(ヒンディー語やタミル語)しか話せない人もいるため、英語がまったく通じないことがある。
ウーバーでは乗車位置と目的地を入力し、見積もり料金を確認して、確定ボタンを押すだけで、くにいるドライバーとマッチングされ、早いときには数分後にドライバーが来てくれる。ドライバーの顔写真と名前、ドライバーの評価、車両ナンバーが表示されるので、安心して配車することができる。
また、ルート通りに走っているのかもオンラインで常に確認できるので安心である。

インドのような複雑な「カースト社会」で、外国企業はどのようにビジネスをしているのか、日本企業にその好例がある。
鈴木修は大学卒業後、別の企業に勤めていただが、1958年、2代目社長の鈴木俊三の娘婿となるのと同時に、28歳の時にスズキに入社した。
鈴木は、30歳の若さで新工場を建設するプロジェクトを任され苦労が続いた。
1978年に、社長に就任するものの、低価格の軽自動車は、高度成長が進むにつれて、本格的な乗用車が求められ、軽自動車の市場は低迷した。
ある日、かなり多くの人が「荷台のついた軽トラック」で通勤しているのに気がついた。
話を聞くと、社員の多くは休日に畑で野菜を作り、出荷する時に軽トラックを使うという。
そこで、乗用車として開発されていたアルトを、後部に荷物を置くスペースをもつ「商用車」として売り出すことにした。
「アルト」という名は、「秀でた」という意味のイタリア語。鈴木は発表会で「あるときはレジャーに、あるときは通勤に、またあるときは買い物に使える、あると便利なクルマ」と語って、会場を沸かせた。
当時、軽自動車は60万円以上だったのが、47万円としてそれで利益がでるよう徹底的にコストダウンをはかって、軽自動車市場を蘇らせた。
スズキの「低コスト化」は、鈴木自ら工場を隅々まで歩くことにより徹底された。
「あの蛍光灯は必要なのか」と聞いて、灯りが必要なら天窓を開けて、日の光を取り入れ、電動のコンベアがあれば、重力式の滑り台が使えないかと考えさせる。太陽光や重力はタダだからである。
また社員に「1部品につき1グラム軽く、1円コストを下げよう」をスローガンに、ムダを少なくして価値ある商品を安く消費者に届けるのをメーカーの使命だと言い聞かせた。
こうした「低コスト」化への真剣な取り組みが、「インド市場」で花開くことになる。
1982年、スズキはインドへの進出を決めるが、それはまさに「瓢箪から駒」から始まった。
パキスタン出張中の社員が、飛行機の中で現地の新聞を読み、「インド政府が国民車構想のパートナーを募集」という記事を見つけた。
その報告を聞いた鈴木は、「すぐにインド政府に申し込んでこい」と指示した。
なにしろ日本では最後尾のメーカーともいえる状況なので、「とにかく、どんな小さな市場でもいいからナンバー1になって、社員に誇りを持たせたい」という気持ちからだった。
ところが募集は締め切りで断られたが、「セールスは断られたときからだ勝負」と社員を現地に派遣し、3度めにようやく認められた。
しばらくして、インド政府の調査団がやってきた。彼らは、当然、他の日本メーカーとも話し合っていたが 真剣に話を聞いてくれた社長は、ミスター・スズキだけだったという。
「日米自動車摩擦」が深刻化していて、日本の大手メーカーはインドのことまで考える余裕がなかったというのが真相なのだが。
そして「基本合意」で、インド側の責任者は日本的な経営で構わない。全面的に任せると言ったが、実際にできかけの工場に行って見ると、幹部用の個室が作ってある。
「事務所のレイアウトは日本流でやるはずだ。こんな個室で、社員と幹部とのあいだに壁をつくるのは絶対認めない」と、できあがっていた壁をすべて取り払わせ、大部屋にした。
昼食も労働者たちと一緒の食堂でとるという鈴木に、インド人幹部たちは非常な抵抗を示した。
鈴木は毎月インドに行っては、昼食は社員食堂に行って、従業員と一緒に並んで順番待ちをした。
冷ややかな目で見ていたインド人幹部たちだったが、半年もすると一緒に並ぶようになった。
幹部たちは「掃除などは、カーストの低い人の仕事だ」と言うが、スズキ流では、幹部も作業服を着て、掃除もやる。
言うことを聞かなかない幹部達に鈴木は怒って、「工場運営はスズキの主導でやることになっている。それができないなら、インドにおさらばして日本に引き揚げる」といってはばからなかった。
そのうち、幹部たちの仲裁によって、リーダー格の人々が作業服を着て、現場のラインに出て行くようになった。つまり日本流が浸透し始めたのである。
1983年12月、工場のオープニング・セレモニーには、インディラ・ガンディー首相も駆けつけた。首相は「スズキがインドに日本の労働文化を移植してくれた」と称賛した。
また、この日は首相の亡き次男の誕生日だった。次男は大の車好きで、「国民車構想」をぶちあげ、自ら工場建設を始めたのだが、飛行機事故で不慮の死を遂げていた。この工場を引き継いだのが、スズキのプロジェクトだったのである。
ガンディー首相は「息子の悲願が、ようやく今日、実りました。息子が生きていてくれたら、さぞかし喜んでくれたでしょう」と語った。

今日のインドの成長の基盤になっているのが、政府が2010年からはじめたデジタル政策である。
現在、モディ首相のリーダーシップは国民を団結させ、インドの強さを引き出している。
さて、1990年代からアメリカIT産業の海外拠点として発展したベンガルールは、今やアマゾンやインテルなど数多くの巨大多国籍企業の一大開発拠点となっており、「インドのシリコンバレー」とよばれている。
インドは元々、理数系に秀でた人が多いといわれる。
インドのスラム街の家の組み合わせはや配置はレベルが高い。レベルが高すぎて建築の知識では教えることができないほどのものだという。
インドには、証明なしで数々の公式を残した天才数学者のラマヌジャンという存在もある。
そうした能力を、理数系教育が後押ししている。
インドのデジタル政策の起点は、町のいたるところにある集会所のような場所にある。
そこで人々は、生年月日などの個人情報に加え、双眼鏡のカタチをしたものを覗きこみ、瞳孔のまわりの模様(虹彩)、指紋の採取が行われる。
こうした「生体情報」は国民一人一人に割り当てられる個人ID番号にひもづけられる。なんと、虹彩、指紋が変わらなくなる5歳以上が対象である。
個人IDの広がりとともに普及したのがスマートフォンであった。
インド政府は個人IDに銀行口座をひもづけ、オンラインで決済できるシステムを構築した。
そしてシステムを民間企業に開放。企業は自らシステムを作らなくても、オンラインを使ったサービスを提供できるようになった。
この政府主導のシステムを基盤として国民の経済活動が行われるようになった。露店での支払いもQRコード決済。銀行やATMがなくても指紋をかざせば、現金を引き出せる。
このシステムが人々の生活を大きく変えたのが農村であった。人口の半数をこえる8億人が暮らしている。
AIが組み込まれた「農業用アプリ」で傷んだ稲にかざしてアップロードすると、瞬時にAIの音声で「若い稲に被害を与えたのはネキリムシのようです」とかえってくる。
AIが進める農薬を政府の決済システムで買うことができる。アプリを使い始めて収入は増え、バイクや羊を買えるようになる。
これまで本人確認の書類をもたなかった農村、個人IDの広がりで確認が容易になり、人々が銀行口座をもてるようになった。
経済成長から取り残された農村に政府の決済システムで巨大な市場が生まれ、人々の時間の節約、収入、作物の知識などすべてが変わった。 1990年代、欧米企業にソフトウエアやシステムを納品するいわば「下請け」として始まったインドのIT産業である。
インドの若者は熾烈な競争を勝ち抜き、欧米の企業に就職をめざすようになった。
しかしそうしたアメリカでの成功を捨て、インドで独立しようと思うようになる若者達がいる。そう思ったきっかけが、「政府の決済システム」の存在である。
欧米の企業の発展のためには垂らしていたが、国内のシステムの整備がインドの発展につながると気づき、創業をきめた。
それは教育や健康、食料、システムの恩恵はあらゆる産業に広がっている。とてもないインパクトである。
インドが独自の決済システムを開発した背景には、アメリカの巨大IT企業への懸念があった。
巨大IT企業が利用者の閲覧履歴や購買履歴を独占し国家をしのぐ権力をもつようになった。
19世紀およそ1世紀、イギリスの植民地支配をうけ搾取された経験をもつインド。現代のデジタル空間でも同じような支配がおきかねない。
当時、システム開発した責任者は「自立したシステム」の開発を急いだという。
あらゆるデジタルインフラがアメリカ企業に握られることへを懸念した からだ。
そうなればインドは「デジタル植民地」になってしまうことを危惧した。
経済を活性化し、イノベーションの基盤となった個人IDだが、生体情報まで採取することは、プライバシー侵害という批判もある。
推進した「固有識別番号庁」の長官は、国が個人デ^タを収集し、一元管理する者ではない。10億人が登録し、国民のプライバシーは厳格に保護されていると答えた。
ところで「グローバルサウス」の同じように成長から取り残されている国々がある。
アフリカの国々はの国々では、インド同様に本人確認の書類がなく、銀行口座がもてない。
そこでインドの主導でデジタル技術の導入がすすめられている。
インド主導といっても、システムを導入する国に大きな裁量を与えている。例えば税の徴収、医療データの管理、補助金の支給、学習データの管理などである。
エチオピアでは、税務署で「生体情報」の登録が行われており、税を公平にして貧困層への補助金に活用しようという構想である。
アフリカでは、中国が巨額の融資でインフラ建設をおこなって、インフラの権益の譲渡をせまられるほど「借金の罠」にはまってめどがたたず、進展が滞っている国もある。
それに対して、インドは債務をおわせないかたちで連携をすすめている。
インドデジタル技術普及に視察に訪れている。インドのシステムを公開し無償で提供している。
導入した国に対して、5年にわたって専門の技術者がサポートする。
アフリカではインドの「理念」への共感がある。列強に支配され主権を奪われた経験があるからだ。
先進国に依存することなく、自国の裁量で自由に運営できるインドのシステムが各国に受け入れられている。自分たちが決定をくだす、主権が尊重されることに共感している。
それらの国々はインドの友好国となりインドの地位はあがり、中国への依存度をさげる新たな選択肢である。
インドが主導する「グローバルサウス」は、米中に次いで国際秩序を左右する「第三極」となっている。