移民とアイデンティティ

海外の放送局BBCが、日本が長くフタをしてきた人権問題を暴露して、ようやく日本社会が「動き」始めた。日本は「外圧」には反応する。
近年、ある海外の市場調査会社が、日本について次のような未来予想をした。
「2065年までに日本の人口は8800万人になり、ピーク時の2010年の3分の2強までに減るだろう。
日本政府は人口1億人を維持することを公式目標として掲げているが、その実現方法はまだ誰も知らない。
日本人全体が今、ひとつの選択を迫られている。
日本社会に移民を受け入れるか、それとも小国として生きるすべを学ぶか、そのどちらかでしかない。
おそらく日本人は後者を選ぶのではないだろうか。 感情を表さずに優雅な冷静さを保ちながら、消えゆく村落や国富の減少を淡々と受け入れられるのだ。
労働時間は増え、収入は減るだろうが、家族やコミュニティから得られる喜びや慰めはなくならない。
政府は残された財源を老人の健康や医療ニーズに重点的に振り向け、小中学校や大学は閉鎖されるだろう。無人となった地方のインフラは荒廃するにまかせ、一方で都市部の生活水準は可能な限り維持しようと努めるだろう」。
この文章の中で一番、痛烈なのは「感情を表さずに優雅な冷静さを保ちながら、消えゆく村落や国富の減少を淡々と受け入れられるのだ」という箇所。
まるで日本人が「静かな自死」を選んでいるような書きっぷりである。
ヨーロッパでも相当な「少子化」が進んだが、その対応は早かった。特にスウェーデンやフランスの対応は素早く、人口減がそのまま「国力低下」を意味することが、国民意識の底流にある。
17世紀に海洋国家として台頭したオランダが世界的に影響力を保ちえなかったのは、「人口の少なさ」が一番の原因である。
スウェーデンでは、経済学者Gミュルダール夫妻(ノーベル賞受賞)が少子化の脅威を1950年代の早い時期から警鐘をならしていた。
フランスは、1870年の普仏戦争で敗れたことから人口対策に乗り出したことはよく知られている。
では日本はどうか。狭い国土で人口はさほど増えなくてもいいという感覚があり、戦時中の軍国主義「生めよ、増えよ」の時代の反省もあり、戦後は「人口抑制」の方向にあった。
1980年代以降のの急激な「少子化」の進行が、外国のマスコミなどによって話題となり、日本はようやく少子化の問題に目をむけるようになった。
岸田内閣も「異次元の人口戦略」という方針なのだそうだが、「財源」がみつからないようだ。
「異次元」というからには、他を犠牲にしても(他の予算を削っても)ヤルということにはならないらしい。
すでに高齢化社会に入った日本には「未来への投資」は「票」にならないのだ。
日本では、高齢者に対しては「介護保険」という制度をつくり、消費税は社会保障(医療・年金中心)に使うという「目的税」と化した。
「異次元」といえば、物価上昇2パーセントのインフレターゲット政策も、日銀の異次元金融緩和をもってしても実現しなかった。
人口が急速に縮小していく中、金融緩和ぐらいでは、未来への投資を積極的に行おうという気にならないのではないか。
「少子化」は需要面ばかりか、供給面(生産面)でも「人手不足」という問題をひきおこしている。
「少子化」に歯止めがかからない日本では、生産人口(20歳~65歳)を保ち、国力を維持するためには、海外からの「移民」をうけいれるほかはない。
しかし、そもそも「移民」とはどいう人々をさすのだろう。安倍内閣初期代に、政府は「日本は移民政策をとらない」といいきった。
一方、経済協力開発機構(OECD)加盟35カ国の外国人移住者統計によれば、日本は2009年に200万人を超える移民を受け入れており、すでに世界第4位の地位を得ているのである。
悪名高き「技能実習制度」の名の下に、実質的には「単純労働を中心に毎年10万人以上の移民を受け入れてきた」というのが実態なのだ。
なぜこんなことになったのかといえば、「安価な労働力として外国人を利用したい」という産業界の一部の要望に引きずられてきたためだ。
「技能実習」ならば外国人が5年間を区切って「日本の技術を学んで自国の発展に活かす」という建前なので、「移民」にはあてはまらない。
日本は移民政策をとっていないが、外国人労働者が増えているということが起きている。
政府の言い分では、在留期間の制限などがあるので「移民」にはあたらないらしい。
政府は移民政策を「国民の人口に比して、一定程度の規模の外国人を家族ごと期限を設けることなく受け入れることによって国家を維持していこうとする政策」と考えているようだ。
ちなみに中学校の教科書(日本文教出版社)では「移民」について次のように書いてあった。
「移民とは生活のために、他の国へ永久・半永久に移り住むこと」と、まるで釘をさすような書き方だ。
OECDの定義では、移民とは「自分の通常の居住地から少なくとも1年間、他国に移動して居住する人」とされており、そこでは、外国人が労働者であるか否かは問われていない。
日本の「移民」の定義は、国連の定義と、大きくずれている。
政策面での議論となると、「外国人労働者」と「移民」とでは、対応が大きく異なってくる。
「外国人労働者」は就労を目的で移動してくる人である。そのため、一時滞在し、いずれ帰国することが基本となっている。
つまり、永住せず、家族も帯同しないのが前提である。これに対して、「移民」は、就労するか否かを問わず、永住する目的の人を含んでいる。そして家族を帯同したり、後で呼び寄せたりして、生活を営む拠点をつくることが想定されている。
この違いが政策面で大きな違いとなる。
まず「外国人労働者」に対する政策は、基本的には「労働政策」の視点が中心となる。
受け入れるにあたって、国内雇用や経済に対してどのような影響を与えるかが判断される。
いわゆる「高度人材」は、無制限で在留する権利や家族帯同を積極的に認めている国が大半であるが、これは例外的扱いである。
それ以外の者(非熟練労働者)については、就業条件や在留期間が設定され、永住が認められないのが通例である。
そして、外国人が入国して働く段階になると、労働条件や賃金などの面で問題はないか、といったような雇用問題が課題となってくる。
ちなみに「難民」も移民の一部である。日本も批准している「難民条約」しており、政治的迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国を求めた人々をさす。
これに対して経済的理由から、よりよい生活を求めて他国に移動する移民は「経済移民」と呼ばれ、難民とは区別される。
ただ、移民(経済移民)をどのように受け入れるかは、各国の「裁量」に任せられている。
日本とヨーロッパの違いは、日本は難民を認める基準が非常に高いばかりか、不法滞在を認めず「追い返す」のに、ヨーロッパが難民の「永住を認める」方向にあることとを比べると、日本がけして「移民国家」にならないことを表明しているようにもみえる。
ともあれ「移民」の場合、就労するか否かを問わず、永住目的で移住してくる人を視野に置くことになるため、就労分野のみならず、社会全般に対する影響を充分に考慮する必要がある。
そして入国を認めるとすると、移民がどのように暮らしていくかという生活の視点も重要になってくるため、言語や社会教育など社会統合のための施策のほか、社会保障や政治などの問題も関わってくる。
さらには、家族を帯同し、もしくは呼び寄せることもあるので、家族と共に暮らす住居やこどもの教育の問題も生じる。
このように「移民」は、「外国人労働者」とは比べものにならないほど、問題が複雑で広範なため、制度上厳密に区別されている。
日本社会は、2019年より新たにもうけた「特定技能」という資格で、実質「単純労働者」をることを決定した。そして2060年までに50万人の外国人労働者をうけいれるという。
OECDの基準に照らせば、日本は完全に「移民国家」に舵をきったといって過言ではない。

政府や企業は労働力が欲しいようだが、実際に来るのは「人間」である。経済を回すための労働力と生活者は違う。
人権においても、在留外国人を意識して「パートナーシップ条例」などを設けている地域もある。
そこで問われるのは、そもそも「国とは何か。国民とは何か」、こういう本質的な議論が国会でなされているのを聞いたことがない。
日本国憲法第1条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」である。
移民拡大は、日本社会の統合や民族のアイデンティティに大きな影響を与えのは確実で、日本社会の「多様性」への許容度がはかられる。
近年イギリスの経済誌「ザ・エコノミスト」に掲載された日の丸と神社の鳥居のイラスト入りで移民政策と皇室の安寧との一体関係を暗示した記事が、海外のみならず国内でも大きな反響を呼んだ。
その中で「移民政策研究所長」坂中英徳による「日本への移民――狭き門が開き始めた」と題する論文の「移民1000万人構想」が紹介された。
それだけの移民となれば、「日本国と日本国民の象徴たる天皇との関わりが問われることになる。
それにつき、衆議院議員石破茂議員の考えと共に「移民には、日本語と日本の風俗習慣を学び、かつ日本の皇室に敬意を払ってもらう必要がある」と述べている。
移民に王室への敬意を表してもらうという考え方は、特異でもなんでもなく「世界の常識」といえる。
王室を戴くイギリスだからこそ、こういう問題をとりあげたのかもしれない。
この記事は、その意味で国籍・人種・民族・宗教の違いに関係なく万人を懐に温かく迎える日本皇室を世界の人びとに紹介し、従来の「移民鎖国」の日本イメージを払拭しているようにもみえるが、問題は国民がそれを受け入れるかどうかである。
さて、日本が「移民鎖国」といわれる所以のひとつが、「国籍法」の問題である。
「国籍」は個人が特定の国家の構成員である資格と定義され、参政権やその国に住む権利など、国民のさまざまな権利を与える基準になっている。
国籍を誰に認めるかは国によって異なり、それぞれの国が独自に定める国内法に基づき与えられる。
国籍の取得は主として、自国民から生まれた子に認める「血統主義」と、自国内において生まれた子に認める「生地主義」による。
日本は父または母が日本国籍を持つ場合、生まれた場所が国内外にかかわらず、その子に日本国籍を与える「父母両系血統主義」を採用している。
かつては父親が日本人の場合に限る「父系優先血統主義」であったが、1984年の「国籍法」改正で母親が日本人でも認められるようになった。
アメリカは「生地主義」を採用し、米国内で生まれた子は親の国籍に関係なく同国籍が取得できるので、日本国籍を持つ夫婦が米国に在住中に生んだ子でも米国籍を取得する権利がある。
ただ、どの国もどちらか一方を徹底しているわけではなく、多くの国は無国籍の防止や子どもの人権擁護の観点などから併用している。
例えば欧州連合(EU)の多くの国は血統主義を採用しているが、自国に永住する外国人の子や孫に国籍の取得を認める例が少なくない。
つまり「二重国籍」を認められているが、日本では認められていない。
また、本人の意思に基づき、国籍を与えられる場合もある。
日本国籍の取得を希望する外国人に対しては、法相の許可によって日本国籍を与える「帰化」が認められる。
国文学者のドナルド・キーンや大相撲の元横綱「白鵬」などがそれにあたり、国民栄誉賞を受けた王貞治は本人が帰化を希望せず、「中国籍」のままである。
アイデンテティの問題が、デリケートな問題として残る。
英国のジャーナリストであるダグラス・マレーの「西洋の自死 移民・アイデンティティ・イスラム」(2019年)は、問題作にしてベストセラー。
原題は「The Strange Death of Europe」である。
その書き出しからして衝撃的で「欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した」である。
「欧州が自死を遂げつつある」というのは、欧州の文化が変容し、近い将来には、かつて西洋的と見なされてきた文化や価値観が失われてしまうであろう、ということである。
つまり、われわれがイメージする欧州というものが、この世からなくなってしまうというのである。
なぜ、そうなってしまうのか。著者は、欧州が大量の移民を積極的かつ急激に受け入れてきたことによってであるという。
移民の受け入れによって、欧州の社会や文化が壊死しつつある姿が克明に描かれている。
一般に「国民とは言語・文化・民族などの共通性が高い集団である」とされる。
しかしこの考え方では、共通性を強調することで社会的少数者を抑圧・排除することに繋がることやヨーロッパなどの多言語社会ではそうした共通性を見出すことは困難である。
アメリカのベネデクト・アンダーソンは、1983年に「国民とは、イメージとして心に描かれた」とする考え方を示した。
アンダーソンは、「いかに小さな国民であろうと、これを構成する人々は、その大多数の同胞を知ることも、あうことも、あるいは彼らについて聞くこともなく、それでいて、ひとりひとりの心の中には、共同の聖餐(コミュニオン)が生きている」という。
ちなみに「共同聖餐」とは、アメリカの開拓時代に聖餐の執行資格を持つ教役者が不足していたため、プロテスタント各派で合同で行われたことを指す。
つまり、国民とは心の中でひとつの「共同体」として強固なイメージを共有し、自分がそのメンバーだと意識していることがポイントである。
アンダーソンは、「想像の共同体」の土台としてあるのが、「国民の伝記」すなわちある特定の歴史的状況の下に生まれた「アイデンティティの物語」だとしている。
イギリスならウイリアム征服王の物語、スイスならウイリアムテルの物語などであろう。アメリカやカナダなら比較的に新しい「独立」の物語がある。
日本にも「古事記」などの神話があるが、長く同じ島に生きてきた民族という無意識の一体感が大きい。
しかし、そのような神話にアクセスし共感しうる外国人を想定することは困難である。
それよりも、外国人が日本に住みたいと思えることこそ、日本人との「社会統合」が可能で、外国人にとって日本が生きづらい国ならば、それらを受け入れることは困難となろう。それどころか外国人を潜在的な危険人物とみなすことにもなってしまう。
反対に、ラグビーの日本代表のように、人種的には多国籍でも、日の丸を背負って献身的に戦う選手をみて、同じ日本人というイメージを抱くことができうる。
外国人就労者の拡大は各国で「右派政党」の躍進をもたらしており、日本にその兆候がないわけではない。
今後、若者2人でが高齢者1人を支えることには無理がある。基本はあくまでも、若者を支援し増やすことこそ高齢者の福利も増すということである。
そうでないと時間の経過とともに、自分たちの「未来を奪った」と感じる若者と、高齢者との「世代間対立」もおきかねない。

帰化は外国人が日本に住み、長く働くための手段の一つですが、許可を得るのは簡単ではありません。引き続き5年以上日本に住んでいることや、20歳以上であること、安定した生計を立てていること、犯罪歴がないなど素行が善良であることなどの条件を定めていますが、これらを満たしていても帰化が許可されるとは限りません。上のグラフを見ると、法務省の統計では帰化申請の多くが許可されていますが、実際には申請を受け付ける前に審査があり、許可の可能性がない人は事実上申請できません。
 外国人が日本に住んで働くには永住権を得る方法もあります。永住権を得れば、日本に在留する期間や活動の制限がなくなりますが、帰化と同様にそのハードルは低くありません。島国の日本は隣国と地続きの欧州などに比べて移民の数がこれまで少なく、帰化を伴う移民の受け入れに積極的に取り組んでこなかったという事情もあります。
 重国籍は複数の国から国民としての義務の履行を求められ、外国での保護をどの国に求めるのかという問題があるなど、さまざまな不都合があります。そのため、多くの国々がこれまで重国籍を避けていました。日本の国籍法は、日本の国籍と外国の国籍を持つ重国籍者は一定の期限までにいずれかの国籍を選択しなければならないことを定めており、複数の国籍を持った時に20歳未満だった人は22歳までに、20歳以上ならその時点から2年以内に国籍を選ばなければなりません。
 日本で重国籍者が国籍を選択しなければならないのは右の図のような場合です。外国で生まれた人や親が外国籍の人は重国籍の可能性があり、結婚や親の認知などにより重国籍になることがあります。法務省は2016年10月、日本と他国の国籍を併せ持つ人のうち、国籍選択義務がある22歳以上が約17万人いることを明らかにしています。
しかし、近年は重国籍を認める国が広がっています。欧州ではEU加盟国間の人の移動の自由化などを背景に、重国籍を認める国が増えています。米国では最高裁判所が1952年に「重国籍は法律上認められている地位で、2カ国で国民の権利と責任を負う」との判決を下し、他の国民として権利を享受し、義務を遂行しても、米国の市民権は失われないとされます。
アジアでも2000年代以降、重国籍を部分的に認める国が増えています。フィリピンでは03年に在外フィリピン人の重国籍を認める法律が成立。韓国は10年に国籍法を改正し、限定的に重国籍を認めています。
 世界が重国籍を認める方向へ動くなか、日本が国籍選択の制度を維持し続けるのは現実的ではなくなりつつあります。政府は重国籍者に対して国籍選択を呼びかけているものの、国籍選択を督促した例はこれまでなく、重国籍は事実上放任されています。グローバル化を背景に、国境を越えた人の移動や国際結婚が増えるなか、重国籍を制度として容認すべきだとの声も出ています。
日本では人口減少による働き手の減少を背景に、外国人労働者の受け入れ拡大の議論が高まっています。国内で働く外国人の数は増えており、厚生労働省によると16年10月末時点の外国人労働者数は前年同期比19%増の108万3769人と、初めて100万人の大台に乗せました。
留学生や技能実習生の名目で受け入れている外国人が事実上の労働力となっているためです。政府は外国人経営者や研究者などを対象に永住権を取得するための在留期間を短縮する方針を打ち出すなど、外国人労働者の受け入れ政策の見直しを進めています。
 国内の外国人労働者は増えているとはいえ、雇用される人の2%弱にすぎません。政府も帰化を伴う移民の受け入れには慎重な姿勢です。ただ、外国人労働者が今後さらに増加し、永住や帰化を求める声が高まれば、国籍制度も見直しを迫られそうです。

マレーは、保守系雑誌『スペクテイター』のアソシエート・エディターを務めていることからもわかるように、保守派のジャーナリストである。
さらにややこしいことに、保守系の論者たちがこぞって支持する安倍晋三政権こそが、本格的な移民の受け入れを決定し、日本人のアイデンティティーを脅かし 一方には、移民の流入により賃金の低下や失業を余儀なくされたり、移民の多い貧しい地域に居住せざるをえないために治安の悪化やアイデンティティーの危機にさらされたりする中低所得者層がいる。
他方には、移民という低賃金労働力の恩恵を享受しながら、自らは移民の少ない豊かで安全な地域に居住し、グローバルに活動する富裕者層や、多文化主義を理想とする知識人がいる。彼らエリート層は、移民国家化は避けられない時代の流れであると説き、それを受け入れられない人々を軽蔑する。
そして、移民の受け入れに批判的な政治家や知識人に対しては、「極右」「人種差別主義者」「排外主義者」といった烙印を押して公の場から追放する。
その結果、政治や言論の場において、移民の受け入れによって苦しむ国民の声は一切代弁されず、中低所得者層の困窮は放置されたままとなる。
それだけではない。治安は明らかに悪化し、テロが頻発するようになったのである。
エリートたちは、宗教的・文化的多様性に対する寛容という、西洋的なリベラルな価値観を掲げて、移民の受け入れを正当化してきた。
しかし、皮肉なことに、こうして受け入れられたイスラム系の移民の中には、非イスラム教徒あるいは女性やLGBTに対する差別意識を改めようとしない者たちも少なくなかった。このため、移民による強姦、女子割礼、少女の人身売買といった蛮行が欧州で頻発するようになってしまったのである。
この「リベラリズムの自死」あるいは「リベラリズムによる全体主義」と言うべき異様な雰囲気の中で、保守派のマレーは本書を世に問うた。移民の受け入れを徹底的に批判し、それを欧州の「自死」であると堂々断罪してみせたのである。
とえば、マレーは、欧州人が移民の受け入れに反対するのを極度にためらう心理の底に、かつての帝国主義に対する罪悪感が横たわっていると指摘する。この過去に対する罪悪感が現在の行動を支配し、歪めるという病理は、われわれ日本人にも大いに心当たりがあろう。
あるいは、マレーは、欧州人の精神的・哲学的な「疲れ」の問題を論じる。要約すれば、すべてを疑い、相対化し、脱構築する現代思想によって、欧州人は疲れ果て、燃え尽き症候群に陥ってしまい、もはや移民問題に取り組むエネルギーを失ってしまったというのである
。 「欧州の哲学者たちは真実の精神や偉大な疑問の探索に奮い立つのではなく、いかにして疑問を避けるかに腐心するようになった。
彼らは思想と言語を脱構築し、協調して哲学の道具にとどまろうとした。
マレーによれば、本書はイギリスでベストセラーとなり、一般読者のみならず、意外にも批評家からも好評を得たようである。
そして日本もまた、欧州の後を追うかのように、自死への道を歩んでいる。
平成天皇が「生前退位」の意向示されたのは今から5年ほど前だという。それは、ちょうど東北大震災のころだ。
平成天皇の時代にはそれ以前に、阪神神戸大震災にもあったし、島原の普賢岳噴火も、そして熊本の地震。日々、国民の安きと幸せを祈る日本国の「祭司長」としては、心やすからぬことであろう。
天皇が「象徴」としての役割を果たせなくなったということの意味を、高齢や多忙による「負担の大きさ」などという次元でとらえるべきではない。
それだけならば、昨年過密スケジュールをおして、自ら希望して南洋パラオに「追悼の旅」をされることなどなされなかったであろう。
夥しい人々の死をまえに、自分が「象徴」としての務めの重さを感じられたが故の「追悼の旅」ではなかったか。さらには南海トラフ地震勃発への懸念が天皇をパラオに向かわせたのではないか。
その本心を、明かすこともできない立場だし、現代において「転変地異」と天皇を結びつける人はいない。
さて、誰かが何かの「象徴」として生きるという「務め」を果たすということは、歴史上いくらでも見出せるが、その「役目」は並大抵の精神力ではつとまらない。
例えば、ナポレオンとの「トラファルガーの海戦」に臨んだイギリスのネルソン提督の行動はそれにあたるだろう。
ネルソン提督は火や弾が飛び交う激戦の只中にあっても甲板に立ち続けた。
それは、ナポレオン侵攻の「砦」をシンボライズするかのようであった。その姿によってイギリス海軍は振るいたった。
ネルソン提督は、12歳で海軍に入隊。20歳で大佐となり艦長に昇進し、数々の海戦で勝利し勲章と爵位を得る。
そして幾多の戦闘のなかで、ネルソンはすでに右目の視力と右腕を失っていた。
そしてトラファルガーにおいてもフランス艦隊に突撃する時、ネルソン提督は敵の銃弾を浴びた。
すぐさま下層デッキに運ばれるが、3時間後に側近のハーディー大佐に、自らの「任務」を果たした満足の言葉を残し、「名誉の戦死」をとげた。
遺体は棺に納められ、腐敗せず本国に帰還できるように、ラム酒に漬けて運ばれた。
また、イギリスの博物館には、ネルソン提督の着ていた、銃弾により穴の開いた軍服が飾られている。
このトラファルガーの戦いを境にヨーロッパの覇者・ナポレオンの威光は失墜し、ナポレオン帝国の崩壊をもたらす。
いっぽう英国は海上覇権を確立、大英帝国として7つの海を制覇し、世界に君臨することになる。
ナポレンの英国本土侵略を阻止した英雄・ネルソン提督は、平民出身者としては初めての国葬が執り行われ、セント・ポール大聖堂に安置された。

古来より「まつりごと」という言葉で表わされるように、政治は祭事を伴っている。古い時代にさかのぼるほど、「祭事」つまり宗教的な色彩が濃い。
これは日本の天皇にもあてはまり、古代の天皇はシャーマンを統率する「祭司長」のような存在であった。
ただしその天皇も、時代によって様々な形で政治に組みこまれ利用もされてきた。
武士台頭以前の時代には公家支配の核とされ、近代にいたり軍閥跋扈の時代には「大元帥」として軍事の統帥者とされ、太平洋戦争時には人間ながら「現人神(あらひとがみ)」にさえされてしまった。
しかし、天皇の本質は「祭司長」であり、「象徴天皇制」下の今日においても、天皇の一番大切な仕事は宮中賢所において、国民と国家の繁栄と安寧のための「祭祀」を主宰をすることである。
中国の思想に「易姓」というものがある。
「易姓」とは、ある姓の天子が別の姓の天子にとって代わられることで、革命とは、天命があらたまり代わって、王朝が交替すること。
つまり、中国には、天が命を下して徳のある者を天子となし人民を治めさせ、徳が衰えたりなくなって人民の信頼がなくなれば、天変地異などをおこしその天子や王朝を去らせ、新しい有徳者に王朝を開かせ人民を支配せるという政治思想である。
日本は、中国から多くの文化を取り入れたが、こうした「易姓」の思想をどれくらい影響をうけたのかわからない。
ただ、皇室の式典の中には「中国文化」の影響が意外と多い。
天皇家の「正月」といえば一般参賀が有名だが、天皇の正月は、「四方拝」という祭祀から始まる。
この「四方拝」において、「北斗七星」の属星の名を唱えることなど、中国・朝鮮の陰陽思想の強い影響を受けていることが分かる。
つまり、大陸からもたらされた「陰陽思想」は、日本で独自に発展し、「陰陽道(おんみょうどう)」となるが、「「四方拝」も大陸の影響を受けながら、日本で独自に発展した儀式なのである。
「四方拝」は、早朝5時30分、薄暗く、凍てつく寒さのなか、「黄櫨染御袍」(こうろぜんのごほう)という装束をお召しになった天皇陛下が、御所から約400m離れた宮中三殿の西側にある神嘉殿の前庭にお出ましになる。
かがり火に照らされた地面に畳を敷き、屏風に囲まれた場所で、南西に向かって伊勢神宮を遥拝し、次いで東南西北の順に四方の神々に拝礼される。
平安時代初期から続けられ、五穀豊穣や国民国家の安寧を祈願されている。
四方拝の後、天皇陛下は、宮中三殿の賢所、皇霊殿、神殿にそれぞれ祀られている天照大神や歴代天皇・皇后・皇族の御霊、八百万の神々を拝礼する「歳旦祭」(さいたんさい)に臨まれる。
この「四方拝」は、皇室において最も重要な祭祀の一つで、天皇が自ら行われることになっていて、そのため、「御代拝(ごだいはい)」つまり「代理人」が祭祀を代行することは認められていない。
このことにつき思い起こすのは、古代イスラエル軍がアマレク軍との間で繰り広げられた戦争での一場面である(出エジプト17章)。
勝利の鍵は献身的なモーセの両手を上げたとりなし祈りであった。モーセが両手を上げて祈る時イスラエルは優勢になり、やがて手が重くなり、下りる時にはアマレクが優勢になった。
そこで「とりなし祈り」の威力を知ったアロンとフルはモーセを石に座らせ左右から両手を支え、モーセは夕暮れまで両手を上げ続けることができ、このとりなしの祈りの力で御使いの軍隊も加勢し、イスラエルはアマレクを制覇して勝利することができたという出来事である。
この時、アロンや他のものが、とりなしの祈りをする「祭司」の代わりはきかないということだ。
それと同様に、「四方拝」において「御代拝」が認められないということは、天皇の体調が優れないことなどの場合、四方拝は中止となる。
つまり「祭司長」の仕事は代理(摂政)では務まらない。「天皇御自身」にしかできないということを意味する。

今の天皇は憲法上「象徴」という位置づけである。
天皇は本質的に宗教というよりも、宗教的しきたりも含めて日本の文化の根源的な資質を保証する「祭司」に他ならない。
個人的には天皇を「崇拝」することはないが、もしも天皇という存在がこの日本から消えたならば、日本人としての自分の心の内側を探る大きな「よりどころ」を失ってしまいそうである。
終戦直後の昭和天皇の「人間宣言」で神話との繋がりを否定する発言があったにせよ、また仮に現実の天皇の人間性がどうあろうとも、日本人の「古層」を最もよく担った存在として今に至るまで引き継がれて来ている存在こそが天皇に他ならない。
その意味で天皇は、「聖なるもの」である。「聖なる」といっても、純粋とはいいがたい実に多層的な存在でもある。
たとえば平安時代、神道の最高祭司は天皇なのだが、引退すると「法皇」になったりする。
全部が全部というわけではないが、後白河法皇などは源平の時代を巧みに生き抜いた最も有名は法王であるが、この「法皇」というのは仏門に入った天皇のことである。
つまり、神道の最高祭司が、仏教に帰依したということになるが、日本人はそれを何の「違和感」もなく受け入れられるのだ。
したがって天皇の存在は、日本人の「文化の多層性」をさえ象徴する存在なのだ。
日本でも、昭和天皇まで歴代の天皇のうち、約半数が生前に皇位を譲っている。
「天変地異」を含め様々な理由があろうが、基本的には祭司長としての「天皇」の代理は誰にも務まらないということと関係があるであろう。
したがって天皇の「象徴としての役目が充分務められなくなった」との言葉は、日本国の「祭司長」としての真摯な言葉ではなかろうか。

2016年8月9日、英国エコノミスト誌のサラ・バーク東京支局長の取材を受けた。
取材に対し、英国を筆頭に主要移民国家の移民排斥の動きに危機感を覚えること、今こそ日本政府が人類共同体社会の理念を掲げ、50年間で1000万人の移民を迎えると、世界の人々と約束する時であること、政治家が移民立国に向けて動き出したことなど、日本の移民政策をめぐる最近の動きと、日本型移民政策のエッセンスを紹介した。
なお、明仁天皇が退位の意向を示された同年8月8日の翌日の取材であったので日本皇室のことが話題にのぼった。私は「明仁天皇は常に世界の人々の幸せを願っておられる」旨を強調した。
最近、「負のスパイラル」という言葉をきくが、最初に聞いたのはデフレスパラル。
モノの価格が下がると、会社の売上が減ってしまいます。
このため、そこで働いている人の給料などが上がらなくなります。
これによってモノを買うのをがまんする人が増え、そうなるとますますモノが売れなくなり、会社の売上はさらに減ってしまうことに。
この悪循環がどんどん進んでいくのを「デフレスパイラル」と呼んでいます。
カナダでは、1000カ所以上で山火事が起きていて、過去最悪の焼失面積となっています。
例年、5月〜10月に“山火事シーズン”を迎えるカナダですが、今年は規模が段違いです。焼失面積はすでに、例年の約6倍。生活のすぐそばまで、火災の影響が広がっています。
北西部のノースウェスト準州では、これまでに、東京ドーム3万個分を超える森林が焼失しました。
世界屈指の遭遇率を誇る“オーロラの都”イエローナイフにも炎が迫っていました。さらなる延焼を食い止めようと、まだ燃えていないところを燃やす手が取られるほどです。
特に緯度の高い地域での山火事は、地球温暖化による北極の温暖化、それによる偏西風の蛇行が原因」
山火事発生のメカニズムとして、偏西風の蛇行により、高気圧が発生。暑ければ暑いほど土壌の水分が奪われ、空気が乾燥し、山火事が発生しやすくなるということです。
山火事により森林が減り、CO2の吸収量が減少。すると、温暖化がさらに進み、山火事のリスクが増える。さらに、森林による蒸散(水が植物を通して大気へ拡散する役割)が減り、大地の気温が上昇し、空気も乾燥する。
現代の代表的な問題として、少子化が挙げられますが、この少子化も負のスパイラル構造を持った問題です。
少子化の原因は様々に考えられますが、 個々人が子どもを育てることへのモチベーションが下がることが、 原因と言えるでしょう。
では、どのようにしてもモチベーションが下がったのでしょうか。
もちろん、時代に伴う価値観の変化というのもあるでしょうが、 育児がしにくい状況もモチベーションを下げることに繋がります。
この育児難と少子化には、負のスパイラル構造が存在して、 放っておくと、落ちるところまで落ちていきかねません。
深刻な問題になると、何重もの負のスパイラルが絡みあってきますが、少子化に関しては、大きなスパイラルとして2つが考えられます。
1つは、政治的な負のスパイラルで、2つめは、社会意識上の負のスパイラルです。
政治的な負のスパイラル、少子化ということは、子どもの人数が少ないだけではなく、 子育てを行なっている家族や、それに関わる人たちの人数も少ないということです。
相対的に、高齢者は増えており、その家族や、それに関わる人達は多数派となっています。
子どもや高齢者はどちらも、社会保障の対象となる人達ですが、
その社会保障をどのように配分するかは、 政治によって決められます。
一方で、政治家は選挙で勝つために、 多数派のためになることをしなければなりません。
したがって、少数派である子どもよりも、 多数派である高齢者に対する支援を行う政策が進められるようになります。
どちらかを優先するということは、 片方をある程度諦めることになるので、 子どもに対する支援は抑えられることになります。
結果、子育てをしやすいような環境を提供する政策は実現が難しく、 環境が整わないなら子育てはしないという選択をする人が増えてしまいます。
すると、少子化が進むので、さらに政治的に不利な立場へと追い込まれるのです。
続いて社会の負のスパイラルついて。
子どもというのは「泣きもするし、騒ぎもする」ものです。
親のしつけ云々の前に、その大前提を親だけではなく、 社会を構成する一人一人が理解していなければなりません。
ところが、少子化の状況下では、 子どもは珍しい存在となってしまいます。
子育てに関わらない人は、 「子どもを知らない」人になってしまいます。
もちろん、誰にだって子どもの頃はあったとか、 今は子どもは一人立ちしたけど、子育ての経験があるから、 子どもを知らない訳ではないという人もいます。
ところが、人は忘れる生き物です。 自身に都合のいい思い出しか頭には残りません。
普段から絶えず子どもに接していない人は、 真に子どもを知っているとは言えないのです。
社会において子どもが「珍しい存在」となると何が起こるでしょうか。
「子どもは騒ぐもの」「子どもは泣くもの」という常識が、 社会で理解されなくなっていきます。
そうすると、「あんなに子どもが泣いてるのはおかしい」 「あんなに騒ぐのは親のしつけがなっていないからだ」と間違った理解をするようになります。
こうして社会は子どもに不寛容になるのです。
このような状況では、子どもを連れて、 自由に外に出歩くこともできなくなります。
すると、子どもは家庭内に閉じてしまい、 「子どもは珍しいもの」が加速していくのです。
こうして、子育ては社会から押し出され、 育児をする環境は失われていき、少子化にさらに拍車をかけることになるのです。
海外のシンクタンクは、将来の日本社会を次のように表現した。
「感情を表さず優雅な冷静さを保ちながら、消えゆく村落や国富の減少を淡々として受け入れるのだ」。