「インボイス制度」の意義

消費税は、消費者が払うというイメージがあるが、法的には事業者が払うものである。
事業者が払う税を価格を上乗せして消費者に「転嫁」するので、実質的な負担は消費者が負う。
事業者は、価格を上乗せして集めた分、消費税として税務署に払わなけれなならない。
2023年10月から導入される「インボイス制度」は、今まで知らなかったことを教えてくれた。
それは消費税をもらっても払わなくていい事業者や、多額の「還付金」を受け取っている事業者の存在。
我々には馴染みが薄い「インボイス制度」だが、消費税の新たな経理方式で、「インボイス」とは、税の控除に必要な適格請求書のことである。
問題はその意義だが、最近の新聞記事に「インボイス制度」の意義について次のようにあった。
「消費税は売り上げにかかる税額から、仕入れにかかる税額を差し引いて納税する仕組み。
インボイスは税率(8%か10%)ごとの税制や登録番号を記した請求書のことで、複数税率となったことを理由に導入された。今後は控除をするのに必要となる。ただし、インボイスを発行できるのは、消費税を納めている”課税事業者”のみ、年間売上1千万円の”免税事業者”から仕入れた場合は、控除できなくなり、その分税負担が増える。
そのため、免税事業者との取引停止や税負担が増えた分の価格の引き下げ要求といった動きが懸念される。
一方で、免税事業者が課税事業者になればインボイスは発行できるが、新たに税負担が生じる」。
この記事で知ったのは、「売上1千万円以下の事業者は税金を払わなくていい」という事実。
免税どころか、価格を上乗せた分(現行10%)は、まるごと自分のものにしてよいということになる。
この記事の後半部は理解がむずかしく、「消費税誕生の経緯」を知る必要がある。
消費税は1983年に竹下内閣で導入が決定された。
戦後、日本は所得税(直接税)中心の税体系が組まれたが、税の捕捉率の不公平感から公平な税制が求めらえるようになった。
例えばサラリーマンは源泉徴収により、所得の100%を税務署に補足されるのに、自営業者はその半分の50%しか捕捉されないなどの不公平感である。
そこで当時の大蔵省は、1970年代からヨーロッパの「付加価値税」(間接税)を参考に、広く浅く税をとる方式を目指しはじめた。
大蔵省はそれを「一般消費税」や「売上税」という名目で実現をしようとしたものの、二度とも頓挫してしまう。
一度めは、大平首相(1978年~79年)の時代で、大蔵省出身の首相だけに大蔵官僚の「財政再建案」に協調して閣議決定する。
広く様々な分野から税をとるというのを強調したかったのか「一般消費税」とした。
ただこの時、公務員の「公費の無駄使い」が問題化した。公務員による行ってもいないカラ出張、してもいなカラ接待、働いてもいない「闇給与」などである。
国民は、まずは無駄使いをなくすほうが先決だろうと、大反対した。
さらには、ハプニング解散中に「一般消費税」のよき理解者だった大平首相の急逝により、大蔵省の目論みは潰えた。
大蔵省2度目の挫折は、中曽根首相の時代で、1986年の衆参同時選挙での自民党大勝の勢いに乗っかった。
中曽根首相は大型間接税導入はやらないといっていたにもかかわらず、前言をひるがえし、大蔵省が密かに案をねっていた「売上税」導入を打ち出した。
敗北した社会党は危機感をいだき、土井たか子を中心に野党連合を結成し、特殊法人への天下りなどへの批判も合わせ、「売上税導入」反対の声は日増しに高まり、「売上税」は廃案となり、大蔵省にとっては二度めの頓挫となる。
そこで大蔵省は反対の多い事業者に様々な「抜け穴」をもうけて、理解をえようとした。
「小さく生んで大きく育てる」という流儀である。
その「抜け穴」こそが、今回の「インボイス制導入」で実質的に廃止となる「免税業者」と「簡易課税事業者」である。
消費税導入当初、「売り上げ3000万円以下の事業者は免税」、そして「売上5億円までは簡単な簡易課税で計算する」という妥協策をうちだした。
免税は消費税ははらわなくてよい、簡易課税は厳密に計算しなくてもいいので、部分的に免税となる。
要するに、価格を上乗せた部分の消費税は事業者に転がりこんでくるということである。
これを「益税」とよんでいるが、驚くべきことに、当時「免税事業者」と「簡易課税事業者」が、日本の事業者の約6割強を占めていたという。
「消費税は公平」というイメージとは随分異なるが、ともかくも「消費税3パーセント導入」が決定した。

「インボイス」に似た言葉に「インバウンド」があるが、元々英語の「inbound」が由来となっている。
英単語の意味は「本国行き」や「市内に行く」である。
日本では主に観光業界で使われていて、「訪日外国人観光客」「海外からの日本旅行」を意味するようだ。
「インボイス(Invoice)」とは、もともとは輸出入における通関の際に欠かせない「送り状」を意味する書類であった。
in-「その方向へ」via「道」から 道なりに送られるもの で「送り状」や「請求書」などを意味する用語であった。
その後、消費税を処理するための書類を示す用語としても広く使われるようになった。
ところで、財源苦に悩む政府としては、出来る限り上記の「免税」部分を少なくしたいに違いない。
そこで「免税事業者」と「簡易課税事業者」をなくすというのが今回の「インボイス制度」である。
「免税事業者」はわかりやすいが、「簡易課税事業者」とはどういうものか。
事業者は、商品を仕入れる時に「消費税」を支払い、売る時に商品に「上乗せ」して売る。
したがって税務署には、商品を買った人からもらった「消費税」のうち、仕入れにかかった「消費税」を差し引いた税金を納めることになる。
ただ、毎回、売った時にもらった消費税から、仕入れで支払った「消費税」を差し引いた税金を納めるというのは大変な作業になる。
そこで売り上げが一定額までの業者は、「簡易課税制度」により簡単な計算で納めればいい。ただ、簡易課税の対象者は当初5億円の事業者が対象であったが、現在は5000万円以下へと対象は縮小してきた。
この簡易課税のキモは「みなし税率」で、これを使えば相当額の消費税を支払わなくてよい仕組みになっていた。
とはいえ消費税が「3%→5%→8%→10%」と税率が上がるたびに「益税」も増えることになる。
これでは財務省としてはたまったものではない。
そこで浮上したのが「インボイス制度」である。
インボイスは、売手から買手に対して正確な適用税率や消費税額等を伝えるために消費税額等が明記された請求書等をいうが、具体的には、現行の請求書に一定の記載事項が追加されたものになる。
事業所がインボイスつまり「適格請求書」をしてもらうには、事業者が発行するには税務署への登録が必要になる。
それは課税対象者であることが条件であり、売り上げ規模の小さい個人経営などの「免税事業者」は、登録すると新たな税負担が増え、登録をしないと値下げや取引から排される心配がある。
2019年の消費税率の引上げに伴い、食料品などに対して軽減税率が導入され、10%と8%の2つの税率が混在することになった。
そのため、正しい消費税の納税額を算出するには、どの取引や商品に、どちらの税率が適用されているかを明確にする必要がある。
そこで、商品等に課されている消費税率や消費税額等を請求書に明記するインボイス制度が実施されることになった。
このインボイス制度によって、消費税額等を正確に把握することができるほか、インボイスには消費税率や消費税額が記載されるため、売手は納税が必要な消費税額を受け取り、買手は納税額から控除される消費税額を支払うという対応関係が明確となり、消費税の転嫁がしやすくなる面もあると考えられる。
とはいえ、インボイス導入をめぐる混乱は、消費税導入直前の35年前から懸念されていた。
制度的な「欠陥」を受け入れながらも、消費税導入を最優先した政治的な「妥協の産物」だったといえる。
政府はインボイス導入の理由を税率が複数あるためと説明しているが、要するに「もれなく」国民から徴収したいということであろう。
その点で、「もはや妥協なし」ということである。

アベノミクス以降の金融緩和で直接的に「富」を得ているのは誰かといえば、所有資産の価格が上昇した資産家か、円安によって「収益増」を果たした輸出企業である。
それが国民全体の利益に広がる「トリクルダウン」するなどどいっていたが、そんな言葉は最近では聞かなくなった。
本来ならば、そうした利益増のあった企業から「賃金アップ」して消費需要として社会全体が潤うことなのだだろう。
しかしそれほど賃金アップの話はまったくなかったからだ。
つまり輸出企業はその利益増を生活者にトリクルダウンしていない。それどころか生活者を苦しめる「消費税」は、意外なことに輸出企業にとって「打ちでの小槌」なのだそうだ。
実は、輸出企業は、輸出をすると「還付金」が戻ってくる仕組みになっている。
人々が気づきにくい、経済に内蔵された「格差拡大装置」というべきものである。
この「輸出還付金」が認められる理由は次のとうりである。
消費税というものは、ヨーロッパでは「付加価値税」とよばれるもので、製造・卸売・小売といった各段階の取引に対する課税を最終消費者が負担するという制度である。
1年間の決算を終えた段階で1年間の「付加価値」(企業が新たに生み出した価値=売り上げー調達した商品やサービスの金額)に対して事業者にかかってくる税金である。
利益ではなく「付加価値」にかかる税ということは、利益が出ようが出まいがカカッテくる税なので、「価格への転嫁」が起きる。
その「価格転嫁」というものに法的な権利や義務がついているわけでもなんでもないので、税負担は事実上価格に「埋没」しているといってよい。
つまり、激しい競争の下で事業者は消費税を価格に転嫁したくてもできないようなことがおきる。
ところで輸出企業の場合はどうだろう。理屈としては外国の消費者から日本政府が定める「消費税分」をもらうことはできない。
一方で、そうした企業は製品を仕上げるにあたって原料や部品を購入する際に、国内の下請け企業に「転嫁」された消費税を支払うたてまえになっている。
輸出企業は消費税を国内の下請け会社に支払うばかりで、海外にいる「最終」消費税分を受け取るスベがないから、輸出企業には消費税分還付しますという論理なのだ。
しかし、法律で価格転嫁しなくてはならないことになっているので、請求書には「消費税10%」と書いている企業が多いが、そもそも競争が激化しているなかで、製品の価格を下げて赤字で納品しているところもある。
輸出企業が製品を輸出した際に発生する「売上」には、国内の下請け会社から部品などを仕入れる際に「支払った」消費税が含まれているハズである。
そこで輸出企業が「国内で支払った」とされる分の税金を国が「還付する」というわけである。
現状では、下請け企業は価格を転嫁できるどころか、大企業に値切られ「自腹」を切るようなかたちで「消費税分」を負担しているノニである。
問題はその「還付」される金額の大きさであり、消費税が輸出大企業の「打ち出の小槌」といわれるのも納得できる。
2005年度の国の予算では、輸出還付金の総額は2兆5000億円にも達する。
消費税の全収入がおよそ10兆円だから、その約4分の1が、輸出企業に還付されているという「驚くべき」実態があるのだ。
「還付」をうける大企業の約半分が、日本の輸出企業の上位20社で、ほぼ経団連に所属している。
そして消費税が今後段階的に10パーセントマデ上げられるとしたら、「輸出還付金」はサラニ増えることになる。
したがって円安で輸出企業が儲かったとしても、その利益は社会にトリクルダウンしない。
その結果、トヨタ自動車はじめとして、輸出関連の大きな会社のおひざ元にある税務署は、多額の消費税を「輸出還付金」として企業に支払わなくなって、軒並み赤字となる信じがたいことが起きている。
さて、アメリカのトランプ前大統領は、「メキシコに壁を作る」といったが、メキシコからの輸入品に対して多額の税金をかけると脅した。
実はアメリカでは消費税という税は存在しない。逆進性が高い消費税は、自由な競争を阻害するという理由で、却下されてきた。
トランプ大統領は、メキシコの16%の付加価値税を、メキシコ政府による輸出業者へのリベートとみなしている。
アメリカの製品がメキシコに入る時だけ、16%の付加価値税をかけて、アメリカ製品を売りにくくしているのに、メキシコからアメリカに製品を輸出するときには16%の税金をゼロにしている。
これは、メキシコ政府が輸出業者に、「輸出還付金」というリベートを出しているのと同じだという。
日本の消費税も、構造的に「付加価値税」と同じなので、日本政府が輸出業者に出している「リベート」とみなしうるのである。
トランプ大政権が続いていたら、そんなこともいいだしたかもしれない。
ところで、小規模事業者を中心に制度への不安も強く、国税庁はインボイスについての説明会を開いている。
登録すれば消費税を納めなければならず、免税が一転、「増税」になることは間違いない。
10月にインボイス制度スタートとなるが、また財務省によると9月15日までに全国で403万事業者がインボイス発行事業者に登録したという。
新聞には、事業者の様々な「声」が紹介されていた。
ある東京の個人タクシーの運転手も登録を済ませ、所属する協同組合から配布された「インボイスOK!」のステッカーを車体に貼ったという。
また、ある個人経営の店では、政府が推奨しているのだから登録してもいいとも思う一方で、コロナ禍では政府の支援だけでは足りず、借金で賄った。
将来にわたって消費税をきちんと納めるのは経営的に難しく、会計士と相談したところ、現状を維持した方が店を存続していけるという結論に達したという。
折しもデータバンクの調査で、この10月より4634品目の値上げがなされるという。
法人税は何度か減税したのに、小規模店舗を締め付けるような政策に疑問を感じる人も多い。
現状は「トリクルダウン」よりも「スクイーズアウト」、つまりシボリ取られるかんじ。
中小企業にとって「インボイス制度」の導入は、まさに「スクイーズアウト」。
「インボイス制度の導入」によって税の増収は「数千億円単位」で見込めるそうだ。
それが何に使われるかは「未知数」で、ただ国の借金返済に充てられるだけなのかもしれない。
岸田内閣においては異次元の少子化対策での「財源捻出」に悩んでいるようだが、例えば奨学金の返済負担を軽減するなどではどうか。
少なくとも、インボイス導入で「負担増」を感じている人々に、「有意義」と感じるものであって欲しい。

今春ぐらいから、顧客の企業を管理する各地の事業所から電話がかかってくるようになり、口をそろえて「インボイス対応」を急いでというものであった。
企業に直接頼むと制度の説明やクレームなどで対応が大変なので、税務署に頼んだ方がてっとり早いということなのだろう。
新聞によれば、
1909年の英国では、下位65パーセントで国の富をワズカ2パーセントしかもてないホド「格差」があった。
つまり、世界一の富国である英国は、同時に世界一の「貧乏人大国」と断定した。
そのイギリスとは、1870年アダムスミスが「国富論」で、自己の利益の追求が社会全体の福利を増進するという「予定調和説」を生んだ国なのである。
100年後 安倍政権の消費税を段階的にあげ、法人税減税や投資減税などを減らす方向にある。
金持ちを引き寄せ「投資」を引き寄せる環境づくりとみることはできるが、その投資が果たして製造業やモノつくりにまわってこそ、その経済効果が広がっていってはじめてトリクルダウン仮説の妥当性がいいあてられる。
しかし、今のところ税金が安く賃金が安い国さらには環境への配慮が浅く「人権意識の低さ」を強みに変えた中国やアフリカが「世界の工場」となっているのである。
そればかりか製造業の「質的変化」があげられる。
パソコン世界最大手の中国レボノグループがアメリカ北東部のノースカロラナ州に新パソコン工場を建設し、地元では雇用の大幅増を期待したが、稼動当初にわずか115人しか雇われなった。
最新の生産ラインでは、極限まで無駄が省かれ、多くの人手を必要としないからである。
またミネソタ州の世界首位の「3Dプリンター」の工場でも、巨大な冷蔵庫のような100台以上の3Dプリンターが並ぶ工場内は人影はほとんどないという。
こうした工場では「無人化」が進行し、静かな機械音だけが響くだけだという。
1916年に河上肇が書いた「貧乏物語」は、西欧文明国に貧乏人の多いことへの驚きから始まる。
機械化によって「生産力」は数千倍、数万倍になったのに貧乏人が多いのはなぜか。

トリクルダウン説では「投資の活性化により、経済全体のパイが拡大すれば、低所得層への配分も改善する」となるはずである。
しかし、現実には「富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、国民全体の利益となる」はずが、一部の富裕層の所得の改善にトドマッテいる。
これをモッテ「経済は回復した」ということにはならない。
法人税減税や規制緩和による「投資の活性化」は、経済回復の必要条件の1つであるにすぎないということである。
「トリクルダウン」ルートで大事なことは、所得の「労働分配率」、つまり企業収益のうちに労働者に「トリクル」する比率に 注目すべきである。
実は2001年に導入された「時価会計制度」は、この点でマイナスの影響しかなかった。
従来より「従業員中心」の日本型経営から「株主中心」のアメリカ型経営といわれてきた。
この変化へ表われの一つとして、「原価会計」がら「時価会計」への転換があげられる。
「原価会計」は、資産を取得したときの原価で評価する一方、「時価会計」は、資産と負債を各期末の「時価」で評価し、財務諸表に反映させる。
つまり、時価会計では原価と現在の価格の「差」を決済のたびに組み入れていく。
一般的には、「時価会計」のほうが現時点での資産の価値を反映しているのでわかりやすい。
例えば「含み益」の大きな株式を売却して利益を捻出する操作のような「人為的な」会計操作が不可能となる。
つまり「時々の」企業の損益が明確になるので「経営の透明性」をもたらすという点で「正当性」をもつといえるだろう。
タダ日本がバブル崩壊によって企業の「市場価値」が下がる一方である時、「原価会計」から「時価会計」への転換はホトンド「自殺行為」のようなものではなかったか。
「時価会計」の導入により、各期の評価損益を逐次「損益計算書」に計上しなくてはならなくなった。
原価会計ならば、「購入当時」の低い価格が資産評価の基準となり、実際に「売却」した時には時々の価格変動は差し置いて、原価と売却した時の「差額」が計上されるだけである。
具体的にいうと、バブルの異常な値上がが帳簿上に表れない代わりに、バブル崩壊の「含み益」が消えたとしても「損失」として計上されないということだ。
「時価会計」では資産価値が著しく低下し続けるのがオモテに出る。
では日本政府は、そんな最中2001年にドウシテ「時価会計」を導入したのだうか。
まず「不良債権問題」で日本の金融機関への信頼は極度に低下したということがあげられる。
1996年成立した橋本内閣はソレ以前から金融システムの「抜本的な改革」をめざしていた。
いわゆる「金融ビッグバン」である。
資産バブルの崩壊で企業活動が低迷するなかで、「金利の自由化」「金融機関の業務枠の自由化」「金融のカ国際化」によってナントカ「日本市場の再生」をはかろうとしたのである。
しかし実際には、ワズカばりの「評価益」を確保する為に、あるいは「評価損」を膨らませないために、企業も金融機関も株を売り続けて、結果的に「含み損」が拡大するといった「悪循環」に陥ったのである。
バブル崩壊以前は、株の持ちあいで株価の安定をはかっていた。
しかし持ち合いの株式の資産価値が下がったために、それが重荷となって持ち合いの解消がすすんだ。
そしてグループ会社への不良債権の「飛ばし」をはじめとする「粉飾会計」が相次いで発覚した。
それ故に、海外からの日本の金融システムの「抜本的改革」への圧力が高まったといってよい。
日本株を保有する外国人投資家にとっては、「時価」を表さない「原価会計」への不公正さを是正する要求が異常に高まったとうことである。
M&Aを視野にいれいてる企業にとっては、「時価」で評価された方がやりやすい。
また「経営の透明性」の高まりによりコーポレー・ガバナンスが強化され外国人株主が増えれば「株主主体」への経営へ移行することになった。
そして「時価会計」導入は、企業の長期的な成長や従業員の福祉ヨリモ、短期的な利益や配当の最大化に大きな「インセンティブ」を与えることになった。
「短期的な利益」をモタラさない設備や雇用はコストカットの対象となる。
ツマリ従来の日本型経営は息の根をとめられ、「雇用」はコストとしかみなされなくなったことを意味する。
企業は正規雇用を非正規雇用に置き換えることで、利益を確保するようになった。
「時価会計制度」は、こうした雇用や賃金のカットを「加速」させる結果となった。
つまりは所得の「労働分配率」は下がる傾向が強まったということだ。
そうしてバブル2000年代を通じて急拡大したのが企業の「内部留保」である。
「内部留保」とは、企業活動で得た利益のうち、配当金などのように分配せず、社内に留保しているオカネである。
多くの企業は、たとえ「業績回復期」にあっても、時価会計による「下揺れリスク」を恐れて内部留保かせいぜい配当にハゲンだということである。
結局「時価会計」導入は、「労働分配率」の上昇つまり賃金アップがなされにくい環境を作り上げたということである。
この点からいっても日本の現状は「トリクルダウン説」とはホド遠いものがある。

経済学の教科書で、投資が何倍もの所得を生む「乗数効果」を学んだ人も多いと思う。
例えば、1兆円の公共投資を行えば3兆円ぐらいの景気浮揚効果があるという理論である。
この場合投資乗数が「3」ということになる。
近年、公共投資の投資乗数は低下しているといわれている。
理由は様々な資材や部品の発注が国内にとどまらず海外にいくために、それが国内の景気浮揚には繋がらないという いうわけである。
つまり公共投資によって所得増がもたらせる人々はごく一部であり、所得増は中所得層に行く前に海外に逃げてしまうというわけである。
公共投資は、特に不況の場合に働く者に生活扶助的機会を与えていたが、その効果は薄れガチということがいえる。
以前、NHKスペシャルであった「"新富裕層"vs国家~富をめぐる攻防~」という番組である。
この番組は、所得が海外に流出するという話ではなく、富裕層ソノモノが海外に移住している話である。
国なんてどうでもいい富裕層がいれば、「トリクルダウン」説は現実にはますますありえないことになる。
番組では、「新富裕層」と呼ばれる人々に焦点をあてていた。
彼らは個人投資など金融で儲けた人が多いらしく、そのような個人投資で儲けた所得に対する「課税率」を低い国に居住することノミを考える。
アメリカではレーガン大統領時代にサプライサイドエコノミクスが注目をあびたが、今からふりかえるとトリクルダウン的発想らしきものがあったように思える。
またクリントン大統領時代のIT革命によって景気は浮揚し、貧困層まで持ち家が持てるばら色の夢をもたらす「サブプライムローン」なるものが登場した。
しかし、住宅バブル崩壊からさらにリーマンショックをまねく結果になったことは記憶にあたらしい。
では住宅バブルはじけた後、もともと貧困層といわれる人々の生活はどうなったのであろう。
最近の新聞によれば、「不完全就業者」と呼ばれる層が増えているという。
生活をささえるために、やむを得ず低賃金のアルバイトをしたり、働きたいのに職探しを諦める人々である。