お金とお月様

日本銀行のリフレ派とよばれる人々が主導したインフレターゲット政策(2パーセントの物価上昇)は、黒田総裁在任中に実現しなかったという意味では、ほぼ失敗したといってよい。
植田日銀総裁が、「その後」をどう舵取りをしていくかは未知だが、政策の幅はそんなに大きくはない。
大規模金融緩和つまり日本銀行による「買いオペ」ゆえに、日銀が大量の国債の保有者になってしまったことがあげられる。
その裏面だが、政府の赤字国債(借金)の蓄積で、金利を少しでも上げると返済が増し財政負担が増えるし、日銀保有の国債価値が一機に下がる。
稼ぐ力もなく賃金も上がらない日本で、へたに「金融緩和(超低金利)脱出」のシグナルをおくると、株価は下がり経済は再び氷河期にはいる。
アメリカが高金利で日本からマネーが出て「円安」になっても、金利があげられずに輸入品の値上がりによる物価高が続く。つまり、自縄自縛ということ。
日本の経済政策を振り返ると、1980年代頃まで政府による国債発行と公共事業の方が中心であったように思うが、近年すっかり「日本銀行」が主役になった感がある。
赤字国債の累積で財政が硬直化して公共事業の景気浮揚には頼ることができなくなりつつある。
ところで現代の中央銀行の「ひな形」となったのは、イングランド銀行で、いわば金融危機に対処するために創設されたものである。
1689年の「名誉革命」により、オラエニ公ウイレム(ウイリアム3世)が、イギリスとオランダ両方の統治者になった。
ウイリアム3世がイギリスに招かれたのは、カトリックを復活させようというスチュアート家のジェームズ2世を廃位するためであった。
ジェームズ2世は、オランダと敵対するフランス王ルイ14世と結んだため、ウイリアム3世はさっそくイギリスの経済力と軍事力を行使することにした。
しかしお金がたりなかったので、ウイリアムパターソン率いる銀行家たちは、イングランド銀行設立と銀行券発行の権利と引き換えに、ウイリアム3世に120万ポンドを貸し付けることに合意した。
国王との結びつきは、支払手段としての銀行券の受け入れを促した。
通貨が受け入れられるのはそれが国と結びついているからだ。
こうした例は、支配者が自分の顔をコインに刻印するようになった紀元前7世紀のリディア王国に遡る。
それが通貨として機能したのは、そのコインが納税などに使われたことが大きい。
初期のコインはたいてい貴金属を鋳造して発行された。王の顔を刻印することにより「品質」を保証した。
しかし金に困った王家は、コインの鋳造で稼げることに気がついた。額面10のコインに金や銀が8しか含まれないとしたら、残りの2が利益になる。
金や銀は持ち歩くには重く、しかも危険だった。その煩わしさを取り除くために「紙幣」が生まれた。
「紙幣」は銀行の金庫内にある金や銀と引き換える権利を表していた。
そのうち、銀行は所有する金銀のほとんどを金庫に保管したままであることに気づいた。
顧客は紙幣をいつでも交換できたが、1日に引き出されるのは、そのほんのわずかで、銀行は「予備」の金を貸し出して、利益を得られる。
こうして、紙幣と金との交換(兌換)を保証し、外国との交易に金の輸出入を行う「金本位位制度」が生まれた。
18世紀初めから1914年までのほぼ全時代を通じて、イギリスは金本位制を採用し、他の国は19世紀に金本位制に加わった。顧客がそれらの交換を商業銀行で行っている間、中央銀行がそのシステムを支え、金庫に金貨準備を保管していた。
商業銀行で金がたりなくなると、彼らは中央銀行に助けを求めた。
しかし、中央銀行は発行された紙幣すべてに対して、その価値に相当する正確な金の量で裏付けることはなかったし、そうする必要もなかった。
例えば、1913年からアメリカでは発行される紙幣の40%はFRB(米連邦準備理事会)が保管金の裏付けが必要があったが、反対に60%は金の裏付けがなくても大恐慌までうまく機能していた。実際は5パーセントでもうまくいったのかもしれない。
なぜなら、金の裏付けがなくても、人々は紙幣を使い続けたからだ。
結局、通貨が受け入れられるかは中央銀行への「信頼」ということにつきる。
ではこの「信頼」をつきつめると次のようになる。
マネーが金や銀の貴金属の裏付けがなくてもいいということになれば、政府や銀行は好きなだけの紙の金を刷るだろう。
最終的にそのようなマネーは、価値がなくなることは歴史が実証している。
金本位制を維持することで、イングランド銀行は通貨としてのポンドの安定をを担っていた。
そのためポンドは保有資産として有望になり、なかでも金本位制を採用していない国の富裕層にとって魅力的な通貨になった。
なるように長期的には、他の通貨がポンドに対して弱く思えた。
したがってポンドを買うことは資産を守る手段となった。実際、金本位制を維持する動機づけのひとつは、債権者の利益保護だった。
金本位制の下では、債権や貸付金など債権者の資産の実質的な価値がたもたれるからだ。
では、そんなありがたい「金本位制」が廃止されるに至ったのはなぜか。
基本的に、大規模な戦争が起こると「金本位制」は停止される。戦争にはカネがかかり、金の保有量に紙幣の量を制約されては戦争が出来ないからだ。
つまり政府は印刷機に活路を見出したわけだ。
あるいは借金に依存することになるが、戦争に勝ちさえすれば、敗戦国からその費用を回収することができるからだ。
それはフランスのナポレオンとの戦いから、第一次世界大戦にまであてはまる。

第一次世界大戦から「金本位制」への復帰の在り様が、1930年代の「世界恐慌」の種をまいたといえるかもしれない。
金本位制が維持されているということは、国家間の為替レートが固定されているということを意味する。
そのような状況で、ある国が利上げをすれば、資金がその国に流入するということだ。
それはアメリカに資金依存している国には大打撃となる。
実際、アメリカのFRBは第一次世界大戦後のバブルを抑え込もうとして、利上げを行い続けた。
しかし1929年10月末の株価暴落によって、信用取引していた現金を一瞬で失ったばかりか、 貸付を行って金融機関までもが連鎖的に危機を迎える。
「経済理論」では、こういう場合には、金利を下げてお金が借りやすくして、マネーの回りをよくするのだが、FRBは金利を引き下げることはなかった。
そのひとつの理由は、「金本位制」という「足かせ」だった。
景気浮揚のために利下げをすれば、アメリカから資金が流出する可能性があるからだ。
さらに、財政支出の拡大によって輸入が増えた場合も同様な現象が起こりえた。
世界恐慌は、来の経済学の理論に対する挑戦でもあった。短期の経済低迷はそれ以前にもあったが、経済の仕組みがその衝撃に順応することが示されていたからだ。
例えば、不況になれば物価が下がり輸出が伸びる、といった金本位制下の経済の「自動調整」が働いていた。
しかし世界恐慌は、これが自動的に起こるのではないことを証明した。
また不況にもかかわらず、FRBが金利をなかなか下げなかった理由は、「清算主義」という観念があったことを忘れてはならない。
「清算主義」は、経済社会の「腐敗」が一掃され、ピューリタン的道徳にもかなっていた。
効率の悪い会社が破綻しても、新しい会社が生まれて解雇された労働者を雇う。
もし価格が高すぎたら、買い手が見つかるまで価格 は下がる。賃金が高すぎたら、労働者が仕事を見つけるまで賃金が下がる。
「金本位制」は、アダムスミス以来の「経済の自動調整」観とも結びついていた。しかし、その自動調整機能が失われると、「金本位制」はむしろ弊害の方が大きい。
ケインズは、「雇用、利子、および貨幣の一般理論」で、その理由を次のように説明している。
企業が労働者を解雇するか賃金をカットかすると、労働者が消費にまわすカネが減る。
それが経済全体で起こると、需要の全般的な減少につながる可能性がある。
ではなぜ新しい会社が次々に誕生してその解雇された労働者を雇わないのだろうか。 問題は経済の先行きが不透明で、投資の採算がとれるかどうか、わからないということである。
この「不確実性」は経済が低迷している時にいっそう大きくなり、企業は金利水準がどうであれ、投資をためらうようになる。
そして借金を返済するか、現金を保有するほうを選ぶだろう。ケインズはこれを「流動性の罠」とよんだ。
古典派経済学は、オカネを「交換手段」としかみなかったが、ケインズはオカネそのものに保有することの意義を強調したということがいえる。
債権などのと比べ、利子を生まないオカネにどんな価値があるかといえば、オカネにはいざという時に何にでも変えられる「流動性」という効用があるということだ。
人々がそうした「流動性の罠」に入り込むと、貨幣の回転速度が鈍る。つまりオカネがまわらなくなる。
そんな時、政府が介入して需要を高めるべきだとケインズは主張した。
短期的には、投資家はたいてい国債を安全資産とみなすため、政府の借入能力には限度がない。
政府は、例えば建設事業などに人を雇用すればいい。
この労働者たちは賃金をほかで使うので、民間部門の商品の需要は高まる。
とはいっても古典派経済学者たちは、政府支出の非効率性や政府が民間需要を「押し出す」ことになると批判した。
また後年マネタリストは、1930年代の政策の誤りは、財政政策の欠如ではなく、中央銀行が銀行の倒産を防げず、マネーサプライの縮小を防げなかったからだと主張。
さらには1980年代に登場した「合理的期待論者」は、消費者が減税や公共支出の拡大に対して、将来税金があがることを見越して需要の拡大に繋がらなかったからだと主張した。

1970年代に、若い共稼ぎの夫妻が、たまたまマクロ経済に関する一種の実験を行って、それが経済誌や経済学書に取り上げられるようになった。
ジョーン・スウィーニーとリチャード・スウィーニー夫妻は彼らの失敗を「金融理論とキャピトル・ヒル・ベビーシッター共同組合の危機」は、興味深い経済学の思考実験の材料を提供してくれた。
それぞれが専門的な職業についていたこのカップルが、お互いの子供を世話し合うという「ベビーシッター共同組合」を設立した。
この種の仕組みで重要なのは、負担が公平に分担されるということである。
この組合では1時間のベビーシッターを保証するクーポン(紙幣)を発行して、自らの帳尻を合わせるようにベビーシッターをしあうという仕組みが用いられた。
クーポンはベビーシッターをする度に、譲り渡されるのである。少し考えれば、この仕組みが働くためには十分なクーポンの流通が必要なことがわかる。
自分たちがいつベビーシッターを必要とするか、またいつ他の夫婦のために、ベビーシッターをしてあげられるかは正確には予想がつかない。
このため、まず、どの夫婦も他人のためにベビーシッターをして、自分たちが、何回か外出できるようクーポンを幾枚か貯めておきたいと考えるであろう。
共同組合が設立されてからしばらくして、問題が生じた。クーポン券の流通量が減ってきたのである。
この理由は説明するまでもないことだが、奇妙な結果をもたらした。
平均して、夫婦は希望するほどのクーポン券を蓄えられなかったため、外出するのを控え、ベビーシッターをしようとする。
しかしベビーシッターの機会は他のカップルが外出することによって初めて生まれるのだから、皆が外出を控え始め、クーポン券を使わなくなってしまえば、全体としてクーポン券を得る機会が減り、外出に慎重な態度に拍車をかけることになる。
その結果、全体のベビーシッターの実行回数は減り、カップルは希望に反して家に留まることになる。
つまりクーポン券をもっと獲得するまで外出したくないのだが、他の誰もがやはり外出しようとしないため、クーポン券を貯めることができない状態に陥ってしまったのである。
長い間の試行錯誤のあげくに、やっと協同組合はクーポンの供給量を増加させた。
その結果、参加者たちにとっては奇跡とみえるようなことが起こったのである。
カップルは外出できるようになり、ベビーシッターに機会も増え、これはさらにカップルが外出する意欲を刺激したのである。
話は勿論ここで終わらない。クーポンの供給を増加しすぎたために、クーポンの価値が失われる、つまりインフレが生じてしまうのである。
この話は、不況も好況も決して深遠でも不可解なものでもないことを示している。
アダムスミスの「国富論」以来、経済の「見えざる手」を「見える化」しようとういうのが経済学の歴史だった。
ところが、最近のNHK「欲望の資本主義」に登場したノーベル賞経済学者スティグリッツは、そもそも「見えざる手」などはないといいいきった。
それれは独占や寡占により、それが「見えざる手」が失われたという話ではない。
思い至ったのは「必要の時代」の経済と「欲望の時代」の経済は違うのかもしれない。
「労働が富を生む」経済学と、「ワンクリックが富を生む」経済は異なるかもしれない。
「ワンクリック」が富を生む金融工学などは、不確実性を確率計算をもとに、コントロール下に置こうとするが、集団心理とかモラルハザードといった人間の心理を念頭においていない。
だからこそ「リーマンショック」が起こった。
とはいえ、前述の「スウィーニー夫妻の子守協同組合」の「寓話」は、どのような社会でもあてはまる。
ところで今、アメリカは再び月に人を送る「アルミテス計画」がなされている。
「アルミテス」は、古代ギリシア人やペルシア人が崇拝した「月の女神」ことである。
聖書によれば、現在のトルコのエペソの町で、ある銀細工人が銀で「アルテミス神殿」の模型を造って、職人たちに少なからぬ利益を得させていた。
すると銀細工人が、パウロが手で造られたものは神様ではないというので、女神のご威光さえも消えてしまい、自分たちの仕事が奪われていると訴えた話がでてくる(使徒行伝19章)。
、 人々は怒りに燃え、大声で「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」と叫びつづけたという。
ケインズは、現実の経済を「月」を比喩にして次のように述べている。
「失業が生まれる理由、言ってみればそれは、人々が月を欲しがるからだ」(参照:流動性の罠など)。
月自体は光を発するわけではないのに、月に群がる。
イギリスの作家サマセット・モームに、ゴーギャンの生涯を描いた「月と六ペンス」という小説がある。
月は狂気(or芸術)を表し、6ペンス(コイン)は正気(or世俗)を表しているという。