サウダージ

最近、アメリカや中国どな大国のどちらにも属さない「グローバルサウス」という言葉がある。
おおまかにいえば、インド・アフリカ・南米を含む「第三極」といってよい国際的な政治勢力である。 かつて「南北問題」とも言われる経済問題があった。
北半球と南半球の経済格差の問題だが、南の中には経済成長する国もあり、「南」をひとつにくくることには違和感があり、大まかに「グローバルサウス」といわれるようになった。
ロシアのウクライナ侵攻後、「グローバルサウス」の存在は一層注目されるようになっている。
民主主義を掲げる西側陣営と権威主義陣営の双方がグローバルサウスへのアプローチを強化しており、両陣営の首脳や高官が、相次いでグローバルサウスを訪問しているからだ。
現在、「グローバルサウス」という言葉を戦略的に打ち出しているかに思えるのがインドのモディ首相である。また経済成長著しく、大きな潜在力をもつのがブラジルの存在も見逃せない。
それらは、米中の狭間にあって独自の利益を追求しているように思える。
そしてインドやブラジルの歴史を振り返ると、大航海時代のポルトガルという国にいきつく。
ポルトガルは、ヨーロッパ最西端にあたるイベリア半島の共和制国家で、大航海時代の先駆けとなりエンリケ航海王子がアフリカ西岸への探検を後押しし、インド洋一帯に植民地政策を展開した。
バーソロミュー・ディアスは、南アフリカの喜望峰に到達し、ヴァスコダ・ガマはその喜望峰を回ってインド西岸のカリカットに到達した。
フランシスコ・ザビエルはスペインのバスク地方出身だが、ポルトガル王の依頼でイエズス会士としてインドのゴアに派遣されマラッカで宣教していた時、日本のヤジローと出会い日本への宣教を決意したといわれる。
また日本に種子島において最初に鉄砲を伝えたのはポルトガル人である。
香港やマカオに行って、カソリック教会跡などの大航海時代の「ポルトガル」の痕跡に出会ったが、植民地政策の名残でブラジルを初め、ベネスエラ、アルゼンチン、ウルグアイなどラテンアメリカ諸国の他モザンピーク、アフリカ南部などにも多くのポルトガル人が移住している。
またポルトガルはブラジルを植民地としてポルトガル語が公用語となり、明治時代、日本人の官制移民の対象国となった。
そんなポルトガル人の心情を表す言葉が「サウダージ」である。
「サウダージ」は、望郷を意味するポルトガル語で、J・ポップの代表曲のタイトルともなっている。
「サウダージ」を作詞作曲し歌ったポルノグラフティのもうひとつの代表曲「アゲハ蝶」とともに、ラテンの雰囲気を有する曲である。
日本人の(当時の若者)に、なぜこのような独自の世界観をもつ曲が生まれたのか。
ポルノグラフティの二人は広島県因島出身であるが、広島は歴史的にブラジルと交流が深く、特に因島(いんのしま)に近い呉(くれ)市は今でも在日ブラジル人の非常に多い所である。
また、彼らの詩に、間接的にでも影響を与えたに違いない、ポルトガルの「国民的詩人」の存在が浮かびあがる。
何故ならその詞は、ポルノグラフティの「サウダージ」「アゲハ蝶」に通じる詩が歌いこまれている。
ルイス・ヴァス・デ・カモンイスは、ポルトガル史上最大の詩人とされる人物である。
かつてポルトガルで発行されていた500エスクード紙幣に肖像が印刷されていたほどである。
彼の生涯を伝える資料は多くないが、ポルトガル王家につながる一族の人間として1524年頃に生まれたと推定されている。
ドミニコ会やイエズス会で教育を受け、古典文学やギリシア語・ラテン語・スペイン語などを学んだ。
カモイズは、ガリシア地方に生まれだが、育ったのは、ポルトガル中央部のコインプラで、有名なコインプラ大学で学んでいる。
この大学ではルネサンスの古典的な精神が染み込んでいたため、ギリシャやローマの文献に没頭することができた。
カモンイスはリスボンの教会で、1544年の聖金曜日に13歳のカテリサ・デ・アタイデという女の子に一目惚れしているが、最終的に彼女にふられてしまった。
それから彼は鬱になり、一時は自殺も考えたらしい。また、この時期に決闘を行う可能性もあった。
いずれにせよ、彼の無分別な行動は働いていた宮殿からの追放につながり、1547年に軍隊に入隊してからはセウタで2年間兵役をつとめた。
この時には、現地のモロッコ人との小競り合いに巻き込まれ、右目を失っている。
リスボンに帰国しても彼は女性達にその外観を馬鹿にされたことから、政府で働きたいと思いつつも、ボヘミア人の若者が群れているギャングに関わったりしたため、宮殿のほうから仕事を拒絶されている。
その夜、町で起こした暴力沙汰で宮殿に勤めていた人間にケガをおわせ、刑務所に入れられてしまった。
彼はその減刑の代わりに5年間の兵役につくことを約束し、結果としてインドに派遣されることになった。
ところがこの派遣という仕事は、当時ではほとんど「死刑」を意味することだった。
なぜならその年にインドに向かった四隻の船のなかで、無事に辿り付いたのは彼の乗った一隻だけだったからだ。
1533年にリスボンを離れてからその半年後に、彼の船はデ・アルプケルケによって築かれた10万人が住むポルトガルの要塞ゴアに着いた。
カモンイスは、ここからヒンドゥー教やイスラム教の弱小国を征伐するため、沿岸での戦闘任務についた。
彼はアラビア海を超えて紅海とペルシャ湾を北上する船団に一兵士として参加し、歴史を通じてこの地域で何度も発生している海賊行為を牽制する任務に就いている。
その次の海賊狩りでは、「アフリカの角」やアデン湾、そしてアフリカ東部のモンパサまで出かけている。
インドへ帰ってくるまでにもう一度遠征を行って、東のモルッカ諸島やマカオへと向かった。
このような経歴は、まるでポルトガルが新しく打ち立てたインド洋植民地における警察的な行動の移り変わりをみているようだ。
それほど世界を広範に行き渡ったポルトガル人にとって、遠く離れた故郷を思う感情こそが「サウダージ」であった。
”ポルトガルの海”の詩集を織り成したのが、前述のルイス・デ・カモンイス(ウズ・ルジアダス)で、冒険心と望郷の思いが見事に調和して歌いこまれているという。

日本の歴史にもポルトガルは大きな痕跡を残し、襦袢や合羽、博多の祭り「どんたく」はポルトガル語「ドンターク(休日)」に由来するなど、結構日常生活にはいりこんでいる。
ただ「サウダージ」という言葉は、郷愁や切なさなどの意味合いを持ち、他の言語では一つの単語で言い表しづらい複雑なニュアンスを持つ。
例えば、韓国の「恨(はん)」という感場は他の言語の一言で表しにくし、日本の「もったいない」も多国語では表現しにくい。
「サウダージ」は単なる郷愁(ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。
だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。
ポルトガルに生まれた民俗歌謡の「ファド (Fado)」 に歌われる感情表現の主要なものであるといわれる。
さて、イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルにはファドがあるといわれる。
「ファド」は、ポルトガルに生まれた民族歌謡で、ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。
1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラの歌によって現在の地位を得た。
レストランなどで歌われる大衆歌謡で、主にポルトガルギター(ギターラ)と現地ではヴィオラと呼ばれるクラシック・ギター、時には低音ギターが加わって伴奏される。
アマリア・ロドリゲス(1920~99)が国民的歌手として国内外で知られ、その人気は死後も衰える兆しを見せない。
首都リスボンと中北部の中心都市コインブラでそれぞれ独特のファドが育まれ、コインブラのそれはコインブラ大学の学生たちのセレナーデ(夜に恋人の為に演奏する曲)として存在している。
ところで日本では、1978年ゴダイゴの「ガンダーラ」ヒットの背景には、当時の「シルクロード・ブーム」があった。
1979年の「日中友好条約」締結と、平山郁夫画伯が1966年以来中央アジア深くに入って描いたシルクロードの絵が脚光を浴びた。
またジュディ・オングの「魅せられて」(1979年)はエーゲ海が舞台だったが、オリエンタルな雰囲気が漂っていた。
そんなオリエンタル・ブームの中で久保田早紀の「異邦人」が140万枚を超えるメガ・ヒット曲となった。
久保田は、東京・国立(くにたち)の通訳の父に生まれ、4歳頃からピアノを習い始める。
小さい頃から教会にかよい、教会音楽特にバッハが好きだった。
子供の頃、父が仕事でイランに赴いた際に購入してくれた現地のアーティストのアルバムを繰り返し聴いたことが、「異国情緒」をともなう音楽性を養うことにつながった。
そして自分で曲を作り、自分で歌う女性歌手に憧れをもつようになる。
久保田が心酔した松任谷由実も教会音楽に親しみ「バッハ」の音楽に心酔していた点で共通している。
高校の頃に、詩を書く文学少女がいて、彼女に曲を書いてといわれて曲を作りはじめた。
短大時代、八王子から都心へと通学する電車の中、広場や草原などで遊ぶ子供達の姿を歌にして「白い朝」というシンプルな曲を書いた。
「子供達が空に向かい 両手をひろげ 鳥や雲や夢までもつかもうとしている」と。
そして、自分の曲がプロの世界で通用するかチャレンジしてみようと、自分の歌を弾き語りで録音したカセットテープを送った。
そしてこのテープにある「哀愁のある声」に注目した、新進の女性音楽プロデューサーがいた。
「異邦人」誕生のきっかけを作った音楽プロデユーサー金子文枝は、ポルトガルの郷愁を帯びた音楽「ファドの世界」に引き込まれていた。
その音楽プロデューサー金子文枝は、「魅せられて」の制作スタッフの一人で、久保田の声の「哀愁」に自分が探していたものに「出会った」と感じた。
そして久保田のテープを聞いてポルトガルの「ファド」に近い曲ができないかと考えた。
そして久保田にファドの女王「アマリア・ロドリゲス」のレコード数枚を渡した。
それは郷愁に溢れた曲で、レコードを聴いた久保田は、何も「恋愛」を歌う必要はないと思ったという。
一方、金子文江の中には「次はオリエンタルなもので行こう」という思いがあり、オリエンタルの雰囲気を強く出そうと、中森明菜「少女A」などで知られる萩田光雄に「編曲」を頼んだ。
萩田光雄は、シルクロードの雰囲気をだすために「ダルシマー」というペルシアの民族楽器を使い「シルクロード」のイメージを完成させた。
そして、分厚いオーケストラと「ダルシマー」の音色が溶け、久保田の透明な声がよく響き合い、そして壮大な「郷愁(サアウダージ)の世界」を築きあげた。
さらに「異邦人」ヒットには、CMタイアップの「仕掛け」もあった。
シルクロードをコンセプトとする「企画」を狙っていたプロデューサーにより、「シルクロード」を背景とした大型カラーテレビのコマーシャルソングとして使われた。
そのオリエンタルで神秘的なムードのCMソングに注目が集まり、ジワジワと売上げを伸ばしてブ大レイクする。

ラテン音楽といえば、「ボサノヴァ」を思い起こす。
ポルトガルの「ファド」が民謡ならば、「ボサノヴァ」はいわばシティ・ミュージックである。
両者の共通点は、その根底にポルトガル人の心情「サウダージ」があることである。
「Bossa Nova」とは「新しい傾向」「新しい感覚」などという意味になる。
サンバやショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽を基に、フランス印象音楽やジャズの要素が取り入れられ、ここちよく洗練されたサウンド(新しいサンバ)として、1960年代に、アメリカのジャズ・ミュージシャンを経由して世界中に広まった。
「ボサノヴァの誕生」には、ナラ・レオンの裕福な実家の部屋に集まっていた「若手音楽研究グループ」に、すでに名を成していたジョビンやジョアン・ジルベルトといった少し上の世代のプロ・ミュージシャンが注目し、交流を始めたのがきっかけとされる。
彼らはその多くが、貧富の格差が激しく識字率が60%にも満たなかった当時のブラジルにおいて、裕福な中産階級に属する白人であった。
そして1958年に発売されたジョアン・ジルベルトのデビューアルバム、その名も「Chega De Saudade」(シェガ・ジ・サウダージ)。
面白いことに、"哀愁はもういらない"という意味なのだそうだ。
この曲の制作にあたったアントニオ・カルロス・ジョビンは青年時代からピアノを習い始め、学生時代には既にピアノ演奏家として収入を得ていた。
スタジオ・ワークや編曲の仕事を経て、自らアーティスト、ディレクターとして当時のオデオンレコードに入社するに至った。
またヴィニシウス・ジ・モライスは外交官を務める傍ら詩作活動を続け、ブラジルを代表する詩人として知られていた。
そして、この才能豊かな作曲家と詩作家を結びつけたのが、モライスの戯曲を映画化した名画「黒いオルフェ」だった。
この作品でジョビンが音楽を担当しており、この偶然の出逢いによって歴史的楽曲「シェガ・ジ・サウダージ」が誕生し、1958年サンバの女王と謳われたリオ の女性シンガー 「エリゼッチ・カルドーゾ」 のボーカルによって初のレコードがリリースされた。
日本では「想いあふれて」と題され、アメリカでは「No More Blues」のタイトルで知られる。
さて、日本にボサノヴァが入ってきたのは、アメリカと同様に1960年代初期のことであり、ジャズ人気に伴う形で多くのファンを獲得した。
さらにアメリカから帰国した渡辺貞夫による1967年の「ジャズ&ボッサ」の発表は、日本におけるボサノヴァ・ブームに火をつけた。
ポルノグラフティの作詞担当の新藤晴一はボサノヴァのCDをよく聞いていて「サウダージ」というタイトルにしたという。
また、稲垣潤一によるシティポップの名曲「ロングーバージョン」も、ボサノバの影響をうけており、歌詞の中にも”ボサノバ”が登場する。
♪シングルプレイのつもりが、いつか気づけばロングバージョン 似た者同士のボサノヴァ♪
日本人の有名音楽評論家は、「ボサノーヴァはリオで生まれ、サンパウロで育ち、バイアで死んで、日本で生き返った」と表現した。
ちなみに、バイアはブラジル北東部の州で、黒人が多く住みソウルやレゲエが盛んな地域である。