官僚OBが走る

最近、官僚OBの活躍が目覚ましい。官僚OBの活躍の場は、天下りのあっせんにおいてである。
2017年、文部科学省が求人情報や退職予定者のリストを同省OBに示し「マッチング」する組織的な斡旋が行われ、文部科学省の官僚が管轄している大学に教授として天下っていたことなどが明るみに出た。
その後の文科省の調べで、国家公務員法違反に当たる天下りは62件に上った。
要するに、改正国家公務員法施行で天下り規制が強化され、それまで人事課で行っていた斡旋を「OB経由」に変えたということだ。
気になるのは、あっせんした文科省OBの見返り。
報告書によれば、文科省と関係の深い団体などから報酬のほか「別室」などの特別待遇を受けていたという。
「別室」とはなんぞや?このOBは大学関連の書籍発行などを行う公益財団法人「文教協会」の参与に就任。無報酬だったが、協会が近くのビルに設けた「別室」を単独で使い、財団が給料を負担する協会の女性職員がこの部屋で秘書業務をしていた。
その後「別室」の所在地に、もっともらしい一般社団法人「文教フォーラム」を設立している。
官僚OBはこの部屋を拠点に徒歩5分ほどの距離にある文科省庁舎を訪れ、人事課と退職者の情報を交換し、再就職を仲介していた。
こうしたOBは、現職官僚の仕事内容にも影響力を持ちうるのではないかという疑念さえ抱かせる。
松本清張の小説「中央流沙」では、官僚OBとおぼしき人物が恐ろしい役割を果たす。
「中央流沙」は農林水産省を舞台に実際に起きた汚職事件を下敷きに描かれ、三度もテレビドラマ化されているが、1976年の初ドラマ化が記憶に残っている。
農林水産省の課長補佐・倉橋豊(内藤武敏)は収賄の疑いで警視庁から事情聴取を受けていた。
上司の岡村局長(佐藤慶)は、農水省の幹部に顔の利く実力者・西秀太郎(加藤嘉)の示唆を受け、倉橋に北海道への出張を命じた。
連絡が来て倉橋は、札幌から作並温泉に向かい、不安に怯えながら西が来るのを待つ。
西は作並温泉に着くや、人払いをして倉橋とさし向かいになり、「私は君にどうしろこうしろと言える立場じゃないよ」と切り出す。
そして、含み笑いをしながら、「つまり、善処して欲しいんだ」と言う。
「善処しろ」とは、倉橋がいなくなれば皆が助かる、組織は守られるということの婉曲表現なのだが、倉橋はその意味を即座に察する。
そして、「どうして私だけが犠牲にならなくちゃいけないんです」とあらがう。
すると西は「そんな意味で言ったわけじゃないよ」とすかさずとぼける。
そして西は畳みかけるように、「失礼ながら見直した」「私は骨のある男が好きだ」「惚れたらとことん惚れるたちだ」などと、不気味なほど倉橋を持ち上げる。
こんな場面、実際にありそうで鬼気迫るものがある。
その翌日、濃霧に埋まった早朝、旅館近くの断崖下に、倉橋が転落しているのが発見される。
死体を受け取りに行ったノンキャリアの岡村事務官(川崎敬三)は、その死に不信を抱き、真相に近づこうとする。
この「中央流砂」が何度もドラマ化されるのも、組織ぐるみの汚職において、シッポが切られるという体質が変わらないからだろう。
森友学園問題で、国有地売却に関する財務省の決裁文書の改ざん作業にあたった近畿財務局の職員が自ら命を絶った。
そのメモには、「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手が震える。恐い 命 大切な命 終止」とあった。
ところで、「中央流沙」で西秀太郎なる人物が「農水省の幹部に顔の利く実力者」となっているが、それは「元次官クラスの官僚OB」ということの外にあまり想像することができない。

2022年12月、国土交通省の元事務次官が、空港でビルの運営などを手がける民間企業「空港施設」の首脳に対し、国交省OBの副社長を社長にするよう求めていたことが明らかになった。
元次官は自身の立場を「有力なOBの名代」と説明し、社長に就任させれば国交省としてあらゆる形でサポートすると語っていたという。
「空港施設」は東京証券取引所のプライム市場に上場している民間企業で、取締役候補は指名委員会で決めることになっている。
つまり、国交省OBがそうした仕組みを飛び越して人事に介入しようとしたことになる。
当の副社長はかつて、役員人事を話し合う会議で、「国交省側の意向だ」として当時取締役だった自分を副社長にするよう求めていて、権力を笠にきた厚かまさを発揮している。
ただこういう事案が発覚すると急に殊勝になるらしく、「申し訳なく思っている」と副社長を辞任している。
こうした民間企業への人事介入は、いわゆる天下りと共に行政の歪みを生じさせる。
官庁と「天下り/人事介入」を受け入れた企業の結びつきは強くなり公平性が失われるからだ。
具体的には、官庁は税金を使って企業に仕事を発注したり、許認可を与えたりする場合に「歪み」が生じる。
松本清張の「中央流砂」は1950年代の「外貨不足」の時代を背景にして実際に起きた事件をモデルにしている。
具体的には、「輸入割当て」をはじめとする管理された貿易では、割当て自体が、非常に利権化してしまった。
例えば「砂糖」を輸入すると、その輸入価格の2倍か3倍に売れて、ほろもうけになる。
そこに「輸入割当権」なるものが価値を生じ、ものを輸入しないで、輸入割当権の転売がどんどん行われる。
そうした弊害が起こってきたのが、「糖、綿花、羊毛、油」などの業界で、いろいろなものの輪入権自体が利権化して価値を生じて、モノを輪入しないでも、「権利の転売」だけで利益が出るようなったのである。
いっぽう役所は「輸入割当」の権化と化し、手段だったはずの「介入」 それ自体が目的となるという本末転倒を引き起こす。
、 「天下りは人的な賄賂だ」とみることもできる。
こうした官民癒着は国が結果的に高い買い物をしたり、与えてはいけない企業に許認可を与えたりする恐れがあり、税金の無駄遣いにつながる可能性があるからである。
長く税金の無駄遣いと批判され続けられたのは、特殊法人や公益法人への天下りで、「独立行政法人」へと衣替えしているが、「独立」と銘うっても税金で運営されている以上中身は変わらない。
2007年に国家公務員法が改正され、天下りについて(1)あっせん規制(2)求職活動規制(3)働きかけ規制の三つである。
つまり、省庁が組織的にあっせんをしたり、本人が関連企業に就職しようとしたり、再就職したOBがかつて所属した部署の現役に対して業務に関する働きかけをしてはいけないというルールである。
そのうえで再就職を希望する公務員に対しては内閣府に設けた「官民人材交流センター」が一元的にあっせんすることとなった。
しかし、この法律ではOBによるあっせんは規制していないため、そこが「抜け道」となった。
国交省の「空港施設」に圧力をかけたのはOBが元次官で、まるで時代劇のように二人の別のOBがやってきて「元次官の名代」と名のり、露骨な圧力をかけたのだが、それでも法律違反にはならない。
圧力をかけられた側の「空港施設」は、断れば国交省を敵に回すことになるので従わざるをえなくなる。
ところで、これだけ「天下り」が批判されながらも、手を変え品を変えながらなくならないのは、もっと根源的な制度の欠陥があるからではなかろうか。
国家公務員採用1種試験に合格し幹部候補生として採用された官僚を俗に「キャリア」というが、キャリアの人事は大臣官房秘書課が取り仕切る。
キャリア官僚は、ほぼ横並びに本省の課長ポストぐらいまでは昇進していくが、その後、ポストが減るので、順次、定年を待たずに、「肩をたたかれて」退職を促される。
同期入省者から事務次官が出ると、その他の同期入省者はすべて退職しているのが慣例となっている。
この「慣例」は、出世頭の事務次官が、周囲の嫉妬で足をひっぱられたりしないようにするためであろうが、民間企業では考えられない。
大臣官房秘書課は、早期勧奨退職職員の退職後の収入を保証するため、再就職先を確保し、仲介・あっせんをする。
こうした制度では、役人にとって「再就職」がとてつもなく重要な意味を有し、「天下り」人事で良いポストを得るために、実力者といわれる官僚OBへ様々な働きをしたり、されたりして、ようやく「役人人生」をまっとうできる。
なにしろ、公務員の給与は同等の学歴を有する大企業の役員等と比較すると著しく低いのに、しばしば休日を返上し深夜に及ぶ激務に耐えて働いており、早期退職を迫られるのならば「再就職先」がなければ困るし、再就職のポストに見合った額の給与や退職金を保証されてしかるべき。
身を粉にして国につくしたのだから、第二の人生ではたっぷり甘い汁を吸わせてもらって当然という意識が生まれるのも、わからぬではない。

日本の官界に特徴ともいうべき、「組織ぐるみ」の汚職という点で、1997年の「外務省機密費流用事件」は忘れがたい事件である。
発端は、1997年3月7日号の「週刊ポスト」に、外務省高官の「2億円」着服疑惑というスクープ記事があった。
当時はそれほど注目されなかったが、2001年1月1日には、読売新聞の一面でも機密費流用疑惑が報じられ、結局、松尾克俊が官房機密費約9億円を詐取し、ゴルフ会員権や高級マンション、愛人の名を連想させる競走馬(8頭)購入などに浪費していたことが発覚し、ワイドショーなどでも大々的に報じられた。
松尾克俊は、要人外国訪問支援室長に在任していた1993年10月~99年8月までの約6年に渡り、46回の首相外遊を担当。
松尾はこの間に、合計で約11億5700万円もの金額を経費として機密費から受領し、そのうち約9億8700万円を懐に入れていた。
官僚の聖域で、10億円を懐に入れるなんてことがありうるのか。そして国民は領収書の要らないカネの存在を知った。
その手口としては、事前に随行員の人数や宿泊単価などを大幅に水増しした見積書を官邸に提出し、機密費から旅費などが現金で支給されると、自分の個人口座に入金していたのだという。
そして外遊後は偽造の領収書で精算して帳尻を合わせ、実際に経費として使った以外の金額を着服していた。外遊から帰国に際して、それなりのおみあげを職員全員に配るなどして、気をつかうことなど怠らなかった。
この機密費の異常で不正な使い途について東京地検捜査二課も相当な執念をもやす。
なにしろ総勢382人のうと162人まで動員され、捜査二課の半数近くが動員されたからだ。
事件発覚の発端は、ささやかな「内部告発」だった。
外務省に出入りする業者から、2000年7月に開催予定の九州・沖縄サミットで使われる物品納入に関して、不正があるのではないかという情報がもたらされた。
なにしろ、過去3回開かれた東京でのサミットの予算額が最大15億だったのに対し、九州・沖縄サミットの予算は815億円という桁外れな額だったからだ。
外務省ではサミットの裏方の一切を「ノンキャリア職員」が取り仕切っていた。
「ロジスティックス(logistics)」、通称「ロジ」と呼ばれる後方支援的な業務である。
要人一行の出入国手続きから会場準備、車両や宿泊施設の手配など多岐に渡る業務はすべてノンキャリの領分だった。
東京地検捜査二課で調べを進めるうちに、「外務省の三悪人」という話を耳にし、その中に松尾克俊の名があった。
松尾は九州・沖縄サミット準備事務局次長で、サミット関連の入札を実質的に仕切っていて、1999年から6年近くにわたって「要人外国訪問支援室長」という要職にあり、「外遊時に総理のいちばん近くで仕事をする男」と言われていたという。
つまり、総理の外遊時のお金を差配できるポストだった。
松尾に標的を定め捜査を進めるうち、その豪遊ぶりが明らかになっていった。
そして、ようやく突き止めた松尾の定期預金口座には、何と億単位の残高があり、さらに普通預金口座には毎月のように数千万円単位の入金があったとiu 。
2000年2月から松尾に対しては、任意聴取が開始されたが、詐欺に関しては「完全否認」。
松尾にはフランス大使館に異動の話がもちあがっていた。フランスに行ってしまえば、捜査はうやむやになってしまう。
そして元主任刑事(この時主任をはずされていた)との直接対決の時がきた。
刑事が金の出処を問うと、松尾は巨額な金額は父親からの資産で、仏壇の裏に隠していたのだと言い逃れしようとした。
主任刑事が、それなら、銀行に持ち込んだのは、「新札の福沢諭吉」だったが、なぜ「聖徳太子」ではなかったのかと問い詰めると、松尾はかんねんしたかのように、自供を始めたという。
2002年懲役7年6カ月の判決を受ける。
最大の問題は、松尾の単独の詐取だったのかどうか、ということである。
なぜなら、松尾が懐にいれた約9億8700万円のうち、実際に使途が明らかになったのは5億円と少しだけで、残りの約4億円は未だ不明だったからだ。
主任刑事によると、大きなおカネが必ずどこかに流れているはずある。
上にいたキャリアの人間にも流れた可能性も十分に考えられる。
捜査二課にとっての本丸はそこにあったが、松尾は最後まで口を割らなかった。
松尾は多面的な性格で、一方で、上司(キャリア)に忠実で、息子思い、家族思いという一面もあった。
事情通によれば、外務省機密費を流用した錬金術は、発覚しなかっただけで、かなり以前から行われていた。もともとキャリアがもちまわりでおこなっていたが、松尾のようなノンキャリアがその役割を担うことになったともいわれる。
松尾は刑務所から出てきた後、その後の情報はまったくない。まるで情報が遮断されたかのように。
最初に疑惑の一報を受けた有力政治家は、この事件の本質は詐欺ではなく、外務省幹部へのカネや物品、サービスの供与に対して機密費が用いられ、そのついでに元室長もカネをつまんだという背任の要素が強い横領事件なのだと思う、と語っている。
背任や横領だと、外務省での元室長の権限や、指揮命令系統に捜査のメスが入り、局長以上の外務省幹部が連座するリスクがあった。
つまり、こういう問題をどこまでも追及すると、外務省が潰れてしまうのだ。
警察もその点を考慮して元室長の個人犯罪となる詐欺事件として矛をおさめたということである。
ノンキャリアの松尾に全ての責任を負わせ、それ以上の情報が表に出ないためにも、松尾は関係者に手厚く守られている可能性が高いという。
こういうケースの場合に、しばしば活躍するのが「官僚OB」で、そうした人物の面倒を見るらしい。
松本清張の「中央流砂」において、忘れがたいのが、ラストシーンである。
作並温泉の転落事故(?)で一家の大黒柱を失った家族はなぜか羽振りよい生活を嬉々として送っている。それは、役所側が残された家族の生活をちゃんと保障していることをうかがわせる。
それだけに、課長補佐・倉橋の末路が悲しい。

また、「忖度」に関してい言えば、高石当時総務大臣の放送法の解釈をめぐる「レキチャー」の問題がある。
2015年、高市早苗総務大臣は政府のこれまでの解釈の補充的な説明として、「1つの番組のみでも極端な場合は、政治的に公平であることを確保しているとは認められない」と答弁。
立憲民主党の小西洋之氏はこの件をめぐって、職員から提供を受けた総務省の行政文書を公開。「政治目的で解釈を特定の権力者だけで作ってしまうことが文書で明らかになった」と主張しています。
放送法が成立したのは1950年のこと。テレビ放送の始まりに合わせ、放送法が生まれました。
放送法ができた当時、国会の電気通信委員会で、なぜこの法律ができたのかということについて当時の官僚が、第二次世界大戦中に放送を国民に対する宣伝の手段に使ったことを繰り返してはならないとした上で、「放送というものは、やはり強力な宣伝のツールである。ゆえに、やはり表現の自由を確保しなければいけない」と答弁している。
放送法第1条では、放送の不偏不党、真実及び自律を保証することをうたっており、言い替えると政府などが放送の内容について介入してはいけない、ということを言っていると指摘した。
放送法第4条では番組準則というのが定められています。その中では、「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないこと」「意見が対立してる問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」ということが述べられています。
津田氏は、放送法の研究者の中にも両方の意見があるものの、放送法の研究者の多くはこれは倫理規範で守るべきものではあるけれど、ここから外れても、それによってすぐ罰されるものではない、ということを1960年代〜70年代の国会で議論されてきたことを指摘します。
津田氏「選挙報道の時に、いろんな党の党首の第一声とかを、今だとすごい厳密に、秒単位でみんな均等にするじゃないですか。
でも、そうするといわゆる泡沫政党みたいなところの主張も、大政党と同じ秒数で取り上げられてしまう」
それはほんとうに公平なのか、有権者にとって重要なことなのかと問いかけます。
放送局では番組の質を担保する制度があることを、津田氏は指摘します。それが「番組審議会」で、放送局には番組審議会を置くことが義務づけられています。
国会では、これまでも何度か放送法による放送局への介入について議論されてきました。いずれも、問題となるテレビ番組があったことがきっかけとなったようです。
1970年代には、ひどい場合には停波などもあり得るんじゃないかというほどの議論があった中で、郵政大臣が問題のシーンがあったとしても、放送番組全編を通じて問題があり、しかもたびたびそれが繰り返されるというような事実がなければ、やはり停波までは難しいのではないかという趣旨の答弁を行っていたとのこと。
その上で、総務省の姿勢が変わるきっかけになった事件が1980年代にあったと津田氏は指摘します。それがいわゆる「やらせリンチ事件」です。
1985年、当時の郵政省の放送行政局長のトップが、電波法76条に基づく行政処分を「敢えて行うことはせず厳重注意ということで止め」、処分をしなかったという事実に、津田氏はターニングポイントがあると指摘します。
津田氏「1977年まではそもそも自主的に判断するもので、我々それを止める権限はないですと言ってたのが、1985年には処分はあえてしないで厳重注意って言うのを止めたって言って、結構ガラッと変わってるんですよ」。
次のターニングポイントは、1993年のいわゆる椿発言問題です。これにより、1994年の国会で当時の郵政省放送行政局長が(放送の内容に)介入できること、違反の事実の軽重や過去に同様の事態を繰り返しているなど事態発生の原因、放送事業者の対応から見て、再発防止のための措置が十分でなく、違法状態の改善が今後も期待できないかを総合的に判断した上で、条文を適用していくとの発言を行いました。
この段階で、「それまでの(行政が)やれるけどやれない」という判断が、「(行政に)判断する権限がある」と変わったことを津田氏は指摘します。
改めて、今回の高市大臣の発言は何が問題なのか?行政に判断する権限があるとはいえ、1994年時点での国会の答弁では、1つの番組で問題があっても放送局全体で判断するという解釈があったと津田氏は述べます。
しかし、今回問題となった2015年の高市総務大臣の発言の中では、1つの番組の中で公平を確保せよという話になっています。こうなると、問題を提起することが偏っていると判断されればドキュメンタリーや調査報道が成り立たなくなってしまうことを、津田氏は危惧します。
それまでの解釈は、問題提起などで偏った番組があっても、ほかのニュース番組ではそれに対してはこうですっていうのがあれば放送法4条違反にならない、とされていました。
ところが、2015年に1つの番組でも両論併記しなければならない、それができなければ電波を止める権限があるんだという総務大臣の発言は、今まで国会で話されてた解釈と全然違うという点で問題になりました。
しかし、高市大臣はその指摘に対し「今までと変わらない」と強弁したことこそが一番の問題である、と津田氏は指摘します。
津田氏は、流出した文書には当初は高市氏や総務省も、今までの解釈とあまりにもちがうから大問題になることを懸念し、テレビ局からの反発を予想し消極的な反応をしているということが書かれていたと明らかにします。
津田氏「彼女が立場を変えた時に、どうして彼女が立場を変えざるをえなかったのかを想像することは大事だなって。僕は問題だと思うし辞任すべきだと思うけれど、彼女も政治的な大きな圧力の中で巻き込まれた当事者だっていうところもある。」
どうしてねつ造だと言ったのかについて津田氏は「安倍さんの真似をしたんじゃないですかね。安倍さんが森友の時にそれやって、あのたんかがかっこいいからと思ったのか…あれ言わなければこんな問題になってないですよね。まだわからないんで、どこまで本物なのか精査して確認して対処いたしますくらいにしていれば、こんなことにならなかったはずなんで」
津田氏は、今回流出した文書の意味づけを、2015年の時のできごとの裏側を説明する資料として8年後にわかったものである、と位置づけました。その上で、なぜ8年後の今になってこれが出てきたのか、背景を考えつつ、本来の放送法4条の対処をどう考えるのかに議論の力点をちゃんと移すべきであると主張します。
こうした法人の事務所は東京の官庁街の近くにたくさんあり、天下った公務員も働いている。
その中には数年働いて多額の退職金をもらい、別の法人に再就職していく人がいる。
このように法人から法人へ渡り鳥のように就職を繰り返し、何度も退職金をもらう人のことを、渡り鳥がすみかを求めて転々とする様子にたとえて、「渡り」と呼んでいる。
こうした法人には税金がつぎ込まれているのがふつうで、「渡り」への多額の退職金も税金の無駄遣いといわれる。

和泉補佐官といえば、厚労省の大坪寛子大臣官房審議官との公金不倫疑惑が浮上しています。
和泉補佐官は切れ者ですよ。謀略家と言ってもいい。この7年間、政権にダメージを与えそうな厄介事をうまく解決している。
上に立つ人からすると、使える人間。白紙に戻った国立競技場建設をめぐり、建築家の隈研吾さんと大成建設でまとめたのも和泉補佐官。
上の意向を踏まえ、形にする能力に非常にたけている。
構造改革特区で15回もはねられた加計学園の獣医学部新設を、国家戦略特区で実現する知恵を出したのは和泉補佐官だと思います。