聖書の言葉(モーセと福音Ⅱ)

モーセは生涯の中で、2度同じチャレンジをうけたことがある。それは人々に「誰があなたを裁き人(支配者)にしたのか」と詰問されたことであった。
つまり、モーセに「その権威を与えたのは何か」という「権威の正統性」への問いである。
モーセはイスラエル人でありながらエジプトの王女に拾われて、エジプトの王子として育てられる。
しかし、何かのきっかけで自分がエジプト人ではないことを知り、同胞イスラエル人と共に奴隷の身として生きる決心をする。
しかしイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見て、エジプト人を撃ち殺してしまう。
モーセは、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることをみんなが悟るものと思っていた。
しかし、そうはならなかった。
ある日モーセはイスラエル同志が争い合っている処に出くわし、「君達は兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか」と仲裁しようとした。
すると「誰があなたを裁き人にしたのか エジプト人と同様に我々も殺すつもりか」といわれ、自分が単なる「殺人者」としか見られていないことを悟る。
居場所を失ったモーセはミデヤンの野にのがれ、そこで40年の歳月をすごす。
ところが80歳になったある日、突然に「民をエジプトより導き出しなさい」という神の声を聴く。
最初は躊躇しつつも、モーセは神の声に従い、甥のアロンを伴って、神の力による数々の不思議を顕わしイスラエル人の「出エジプト」を実現する。
しかし、シナイ砂漠で民衆の不満がたまり、かつてエジプトでモーセが受けた同じチャレンジを受ける。
民衆はモーセに「誰が、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか」と訴えたのである。
民衆は苦難に面して、モーセやアロンが自分たちの上の立場に立っていることに疑問を抱くようになった。
そこで神はモーセに、族長たちに自分の名を彫った杖を持って来させ 「あかしの幕屋」の箱におけば、翌朝に神が選んだ者の杖は芽を出すと告げた。
すると、レビ族を代表するアロンの杖が芽を出し、アーモンドの実がなっていた。神はアロンこそが選ばれた祭司であることを、イスラエルの前に顕わしたのである(民数記17章)。
そしてこのアロンの杖だけは、契約の箱その前に置かれ、後にイスラエル王国の「三種の神器」のひとつとして契約の箱の中に納められた。
モーセの時代から15世紀を隔てて、イエス・キリストが大工の子としてベツレヘムで誕生する。
人々はイエスに対してもモーセと同じように「権威の正統性」を問うている。
イエスがなす数々の奇跡や不思議に対して、人々は「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか」と問うたのである(マタイの福音書21章)。
また他にも、イエスの権威が問われた次のような場面がある(マタイの福音書7章)。
イエスがカペナウムの町に来た時、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。すると、ある律法学者たちが心の中で言った「この人は神を汚している」。
罪は神に対するものであり、神しか罪を許す権威はないからだ。
イエスは彼らの考えを見抜いて「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
すると彼は起きあがり、家に帰って行った。
群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。

イスラエルは出エジプト後、目指す故郷カナンの地に帰還するまでに、40年間も荒野をさまよっている。
エジプトからカナンまでは1日10キロと移動するとしても1か月で到着できる距離である。
どうしてこんなことになったのか。
モーセに導かれた民衆は、荒野において様々な不満をモーセにぶつける。
例えばイスラエル人たちが出エジプトを達成した後の旅路で、レピデムというところに行った時のこと。
そこには水がなく、イスラエル人たちは文句を言い始めた。
困り果てたモーセが神に助けを求めると、神はモーセに、「あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」と語った(出エジプト記17章)。
モーセはホレブ山にあって岩を杖で打つと、なんと岩から水が噴き出した。こうして、モーセたちは民衆ののどの渇きを潤すことができた。
また荒野には、イスラエルの民の腹を満たすような食物はなかった。
聖書には壮年の男性だけで50万人とあるので、女性や子どもを合わせれば200万を超えていたはず。
この大所帯を養うために、神は毎日「マナ」というパンのような食物を降らせた。
これを集めるに当たって神が命じたことは、必ず毎日1日分のマナを集めなさい、ということであった。
そし神は、明日の分まで集めてはいけないとい命じたが、イスラエルの民の中には、それを信じることができず、翌日の分までマナを集め、取っておこうとする者がいた。するとマナには虫がわき、悪臭を放った。
安息日の前の日に集めたマナだけは、翌日になっても腐ることはなかった。
しかし民衆の不満は次第にエスカレートし、モーセに対し「肉が食べたい」「エジプトに帰りたい」から、「我々を荒野で殺すために、砂漠に導いたのか」など、不信仰や不満にもとずくつぶやきを繰り返した。
新約聖書の「使徒行伝」の時代に、こうした民衆の不信仰を取り上げて、昔も今も少しも変わらないと演説した人物がいる。
イエスの死後、新たに使徒に加わったステパノという人がいた。
ステパノは、サンへドリン(最高法院)で「イエスが聖書が預言したメシアであること」を、イスラエルの指導者に対し説得しようとした。
その中でステパノは、モーセについて次のような証言をしている。
「この人(モーセ)が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。 ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、 『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った」。
さらにステパノは、モーセがシナイ山に登って「十戒」を授かる際、麓に残った民衆が偶像崇拝に陥ったことを引き合いに出した。
「彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。 そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである。『イスラエルの家よ、 四十年のあいだ荒野にいた時に、 いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。 あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。 それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。 だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』」。
最後にステパノは、「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである」と厳しく批難する(使徒行伝7章)。
「神に選ばれた民」と自負する人々はこれを聞いて激しく怒り、ステパノを目がけて一斉に殺到し、彼を市外に引き出して石で打ち殺した。
ステパノは最後に、ひざまずいて大声で「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と叫んで眠りについた。
この現場に立ち合っていたのが「サウロ」という若者である。後に神の光をうけ回心するパウロである。
ところで、モーセが書いたといわれる「民数記」は、イスラエルの荒野での彷徨について次のように述べている。
「主であるわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ず次のことを行なう。この荒野で彼らはひとり残らず死ななければならない」(民数記14章)。
つまり偶像崇拝やつぶやきを繰り返した者が「すべて死に絶える」まで、神はイスラエルがカナンの地に入ることを許さなかったのである。
モーセまでもその例外はなかったことは「神の峻厳さ」を顕わしている。
実はモーセにも「落ち度」があった。前述のホレブ山で岩をたたいて水を出す際に、イスラエルの民に怒りをぶつけるように杖で岩を二度打ってしまう。
そしてモーセは、カナンの地を見渡せるネゲブ山で亡くなる。波乱の120年の生涯を終える。
そしてイスラエルは、モーセの後継者のヨシュアに率いられてカナンの地を目指すことになった。
結局、ヨシュアに率いられてカナンの地との境界を流れるヨルダン川を渡ったものは、皆「新しく」生まれたものであった(ヘブル人への手紙3章)
つまり「新しく生まれた人々」によって「約束の地」は受け継がれたのである。
ただ聖書は、イスラエルにとっての放浪の40年につき、カナン人にとっての40年が述べられている。
それは、カナンの地に住む先住民アモリ人の罪が「極みに達する」まで、イスラエルの攻略を許さなかったということである(創世記15章)。
イスラエルに対しては「新しく生まれることによって」、カナンのアモリ人に対しては「罪が極みに達するまで」の40年の時が必要であったということだ。

イスラエルの指導者でニコデモという人物がいた。ニコデモは、サンヘドリンに属していた。
イエスの噂を聞いたニコデモは、イエスの元を訪れ「神の国に入るためにはどうすればよいか」と尋ねた。(ヨハネの福音書3章)。
イエスは、「人は誰も、水と霊によって新たに生まれなければ神の国に入ることはでいない」と答えた。
するとニコデモは、「一度生まれたものが、再び母の胎内に戻ることができるか」と聞いた。
ニコデモはイエスに、「あなたはイスラエルの指導者でありながら、それぐらいのことがわからないのか」と叱られている。
言葉の含意をくみ取らず、言葉を直接的に受け取るタイプの人だったようだ。
このニコデモは、イエスが十字架の死後、その遺体を埋葬しようとして現れた数少ない人物の一人である(マタイの福音書20章)。
シナイの砂漠を放浪し旧いイスラエルが死にたえて、「新たに生まれた」イスラエルが目指すカナンの地に入った出来事は、「人は水と霊によらなければ神の国にはいることができない」という「福音」の型にほかならない。
時代を「新約」の時代にシフトすると、イエスがサマリアの町を訪れた時に、井戸で出会ったサマリアの女に、「永遠に湧き出る水」について語っている。
「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネの福音書4章)。
またイエスは、「永遠の命に至る水」とよく似た譬えを「パン」についても語っている。
イエスはカペナウムという町を訪れた時に、民衆はイエスに次のような質問をした。
「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。
そこでイエスは彼らに「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
彼らがイエスに「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」というと、イエスは彼らに「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してことがない」と語った(ヨハネの福音書6章)。
さて、イエスが語った「永遠の命に至る水」とは何か、「天から下って来たパン」とは何か。
まず「永遠の命に至る水」によく符合するイエスの言葉がある。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネの福音書7章)。
ここで「生きた水」が、旧約聖書の預言も合わせて、「聖霊」を指すのは明白である。
次に「天から下ったパン」について、聖書の複数の箇所から見えてくものがある。
まずは、「最後の晩餐」の場面でのこと。
「(イエスは)パンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
食事の後、杯もついても同じように「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」(ルカの福音書22章)。
さてイエスがニコデモに語った「水と霊によって新たに生まれる」の「水」はイエスの血(杯)による贖罪をさし、洗礼によって肉体が贖われること。
「水と霊」の「霊」は聖霊を受けることで「復活」の保証となるが、聖霊は受けても洗礼によって肉体が贖わなければ、「肉体のない復活」つまり天使のような姿で蘇るということだ(マタイの福音書22章)。
イエスは復活後、同時に500人にその姿を顕わしたとあるが(コリント人への第一の手紙15章)、疑い深い弟子のトマスは、それを信じなかった。
トマスは復活したイエスに出会ったという弟子達に「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」といった。
すると復活したイエスが現れて、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と語った。
さらに聖書は「奥義」の一つとして、イエスの再臨の際に起きる出来事を語っている。
「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである」(コリント人への第一の手紙15章)。
つまり、「水と霊」によって新たに生まれた者は、イエスと同じく「滅びることなき永遠のからだ」をもって蘇るということである。
パウロは信徒への手紙で次のように語っている。
「天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、 肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである」(コリント人への第一の手紙15章)。

(コリント人への手紙第一11章)。 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。