1990年代、ひとりの大学教授が「人間の歴史はドーダの歴史である」と主張された。
そして、「ドーダ学」なるものを提唱されていたが、それは、人の心の「認知への欲求」という機微をついたものであった。
教授によれば、人間のコミュニケ-ションのほとんどは、「ドーダ おれ(わたし)はすごいだろう、どーだ、まいったか」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立つ。
「ドーダ」という漫画的な表現は、「東海林(しょうじ)さだお」の漫画に触発されて生まれたという。
ドーダとは「自己愛に源を発するすべての表現行為である」と定義され、人間は誰しもどこかにドーダ心を秘めている。
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特に、画家でも音楽家でも表現者といわれる人々は、結局、朝から晩までドーダすることを考え、ドーダしたくてしょうがないドーダ人間なのだ。
また芸術家ならずとも、外見の上では、ピアス・刺青・スプリットタンなどを装う若者は、それによって他者との差異化を図ろうとする、つまりオレはお前達とは違うんだゾ的な表現者であり、これもドーダ人間の行動類型といえる。
またアキバ系など「一点マニア的ドーダ」、高級車愛好者など一点豪華主義ドーダなどのエピゴーネン(亜流)もいる。
ただ、大概の人はドーダ心を臆面もなく表すことにはためらいがある。
教授によれば、それをするのは自己愛が肥大化した人が多い。おばあちゃん子であったり一人っ子だったりしてそれが損なわれることなく肥大化してしてしまったのだという。
またドーダ人間は、どうぞと相手に一歩譲ったり、相手の話を聞いたり、奉仕すること、他者を生かすことにあまり関心が向かない。
したがって人望がないのが特徴であると。
さて、1950年代に、人類学者のマリノフスキーが南洋諸島での調査をもとに「ポトラッチ」という奇習があるのを見出した。
それは皆の前で、大切と思われるものを破壊していく行為である。
もしもこんな現代人がいたら気が狂ったとしか思われないかもしれない。
ところがアメリカの経済学者ソーステン・ヴェブレンが、現代の人間にも案外そんなことをしているということを発表した。
それは意外にも、文化水準が高いと思われる有閑階級に見出されるという。
古代ギリシアの時代から近代に至るまで、人間の理想は「働かずに余暇を楽しむ」ことであった。
ヴェブレンが著書「有閑階級の理論」(1899年)で提唱した「有閑階級」とはそうした社会的階級であった。
財産を持っているため生産的労働に従事することなく、閑暇を娯楽や社交などに費やしているような階級のことで、当時の勝ち組とは「働かない人」であった。
もともと、未開の地であったアメリカが資本主義大国へと発展していく時代であったからこそ生まれた階級で、これは開拓者精神による略奪により他者より優位に立つに至った階級である。
ヴェブレンによれば、有閑階級の特性は、消費スタイルに現れるとした。
まずは働く必要のないことから「時間的に余裕がある」こと、そして「富の蕩尽」を見せびらかすことにこそ、かれらの消費のスタイルである。
パプアの島々においてもニューヨーク五番街においても、こうした歓待は競い合う見せびらかしの競演である。
すなわち、野蛮人の種族の儀式に匹敵するものは、ニューヨークやニューポートの大邸宅における「晩餐会」その他の歓待である。
「ポトラッチ」や「舞踏会」のような高価なもてなしは、こうした目的にかなうものである。
ヴェブレンは、パプアでもニューヨークでも、種族のリーダー達はその女たちの飾りを大いに重視する。
野蛮人の女は身体に入れ墨をしたり切断をいれたりされて痛い思いをする。
近代の女はそれと同じくらい苦痛な、クジラのひげで作られたコルセットで締め付けられる。
それでもヴェブレンは、近代の有閑階級は、野蛮な形態からわずかながら進歩しているともいう。
例えば、妻というものは、夫のために骨の折れる仕事をする動産であったけれども、その後の進化の結果、夫がが生産する財の儀式的な蕩尽者となったと。
有閑階級は、「余暇」というステータス・シンボルを人々にみせつけたい。彼の「余暇」を目に見えるカタチで代行するのが、「使用人集団」である。
調度品に磨きをかけたり大して重要でない仕事を熱心にする。
彼らはスマートで綺麗な身なりをして、自分達に多大な費用がかかっているのをみせつける。
ある人物が「どれほどの使用人がいるか」は、その人の家にまねかれないとわからない。
したがって有閑階級は、多くの人々を自宅に招くのである。
こうした「有閑階級」の人々の姿を描いたのが、フィツェジェラルドの「グレート・キャツビー」である。
豪奢な邸宅に住み、日毎宴会を催すキャツビーと名乗る一人の男がいた。
栄華に包まれているかに見えるギャッツビーだったが、貧乏な西部の百姓の子として生まれた。
好きになった東部出身の大金持ちの娘ディズィとは結ばれず、彼女は愛人をたくさん持つ金持ちのトムと結婚していった。
ギャツビーは、努力して自分の手に入れることができないものはナイと信じて求め続けている。
彼の胸の中には、かつて一途に愛をささげたディズィを再び取り戻そうというという情念が燃えていた。
自らの才覚と努力によって力をつけていく。
そのために違法な仕事をしてまで富を追い続け豪邸を持つに至った。
そして、キャツビーはその豪邸から、対岸の恋する人のいる場所をじっと見つめ続ける。
そして日ごと上流階級の人々を宴会にまねき、そしてギャツビー自身が、必死で上流階級の人々のように振舞う。
そしてついに、アメリカ東部の名門の娘ディズィを招待したのである。
富を手にしたキャツビーは、毎晩宴会を開いてそれを見せつけていた。
これらは、時代的にも1920年代と共通していて、それは「有閑階級」の時代であった。
時代はそうしたパーソナルな「イベント消費」からモノ消費の時代に移行していく。
19世紀から20世紀頭にかけて、階級差は縮まり、「余暇」がステータスシンボルとしての価値を失う。
その代わりにモノ消費が、ステータスシンボルとなる。
何を着ていて、どんな家に住んでいて、どんな車に乗っているかは何も自宅で招かずとも一目でわかる。
そして妻がかつての「使用人」に代わって消費の代行者となったというわけである。
しかし、ニューヨークのマンハッタン島の五番街の富裕層の豪邸が立ち並ぶ辺りでは、「有閑階級」の時代の名残が残っていた。
1961年制作のアメリカ映画「テイファニーで朝食を」では、当時の「五番街」の街並みが登場する。
そして「ティファニーで朝食を」の原作者が、ニューヨーク文壇の寵児として彗星のごとく現れたトルーマン・カポーティである。
1955年、アメリカ・ニューオーリンズで生まれたカポーティは、両親の別居による複雑な家庭環境のもとで育ち、10代半ばにニューヨークへ移住する。
19歳の時に執筆した初めての作品『ミリアム』が、優れた短編小説に贈られる権威ある賞、O・ヘンリ賞を受賞し、その若さもあって「恐るべき子ども(アンファン・テリブル)」と呼ばれた。
その後『遠い声 遠い部屋』で本格的に作家デビューを果たすと、「文学界にあらわれた“美しき時代の寵児”」として、一躍有名になる。
そして『ティファニーで朝食を』は、オードリー・ヘップバーン主演で映画化され、誰もが一度はタイトルを耳にしたことのある代表作となった。
対照的に、アメリカの片田舎で実際に起きた殺人事件を題材に、およそ5年間にわたる関係者への取材を経て執筆された『冷血』は、カポーティ自身が「ノンフィクション・ノベル」と呼び、小説に新たなジャンルを切り開き、日本のノンフィクション佐木隆三にも影響を与えた。
おちゃめでゴシップ好きな一面のあったカポーティのもとには、多くのセレブたちが集まった。
その華やかな交友関係で、ニューヨーク社交界におけるセレブリティのアイコンとして知られていく。
特に、1966年に彼が主催した「黒と白との舞踏会」はハリウッドスターや政治家など500名を超える世界のセレブが集まり、招待客のリストがニューヨーク・タイムズ紙で公開されたことでも話題になるほどであった。
“世界で最も新作を待たれる作家”ともいわれ、いよいよ彼は、100万ドルという莫大な契約金を受け取り、新作『叶えられた祈り』の執筆を始める。
社交界のセレブたちを描いた同作は、彼の最高傑作となるはずであった。
しかし1975年に第一部が発表されると状況は一転。
「ニューヨーク社交界の裏側を暴露する内容だ」と大バッシングを浴び、カポーティは社交界を追放される。
アルコールと薬物にたよるようになり、1984年に、60歳でその幕を閉じた「華麗なるカポーティ」の生涯であった。
ジャーナリストの辺見庸は、現代社会の特徴を「認知されないことへの飢餓」であると提起した。
この「被認知飢餓」は、かつてののIS国による「テロ行為」と無関係ではないようにも思える。
つまり人々は、たとえどんなに裕福で恵まれていようと「認知される」ことの欲求が満たされない限り、この世に不満をもつことになる。
例えば、ひとりの人間が社会や職場で「役割」を果たし、そのことを「充分」に認知されているのであれば、何も問題ない。
しかし、何かのきっかけでいくらでもスペアがきく存在なのだということを思い知らされりすると、鬱状態から「被認知飢餓地獄」にはまったりする。
人間とは、そんなに危うく脆い存在なのかもしれない。
辺見庸は、十数年前におきた「秋葉原事件」をその材料として語っている。
「秋葉原事件」をおこした男性は、事件前日に次のようなことを携帯サイトに書きこんでいる。
「顔のレベル0/100、身長167、体重57、歳26、肌の状態最悪 髪の状態最悪 輪郭最悪。
普段会う人の数0、普段話す人の数0、自分の好きなところ無し 自分の嫌いなところ無し、
最近気を使ってい入ること無し、これだけは他人に負けられないこと無し」。
それにしても「0」や「最悪」や「無」という言葉の羅列が目に付く。
男性は派遣社員のつねとしてリストラに怯えていて、他人との繋がりをたもつ環境にないこともひとつ。
母親の過剰な教育熱で追い込まれていた体験からか、平均的なことや標準的であることはすべて「ゼロ」と認識される精神が生まれた。
トップになれなかったとか、世間で優等とは認められなかったことで自分のすべては全否定され、「ゼロ」と自己評価している。
日々自分を「ゼロ」と散々に打ち消しつつも、一方でとてつもなく肥大した自我を抱えこんでいるため、よほどのことをしないかぎりは、周りが自分の存在に気づいてはくれないという「被認知飢餓」の状態に陥っている。
孤独死や幼児虐待に代表されるように、人知れず亡くなる人々の死の「偶然性」や「無名性」に何も感じなくなっている。
大事故や事件に見舞われ、誰が死んでもよかったかのような死を、何も準備されずに強いられる人々。
そのうえ死者数百何十人の一人としてしか扱われないような死は、確かに痛ましい。
小説「悼む人」(天童荒太/2008年)は、誰かのために悼まねばならないと意思している人の話である。
「悼む人」では、家族や親族の代わりに知人でもない第三者が、あえて見ず知らずの死者のために「悼もう」とするのである。
現代日本の死は「無名性」を帯びているので、「悼まれぬ死」を悼まねばならぬ、と思う人が居てもいい。
もっとも「悼む人」とは、ひょっとしたら大して「悼まれない」側にまわるであろう「自分」を悼んでいるのかもしれない、とも思う。
「悼む人」の主人公は災難に出会い亡くなった故人のことを知るために、故人の遺族にこう聞く。
「故人は誰に愛されたか、誰を愛したか、誰かに感謝されて生きたか」。
2017年は、「インスタ映え」が流行語の年間大賞をとり、Instagramをはじめ、FacebookやTwitterなどのSNSは、現在、消費者の生活に欠かせないものになっている。
商品にあふれている大衆消費社会にあって、インスタグラム上で紹介されている商品を自分も使用してみたいという思いから商品を購入する「インスタ消費」。
インスタに投稿されている場所に自分も行き、同じような写真を撮りたい!という気持ちが実際の行動となり、それが結果的に消費に繋がっている。
そしてそれはインスタグラムの使用頻度が高い若者の間でより広がっている。
なぜインスタ消費が若者の間で拡大しているのか、考えられてることは「同じ消費をするなら、よりインスタグラムに映えるものを選ぶ」。
例えば、近年人気が高まってきた”ナイトプール”。本来プールは夏の暑い日を少しでも涼しく過ごすための遊び。
それなのになぜ、昼間のプールでもなく、海でもなく、夜に入るナイトプールが流行ったのか。
それは「インスタ映え」するため、ただそれだけであるといえる。
夜、幻想的な照明に照らされたプールで”写真を撮ること”に流行の意味が隠されている。
”泳ぐ”ではなく”撮る”ことが目的となった消費行動。これこそがインスタ消費なのである。
もはやプールの遊び方の定義まで変えてしまい、必要な物、欲しい物を消費する“モノ消費”ではなく、体験や経験を消費する“コト消費”がインスタ消費となる。
ただのレストランの食事も”インスタ映え”するフードが選ばれる。
つまりここでも、ただ”ご飯を食べに行く”のが目的なのではなく、”フードを写真に残すために食べに行く”というインスタ消費が行われている。
あるTV番組に、巨大なカツ丼を”売り”にしている和食店があったが、客の中で写真だけを撮って実際はたべようとしないものが多く、この巨大カツ丼の提供をやめたのだという。
店の主はそんな若者の行動に対して明らかに怒りを表現していた。
SNSが社会に浸透したことで、いいね!を得るためにモノを買ったり、どこかへ出かけるといった、「承認欲求に起因する消費者行動の変化」が顕著になっている。
ともあれ、顕示と承認いずれも「見せるための消費」ということは共通している。
すなわち商品それ自体からくる効用ではなく、「いいね」ほしさに充実した素敵な自分を演出するということが目的なのかもしれない。その一方で、素の自分は「ツイッター」で発散、という感じか。
ヴェブレンが唱えた消費論は開拓期の名残のある有閑階級ドーダの「消費論」に対して、インスタ消費は「余暇は少なく空虚になりがちな現代人」の承認(いいね)欲求としての「消費論」ということか。
いずれの消費論も、近代経済学の消費理論である「効用理論」では、説明がつかないという点で共通している。