聖書の言葉(イエス・キリストの系図)

旧約聖書によれば、アブラハム・イサク・ヤコブと続くが、ヤコブは「イスラエル」と名のる。
イスラエルの十二人の子が「契約の民」であり、アブラハムと奴隷の女との子イシマエルは「アラブ人」、アブラハムの甥ロトの子孫は「モアブ人」、ヤコブの兄弟エサウの子孫は「エドム人」というように、「異邦人」のくくりである。
イスラエルの十二人の子のエピソードとしてよく知られるのが、兄弟の嫉妬されたヨセフが洞穴に投げ込まれて放置されて、父ヤコブに猛獣に襲われて死亡したと報告されたことに始まる。
しかし、ヨセフはアラブの商人によりエジプトに奴隷として売られたものの、神の祝福をえてそこで宰相となっていた。
その後、カナンの地で飢饉がおこり、父ヤコブやその子たちはエジプトに身を寄せるが、そこでエジプトの宰相ヨセフと再会するというエピソードがある。
このエピソードを読んで、兄弟達はいかに生意気でも弟ヨセフを砂漠に放置するなど、仕打ちが酷すぎるという気がする。
しかし事件の背景として、兄弟達の母親が異なり、その母親どうしに確執があったのである。
かつてヤコブは視力の衰えた父イサクと兄エサウをだまして長子の権利を奪ってしまう。
しかし、ヤコブはエサウが自分を殺そうと企んでいるのを知って、エサウから逃がれて、母方の伯父ラバンのところに行く。
そこにいたのが、ラバンの娘レアとラケルという姉妹であった。
ヤコブは妹のラケルに恋をし、ラバンにラケルと結婚の許しを乞う。
ラバンはラケルとの結婚の条件として7年間はここで仕えるよう求める。
ヤコブはその約束を承諾して7年間熱心に働き、いよいよ念願のラケルを娶る時がやってくる。
そして夜ヤコブの天幕に花嫁が来るが、朝目覚めてみると、それはラケルではなく姉のレアだった。
それに朝まで気が付かなかったというのは、よほどとぼけた話ではあるが、自分が兄を騙したように今度は自分が騙される目に遭ったかんじである。
ヤコブはラバンに「あなたはどうしてこんな事をわたしにされたのか」と抗議するが、ラバンは「妹を姉より先にとつがせる事はわれわれの国ではしない」と応える。
そして、ラケルと結婚したければあともう7年仕えるよう求める。ヤコブはラケルを愛していたので、その7年間はあっというまに過ぎ、晴れてラケルを娶り、レアとラケルの二人の妻を持つようになった。
しかし、ヤコブの気持ちはあい変わらずラケルのに向き、レアに向くことはなかった。レアはどんなにか淋しい思いをしたことであろうか。
神はそのことを知っておられ、「主はレアがきらわれているのをご覧になって、彼女の胎を開かれた」とある。その一方で 妹ラケルは不妊の女であった。
レアはみごもって、男の子を産み、その子を「ルベン」と名づけた。それは彼女が、「主が私の悩みをご覧になった。今こそ夫は私を愛するであろう」 と言ったからである(創世記29章)。
「ルベン」の意味は、「見よ、息子」であるがレアの思いは虚しく、神はさらにレアを慰めるべく、次々と子を与えられる。
レアは男の子を産み、「主は私がきらわれているのを聞かれて、この子をも私に授けてくださった」と言って、その子を「シメオン」と名づけた。 「シメオン」の意味は「聞く、耳を傾ける」である。
彼女はみごもって、今度こそは、夫は私に結びつくだろうと、その子は「レビ」と呼ばれた。それは「結びつく」を意味する。
彼女はさらにごもって、「今度は主をほめたたえよう」と、その子は「ユダ」と名づけた。それは「ほめたたえる」を意味する。
それから彼女は子を産まなくなったが、ヤコブに愛されていたラケルは幸せに満たされていたかというと、姉は四人も子を授かっているのに、自分には子どもが与えられず心穏やかではなかった。
それは「私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます」という訴えによく表れている。
そこでラケルは自分のつかえめビルハを遣わし、ヤコブとの子どもを二人生ませる。そこで生まれたのがダンとナフタリである。
ちょうどアブラハムが正妻サラとの間に子が生まれず、つかえめのハガルの間でイシマエルが生まれたのと同じ構図である。
すると4人子どもを授かったレアの方も、ラケルに対抗すべく、自分のつかえめをヤコブに送り、それによって子どもが二人でき、 さらに自分とヤコブの子を二人もうける。
そして神は、ついにラケルの訴えに心を留めて実子であるヨセフを授からせる。その後べニヤミンが生まれ、この時にラケルは天に召される。
これがヤコブ(イスラエル)の十二人の子の誕生の次第である。
ちなみに、イエスの弟子十二人と数的に一致するが、新約聖書に「12人の使徒たちは12の玉座に座り、イスラエルの12部族を裁く」(マタイの福音書19章)とある。

新約聖書の冒頭「イエス・キリストの系図」(マタイの福音書1章)を辿ることは、旧約聖書の歴史の概観することでもある。
ヤコブの十二人の子の中で四番目の子「ユダ」は姉レアの子であるが、その血すじに「イエス・キリスト」が誕生し、「ユダヤ人」の名前もこの「ユダ」から興っている。
ちなみに、イエスを裏切った「イスカリオテのユダ」とはまったく関係ない。
イスラエル12部族が「イスラエル民族」であり、その多くは歴史のかなたに雲散霧消した。
ただ12人の子のうち四男の「ユダ族」は比較的まとまって残存しており、そのためイスラエルの民を「ユダヤ人」と称するようになったのである。
さて、ヤコブの子たちの確執の話だが、兄弟たち(レアの子)がヨセフ(ラケルの子)をほら穴になげこんだ後、なぜかユダは彼らから離れてアドラムという町で暮らし始めている。
そしてユダはカナン人の娘を気に入ってめとり、エル、オナン、シェラという男の子を生んだ。
そしてユダは長子エルにタマルという妻を与えたが、エルは神の怒りをかって死んでしまう。
当時は、兄が死んだ場合、弟が兄嫁と結婚して、兄のために子どもを残さなければならないような習慣があった。
これは後に、モーセの律法で制度化されて、復活を信じないサドカイ人は、イエスにこのことに関して次のような質問したことがある。
「ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、七人とも同様に、子をもうけずに死にました。のちに、その女も死にました。さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。
それに対してイエスは、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、 かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである」と応えている(ルカの福音書20章)。
モーセの掟は「ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない」であり、それを果たさないのは、神に反することである。
そこでユダは、次男のオナンに兄嫁のところにはいって子孫を残すようにいったが、オナンは生まれる子が自分のものにならないことを知って、その務めをよく果たさず精を地に流した。(そこでオナンに派生する言葉が生まれた)。
このことは神を怒らせ、次男のオナンもまた死んでしまう。
そこでユダはタマルに三男シェラが成人するまで寡婦(やもめ)のままでいなさいと命じた。
シェラもまた、兄たちのように死ぬといけないと思ったからである。
そこでタマルは父の家に行き、そこに住むようになった。しかしタマルはシェラが成人してその子供を生んだとしても、シェラの妻にされないことを知って、とんでもない行為にうってでた。
舅(しゅうと)であるユダが羊の群れの毛を切るためにティムナという町に出かけたという噂をききつけ、先回りしてその沿道で「遊女」の姿をして待っていたのである。
ユダは、その遊女が自分の嫁だと知ることもなく、彼女のもとにはいったのである。
そして遊女に扮したタマルが何をくれるかと尋ねると、ユダは群れのなかから子ヤギを送ろうといった。
そこでタマルは、その「しるし」を求めたので、ユダは印形の紐と杖を与えた。
そしてタマルは舅ユダによって身ごもり、また寡婦の服を身にまとって何ごともなかったように元の生活に戻ったのである。
その後ユダは「遊女」に約束どうりに子ヤギを送ろうとするが、そのあたりに遊女などはもいないという報告を受けて訝しく思った。
その約3ヶ月後、寡婦の嫁タマルが売春によって身ごもっていると告げるものがあった。
ユダは彼女を引きだして焼き殺せと命じたが、タマルは「これらの品々の持ち主によって身ごもった」といって印形の紐をとりだして見せた。
舅ユダはそれを見定めて言葉を失い、彼女をそれ以上責めることはなかった。
そんなこともあって、ユダはタマルとの約束を顧みず、シュラをタマルの夫にしなかった。
結局父ユダもまた死んだ二人の息子同様に、子孫を残すべしというモーセの掟に反している事になる。
そこで、神はタマルが思いかねてユダのところに接近するのを許されたということか。
タマルがカナン人の娘であり、モーセの掟とは無縁であったこともあろうか。
「イエス・キリストの系図」に「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ」という箇所には、以上のようなあさましいとも思える出来事が秘められているのである。
つまりイエスの系図は、どうみても好ましからざる行為で繋がれた血統ということにもなる。
、 そんな系図に「神の光」が差し込んだことが驚くべきことで、ひとえにラハブというカナンの女の信仰がもたらしたものであった。
出エジプトを実現したモーセがなくなり、その後継者ヨシュアによってめざすカナンの地に入ろうとしたときに、ヨシュアはその状況をさぐろうと二人の斥候(スパイ)を遣わせた。
彼らはエリコに住んでいたラハブという遊女の家にはいり、そこに宿泊した。
ところが通報するものがあり、エリコの王はその斥候を連れ出すようにと、使者を遣わせた。
ラハブは二人を屋上の亜麻の茎の中に隠しておいたのだが、使者に二人がどこから来たのかさえ知らず、朝早くでかけていったと誤魔化して彼らを匿った。
その後ラハブは二人の斥候に、エジプトをでたイスラエルの民が紅海の中を通って逃れ、エジプトの兵士が溺れ死んだことなどを聞いて、イスラエルの神を恐れていることを語った。
そしてラハブは、イスラエルの民がカナーンに攻め入る際には、自分が二人に真実をつくしたように、彼らも自分の家族を救ってくれるように頼んだ。
そして二人は、ラハブとその家族を救うことを約束したのである。
ラハブは、彼らを綱で窓からつりおろして逃し、自分の住まいの目印として窓に「赤いひも」を結んでおいた。
この「赤いひも」は、イスラエルがエジプトを脱出するに至るまで様々な災いがエジプトを襲うが、疫病がイスラエルの家には襲わない(つまり過ぎ越す)ように、鴨居に羊の血をぬった出来事と符合する。
ほかにも、系図に出すのに不都合な人物が登場する。「ダビデは、ウリヤの妻によるソロモンの父である」とう箇所だ。
ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王室の屋上を歩いていると一人の女性が体を洗っているのが見えた。
その女性は非常に美しく人をやってその女性について調べたところ、ウリヤの妻であるとの報告を受けた。
ダビデは使いのものを送ってその召しいれてその女性と寝た。
そしてダビデは女が身ごもったことを知るや、夫であるウリヤをよびつけ戦いの恩賞を与えた上、隊長であるヨアブに手紙を持たせた。
その手紙にはなんと「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなた方はしりぞき、彼が打たれて死ぬようにせよ」と書いてあった。
そしてウリヤも激戦の中で戦死した。
そして妻(バテシバ)は夫ウリヤの死を聞いていたみ悲しんだ。
喪が明けると、ダビデは彼女を自分の家に迎えいれて彼女を妻とした。
しかしダビデのこうした行いは、神を大いに怒らせダビデはこのとにより大きな試練を経験する。
幼子の一人を失い、息子の一人が王位を奪おうと反乱をおこす。
ダビデはその反乱に追い詰められるのが、その息子が事故で死ぬやだれも慰めるものがいないほどに号泣するのである。
ところでダビデ王とウリヤの妻との間に不義の子は死んでしまう。
しかしその後ダビデはバテシバを妻としてむかえて、二人の間にできた子供こそがユダヤ王国全盛期の王ソロモン王なのである。
ソロモンは智恵に溢れた王で、その智恵は周辺諸国に聞こえた。有名なシバの女王もソロモンの智恵を伺いにユダヤ王国を訪問している。

「イエス・キリストの系図」には、王族や貴族の系図ならば削除されたであろう人々の名前がちゃんと書いてある。
それは聖書が真実な書物であるかを物語っている。
また、タマルやラハブやウリヤの名が入っていることに、神が人間の罪や弱さに寄り添う「あわれみ」に満ちた存在であることを示しているのではなかろうか。
パウロが信徒へ書いた次の言葉が浮かぶ。
「さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」(ヘブライ人への手紙4章)。
また預言者イザヤは次のように語っている。
「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ。
あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラとを思いみよ。わたしは彼をただひとりであったときに召し、彼を祝福して、その子孫を増し加えた。主はシオンを慰め、またそのすべて荒れた所を慰めて、その荒野をエデンのように、そのさばくを主の園のようにされる」(イザヤ書51章)。
この中の「切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴を思いみよ」とは、あなたが神の救い(恵み)をうける前は、自分がどんな歩みをしていたかをあらためて思い見よということであるが、「イエス・キリストの系図」に名を連ねる人々が、どのような人々であったか、それを思い描いてみるのもよい。
なにしろタマルやラハブの時代からダビデ王やソロモン王を経て、そしてイエス・キリストに繋がるのだから。