聖書の場面より(悩む人・苦しむ人)

旧約聖書の預言書(イザヤ書48章)に次のような言葉がある。
「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた。 わたしは自分のために、自分のためにこれを行う。どうしてわが名を汚させることができよう。 わたしはわが栄光をほかの者に与えることをしない」。
ここで「私」は神、「あなた」はイスラエルを指す。
また聖書には民族の試練ばかりか、"ひとりの人間"として悩んだり、苦しんだりする場面が数多くある。
不妊に悩むアブラハムの妻サラ、サウル王の狂気に悩むダビデ、不治の病に苦しむナアマン、余命宣告されたヒゼキヤ、夫の愚かさに悩むアビガイル、人生の不条理に悩むヨブなど。
これらに教えられることは、人間視点の「幸福な人」と、神目線の「幸いなる人」は異なるということだ。
それは、「こころの貧しいものは幸いである」にはじまる、イエスによる「山上の垂訓」(マタイの福音書5章)に最もよく表れている。
さて、聖書によれば神があえて人を「苦しませる」「悩ませる」というケースが少なくない。そのような人は不幸な人ではなく、「幸いな人」といってよい。
聖書にば次のような言葉がある。
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、 へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」(ミカ書6章)。
神は特に目をつけた人にたいして、さらに神に近づけようと、「障碍」「隔て」となるものを取り去ろうとされることもある。
人間にとっては、それが「喪失」と思われれ、とても悲しいことと思われる。
旧約聖書「ルツ記」に登場するナオミは、寄留地モアブで夫と息子二人を失う。唯一残った嫁ルツを連れて故郷に戻る。
帰還を歓迎する人々に対してナオミは次のように語る。
「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」(ルツ記1章)。
しかしナオミは、人生の災難とは裏腹に信仰においては富んでいった。つまり神に近づけられた。
息子の嫁で未亡人となったルツは、富裕なボアズと結ばれその3代後にダビデ王が生まれ、さらにその系図からイエス・キリストが生まれるというサプライズな展開をたどる。
パウロは信徒あての手紙に次のように書いている。
「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる」(コリント人第二の手紙7章)。
さらに「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」(ヘブル人への手紙12章)。
この言葉にあるとおり、神の御手の中にあるという心の平安こそが信仰の本質といえる。
イエスは空の鳥や野の草を譬えにあげて、「神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」として、「だから、あすのことを思いわずらうな、あすのことはあす自身が思い煩うだろう」(マタイの福音書6章)と教えている。

イエス自身が次のように語っている箇所がある。
「あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である」(ルカの福音書12章)。
さて、現代の紛争の火種のひとつアラブとイスラエルの紛争。その「火種」は神が創ったといえる。
、 このアラブとイスラエル(ユダヤ人)は、聖書によれば、アブラハムの二人の妻・サラとハガルという「女の戦い」に淵源している。
両者の祖先であるアブラハムに長年子が生まれず、妻サラ同意の下で奴隷ハガルに子を産ませたのがイシマエルである。
正妻のサラは、いい気になった奴隷ハガルに苦しめられるが、「自分の子」が欲しいというサラの切なる訴えは神に届き、生まれたのがイサクである。
ちなみに「イサク」とは、”笑っちゃう”ほど高齢で生まれたので「笑う」という意味、つまり「笑ちゃん」である。
さて今度はサラによって、奴隷ハガル・イシマエル母子はイジメラレル番で、結局追い出されるハメになるが、神はまた荒野をさまようハガル・イシマエル母子をも見捨てない。
「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」(創世記21章)
ハガル・イシマエル母子は、流れ流れてサウジアラビアのメッカに移り住むことになった。
そして彼らの国民はアラブ国家となり、イサク・ヤコブと続くユダヤ人国家つまり今日のイスラエル国家と、時に共存し、時に激しく対立してきたのである。
今もアラブとイスラエルとの確執が続いているが、イスラエルの背後にはアメリカがある。
何しろアメリカ上層部(ネオコンザーバティブ)の存在とその資金源からすれば、アメリカは「ユダヤ人国家」なのだ。
それはアメリカとイランとの核をめぐる争いにまで発展している。
しかもトランプ元大統領を支持する「キリスト教福音派」は、聖書の預言を信じる人が多いのである部分ユダヤ人と相性がいい。
聖書は、ハガルが生んだ子イシマエルの子孫に対して次のように預言している。
「彼は野ろばのような人となり、手はそべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵してすむでしょう」(創世記16章)。
最近イランでヒジャブのかぶり方をめぐって警察に拘束され死亡した女性の事が話題になっている。
パウロの手紙の中には、今日のイスラム教原理主義の厳しい戒律下で、人権を奪われた女性の姿を預言したかのような箇所がある。
「アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生れた。女奴隷の子は肉によって生れたのであり、自由の女の子は約束によって生れたのであった。さて、この物語は比喩としてみられる。すなわち、この女たちは二つの契約をさす。そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産む。ハガルがそれである。ハガルといえば、アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当る。なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからである」(ガラテヤ人への手紙4章)。
ところでエルサレムを中心に設立された初代教会の信徒を励ましたパウロ自身も「悩む人」であった。
「わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい」と断ったうえで、「わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った」。
ところが主が「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
それだから、「キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」と。
ここでパウロは身におびた「トゲ」について語ったいるが、それが何なのかについては語っていない。
そんな「悩める」パウロは、神の慈愛につき次のように語っている。
「からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする」(コリント人第一の手紙12章)。
また、イエスを頭とする「教会」は人間の身体に譬えられている(エペソ人への手紙5章)。

映画「サウンド オブ サイレンス」で主人公マリアの言葉に、「神は扉を閉める前に、どこかの扉を開いてくださる」という言葉があった。
マリアはその言葉通り、適性を欠いた修道女からグスタフ家の6人の子たちの家庭教師となる。
聖書にも「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(コリント人第一の手紙10章)とある。
とはいっても、旧約聖書「ヨブ記」のヨブのような試練にはなかなか耐えられそうもない。
ヨブは信仰深く平和な暮らしをしていたところ、「天界」で次のようなやりとり交わされていた。
主がサタンに「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。
それに対してサタンは「あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
すると主はサタンに「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」(ヨブ記2章)と。
そうしてヨブは農園と子供を失い、皮膚病を患い大いに苦しんだ。ヨブの妻でさえも「神を呪って死になさい」と夫にいう始末。
そんな悲しみの中にあるヨブに対して、三人の友人達がやってきては、ヨブが陥っている苦難につき説明して聞かせようする。
それによってヨブは慰められるどころか、延々と責められるという感じが強い。
ひとりの友は「さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。私の見るところでは、不幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ」。
もうひとりの友は、ヨブの苦しみの原因は、自分の罪を認めようとしないせいだというし、第三の友は、ヨブが胸の内を神の前に打ち明ける姿を見て、ことば数が多ければいいというものでもないと諭す。
ヨブにとっての三人の友がここまで自分に無理解だとは、思いのほかであったに違いない。
三人の友は、ヨブに寄り添うのではなく、あたかも「裁き主」の役割を担おうとしていたかのようだ。
ついにヨブも、「あなたがたは神の代わりに、なんと、不正を言うのか。神の代わりに、欺きを語るのか」(ヨブ記13章)と訴えている。
結局ヨブは自分の命を呪うことはあっても、神を呪う言葉をひと言も発することはなかった結果、サタンは神とのカケに敗れた。
そして、神はヨブの終りを初めよりも多く恵み、彼は男の子七人、女の子三人をもった。全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。
ヨブは140年生きながらえて、日満ちて死んだ」とある。この「140年の人生」に、ある意味が読み取れる。
なぜなら、ノアの洪水の後に神は「人間の齢を120年まで」と定めているからだ(創世記6章3)。
とすると、ヨブはいわば特例扱いで、神は「失われた時間」をヨブに返したということになる。

ダビデは悩み多き人である。悩む力は人一倍といってよいかもしれない。 それはダビデが大半書いた「詩篇」をみてわかるが、賛美と悩みにあふれている。
それはダビデの「あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、 あなたの大庭に住む人はさいわいである。 われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の 恵みによって飽くことができる」(詩篇65篇)の詩に表れている。
、 また、ダビデ王は過ち多き人であった。部下の家来の妻が気に入り自分のものとして、さらにその旦那を戦場の最前線に送り込み、結果として殺してしまうのである。もちろんダビデの行為は神を大いに怒らせそのことにより大きな試練を経験する。
幼子の一人を失い、息子の一人が王位を奪おうと反乱をおこす。
ダビデはその反乱に追い詰められるが、その息子が事故で死ぬやだれも慰めるものがいないほどに号泣する。
ただ神を前にして逃げも隠れもせずに真っ直ぐにに立つ、といういさぎよさがある。
ダビデは、神に導かれて戦いに勝利しエルサレムに凱旋するが、踊るように、歌うように、恥じることなく神を賛美して帰ってくる。
その姿を見た妻が王として恥ずかしくて見ていられないと告げたところ、どうして神を賛美することを恥じることがあるのかと妻のいうことを退ける。
また神が立てた(聖なる)ものや聖域に対しては、手をかけたり触れようとしない。
「サウルは千人をうち、ダビデは万人をうつ」という言葉が広まると、ちょうど源頼朝が義経の命をつけねらったように、頭が狂い始めたサウルにより終始命を狙われ、原野を逃げ惑うこともおきるのが、サウルを殺すチャンス が二度ほどあったにもかかわらず、神が立てたものに自ら手をかけることはしなかった。
そのことは、聖なるものとのわきまえを失って、祝福を失っていくサウル王とは対照的である。
またサウルが死んだ後、サウル王の一族で親友でもあったヨナタンの障害をもつ子を常に自分の食卓において面倒をみたりする義理堅さもある。
ダビデ王はサウル王より王位を受け継ぐが、ダビデが一線敗地にまみれると、ダビデはサウル一族の血に呪われている、と言いふらして歩く一人の男と出会う。
部下があの男を殺して黙らせましょうかというと、その呪いの言葉でさえも、神がそう言わせているのだから言わせておけと命じる。
呪いを祝福に変える神を信じられるのだ。
またダビデは別の問題をおこし神に責められたた時、3つの選択肢を神によって提示されるのである。
「敵に3ヶ月おわれるか」「3年の飢饉か」「3日の疫病か」ということだが、ダビデは神に、どうせ落ちるのなら、人の手に落ちるよりも神の手に落ちたいと願う。
そして疫病がダビデの地を襲うのが、 その過程でダビデは何の罪もない牛や羊が殺されるのはなぜかと神に問い、災いはダビデの家にのみむけて欲しいという祈りに、神は疫病を下したことを後悔したとある。
そして神はそれ以上の災いを思いとどまる。
ダビデは次のように詠っている。
「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました」。
」 つまるところダビデ王は、汗かき、べそかき、恥かきで、神に引き寄せられ握りしめられた点で、使徒ペテロによく似ている。
さて、イザヤの預言には、「救世主イエス」のことが次のように預言されている(イザヤ書53章)。
「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与えその打たれた傷によって、われわれは癒されたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を彼の上におかれた」。