プラットフォーム協同組合

「友情」や「お目出たき人」などの小説でしられる武者小路は、1918年、宮崎県に「新しい村」をつくった。
「新しい村」の理想に共感した人たちが集まり、農業などの労働を分担しながら共同生活を送る。
その理想とは、今いうところの「シェアリング・エコノミー」の先取りであった。さらにいえば、「ワークライフバランス」)など、いま必要とされている考えを実践してきた場でもあった。
最近知って驚いたのは、この「新しい村」が埼玉県越生に処を移して今なお存続している点である。
最初は宮崎県につくられた「新しい村」は、20年後にダムの建設で一部が水没してしまうことになる。
そのため、埼玉県に第二の土地を求め、多くの人が移動することになった。
東武越生線「武州長瀬駅」から20分ほどの住宅街の先、急に視界が開けて田んぼが広がる。
埼玉県毛呂山町と坂戸市にまたがるこの約10ヘクタールが、新「新しき村」である。
いたって普通の田園風景にも見えるが、村の正門にあたる入り口に「この門に入るものは自己と他人の生命を尊重しなければならない」と書かれた2本のポールが立っている。
村の真ん中あたりには「公会堂」と呼ばれる、村で暮らす人たちの共有スペースがあり、村で作った農作物の売店にもなっている。
武者小路らは私有地の大部分を購入し、原野の一部も国から借りて開墾した。
村内で生活する人を第1種会員、村外から物心の支援を贈る人を第2種会員と呼んだ。
最初の6年間は大人111人が第1種会員であった。
生活費、医療費、旅費等日常的な支払いや土地購入、住居建築、開墾、電化工事等の特別な支払いは相当の額にのぼった。
一方、収入は武者小路の文筆収入、我孫子の自宅の売却代金、寄付金等であった。
武者小路実篤は、ユニークな思想家であり、かつ優れた統率者ではあったものの、農園経営に対する才能と見識を持ち合わせていなかった。
1923年には寄付金が減少したため、その分、武者小路の負担が重くなって、内紛も起きた。
そうしたなかで1920、東京の村外会員3人が池袋郊外に「曠野社」を設立し、雑誌「新しき村」、や文芸雑誌「生長する星の群」の印刷と武者小路や倉田百三の著書等の出版を行なった。
その、純益の半額を村に送ることで村を支援した。
1939年には県官発電所のダム工事に伴い、村のうちの1町歩がダムの底に沈むことになった。
代わりに埼玉県毛呂山町に1町余りの雑木林を購入し、村の本拠地を移した。
水没をまぬがれた土地を「日向の村」と呼び、本拠地の方は「埼玉の村」「東の村」と名付げた。
しかし、移転に伴って多くの人々が各地に散って行ってしまった。
二つの村は1948年と53年にそれぞれが財団法人となり、念願の自活の道を歩みはじめた。
長続きの理由に「村長」のような存在を置かず、貧富の差もなかったことも挙げられる。
武者小路はあくまでも精神的支柱で、リーダーとしての肩書をもった人はおらず、誰かが村のお金を独占することもなかったという。
そして、何かひとに言う前に、まず自分がやる、ということがポイントで、他人に物事を押しつけない姿勢が、長く続いている理由の一つといえる。
また 最盛期には60人を超える人たちがいたが、今は6世帯8人が暮らしている。
また興味深いのは、「村外会員」という存在。新しき村には村の中で実際に暮らす「村内会員」に対して、村に住まないけれど外から応援する「村外会員」という人たちがいる。
月500円の会費を払うことで誰でも参加でき、いまは全国各地に200人弱いるという。
武者小路は、この村の納骨堂に眠っている。
注目すべきは、武者小路は経営センスなき「おめでたき人」だった人だったかもしれないが、その理想は生き続けたということ。
その武者小路の構想の一番の共感者が、哲学者で文学者である倉田百三である。
倉田は、広島県出身、現在の庄原市本町の呉服商の家に生まれた。
第一高等学校在学中に西田幾多郎「善の研究」に感銘を受けた。恋愛の破綻や肺結核、「愛と認識との出発」などで不適切な単語が含まれていたことで制裁を受け、一高を中退した。
庄原キリスト教会の牧師と出会い信仰生活を送る。
1918年名医である久保猪之吉教授がいた九州帝国大学医学部付属病院で、結核療養と助骨カリエス手術のため福岡市に滞在した。
その際、福岡市西区今川の金龍寺境内の貝原益軒記念堂に寓居し「愛と認識との出発」「俊寛」を構想執筆している。
「愛と認識との出発」は、浄土真宗 開祖親鸞とその弟子 唯円 を中心に人間の愛欲や罪などを描いた戯曲で、キリスト教の影響を強く受けた作品で、青年たちに熱狂的に支持され大ベストセラーとなった。
世界各国で翻訳されフランスの作家ロマン・ロランが絶賛したことで有名である。
この頃、倉田は武者小路の「新らしき村」に共鳴して、滞在した金龍寺を「新しき村」福岡支部とした。
福岡ドームに近い金龍寺境内には、貝原益軒墓と並んで、「倉田百三寓居碑」が立っている。

新約聖書の「使徒行伝」にシェアリングエコノミーの先駆のような記述がある。
「ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に"この曲った時代から救われよ"と言って勧めた。 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、 資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。 して日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである」(使徒行伝2章)。
日本には外国にはない「共同体の智恵」というものがあり、江戸時代まで農村では「ユイ」という労働交換、「モヤイ」という共同作業、そして「講」(金融講)という相互銀行に発展する機能を有した。
家を建てるために隣の人の労働力を借りた人が、次の年に家を建てた人に労働力を貸すといったものが「ユイ」であり、「モヤイ」というのは、川の堤防つくりや木の伐採など村人達が、協力して行う。
特質すべきは、我が地元・福岡の宗像地区の農民達の相互扶助。
凶作が続くと医者にお金が払えなくなり、医者もそのような農民からお金をもらうのに困っていた。
そこで、農民たちは話し合いをして、医者にかかってもかからなくても、収入に応じた米を医者に渡し、きがねなく治療を受けられるようした。
このことを、宗像では「定礼」(常礼)(じょうれい)といっていた。
そして1899年に無医村であった神興(じんごう)村の手光(てびか)地区と津丸地区の人々は、お金を出し合って両地区の中間辺りに「神興(じんこう)共立医院」を建てたのである。
1935年恐慌の時代、内務省社会局(現厚生労働省)は、この地域に視察官を派遣して、「健康保険制度」の検討を開始した。
日本が世界に誇る「健康保険制度」はボトムアップで出来たのである。
そして戦後は、生活協同組合(生協)が生まれた。
全国に約3000万人の会員を抱え日本に根付いた「生協」の仕組みが、近年「シェアリングエコノミー」の観点から脚光を浴びつつある。
「生協」は、消費者一人ひとりがお金を出し合って組合員となり、協同で運営・利用する組織。
利益の追求を目的とする株式会社とは異なり、自立した市民がつながり協働しあうことで、より人間らしい暮らしと持続可能な社会を実現することを目的としている。
こうした「生活協同組合」という制度は、19世紀イギリスのロッチデールという町から始まった。
この町の労働者グループがロッチデール公正先駆者組合という組織を立ち上げた。
そこにおいて、店の組合員兼所有者は顧客でもあり、なおかつ自らが出資し、組合の意思決定には平等に一票を投じる権利を持つといった実践が始まった。
ロッチデールの重要性は、受益者もしくはニーズを持つ人々に責任を持たせた点だった。
株式会社が、株主によって保有され、その議決権が保有株数 (つまり資本力)によって決定される、
それに対して「協同組合」は、 ユーザー自身によって共同保有され、その議決権は原則として「1人1票」の民主主義に支えられている のが特徴である。
基本的に民間企業は利潤追求を目的とする一方で、協同組合は利潤を上げなければ続行はできないが、「利潤追求のみ」を目的としているわけではない。
同組合の「目的」として組合員は、誠実さや公開制、社会的責任、他者への配慮という倫理的な価値を目的とする。
近年、GAFA(Google,Amazon,Facebook,Apple)に代表される「プラットフォーム」企業が一国の政府さえも超え、各国で規制の対象になりつつある。
そんななか、注目されているのが「プラットフォーム協同組合主義」。
ネイサン・シュナイダーの著書「ネクスト・シェアーポスト資本主義を生み出す「協同」プラットフォーム」で述べているごとく、生活協同組合が「新たな切り口」の下、注目を浴びている。
それは、従来型の協同組合を復興させようというのではなく、ITを活用した事業にも「協同組合」の概念を持ち込み、一つの新しい経済圏を作ることとしている。
運動の提唱者の一人トレバー・ショルツは20年以上の間、アメリカで最大の協同組合であるブルックリンの食品協同組合で、協同労働を行ってきた。
人生の大半を協同労働とともに歩んできて、協同労働をインターネットに持ち込むことはとても自然な成り行きだった。
インターネットにおけるマッチング技術の普及で、「シェアリング・エコノミー」が普及したが、それが多くの人々を豊かにしたかというと、ますます格差を広げる方向にあるという問題意識にたつ。
単発労働つまりギグエコノミーに関連する多くの問題の核心は、株主価値を第一に置く企業のあり方でり、協同労働を行う労働者協同組合では、労働者が第一で、利益を上げることではなく、雇用を守ることが主な目的である。
ギグエコノミーなどに代表されるインターネットを通じた仕事は非常に搾取され、労働法が適応されないことも多く、法律の整備は十分ではない。
一部のギグワーク雇用されることなく単発の業務を請け負う働き方)を提供する企業では、給料の支払いを決定するアルゴリズムが不透明で、来週いくら支払われるのかもよくわからない状態である。
しっかりとした労働契約がなく、そうした働き方で人生の計画を立てるのさえ困難である。
今よりさらにデジタル化が進めば、多くの人が職を失うために、「シェアリング・エコノミー」が広がるかもしれまない。
たとえば、現状でもカーシェアリングを唱えるウーバーは、タクシー業界をとってかわる企業になりそうな勢いである。
とはいえ、これは本当のシェア(共有)をもたらすものではなく、新たな資本の蓄積の手段になっただけ。
次世代のデジタル通貨とされるビットコインも、単に資本の蓄積が移動しただけともいえる。
要するに、実際はどの組織も、営利企業にすぎず、デジタル化が勧めているのは、旧来の資本が新しい資本へとそのままスライドされているだけの話である。
プラットフォーム共同組合の実践事例として、エクアドルで行われている、FLOKソサエティという名のプロジェクトがある。
「Free(自由)」「Libre(無制限)」「Open Knowledge(知識の共有)」の頭文字をとったこのプロジェクトは、「自由に流通する情報と協同組合を結合させよう」とする、試みである。
このプロジェクトを牽引する、ベルギー生まれのミシェル・バウエンス氏は、「P2P」というサーバーを介さず、直接端末同士でデータのやり取りを行う仕組みをもとに、中世のコモンズ(共有地)を再現しようとしている。
実際、協同組合とデジタル技術の親和性が高い。
たとえば「ブロックチェーン」という技術。
「民主的運営」や「分散的・分権的な運営」「仲介・媒介機能の排除」「高い監査性」「価値分配由来の確実性」などの視点から見ると、協同組合とブロックチェーンが共通するところが多いという。
「ブロックチェーン」には対等の者(ピア)同士が通信をすることを特徴とする通信方式「ピアtoピア」の考え方があり、共同組合は組合員と組合員が手を結んでやっていくという、類似した構造を持つ。
協同組合にブロックチェーン技術という技術的なアップデートを加えることにより、非中央集権的な「シェアリングエコノミー」が実現しうるという。
その仕組みとは、労働者やユーザーが民主的に所有や運営するアプリなどを通じ、商品やサービスを提供するというもの。
最新のデジタル技術と、協同労働を行う労働者協同組合が得意とする民主的な事業運営を掛け合わせた取り組みで、ギグエコノミーやより広い意味でのプラットフォームエコノミーへの対抗策になりうるとして評価されている。
アメリカの「協同労働プラットホーム」では、登録して働く人の6割が移民の女性だという。
労働者がプラットフォームを所有しているので、労働条件が明確で、働き方も自由にコントロールすることができる。
例えば、子育てのために午後から早退することも、気兼ねなくできるようになる。
このようなことは、主に介護分野、ホームクリーニング、輸送、そして最近では農業分野を中心に、盛んに起こっている。
アメリカだけではなく、プラットフォーム協同組合は47カ国以上に存在し、少なくとも500個以上が存在する。 アメリカ、ニューヨークのホームクリーニングサービス「UP&GO」。
もともと個人事業主だった派遣清掃の女性たちが協同労働を始め、受注の窓口をネットで一元管理したことによって、時給が10ドルから25ドルと、2倍以上に増えている。
EUでは、フリーランスの演奏家たちが作った、「Smart.coop」これまで演奏家たちは出演料の支払いを1年後に先延ばしされることも日常茶飯事で、立場の弱さが問題となっていた。
しかし、3万人のフリーの演奏家が協同労働の組織を作り、給料の支払窓口やルールを整備したところ、出演料の支払いが1週間で行われるようになり、失業手当も設けることができた。
これらはほんの一例で、注目すべきはGAFAに代わるサービスを、協同労働で作ろうとする人たちがいるということ。
これらの実践事例を紹介し、NHKのクローズアップ現代にも紹介されたネイサン・シュナイダーの前述の著書「ネクストシェア」の副題を直訳すると、「次代の経済をかたちづくるラディカルな伝統」である。
現代の「相互扶助社会」は「地縁」ではなく「知縁」によって結ばれる。
AI技術が人々の仕事を奪うといわれる今日、日本の「相互扶助」の伝統にのっとった「プラットフォーム協同組合」の可能性に注目したい。

そしてその縁は、袖すり合わずとも何重にも形成され、恒常的であるよりも暫定的なものであるという特質をもつ。
昔の共同体は空間的にも時間的にも恒常的に生活のすべてが一つに繋がっていたが、今日の共同体は問題や関心によっていくつもの重層するネットワ-クの環の一つとして成立し、課題が解消すればそこからいつでも離脱できるという側面をもっている。
プラットフォーム協同組合主義とは、プラットフォーム上で情報を共有して価値を生み出している利用者こそが、プラットフォームを協同組合的に所有して利益を得るべきとする考え方である。
コロラド大学ボルダー校メディアスタディーズ学部助教授ネイサン・シュナイダーの「ネクスト・シェア ポスト資本主義を生み出す協同プラットフォーム」が2015年に出版された。
情報産業の発展、インターネットの普及とともに、「シェアリング・エコノミー(共有型経済)」が広がった。
とはいえ、カー・シェアリングを唱えるウーバーは、それまでのタクシー業を追いつめた。
しかし、これはシェア(共有)をもたらすものではなく、新たな資本蓄積の手段でしかないことがわかった。
今、海外では「シェアリングエコノミー」に対して疑問の声が上がっている。
大きなプラットフォームが「中央集権化」しつつあり、利益のほとんどがオーガナイザーに持っていかれてしまう状況の中で「労働者たちが搾取されている」というのが実態だ。
たとえば、カーシェアリングのUber。Uberの共同創業者が豪邸を購入した話が話題になった一方で、Uberで働くドライバーたちは非常に賃金が安く、大半のドライバーは生活が維持できていないという。
労働者は家賃すら払えない低賃金なのである。
しかし「シェアリングエコノミー」とは、「みんなが等しく利益に与れるという期待を抱かせた。
仕事で自分の尊厳が支えられ、人間らしい真っ当な仕事ができるように考えられた仕組みであるといえる。
しかし、同じプラットフォームの中で、誰かが得をして誰かが損をする。そして格差がますます広がる、これでは“シェアリング”という理念からは程遠い。
最近では、ビジネスを行うリスクが事業者から「働く側」に移っている。Uberのドライバーの自動車や、賃貸のプラットフォームなども、所有しているのは「個人」である。
それなのにオーガナイザーである会社が、利益を総取りしている。
たとえば「Airbnb」の場合、売上高の30%がプラットフォームのオーナーに吸い上げられてしまう。
一方で、プラットフォーム協同組合の場合は倒産しにくく、生産性も5%向上し、売上金もコミュニティに残る。
「家事のUber」とも呼ばれるクリーニング専門業者のプラットフォーム「UP&GO(アップアンドゴー)」。クリーナーは訓練を受けた専門家であり、その多くはラテンアメリカの移民だ。
アプリを開始する前から労働者経営の協同組合を結成していたことが、UP&GOをプラットフォーム協同組合として可能にした要因だという。
顧客がUP&GOを使用してハウスクリーナーを雇うと、アプリ側へ支払われるのはわずか5%のみ。通常のベンチャーキャピタルでは売り上げの40%が会社に流れると言われているため、同じ仕事をしていても、UP&GOでは労働者が正当な収入を得ることができる。
音楽ストリーミングサービス「Spotify」のプラットフォーム協同組合版と呼ばれる「Resonate」。
アーティストとリスナーはすべて会社に関与しており、[意思決定]に参加する。
Resonateの年間利益の45%はアーティストに、35%はリスナーに、20%はスタッフに分配される。
また、ブロックチェーンを使用して支払いの追跡を行い、ユーザーのプライバシーとサービス上の個人データのやり取りを強化する。
また、ブロックチェーンにより契約をスムーズに行うことができるため、アーティストに効率的に給与を支払うことができる。
それは、舞台装置を提供するプラットホーマー、演出家であるオーガナイザー、サービスの提供者であるプレイヤー、それを楽しんで対価を払うカスタマーすべてが、意思決定に参加して利益にあずかる、「生活協同組合」のラディカルな近未来版といえる。 日本で170万の組合員数を持ち、世帯加入率50%であるという「生活協同組合コープこうべ」は、2021年に100周年を迎えた。
「誰もが参加できるアナログとデジタルの仕組み」や「人が繋がるためのコミュニティデザイン」を行い、「たすけあいのプラットフォーマー」を目指すという。
「助け合いの精神の具体的な実践の場」「家族だけではなくて地域全体で支える取り組みをする」「暮らしを共同する新たな取り組みをする」などの思想を大切にしているコープ。
今後の課題は、たとえ「助けたい人」がスマホを使えても「助けて欲しい人」にスマホが使えない高齢者が多いこと。
そこでコープこうべでは、アプリインストールのボランティアやスマホではなく宅配の注文書を使ったマッチングも検討中だという。
「いま、コープこうべでは10万人もの人ががネット注文をしています。今後は、Amazonの商品レコメンド機能のように『助けてほしい人』を個人に対してレコメンドできるような仕組みも検討しています。商品だけではなく、活動やボランティアのレコメンドもできるようにしていきたいです」
日本に昔からある「協同組合」のイメージはいったんおいておくとして、その民主的な運営形態だけを新しいビジネスに適用する可能性を考えるとき、本当の意味でユーザー同士が利益を享受し適切にシェアしあえる、シェアリング・エコノミーの次世代の姿がみえてきます。
これまでのプラットフォームは、そのマッチング技術とマーケティングに資本が必要だったために、「プラットフォーム・キャピタリズム」という中央集権型のシステムに依存してきました。
しかし、ブロックチェーンのように分散型の意志決定を支える技術が確立し、ユーザー同士の生産と消費がより直接的に接続しうる現代においては、コミュニケーションのプラットフォームを公共的なサービスとして共同保有する経営方式は、持続的で現実的な選択肢として十分ありえるのではないか。
そしてそのようなオルターナティブが存在しうることこそが、プラットフォームがブラックボックス化することや、特定の企業がユーザーの情報を独占することのリスクを低減しうるのではないか。
生協の原点である生協こうべは、単一の協同組合で約170万人の組合員数を持ち、単一生協としては世界的に見ても最大クラスであると言われている。
そんなコープこうべの浜地さんは「これだけの多くの“共助”の気持ちを強く持つ組合員さんがいることが大切な財産です」と、話す。
「ネットで加速するたすけあいの地域づくり」として、コープこうべアプリの事例が紹介された。
2019年7月現在で、同アプリのダウンロード数は16万を超える。クーポンや店舗情報がスマホから見ることができることに加え、宅配注文も簡単に行うことが可能だ。
高齢者の利用も多いコープこうべアプリで大事になってくるのが、自然と心が動くコミュニケーションデザインだ。アプリには友達とチャットするように注文できるツールや楽しく参加できる投票機能なども設置し、現在は宅配利用者の25%がネットから商品を注文しているという。
「アプリにはLINEのように気軽に使ってもらえるイメージで、サービス一つひとつが友達になっています。この場所を通じて組合員さんの参加促進や、利用の敷居を下げることを目的としています。」と、浜地さんは話す。今後は感謝の気持ちをポイントとして渡せる機能や、アプリ内で人と人とをつなげるマッチング機能の追加も検討している。たとえば子どもが熱を出したときに、代わりに買い物をしてくれる人をマッチングする仕組みなどを用意し、地域の組合員同士で助け合いながら暮らせるプラットフォームになるのが狙いだ。
「シェア」という言葉は最近よく使われますが、AirbnbやUberなどの文脈で聞くと、より大きな概念であるように感じます。
人的には、自分が好きなシェアリングエコノミーには、3つの条件があります。1つめは、個人が主役であること。事業者と個人の境目がなくなり、今までは会社がやっていた事業を個人ができるようになりました。
2つめは、信頼関係が基盤であること。シェアリングエコノミーは個人と個人の信頼関係があるからこそ、確立されるものです。
そして3つめは、共助の精神です。誰かのために役立ちたいという、助け合いの精神と一緒に動く経済だと思います。共有経済というより、「共助経済」というほうがしっくりくる。
シェアエコの大きな特徴は、ネットでのマッチングにサービスが伴うことです。ネット上だけで完結するのではなく、ネット上でマッチングした後は家事を手伝う、アドバイスする、場所を貸すなど、人のふれあいを促進するものです。
ITのなかでも比較的、人間臭いサービスだからこそ、人々に受け入れられる余地があります。
データプラットフォームの構築や戦略の立案を行うPwCによるシェアリングエコノミーの意識調査があります。
生協のインターネットサービス初期の頃は「画面のデザインが使いにくい」というクレームを受け、よく家までお詫びに行っていました。
普通は対面でわざわざ顧客に謝罪にいくIT企業はあまりないと思いますが、それが組合員との距離が近い生協ならではの文化で。ツイッターやフェイスブックの発信に対して組合員さんから意見があった際、職員が電話をして謝罪してたり。
オンラインのつながりをリアルで補完するということです。リアルなつながりを大事にするところが生協らしいですね。前半の浜地さんのお話の中にもあった「サービス一つひとつが友だち」という考えは普通、簡単には出てきません。
「友だち同士のような信頼関係のやりとりがいい」という考えがベースであるからこそ、サービス開発の際に“友だち”という概念が出てくる。コープこうべアプリの中でのコーピーくんとのチャット機能なども、「将来的にはコープの職員がやるかも」とさらりとおっしゃっていましたが、効率化を求めるマッチングサービスで通常そうした議論は出てきません。生協には人間らしさがある。
コープこうべアプリには投票機能もありますが、特にポイントなどのインセンティブを設定しなくても、たくさんの組合員さんがアクションを起こしてくれます。
ただ「単純に楽しい」とか「やったら反応があるから」とかエンターテイメント的なものを楽しんでくれている気がします。
開発の人も「なぜこんなにユーザーのアクションが多いのか」と驚いていました。
民間企業からすると、それが不思議すぎます。ペルソナの具体像が絞られているのではないでしょうか。
おそらく普通のビジネスであれば、サービスを作る人は顧客があまり見えていません。
生協の場合は、組合員さんの顔がはっきり見えているし、自分自身(職員)も普段から組合員と同じ行動をしています。
自分自身がユーザーである体験をイメージしやすい。
サービス提供者とサービス消費者の距離が、通常のグローバルな資本主義の会社よりも格段に近い。職員が、組合員さんに想いを寄せる瞬間があるからこそ、デザインシンキングやカスタマージャーニー(※)が、戦略的ではなく自然とできているのだと思います。
生協の組織全体として職員が組合員さんの声を聞くことは、知らず知らずのうちに習慣になっています。組合員さんも、適切に投げかけをすれば反応してくれるというポテンシャルを持っていますしね。
生協では、災害が起きると募金活動をしていますが、去年の西日本の豪雨のときには全国の生協さんから10億円以上の寄付が集まりました。
これは、誰かが高額を寄付したのではなく、ものすごくたくさんの人が少しずつ寄付したものです。
だから一人ひとりの小さな想いに対してどれだけ私たちが大切に“タッチ”できるかが重要だと思っています。
セミナーの最後に、日本生活協同組合連合会会長の本田英一さんは「今後、他のスーパーや団体が生協と同じことをやったとしたら、事業戦略では困るかもしれません。
しかし、安心安全が国全体の仕組みとして浸透し、いい社会にするためにみんなで貢献していくことは望ましいこと。
生協が特別なものではない社会が目標だと思う。社会問題はまだ改善されていないので私たちは止まらずに、社会の基盤であり続けたい。」と生協の目指す姿を強調し、セミナーを締めくくった。
「シェアエコの本質は、友愛の経済。“友”とは、血縁や地縁だけではなく、最近はいろいろな縁の作り方があります。自分が想いを馳せる人が多ければ多いほど、その人の立場になって人として向き合うことができるようになっていきます。」
シェアリングエコノミーを紹介する加藤さんの言葉だ。今回のセミナーの中で何度も垣間見えた、生協の組合員さんへの愛や組合員同士の愛。すべての人と近距離で「人間として」関わる生協の真摯な姿勢が印象的だった。
ほとんどの人が「シェアエコ」や「共助社会」なんて言葉を意識していなかった、ということだ。
戦略やノウハウももちろん大事だが、近くにいる人を真摯に大切に想うことで、自然と現代社会に今こそ必要とされるつながりが生まれていた。そうした日本で古くから大切にしている助け合いの精神が、シェアリングエコノミーの本質だと改めて考えさせられた。
「こうしたらあの人は喜ぶかもしれない」「このサービスはあの人にぴったりだ」そんなふうに自然と生まれる気持ちにテクノロジーが合わさることで、次世代のシェアリングエコノミーが活性されていくのではないだろうか。そのヒントを、生協から学ぶことができる。
高校教科書において、親鸞を法然の教えを「徹底/発展」させたなどの表現で説明してきたが、この記述では法然は親鸞より「劣る」と誤解を与えかねないとして、教科書の表記を見直す動きが相次いでいる。
それは浄土宗と浄土真宗の宗派的優劣にもなりかねないからだ。
12C法然は比叡山で学び、43歳の時、阿弥陀仏の本願を信じ、ひたすら南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば極楽浄土に往生できるという「専修念仏」の教えに目覚めた。
親鸞は29歳の時に法然の弟子となったが、法然の弟子になった時の言葉は有名である。
「法然上人が行かれるところには誰が何と言おうとも、たとえ地獄であろうともお供します」と記した。親鸞がいかに法然を敬っていたことを表わしている。
そこで多くの教科書は、親鸞は法然の教えを「独自に展開させた」といった表現に変えようとしている。
実は、親鸞の高評価の背景に「国際的評価」が一枚カンデいることはあまり知られていない。
ベートーベンの生涯を描いた主著『ジャン・クリストフ』により、1915年にノーベル文学賞を受賞したロマン・ロランが、その代表者である。
ロマン・ロランは、日本に大ブームを巻き起こした倉田百三の『出家とその弟子』を読んで感動し、『出家とその弟子』のフランス語版の序文において「欧亜(ユーラシア)芸術界の最も見事な典型の一つで、これには西洋精神と極東精神とが互いに結びついてよく調和している。この作品こそ、キリストの花と仏陀の華、即ち百合と蓮の花である。現代のアジアにあって、宗教芸術作品のうちでも、これ以上純粋なものを私は知らない」とまで激賞している。
この本のタイトルの「出家」とは親鸞のことで、ロランが親鸞にれほどの価値を見出したとは意外な気がするが、時として日本国内の凡庸なものが海外で異常な評価を得て、その評価が「逆輸入」されるケースをいくつか思いつく。

1919年兵庫県明石の無量光寺に移転し病の中で思索生活を続けた。
久保猪之吉教授は、明治33(1900)年に東京帝国大学医科大学を卒業後、ドイツ留学を経て明治40(1907)年九州帝国大学医科大学教授に就任した。
久保教授は、日本で初めて食道直達鏡を行ったことで広くその名前を知られている。 他にも無響室の建設や音声言語障害治療科の創設、術後性頬部嚢腫の発見と命名、外鼻や耳介の整形手術、平衡機能の研究など耳鼻咽喉科学において画期的な研究と診療の体制を確立するという優れた業績を残した。

その後、講演者5名が簡単な発表を行いました。まず、コモンズ(共有財)の形成のための対人間協力制度の構築に取り組むP2P財団の創設者として世界的に有名なミシェル・バウエンス氏(ベルギー出身、タイ在住)が、1)公的なコモンズ形成協力の協定書の作成(感染症の蔓延により寸断された流通網を市民社会が補ったが、市民社会が生産する製品を行政が受け入れられる協力関係が不足しており、今後整備する必要あり)、2)グローバル都市コモンズ蓄積(イタリア・トスカーナ地方では有機農業が盛んだが、事例同士での提携が欠けており無駄が生じているので、提携関係の構築が必要)、そして3)公的レッジャーの作成(地域の共有財を構築する人たちへの報酬制度の設立)という3点の重要性を語りました。  次に、トービン税(金融取引に課税して、その税収で社会構築のための各種費用に充当)の導入を主張するATTAC(リンクはATTAC日本)の会員で環境運動家でもあるジュヌヴィエーヴ・アザム女史(フランス)が、コロナウイルス蔓延前によりいのちを最優先にした経済運営を余儀なくされたことや、気候変動や生物多様性の危機といった問題を指摘したうえで、遠くの諸外国との貿易ではなく地産地消型で、かつ贅沢品への資源の浪費ではなく生存や学習、介護など必要不可欠なものの生産に集中した経済への移行を訴え、その際における、時にローテクである連帯経済の重要性を強調しました。  3番目の講演者は、地元カタルーニャのビック大学で有機農業を教えているエコフェミニストのマルタ・リベーラ女史でした。彼女は教育や各地で行われている様々な社会的闘争、非暴力的直接行動、自主運営プロセスといったツールを草の根が使うことがある一方、産直提携農業の事例は多くても事例間の協同が不足している現状や、連帯経済の事例におけるフェミニズムの理念の実践の欠如、食糧主権を基盤にした都市から農村への移住や農業の振興の欠如という問題点を指摘しました。  4番目の発表者は、連帯経済に詳しいブラジル人哲学者エウクリデス・マンセでした。彼はまず、人間の解放と人間の必要という2つの概念を話題に出し、必要が満たされていない人間は解放されていないと指摘しました。次に、他人の必要を満たし自由を広げる人間の使用価値創造能力を話題にし、生産活動が増えると必要が際限なく複雑化すると語り、これをブエン・ビビール(南米先住民起源の概念で、母なる自然と調和した形で必要が充足される生き方のこと)や自主運営と関連付けました。その後、抑圧的かつ収奪的で、人間の自由を保証しない現行経済の性格を批判し、「自己解放できる人はいない」という同国の教育学者パウロ・フレイレ(1921~1997、彼についての私の以前の記事はこちらで)のことばを引用したうえで、ブロックチェーンなど最新の技術を使う形での、連帯経済の各種実践やベーシックインカムを通じた集合的な解放を提唱しました。 開会イベント中に講演を行うブラジル人哲学者エウクリデス・マンセ 開会イベント中に講演を行うブラジル人哲学者エウクリデス・マンセ  最後に、インドで多様なオルタナティブを実践しているアシシ・コタリ氏が発表しました。彼は、コロナウイルスの危機により、従来型の政府や大企業主導型の経済運営や政府による監視と、既存の社会制度が揺らいでいる中で数多くの市民が連帯の下で数多くの事例を生み出している2つの側面を強調し、同国では大都市で失業した出稼ぎ労働者が故郷に帰ったり、あるいは都市に残って新たな業種で仕事を開始したりしている状況として、不可触階層に属する女性農家5000名により、種の保存や知識の共有などの面で行われている食料主権関連の活動や、森林権を要求し、これにより持続可能な生態系や経済を確立した先住民の事例を紹介し、そのカギとして経済の民主的管理、民族自決・民主主義の深化、社会的正義、文化・知識、環境やその回復力という5点を指摘しました。 2019年4月の準備会議の様子  バルセロナ市役所やカタルーニャ州政府は、ここ5年ほど社会的連帯経済の支援に積極的で、具体的には毎年10月の見本市をバルセロナ市役所が支援したり、州政府が州内各地にインキュベーターセンター「アタネウ・コーパラティウ」を設立したりしていますが、市民社会主体型の経済を推進しようという意欲が感じられます(このため、世界各地の関係者が現地を訪れてその様子を直接目の当たりにする機会となるはずであったこのフォーラムが中止に追い込まれたのは非常に残念ですが、感染症の深刻度を考えると仕方ないでしょう)。  中国での大規模感染から半年が経過しても世界各地で感染が後を絶たず、警戒状態がどの程度続くかはっきりしない状況においては、これまでの経済モデルが見直しを余儀なくされていることは確かです。特に感染症の蔓延防止の観点から世界各国が外国からの入国を厳しく制限している中で、観光や国際会議などに大幅な影響が出ており、少なくとも短期的にはこの状況が改善する兆しは見られません。このため、特に航空業や宿泊業などの関係者は、明らかに不可抗力により経済活動を行う機会を奪われているわけですので、アザム女史が語るように、必要不可欠のモノやサービス(食料や介護など)の生産と消費に中心を据えた経済への転換、そしてそのための支援が不可避なのかもしれません。  また、連帯経済の推進の成否については、コタリ氏が語るように、民主主義や社会正義を各地域社会がどれだけ希求しているかという観点も欠かせません。私たち自身が生き延びられているのは資本主義企業の恩寵のおかげというストックホルム症候群的な考えではなく、そういった企業から独立しても生きてゆける実例を作り、日頃の生活で民主主義や社会正義を実践することで、そのような概念が口先だけのものではなく実際に存在することを実証することも大切なことでしょう。  その一方、Covid-19の蔓延により起きたメリットとして、オンライン会議が非常に身近なものとなり(それ以前も存在していたとはいえ)、特にスペイン語圏では国境を越えたウェビナーが頻繁に開催されるようになったことが挙げられるでしょう。これまでは外国の人に講演してもらう場合、高い旅費を支払う必要がありましたが、オンライン会議であればこのような費用は不要です。また、自前で通訳を賄える場合、ことばの壁を越えた勉強会も実現可能です(実際私自身も、日本向けに毎月勉強会を開催しています)。社会的連帯経済の分野で今後さらなる国際関係の強化を実現するには、このような仕組みを使って旅行せずに人的交流を深めることが欠かせません。  変革型世界社会フォーラム自体は10月末にも開催されますが、ここでさらなる議論や発展が起きることを期待しましょう。  古くは「公共の福祉」を意味していた「コモンウェルス」を現代的な形で実装するにはどうすればよいのだろうか。そこには資本主義、つまり市場経済との相克がある。協同組合という制度がそのような対立を止し、乗り越えるかどうかは分からない。おそらく、それほど単純な解は存在しないのだろう。  では、われわれは何をすべきか。それは、市場経済から零(こぼ)れ落ちるものを補完する新しい経済の可能性をできる限り挙げることだろう。本書にはさまざまな協同の形が紹介されている。そのような実践の中に、未来の経済の萌芽(ほうが)が潜んでいるのかもしれない。 GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)に代表される、いわゆる「プラットフォーム」企業が支配的となった経済活動に居心地の悪さを感じている方 ・協同組合というつながりに新たな可能性を感じている方 です。 今回は  ●協同組合が確立した歴史的経緯     ●現代資本主義社会におけるシェア(共有)の欺瞞    ●協同組合の考え方を、個人レベルでどう日々の生活でアクションするか  というテーマでお伝えします。 本記事では、下記の内容を解説します。 ■1. プラットフォーム企業では失敗 ネクスト・シェアがいう新しい協同組合 □1. 「協同組合」が確立する歴史的経緯 □2. 現代資本主義社会における、「共同組合」 □3. ネイサン・シュナイダー『ネクスト・シェア』から学び得たことを身の丈に合った暮らしに実装する ■2. まとめ この記事は、技術翻訳の仕事に15年ほど携わり、毎日、US TODAYやThe Huffington Post、The New York Timesなど、海外の英文記事から最新情報を取り入れている、私kojinが解説します ■1. プラットフォーム企業では失敗 ネクスト・シェアがいう新しい協同組合 今回紹介する本(論文)は、 冒頭申し上げた、 ネイサン・シュナイダー氏の『ネクスト・シェア ― ポスト資本主義を生み出す「協同」プラットフォーム』 です。 原題は、 「Everything for Everyone: The Radical Tradition That Is Shaping the Next Economy」 副題を直訳すると、 「次代の経済をかたちづくるラディカルな伝統」 になります。 これは何かというと、 【協同組合】 のことを意味しています。 つまり、この本は、 「【協同組合】というラディカルな伝統がどのような経緯で成り立ち、それがコロナ禍における世界経済のあり方にどのような可能性をもたらすか」 という本です。 ここでは単なる感想や書評で終わらず、 この本から得た知見を、 私の身の丈にあった個人レベルで、どのように日々の生活でアクションしていこうか という点まで述べていきたいと思います。 □1. 「協同組合」が確立する歴史的経緯 【協同組合】 ということばを聞いて、何を思い浮かぶでしょうか? パッと思いつくのが 生活協同組合、生協とか農協でしょうか。 コープはもともとCOOPeration(協力)。 大学生協やスーパーの生協は、 学生や市民の互いの協力から成り立った集団組織と考えられます。 歴史をたどると、19世紀半ば、 イギリスのロバート・オーウェンと、 その弟子、ジョージ・ヤコブ・ホリョークによって、 【協同組合】が確立されました。 ホリヨークが作った制度、 ロッチデール原則は、いまだに活用されている、とされます。 この本の中では、 【協同組合】の歴史をさらにさかのぼり、 聖書に書かれている「使徒行伝」という、 信徒たちの共同体をあげています。 そこからキリスト教の系譜となり、 修道院や中世の修道会、さらに都市の職人ギルドも 【協同組合】の一種と見なしています。 また、「大学」も、 封建社会の間にあった自由都市において、 封建勢力に対抗する教師と学生の【協同組合】として生まれました。 もともと「大学(University ウニベルシタス)」という意味も 【組合】 でした。 さらに、メディア関係においても、 AP通信は、新聞の【協同組合】から始まったとされています。 □2. 現代資本主義社会における、「共同組合」 上記のような歴史的経緯をたどる【協同組合】が、 スペインやケニアなど地域を横断しながら継承され、 独自の発展をたどっている、とこの本の中では述べられています しかし、 【協同組合】 が発展した背景は、 産業資本、つまり製造業の発展がベースになっていました。 モノあまりの成熟しきった現代社会においては、 無形の情報産業が世界経済を牽引しているわけです。 GAFA(Google,Amazon,Facebook,Apple)に代表される、 いわゆる「プラットフォーム」企業が支配的となった現状では、 【協同組合】 の存在意義はない、ということでしょうか? その答えとして、著者のネイサン・シュナイダーは、 大企業ばかりが繁栄する閉塞した資本主義社会だからこそ、 アフター・コロナの成長なき時代だからこそ、 【協同組合】 のあり方を再考する必要がある、と主張しています。 それは、従来型の協同組合を復興させようというのではなく、 ITを活用した事業にも【協同組合】の概念を持ち込み、 一つの新しい経済圏を作ること、としています。 一つの有名な事例として、 エクアドルで行われている、 FLOKソサエティという名のプロジェクトがあります。 「Free(自由)」 「Libre(無制限)」 「Open Knowledge(知識の共有)」 の頭文字をとったこのプロジェクトは、 「自由に流通する情報と協同組合を結合させよう」 とする、試みです。 このプロジェクトを牽引する、 ベルギー生まれのミシェル・バウエンス氏は、 「P2P」というサーバーを介さず、 直接端末同士でデータのやり取りを行う仕組みをもとに、 中世のコモンズ(共有地)を再現しようとしています。 いわば、「先端の技術と伝統を融合」させて、 協同組合の概念、歴史、そして仕事、お金、インターネット上のプラットフォーム、公共サービスを行っていくわけです。 『限界費用ゼロ社会』の著者、 ジェレミー・リフキン氏も 今は協同組合事業が世の中のビジネスのやり方を変えるまたとない好機である。本書(『ネクスト・シェア』)は、新しい世代がどうやってその兆しを現実にし始めているかを教えてくれるガイドだ。 と述べています。 農協とか生協くらいしか思い浮かばない私に、 ボトムアップ式に社会を動かす【協同組合】の可能性を教えてくれます。 □3. ネイサン・シュナイダー『ネクスト・シェア』から学び得たことを身の丈に合った暮らしに実装する では、私が、ネイサン・シュナイダー『ネクスト・シェア』から学び得たことを、 身の丈にあったかたちでどのように暮らしに実装したらよいかな、 と考えます。 平均的な一会社員である私が、 西暦2030年のときの資本主義経済がどうなるか? と大きいことは言わないまでも、 身の回りにおける生活経済には無関心ではいられません。 今よりさらにデジタル化が進めば、 多くの人が職を失うために、 「シェアリング・エコノミー」が広がるかもしれません。 たとえば、現状でも カーシェアリングを唱えるウーバーは、 タクシー業界をとってかわる企業になりそうです。 ですが、これは本当のシェア(共有)をもたらすものではなく、 新たな資本の蓄積の手段になっただけ、ともいえます。 次世代のデジタル通貨とされるビットコインも、 単に資本の蓄積が移動しただけともいえます。 実際はどの組織も、営利企業です。 コロナウィルスのようなパンデミックが今後も起こり得るとしたら、 世界交通が途絶え、食料の供給が安定しない。 そうなると、個人で自給自足をしようという選択肢も出てきます。 これをもっと深掘って、あなたのそして私の、 Next Actionにつなげてみます。 私がこの本から得た知見を暮らしに実装するなら、 「資本や資産を金融や労働として捉えるのではなく、 情報や経験など無形の資産を蓄積する」 ということです。 デジタル化が勧めているのは、 旧来の資本がそのまま新しい資本へとそのままスライドされているだけ という事態です。 結局、本質的には何も変わっていない、ということです。 だとすると。 限りある人生のなかで、金融資産だけを追い求めるのはかなり虚しい と思います。(もちろんお金は生活する上で大事ですが) でも、本当に重要なのは時間。 自分にとって大事なことに人生の時間を投じることです。 自分の影響が及ぼす範囲の中で、 その人たちに、少しでも意思や経験を伝えること。 こういうことをやっていきたいです。 身近な例だと、我が息子たちでしょうか。 我が子に知識を伝えるというとおこがましいし、 期待をかけるのは歪んだ愛情になりかねませんが、 父親が何かに夢中になっている姿を見せること は何よりの教育と思われます。 私自身が色々なものに好奇心をもって、 それをこっそり楽しそうに行う。 そんな背中を見せるのが良いかもですね。 家族も結局、【協同組合】。 そんなアソシエーションを目指していきたいです。 ↓↓↓ 本書の原題は、直訳すると、「次代の経済をかたちづくるラディカルな伝統」であるが、それは協同組合を意味している。つまり、本書は、協同組合というラディカルな企てがいかに始まったかを論じるとともに、それが今後、いかに「次代の経済」を形成していくかを見るものである。  協同組合が確立されたのは、一九世紀半ば、イギリスのオーウェンと、その弟子のホリヨークによってであり、後者が作った制度(ロッチデール原則)は今も活用されている。しかし、協同組合の「伝統」はもっと古いし、また世界各地にある。本書では、代表的な例として、聖書「使徒行伝」に見られる、信徒たちの共同体があげられている。それはまた、修道院や中世の托鉢修道会、さらに、都市の職人ギルドにも見出される。大学も学者らの自治ギルドから生まれた。ちなみに、近代でも、AP通信は新聞のアソシエーション、つまり、協同組合としてはじまったのである。  本書では、ロッチデール以後の協同組合が、スペイン、ケニアなどで継承され、独自の発展を遂げていることが書かれている。しかし、その主題はむしろ、現代の資本主義経済の中で、協同組合がどのように存続しているか、また、いかにして存続しうるかにある。つまり本書は、旧来のような製造業ではなく、GAFA(グーグル、アップルなど)に代表される、いわゆる「プラットフォーム」企業が支配的となった現状において、協同組合の可能性を問いなおそうとする。  情報産業の発展、インターネットの普及とともに、シェアリング・エコノミー(共有型経済)が広がった。たとえば、カー・シェアリングを唱えるウーバーは、それまでのタクシー業を追いつめた。しかし、これはシェア(共有)をもたらすものではなく、新たな資本蓄積の手段でしかないことがわかった。同様のことが、貨幣にとってかわるといわれたビットコインについてもいえる。  そこで、著者はあらためて、協同組合という「ラディカルな伝統」に戻って考える。本書には、旧来の協同組合を受け継ぎ発展させようとしている人たちだけでなく、それを新たな形で実行しようとする人たちについての報告もある。その中には、協同組合を擁護する発言をくりかえしてきたフランシスコ教皇がいる。彼はまた、「偽の協同組合を阻止しましょう」と語った。中でも印象深いのは、エクアドルで、FLOKソサエティという名のプロジェクトをおこなっている、ベルギー生まれのミシェル・バウエンスである。自由に流通する情報と協同組合の結合は、中世のコモンズ(共有地)を、先端の技術にもとづいて再現しようとしている、といってもよい。     ◇  Nathan Schneider 1984年生まれ。ジャーナリスト、米コロラド大ボルダー校助教授。経済、技術、宗教について執筆し、ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーカー、ニュー・リパブリックなどに寄稿。 兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。 2:30彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、 2:31キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。 2:32このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。 2:33それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。 2:34ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、