聖書の言葉(あなたの足の裏の踏むところ)

紀元前17世紀ごろから、イスラエル人は、飢饉によって400年もの長きにエジプトに寄寓する。
その間次第に奴隷的扱いをうけることになる。
その後、神がモーセに現れ「民を故郷カナーンへ導け」という命をうけ、数々の奇跡によってエジプト王パロの心をうち砕き、「出エジプト」が実現する。
そしてモーセに導かれたイスラエルの民は、めざすカナーンの地を目前(もくぜん)にする。
その時、神がモーセに次のように語る。
「あなたがたが足の裏で踏む所は、ことごとくあなたがたのものとなる。あなたがたの領土は荒野からレバノンまで、あの川、ユーフラテス川から西の海までとなる」(申命記11章)。
この言葉は、単に領地の範囲を示したものではない。
「あなたの足の裏がふむところ」とあるように、その土地を攻め取りなさいという意味なのだ。
ところで、我が若き頃「ジェリコ」というアメリカのTVドラマがあった。
敵国ドイツに密かに侵入して様々な工作を行う連合軍の特殊部隊を描いたドラマがあったが、そのスリリングな展開に目がはなせなかった。
この「ジェリコ」というタイトルこそ、聖書に登場する難攻不落の要塞の地「エリコ」であることを知ったのは、後に英語で聖書を読んでからであった。
さて、出エジプトを実現したモーセがなくなり、その後継者ヨシュアによってカナーンの地に入ろうとした時、ヨシュアはその状況をさぐろうと二人の斥候(せっこう/スパイ)を放った。
二人の斥候はエリコの町に忍び込み、様子を探っているとき、彼らはラハブという遊女の家に匿ってもらう。
ここで「遊女」とは微妙な表現だが、聖書で「遊女」というのは、神殿娼婦をさす。
神殿娼婦は病気を治癒する者として崇められ、魔術師、預言者、占い師でもあったが、聖書の観点からすると、偶像崇拝と関わる好ましくない存在である。
さて、イスラエルの斥候が来たことがエリコの王に知られてしまい、探索が始まる。
ラハブは二人を家の屋上の"亜麻の束"の中に隠して、「二人の人が確かに来たが、夕方になって出て行った」と応じ、探索隊が帰った後、二人を城壁の窓から綱でつり降ろして脱出させた。
それにしても、エリコの住人であるラハブは何故に彼らを匿ったのか。
聖書はラハブのイスラエルの神に対する思いを次のように伝えている。
「あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています。それを聞いた時、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたち神、主こそ上は天、下は地に至るまで神であられるからです」(ヨシュア記2章)。
これは異邦人でありながら、イスラエルを導いた神を畏れた女性の「信仰告白」といってよい。
ラハブは神を正しく畏れるばかりではなく、神のわざをより頼む信仰を合わせもっていた。
ラハブはイスラエルの斥候二人に次のように願った。
「わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示すと、今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、わたしたちの命を死から救ってください」。
つまりラハブは、このエリコは早晩イスラエルの手におちること、その時に、自分と自分の一族を救ってほしいと願ったのである。このラハブの願いに対して二人の斥候はひとつの約束をする。
それは、イスラエルがエリコに攻め込む時、ラハブの家に一族を皆集め、その窓に彼らが与える”真っ赤なヒモ”を結びつけて目印とするなら、その家の中にいる者は皆助けると約束したのである。
そして二人の斥候はエリコの町を去った。
ラハブは二人が去るとすぐに、彼らから与えられた”真っ赤なヒモ”を窓に結び付けた。
そしてヨシュアは攻撃の開始に先立って、土地を探った二人の斥候にラハブの願いに応えるように命じた。
そして斥候二人は、ラハブとその父母、兄弟、彼女に連なる者すべてを連れ出し、彼女の親族をすべて連れ出してイスラエルの宿営のそばに避難させたのである。
ただ神がエリコ攻略のためにイスラエルに命じた戦いは、実に奇妙な戦い方であった。
イスラエルの軍勢は主の言葉に従って、「契約の箱」を担ぎ、角笛を吹き鳴らしながらその回りを1周した。
そのことを6日間続け、7日目には町の回りを7周し、そして一斉に鬨の声を上げると、難攻不落といわれたエリコの城壁は崩れ、イスラエルは一機にエリコに攻め込み、その町を滅ぼし、カナンの地への第一歩をしるした。
エリコの城砦は発掘により考古学者も驚くような崩落の仕方をしている。一体何が起こったのか。
聖書はしばしば神を「万軍の主」とよんで讃えているが、この場合の「万軍」とは何だろうか。
そのヒントは意外な箇所にみつけた。
イエスがユダの裏切りによってローマ兵に捕らわれンとすると時、次のように語っている。
「このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。 すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。そこで、イエスは彼に言われた、”あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使たちを”十二軍団以上”も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」(マタイの福音書26章)。
さてラハブの家は、目印となった「赤いヒモ」によってエリコ崩落のまえに救出され、ヨシュアの決断によりイスラエルの中に住むこととなった。
「赤いヒモ」は、モーセによってイスラエルの民がエジプトを脱出した時に、災いが過ぎ越すように、戸口に塗られた「小羊の血」を思い起こさせる。
またパウロは、信徒への手紙の中で次のように彼らの信仰を讃えている。
「信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。 信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった」(ヘブル人への手紙11章)。
そればかりか、ラハブの家系は、人間の想像を絶する展開を生むこととなる。
それは新約聖書冒頭の「イエス・キリストの系図」に遊女ラハブが登場することである。
「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、 ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、サルモンは"ラハブ"によるボアズの父、ボアズは"ルツ"によるオベデの父、オベデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父であった」。
以下省略するが、ダビデからこの系図をさらに9代下ってイエスが誕生する(マタイの福音書1章)。

イスラエルには「主に備えあり(アドナイ・エレ)」ということわざがあり、遊女ラハブこそイスラエルにとっての「アドナイ・エレ」であった。
そして「アドナイ・エレ」は地名ともなっていが、それは神がアブラハムに「イサクを燔祭として捧げよ」と命じた出来事に由来する。
イスラエルの祖アブラハムは、モーセよりはるか昔に神により「あなたの足の裏で踏む所があなたの相続地となる」という約束をうけている。
つまりアブラハムがメソポタミアのウルにいた時代から神が語った「約束の地」こそが、乳と密の流れるカナーンの地であった。
またアブラハムはさらにそれよりもさらに大きな約束を受けている。それは「わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう」(創世記22章)というものである。
ところがアブラハムは2つの大きな試練に直面する。
一つは妻であるサラに子供が生まれないこと。もう一つは年老いて奇跡のように授かった長子イサクを神に燔祭として捧げよという命令が下ったこと。
アブラハムは様々な試練をどう克服したか、パウロは信徒への手紙で次のように書いている。
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。 信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。この子については、"イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう"と言われていたのであった。彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである」(ヘブル人への手紙11章)。
神はイサクを燔祭として捧げようとするアブラハムの信仰をみて、イサクに手をかけようとするアブラハムを思い止まらせ、藪に角をかけていた代わりとなる子羊を捧げるように命じた。
そこで、「主に備えあり」という言葉「アドナイエレ」が地名として残ったのである。
さて、旧約聖書には、全能の神が自然の姿を「一変させる」出来事を詠った詩が数多くある。
「荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。これにレバノンの栄えが与えられ、カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る」(詩篇35篇)。
その一方で、次のような言葉もある。
「主は川を野に変わらせ、泉をかわいた地に変わらせ、肥えた地をそれに住む者の悪のゆえに塩地に変わらせられる」(詩篇107篇)。
こうした詩で思い浮かぶのが、アブラハムと甥にあたるロトとの間で行われた土地の選択である。
一般的に人間はどのように自分の住む場所や活動拠点を選ぶのであろうが。もし一国のリーダーとなれば、その選択が国や民族の歴史に決定的な影響を与える。
徳川家康は、秀吉の「関東行き」を命じられた時、関東の風景に何を見たであろう。
とても江戸期250年を通じての天下一の城下町、ひいては現在の世界有数の巨大都市・東京の雄姿からは想像もできなかったに違いない。
徳川家康が、秀吉の勧めを受け入れ江戸を新たな本拠として定めて、江戸に入府する。
それまで江戸の地は、戦国初期の名将・太田道灌によって築城された小規模の城砦であった江戸城があった。
関東平野は農業や町割には不適切な湿地帯に覆われている状態であった。
家康は江戸に入府した早々の1590年、神田山などを削り、湿地帯の埋立作業を実施し城下町を整えた。
家康が秀吉死後、豊臣氏を差し置き、天下人となったことにより、江戸が政治の中心地となって更なる発展を遂げ、大坂を越えて全国の中心地となる。
アブラハムは、メソポタミアのカルデアの地ウルよりパレスチナのカナンの地に住むが、カナンの地にはいるころ一族の数が増えて、家畜などをめぐり甥であるロトの一族と争いが絶えなかった。
そこでアブラハムは自分の一族とロトの一族とが分かれて生活をすることを提案する。
そしてアブラハムは丘にのぼって見渡す原野を前にして、ロトにどちらの道に行くか良いほうをロトに選択させるのである。
つまりロトに「優先権」を与えるが、ロトはその時点で見た目が「豊かで麗しく」見えた低地の方を選んだ。
しかしロトが住んだ場所には、ソドム・ゴモラという悪徳の町が栄え、ロトも神の使いを守るために自分の娘達を差し出すという悲嘆をナメている。
そしてついに神の怒りが発せられ、ソドム・ゴモラの町は滅ぼされる。
神の怒りの火で滅ぼされる中、神の恩寵によりアブラハムの親族・ロトの一族のみが助け出される。
その時、ロトの妻は神の命に反して焼き尽くされる町を振り返ったために「塩の柱」となったとされる。
現在、ソドム・ゴモラは死海の底に沈み「塩漬け」になっている。
ちなみに、ロトの長女がモアブで「モアブ人」の祖となっているが、驚くべきことに、このモアブに生まれた異邦人ルツが前述の「イエス・キリストの系図」の中に表れていることである。
一方、アブラハムの「足の裏が踏む所」は守られて祝福され、イサク・ヤコブとその子孫が繁栄していくのである(創世記15章)。
アブラハムは、住むべき土地を選択する際に「優先権」を与えているので、ロトからすれば皮肉な結末となったわけだ。
実は、アブラハムに現れた神との間で、「あなたの子孫はその星の数ほどになる」という約束があった。
「信仰の父」ともよばれることになるアブラハムは、この約束に対する信仰を土台として、「土地の選択権」をロトに与えることが出来たといえる。
ところで、「あなたの足の裏のふむところ」を祝福するという神の言葉とはうらはらに、人間の最大の弱点は「足の裏」にあるのかもしれない。
それは「エデンの園」で神がアダムに語ったように「地がのろわれている」からである。
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう」(創世記3章)。
聖書の救いの条件は、「正しく(聖書どおり)洗礼を受ける」ことだが、洗礼と共に「洗足式」を行う教会もある。
それは「最後の晩餐」における出来事に由来する。
イエスが夕食の席から立ち上がって、水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
ペテロの番になった時、イエスに「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と問うた。
イエスは彼に答えて「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」といわれた。
ペテロが「わたしの足を決して洗わないで下さい」というと、イエスは彼に「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」と答えられた。
ペテロが「では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」というと、イエスは「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから」と語られた(ヨハネの福音書13章)。

日本の場合、政治家や行政と結びついて押し寄せてくる開発の波に対して、「景観」にたいする住民の意識の高さとよほどの覚悟がなければ景観が失われていくのがほとんどの場合である。
歩く権利とは少しちがうかもしえないがれは日本人には考えがつかない「空き家」に対する対処法である。
さて、1970年代から80年代の初めにかけて、空き家に住み着く人々がいた。
彼らは「スクオッター」とよばれる人々である。彼らは別に棲む家がないわけでもなく、お金にこまっているわではない。
彼らが、空き家に住む理由は様々であるが、スクオッターにも彼らの倫理とか規範があって、入りこんだ家の現状はできるだけそのまま維持し、できれば壊れたり使用不能な箇所を修理したりと、持ち主に感謝されていいはずだと豪語するものもいた。
たしかに電気ガス代電話代もちゃん関連会社と交渉してつなげ、かかった費用も払っているので何ら迷惑をかけるものではない。
しかし不法侵入・不法占拠であることにはかわりはない。持ち主に見つかれば、退去要求がだされると速やかに出ていくのが仁義である。
こうしたことは一人で行うのは不可能であるから、当然グループで行われる。それぞれ特技をもった仲間がチームワークを発揮して共同生活を営むわけである。
「スクオッター」の間にはネットワークがあり、ある家を追い出されると、次の家を紹介されるのである。
こうしたことが行われる背景には、イギリスには歴史的建築の保存を訴えて行われることの繋がりがあるかと思われる。
デベロパーが、新しいビルを建てるという計画が持ち上がると、大勢が泊まり込んで反対すると、デベロッパーも折れて倒れかけていたものを再建するといった方向にかわるようなこともある。