聖書の言葉より(善きサマリア人)

イエスは町々村々を巡り歩いて諸会堂で教え御国の福音を宣べ伝えた。そして12人の使徒を宣教に遣わすにあたり、次のように語った。
「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ」(マタイ福音書10章)。
ここでイエスは、サマリアへ行くのは「異邦人の道」といっていることに注目したい。
「サマリア」は、エルサレムやベツレヘムの街があるユダヤの北に位置し、もともとユダヤと同じ古代ヘブライ王国に属していた。
ヘブライ王国は、ソロモン王の死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂する。
そして大国アッシリアは、BC721年にイスラエル王国を滅ぼしてしまう。
イスラエル王国があったサマリアの住民はアッシリアに捕囚として強制的に移され、反対にアッシリアからの移民がこの土地に移り住んだ。
このとき残留したイスラエル人と、移り住んだ人々との間に生まれた人々が「サマリア人」なのである。
彼らは、アッシリアの偶像を持ち込んだり、独自の礼拝所を設けるなどした。
また、自分たちを都合によってユダヤ人を名のったり、場合によっては移住者と名乗ったりして、日和見的な人たちだとみなされていた。
そこでユダヤ人はサマリア人とは交際どころか、言葉さえもかけないほど険悪だった。
その一方でイエスは、有名な「善きサマリア人」の譬え話を残している。
ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と聞いた。
それにイエスは、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と聞い返した。
すると律法学者は「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」と答えた。
この答えに対してイエスは「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」と応じた。
話はここで終わらず、律法学者が「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」と聞き直した。
そこでイエスは「善きサマリア人の譬え話」を始める。
「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」と聞いた。
律法学者が「その人に慈悲深い行いをした人です」と応えるとイエスは「あなたも行って同じようにしなさい」(ルカによる福音書10章)と応えた。
律法学者が「慈悲深い人をした人」と答え、「サマリア人」と直接答えなかったところに、律法学者のサマリア人に対する気持ちが微妙に表れている。
イエスはかつて「サマリア人の道にいくな」と弟子達に語ったのに、律法学者に対して「サマリア人の譬え」をしたのは、彼らが律法を至上のものとして他者を裁き、「慈愛」のこころをすっかり忘れていたからかもしれない。
さて、キリスト教を「道徳」として理解するならば、この「サマリア人の譬え」を、困っている人に出来る限りのことをしなさい、という話になるであろう。
しかし、「善きサマリア人のたとえ」には、「祭司、レビ人、サマリア人の三人のうち、誰が隣人になったのか」とか、サマリア人が宿屋に支払った「2デリナ」など、具体的にすぎる面がある。
なにかの「教え」というより、そこには「預言的」な意味が込められているように思える。
さて以前の原稿に書いたことであるが、ペテロが宮の集金人に、先生であるイエスは神殿におかねを収めなくていいかと問われたことがある。
イエスはペテロに、「湖にいって最初に釣った魚がくわえた1シケルを自分とペテロの分を合わて神殿に納めなさい」と語った。
、 当時モーセのおきてでは、1人あたり銀半シケルを神殿税として納めることになっていたが、最終的に「1シケル=2デナリ」となっていったようだ。
この「2デナリ」が「善きサマリア人の譬え」では、サマリア人が傷ついた旅人を介抱するために「宿屋」に支払った金額なのである。
それでは「宿屋」を「神殿」と解釈するのが自然のようだが、前稿ではイエスの復活によって「1シケル」が、イエスを頭としてペテロを足台とする「キリストの体なる教会」を象徴していることを書いた。
それは次の例え話からも推測できる。
「ある女が銀貨10枚を持っていて、もしその1枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたからと」(ルカの福音書15章)。さらに、次のようなたとえ話が続く。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう」。
ここでは「失われた羊」と「失われた銀貨」がひとしいものとして扱われ、それが見出されるというのは「救い」を意味している。
。 それは、冒頭に紹介したイエスの言葉「むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け」という言葉によく符合している。
しかしイエスは、一転して「異邦人」を主人公とした「善きサマリア人」の譬え話を語っているのだ。
一体これはどのような意味なのであろうか。

「善きサマリア人」のたとえ話の中で、「祭司、レビ人、サマリア人」の三種類の人々が登場する。
イスラエルでは、それなりの人が亡くなった場合、埋葬に関する仕事をするのは、祭司であり宗教儀式を担当するレビ人である。
たとえ話の中で彼らは「傷ついた旅人」に対して次のような行動をとる、
「するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人も この場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った」。
この話で思い浮かべるのは、イエスの十字架の刑死後に、その体をめぐって人々がとった態度である。
イエスは大工のせがれとして生まれたばかりか、罪人として十字架の死をとげたため、彼らとはなんら関わらなかったようだ。
それに関わったのは、聖書によれば「アリマタヤのヨセフ」という人物である。
アリマタヤはユダヤに属するもののサマリアに隣接した町で、サウル王やダビデ王に油をを注いで王とした預言者サムエルの生まれ故郷である。
このヨセフがローマ総督ピラトに、イエスの体を下ろさせてほしいと頼んだと記してある(ヨハネの福音書19章)。
イスラエルでは律法では、「十字架の刑」について次のように定められていた。
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。
その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。
あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない」(申命記21章)。
そこで、十字架刑の遺体は、城壁の外にあるヒノムの谷に投げ捨てられたという。
イエスを売って首を吊って死んだイスカリオテ・ユダの遺体も、ヒノムの谷に投げ捨てられたようだ。
ところで、罪人として谷に投げ捨てられるべきイエスの遺体の引き取り手が現れたのだから、関係者の中には驚きもあっただろう。
そればかりかアリマタヤのヨセフは、イエスの遺体に香料をにぬり亜麻布に包み、岩で掘って造った自分の新しい墓に葬ったのである(ヨハネ福音書19章)。
「アリマタヤのヨセフ」は、比較的お金持ちであったが、その点でも「善きサマリア人」を連想させる。
推測だが、ヨセフはちょうど善きサマリア人がしたように、自分の家畜でイエスの身体を墓に運んだのであろう。
これは当時のユダヤの社会情勢からして、並大抵のことではない。
実は、イエスの埋葬を行った勇気あるもう一人の人物がユダヤ人指導者のニコデモである。
ニコデモは、夜人目を忍んで「どうしれば神の国に入れるか」をイエスにあって直接に訊ねた人物である。
イエスがニコデモに「水と霊によって生まれ変わらなければ神の国にいれない」(ヨハネの福音書3章)と答えると、「人はどうして母の胎内にもどれますか」と答えた為、あなたは「ユダヤ人指導者でありながら、それくらいのことがわからないのか」とたしなめられた人物である。
そのニコデモが、イエスの埋葬の現場に現われイエスの遺体に塗る、乳香・没薬を用意したのである。
実は、ヨセフとニコデモの二人は共にユダヤ議会(サンヘドリン議会)のメンバーで、自らがイエスの信奉者であることを公けにすることは、自らの身を危険にさらしかねないという覚悟があったはずだ。
​イエスには次のように語っている。「人の前でわたしとの結びつきを告白する者はみな、わたしも天におられるわたしの父の前でその者との結びつきを告白します。しかし、誰でも人の前でわたしのことを否認する者は、わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを否認します」(マタイの福音書10章)。
ヨセフはイエスに対して信仰はあったものの、それを口にする勇気はなかったのに違いない。
それは「彼は勇気を出してピラトの前に行き、イエスの体を頂きたいと願いでた」(マルコの福音書15​章)という言葉でもわかる。
さてこうした点から「善きサマリア人の譬え」を読むと、「傷ついた旅人」とは、イエス自身を指すのかもしれない。
というのは、イエスは天より下り、復活により昇天した存在(いわば旅人)であり、パウロはアブラハムを始め信仰者たちを、この世の「寄留者」(ヘブル人への手紙11章)と見なし、復活に与る信徒の国籍を天としているからだ(ピリピ人への手紙3章)。
そして自分の立場を顧みず、十字架の刑に傷ついたイエスの遺体を最後までも届けたヨセフやニコデモこそが「善きサマリア人」であったとよむこともできる。
ここでサマリア人の「善さ」とは、慈悲深いことに加え、自分が置かれた社会的立場を捨てられることにあるのではなかろうか。

イエスの埋葬の3日後に墓を訪れた者は墓に置かれた石が動いており、イエスを包んでいた亜麻布は墓にあったが、頭の布は墓からすこし離れたところにあったことを見出している(ヨハネの福音書20章)。
イエスの十字架の死と復活。十字架の死が「燔祭」として捧げられた子羊すなわち「旧い契約」の段階ならば、復活は「新しい契約」という新たなステージに入ることを意味する。
「旧い契約」がイスラエル人と結ばれたのに対して、「新しい契約」は人類と結ばれたのである。
さて復活したイエスは弟子たちに、「ただ聖霊があなた方に下るとき、あなた方は力を受けて、エリサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人になるであろう」(使徒行伝1章)と語っている。
異邦人への福音は、サマリアから始まったといってよい。それはイエスの死後、弟子達によってではなく、イエスご自身によってである。
イエスが何らかの事情でサマリアを通らざるを得なくなり、そこで出会った「サマリアの女」のエピソードからわかる(ヨハネの福音書4章)。
イエスは、ヤコブの泉にあるスカルの井戸で休憩をとっている時に、昼近くにひとりの女が井戸の水をくむために出てきた。
イスラエルでは、女性が朝一番に水を汲みにでることが習慣なので、この女性は人目を避けるように生きていたようだ。
その時、イエスが女に水を飲ませてくださいと頼んだ。それは女にとってとても意外なことであったらしい。女は「あなたはユダヤ人なのにどうしてサマリア人である私に話しかけるのか」と聞いている。
するとイエスはとても不思議な話をし始める。「もしあなたが私が誰かを知るならば、あなたこそ私に水を求めるだろう」。
さらに、「私が与える水をのむものは、泉となって永遠にいたる水が湧きあがるであろう」と答えた。
それに対して女は「私が、水をくまなくていいようにその水をください」と願った。
するとイエスは女に、「夫をよんできなさい」ととてもぶしつけなことを言う。
女が「夫はいない」というと、あなたにはそれ以前に5人の夫がいたことをいいあててしまった。
サマリアの女はその時この人物が普通の人間ではないということを感じたはずである。
そして女が先祖がこの地で礼拝をなしたことを語ると、イエスが「自分が来たるべきキリスト」であることを告げる。
その後、女は水瓶をおいたまま町へ出て行って、「私のしたことを何もかもいいあてた人がいます。さあ見に来てごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかもしれません」と、ひと目を忍んで生きてきたにも関わらす、公然と宣伝したのである。
これが、イエスの福音が異邦人に宣べ伝えられた最初の出来事であった。
パウロは信徒達への手紙で次のように書いている。
「それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に"一つのからだ"となり、共に約束にあずかる者となることである」(エペソ人への手紙3章)。
個人的に、この聖句を読んで閃いたのが、「善きサマリア人の譬え」である。
かつてイエスが宮に納めなさいとペテロに語った「銀1シケル」が、イエスの復活を通して形成される「キリストの体なる教会」の象徴であったのに対して、サマリア人が宿屋に預けた「2デナリ」つまり銀1シケルも、ユダ人と異邦人が一体となった「キリストの体なる教会」をなすのである。
イエスは次のように語っている。「わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そしてついに”一つの群れ”、”ひとりの羊飼”となるであろう」(ヨハネの福音書10章)。
さてパウロは自身が使命とした異邦人伝道につき「御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかった」と書いている。
「善きサマリア人のたとえ」は、ユダヤ人も異邦人もまったく同じく神の救いにあずかるという「新しい契約」の型を預言しているということになろう。


教会は一般に建物をイメージするが、教会とはキリストを信じる者達の「共同体」(エクレシア)を意味している。
一方、イエスはシモンとよばれた漁師に、「ペテロ」つまり「岩」という名前を授け、「あなたはペテロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる」(マタイの福音書16章)と語っている。
つまり「1シケル」とは、イエスを頭としてペテロを基いとする「教会」をさしている。
イエスは弟子たちに「わたしは羊のために命を捨てるのである」。さらに「彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」と語っている(ヨハネの福音書10章)。ここでいう「群れ」が、教会にあたる。