選挙協力と政策協定

最近の政局、自民党と公明党の「連立関係」が大きくきしんでいる。そればかりか、野党連携の基盤にいくつものヒビがはいっている。
2022年12月いわゆる「1票の格差」を是正するため、衆議院の小選挙区の数を「10増10減」する改正公職選挙法が成立した。
小選挙区は、東京や神奈川など5つの都と県で合わせて10増える一方、宮城、新潟、広島など10の県で1つずつ、合わせて10減ることになりまた線引きが変更されて、合わせて過去最多となる140選挙区の区割りが変更された。
さて次期衆院選の東京28区をめぐり、公明が候補擁立を断念する代わりに、東京の自民候補に推薦を出さないという異例の方針を決めた。
擁立を認めない自民への「意趣返し」に見える対応は、自民党と公明党が相互不信にある状況を示している。
「選挙協力」は、自公の連立関係の基盤だけに重大だ。
こうした自公の亀裂は、東京だけの話ですむだろうか。
衆院小選挙区の「10増10減」にからみ、公明は選挙区が増える東京、埼玉、千葉、愛知の選挙区で新たな擁立を求め、すでに埼玉14区、愛知16区で自民に”先んじる”形で公認を発表した。
ある自民党幹部は、公明のこうした対応はもはや「選挙協力」の解消に踏み込む動きであり、「政権離脱も意味する」と述べている。
ところで、法律が作られる過程を「立法過程」というが、通常、内閣や国会議員による「法律案作り」から始まる。
その際、党内で他の法律との整合性など多角的に検討される。
その後、法律案は委員会にて専門的な議論をして修正採決された後、本会議で審議され採決を行い、衆参両院で一致すれば法律として成立する。
両院の意思が一致するとは限らないので、衆議院の出席議員の3分の2以上の多数による再議決や「両院協議会」の制度を定めている。
以上が「立法過程」といわれるが、最近、選挙の段階での「政策協定」というものが、「立法過程」に決定的に影響していることに気づかされる。
それは、昨年の夏、安倍首相の襲撃事件で明らかになったことでもある。
そのひとつは選挙の際に旧統一教会側が運動員を無償で自民党に提供していることである。
無償といってもそれなりの見返りを狙ってのことだ。
自民党の政治家が旧旧統一教会側が主催する会合にでたり、防衛副大臣が、教団関係者を国会見学に招いたとか、外務副大臣が教会や関連団体との「推薦確認書」にサインをしていたことがわかった。
「署名」イコール事実上の「政策協定」となるのでこれはかなり重い。
選挙の際に、宗教団体に限らず、業界団体などが「選挙の応援をするので、こういう政策を実現してください」というような形で推薦確認書を交わすということはある。
それ自体が悪くはないが、違法な団体と交わすことや、推薦を求める団体側にすごく有利に働くというのは、いわば「政策誘導」に乗っかることになる。
旧統一教会は、霊感商法などが問題化した時に、文科省により大臣が代わった途端に「教団名の変更」が突然に認められたりしたことなどに対して疑惑がもたれている。
旧統一教会は組織的な違法行為が民事裁判で指摘され続けてきたばかりではない。
かなり特異な「対日思想」をもとに日本の信者から金銭を搾取して韓国に流すとか、日本の女性を韓国に嫁がせるなども指摘されている団体で、そのような団体とでも「推薦確認書」などで連携をしていく様は、自民党の「選挙至上主義」のあさましさを露呈したというほかはない。

2022年夏の参議院選挙、そして23年5月の統一地方選挙で「維新の会」の議席増がめだった。
「維新の会」は、大阪に党本部を置き、府知事と市長が党を率いて、首長代表が実績をふまえて東京に改革を迫ってきたことで存在感を強めてきた。
しかし「大阪都市構想の挫折」以来、目ぼしい構想はなく、自民党にいれたくない人の「受け皿」となったという印象しかない。
一方で、労働組合を支持基盤とする「立憲民主党」の没落と「国民民主党」の低調さが、目についた選挙だった。
それは多くの「ひとり選挙区」で「野党共闘」がなされなかったことが一番の原因である。
そんな野党の足並みの乱れのシンボルが、「国民民主党」が政府の「予算案」に賛成するという、野党としては「前代未聞」のことが起きたことであった。
従来、自民党が政策や選挙で連携してきた連立政権を組んだのが公明党であった。
もともと、自民党と公明党は、安全保障面でソリがあわない。その一方で、創価学会を支持母体とする公明の「集票力」は切り離せない。
安全保障政策でいうと、自民党は敵基地攻撃能力(反撃能力)保有など、公明党よりも日本維新の会や国民民主党と折り合える。
今の政局の中で「国民民主党」は大きな勢力ではないものの、自民党が「国民民主党」と連立を組むとなると、その「政治的意味合い」は小さくない。
なにしろ、「国民民主党」は、最大の労働組合である「連合」が結党を後押ししたという経緯があるからだ。
昭和の時代、労働者からすれば、社会党や民社党など野党が政権を握れば、それが生活改善と直結するという意識があった。
しかし今や人々の意識は多様化し、労働組合の加入率は急速に低下していく。
連合傘下の組合員の支持政党は割れている。
2019年の連合の調査では立憲民主と国民民主党への支持は合わせて34・9%。これに対し、自民は20.8%、無党派は36%に上った。
近年は旧民主系への支持が下がる一方で、自民の存在感が増しつつある。
実際に、自民党は、労働組合の中央組織「連合」と政策懇談を進めている。
安倍政権でも政府と経団連、連合の3者による「政労使会議」を設け、春闘交渉で経済界に賃上げを強く求めてきた。
「官製春闘」との批判もあるが、全体の賃金水準を引き上げるベースアップ(ベア)が復活し、大手で2014年が2・28%、15年は2・52%という賃上げを達成した。 それにしても、自民党の切り崩しもあって、野党が共闘を組めず、選挙で敗れ続けている。
そこには6年前のシコリが今も続いているようだ。
2017年に民主党が下野して名前を「民進党」に変えるが、民進党(民社党)が、小池百合子率いる「希望の党」に合流をするという話が出た。
民進党という政党は、「保守」の自民党とは逆の立場にいる「リベラル」系の政党であった。
少し教科書的な話をすると、リベラルとは、保守にくらべ「大きな政府」(社会保障重視/軍備縮小)、「多様性重視」ということができる。
とはいっても、民進党は皆が皆リベラルというわけではなく、保守寄りな考えの人たちもいた。
そんな中でのこの「希望の党」合流」事件が起こった。
「希望の党」は保守系だったので、民進党の保守系の人たちは希望の党に行き、リベラル系の人たちは新しく「立憲民主党」という政党をつくった。
しばらくは「希望の党」として活動していたが、翌2018年に「国民民主党」に改名して、今に至っている。
立憲民主党と歩調をあわせてきた国民民主党だが、お互い新党となってからは国会対応で足並みが揃わない場面が増えてきた。
さて、「連合」とは労働組合まとめる全国組織、正式名は「日本労働組合総連合会」。
平成元年の結成直後に、旧総評系が社会党、旧同盟系が民社党をそれぞれ支持していた。
しかし、自民、社会、新党さきがけ3党による「村山富市政権」では、社会党が与党、民社党が野党という深刻な分裂状態を経験したこともある。
組合員は約704万人。経営側の経団連が自民党を支援するのに対し、連合は立憲民主党、国民民主党両党の最大の支援組織である。
とはいっても、各企業の労使関係、労働条件の改善に取り組むだけでは生活は良くならない。
働く人、生活者の立場に立った政治勢力の拡大が、政策を実現するためには重要で、政党の支持基盤となって、組織内メンバーが国会議員となったり、組織票を提供したりしている。
ところで、労組と言えば「野党支持」で知られるが、ある有力労組が与党との連携を模索し始めた。
その労組とは、トヨタ自動車をはじめとするトヨタグループの労働組合。
組合には、立憲民主党に抵抗感を持つ人が増えているという。
正式名称は「全トヨタ労働組合連合会」で、トヨタ自動車、デンソー、アイシン精機など、トヨタグループ各社の労働組合で作る組織で、組合員は35万7000人。
圧倒的な組織力と活動量で国政選挙に影響を与えてきた。古くは旧民社党。その後、旧民主党や旧民進党を支援し、かつて「民主王国・愛知」と言われた構図を築き上げた。
その「全トヨタ労連」による与党との連携模索の情報が広がった。
これまで連携してきた野党側に加え、自民・公明両党も加えた「政策協議の場」を設ける検討に乗り出したという。
政府の揚げ足を取って反対だけしているような野党では、雇用を守り、政策を実現することはとてもできない。
トヨタはハイブリットからEV車への転換、AI化からコンパクトシティの推進も構想している。そこに広がるのは大きな「雇用不安」である。
「全トヨタ労連」の関係者は、「現状のままでは、業界の変化の速度に政策実現が追いつかず、党派を超えた活動が必要だ」と説明した。
その一方で「選挙と直接結びつく動きではない」という点も強調した。
「政策協議で協力を求めるが、選挙は協力しない」とはいっても、政策協議で協力を求める先には「選挙協力」があるのではと、臆測されても仕方がない。
振り返れば、民主党が政権交代をとげたのは2009年。内紛にあけくれ、なかなか政策上の優位性と団結力を示せなかった。
当時の山岸連合会長は、民主党に寄り過ぎないように、自民党や公明党の「応援団」ともなりうると注文をつけた。
「応援団」とは微妙な言い方だが、細る労働組合を激励する言葉とばかりはいえないのかもしれない。

自民、公明両党の連立は、公明から自民への「選挙協力」を基盤に、20年以上に渡ってもちつもたれつの補完関係で成り立ってきた。
自民党と公明党の「連立」が誕生したきっかけは1998年夏の参院選での自民党の惨敗。
参院選で「過半数」を割った「ねじれ」状態で発足した小渕恵三政権は小沢一郎が率いる「自由党」と連立を組み公明党を連立に引き入れ、 99年10月に「自自公連立」が発足した。
連立入りした公明は、支持母体の創価学会の集票力を背景に、選挙区で組織票を自民党候補に提供。
代わりに比例票を公明に振り分けてもらう「棲み分け」で選挙での協力関係を深めてきた。
一方の自民は、公明が重視する「平和」や福祉を政権の政策に盛り込み、実現させてきた。
ただ、自公連立の道のりは平坦ではなかった。互いの利害から衝突を繰り返し、落としどころを探りながら、修復を重ねてきた歴史がある。
第二次安倍政権では、「集団的自衛権」の行使容認をめぐり学会内に反対論が広がった。
安倍政権が行使の前提条件となる「新3要件」をもうけて歯止めをかけたとして、公明党はその容認にカジをきった。
公明は選挙協力を盾に譲歩を引き出したり、政策実現にこぎつけたりしてきた。
20年には新型コロナ禍での給付金をめぐり、当時の岸田文雄政調会長が主導した「減収世帯への30万円給付」に公然と反対。
「国民に一律10万円給付」に変えるように迫り、山口代表が、決断しないと政権が厳しいなどと「連立解消」の可能性をちらつかせた。
昨年夏の参院選前の補正予算の是非をめぐって足並みがそろわず、慎重な自民に公明が執拗に求めて編成された経緯がある。
今回の地方統一選では、自民党と党本部間で合意し、全国一律で推薦し合う従来の「相互推薦」を見送った。
地方組織に調整を委ねたため、選挙態勢の構築が遅れた恐れがある。
安倍晋三・元首相が死亡した事件の影響で無党派が自民に流れたとの見方や、政党の増加で票が分散したとの分析もある。
公明の国政選での比例選の得票は、05年衆院選の約898万票をピークに減少傾向にある。党執行部の一人は「支持者には高齢者が多く、コロナ禍の活動制限もあり、安定した票が得られにくくなった」と明かし、組織の弱体化に危機感を募らせている。
また、立憲民主党と日本維新の会の関係もキシんでいる。
両党は、去年秋の臨時国会召集に先立って「国会内で共闘する」ことで合意した。
そして、臨時国会では、旧統一教会の被害者救済をめぐって、両党が主導する形で与野党協議が重ねられて法律が成立し、「野党主導の国会運営」とも言わた。
これに手応えを感じ、両党は通常国会でも「連携継続」を確認した。
立民としては、衆院選での維新との選挙協力を視野に入れて国会での連携を深めたい。維新としては、立民との連携をテコに与党の譲歩を引き出し、存在感を高めたい。そんな両者の利害が一致したからだ。
しかし、去年秋の臨時国会から続いてきた共闘は「解消」されることになる。
次の衆議院選挙でどちらが野党第一党の座を握るのか、両党の対抗意識は強まってきている。
そもそも、両党には、相容れない隔たりがある。
憲法改正をめぐっては、立民が憲法9条に「自衛隊を明記」することに反対しているのに対し、維新は「自衛隊を明記」すべきだとしている。
憲法や安全保障といった基本政策にミゾがある。
政権に対するスタンスでは、双方とも自民党に代わる政権を目指すが、立民は維新を「与党の補完勢力」だと批判し、維新は立民を「何でも反対」だと批判することが少なくない。
ではなぜいま「共闘解消」かというと、4月の地方統一選挙にともなって行われた衆参5つの「補欠選挙」で両党の明暗が分かれた。
立民は補選で議席をとれなかったのに対し、維新は衆院和歌山1区で勝利した。
また、維新は統一地方選挙で全国の自治体の首長や地方議員をあわせて600人以上に増やすという目標も達成した。
立民には次の衆院選で「野党第一党」の座を奪われかねないという危機感が広がって、党内から「維新との違いを明確にすべきだ」という意見が出され、泉代表は国会での共闘を「解消」する方針を打ち出した。
立憲民主党の泉代表は維新と「選挙協力」や候補者調整は行わないとして、維新の会との立ち位置の違いをはっきりさせて戦うとして、「衆院選で150議席を獲得できなければ代表を辞任する」と不退転の決意を示している。
立民と維新は次の衆院選での野党第一党争いを意識して、それぞれが党の「独自性を発揮」する方向にカジを切っている。
こうした路線変更は、国会終盤の論戦にも、岸田首相の解散のタイミングにも影響する。
自民党と公明党との「連立解消」如何はいまだ不透明だが、選挙協力に伴う政策協定によって「立法過程」が実質的に始まっていることを痛感させられる。