聖書の言葉より(詩篇のタイトルから)

旧約聖書「詩篇」には、いくつか絶望的な状況で詠まれた詩がある。
「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
人々がひねもすわたしにむかって”おまえの神はどこにいるの”と言いつづける間は わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
わたしはかつて祭を守る多くの人と共に群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。 何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。 わたしはなおわが助け、 わが神なる主をほめたたえるであろう」(詩篇42篇)。
この詩はダビデによるものだが、ダビデがこの歌を詠ったのは、いつのことであろう。
「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした」という言葉から推測できる場面がある。
ダビデ王は過ち多き人であった。部下の家来の妻が気に入り自分のものとして、さらにその家来を戦場の最前線に送り込み、結果として殺してしまうのである。ダビデの行為は神を大いに怒らせそのことにより大きな試練を経験する。
彼がこの「42篇」を書いたのは、幼子の一人を失い、息子の一人が王位を奪おうと反乱をおこすという出来事の結末を迎えた時のことであろう。
具体的には、愛する息子アブシャロムが自分に反逆を起こし、自分にまで殺意まで抱いているという事実につき当たる。
そして自分が親友だと思っていたアヒトフェルが、アブシャロムに組み入り、自分を殺すための計画に加わっている事実を目のあたりにしなければならなかったのである。
そして彼らは、エルサレムの町を乗っ取ってしまう。
ダビデはその反乱に追い詰められるが、アブシャロムが事故で死ぬや、誰も慰めるものがいないほどに号泣する。
その時、「おまえの神はどこにいるのか」という声がどこからか聞こえたことであろう。
我々が信仰において一番落ち込むのは、神様が約束してくださったこととは、まったく逆のことが起こっているかのように見えることだ。
例えば、神はアブラハムにその子孫を星の数ほどにするという約束をしながら、せっかく生まれたイサクを燔祭としてささげよと命じられたりしている。
ダビデに対して、ダビデの王座によってご自分の国を建てられるという約束をしたのに、自分の息子の反逆にあって命さえねらわれている。
ダビデは過ちも悩み多き人であるが、同時に神を讃える点においても人一倍の人であった。
それはダビデが多くを書いた「詩篇」をみてわかるが、その詩篇がどのような場面で歌われたのかは、よくわからないケースがおおい。
ただいくつかの詩篇にはタイトルがついていて、幸いにもその情況がよくわかるものがある。
そのひとつ「詩篇34篇」には次のようなタイトルがついている。
「ダビデがアビメレクの前で狂ったさまを装い、追われてでていったときの歌」。
ダビデは古代ヘブライ王国の二代目の王であるが、初代はサウル王である。
「サウルは千人をうち、ダビデは万人をうつ」という言葉が広まると、ちょうど源頼朝が義経の命をつけねらったように、頭が狂い始めたサウルにより終始命を狙われ、原野を逃げまどうことになる。
サウルの宮から逃げ出して、ダビデが向かった先が、祭司の町ノブであった。
そこで、聖別された神に仕える者たちから、なにかの預言をえようとしたのであろうか。
ダビデがノブの祭司アヒメレクを訪れた時、アビメレクは驚きその理由を聞いている。
「なぜ、一人なのですか、供はいないのですか」。
ダビデは「王はわたしに一つの事を命じて、”お前を遣わす目的、お前に命じる事を、だれにも気づかれるな”と言われたのです。従者たちには、ある場所で落ち合うよう言いつけてあります”」と、自分がサウル王より追われる身であることを隠し、サウルから派遣されたことにして、食料を求めたのである。
アヒメレクのもとにはパンはなかったが、神にささげる聖別されたパンならあると、それを受け取っている(サムエル記上21章)。
この出来事は、後にイエスによって、律法で禁じられた安息日に仕事をすることや、祭司しか食べることができない「聖別されたパン」を食べることについての議論で登場する(マタイの福音書12章)。
イエスは、その時、神はいけにえよりも憐みを愛し、「安息日は安息日のためにではなく人のためにある」と答えている。
この時、アビメレクは、困窮するダビデに手を貸してやり、祭司用のパンを食することを許し、剣までも授けている。
ダビデはその後、ノブの町からガトに行く。ガトはペリシテ人の五つの町の内の一つで、サウルの敵であるペリシテの領地であり、サウル王の追撃を逃れるためにはそこが一番安全な場所だと考えたのか。
日本の南北朝の動乱で北朝の勢力争いで、一方が南朝に降って勢力を建て直したことなどが浮かぶ。
ところが、ペリシテ人にとってダビデはあまりにも有名人であった。
なにしろダビデは若き日にペリシテ人の誇るゴリアテを倒し、ペリシテ人に何度も敗北をもたらせた「張本人」であったからだ。
実際ガドの王・アキシュは家臣に、「この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、”サウルは千を討ち、ダビデは万を討った”と歌った」と、よく知っていた。
そこでペリシテ人はダビデを捕縛しようとする。
つまり、ガドの王にとって、サウル王よりも、ダビデこそが恐るべき相手であり、逆にペリシテの地にダビデの身の置き所はなかったのである。
そこでダビデは恐ろしくなり、咄嗟に作戦を変更した。
ペリシテ人の前で、気が狂った人のように演技をし始め、髭によだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。
つまり、狂った者として追放されることによって、処刑を免れ、この絶体絶命のピンチから逃れることが出来たのである。
ダビデがしたこの行動は、追い詰められてなりふりかまわず生きようという、ダビデの弱さと欠落が露見されたと見ることができる。
ダビデは、こうして身の安全を確保したのであるが、自らを辱めペリシテ人に醜態をさらし、敵の嘲りの的としてしまった。
こうしたダビデの一連の行動、つまり祭司を欺き、敵前で狂人を演じるといったことが、果たして神を信仰する態度としてふさわしいものといえるか。
こうした体験をもとに詠われたのが、「詩篇34編」なのである。
「さいわいを見ようとして、いのちを慕い、ながらえることを好む人はだれか。
あなたの舌をおさえて悪を言わせず、あなたのくちびるをおさえて偽りを言わすな。
悪を離れて善をおこない、やわらぎを求めて、これを努めよ。
主の目は正しい人をかえりみ、その耳は彼らの叫びに傾く。主のみ顔は悪を行う者にむかい、その記憶を地から断ち滅ぼされる。
正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助け出される。
主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。
正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
主は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない」(詩篇34篇)。
このダビデの歌の中で、「さいわいを見ようとして、いのちを慕い、ながらえることを好む人はだれか」とか、「あなたの舌をおさえて悪を言わせず、あなたのくちびるをおさえて偽りを言わすな」ともいっているところを見ると、自分のふるまいにつき反省しているようにみえる。
その一方で、「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」とある。
神がそんななりふりかまわぬ自分をも守って下さったことへの感謝の歌と読むことができる。
ところで、キリスト教の中にも浸透している非聖書的な考えは、いわば「ポジティブ信仰」といったもので、自分が強くなることがそのまま霊的に健康状態であるという考えである。
人間にとって「絶望的な状況」つまり千方(せんかた)つきるネガティブな状況こそが、神にとっては御心を実現する、または「神の栄光」が顕われん為の好機なのではなかろうか。
聖書には人間は「心と霊と体」でできているとある(ヨハネ第三の手紙)。
落ち込んでいるのはあくまでも心(感情)の中で起こっていることであり、霊の状態ではないことである。
だからこそ絶望的な状況でも、「神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう」(詩篇42篇)という詩がでるのであろう。

古代イスラエルには、主(神)に向かって賛美する聖歌隊や楽器を奏でる人たちがいた。
旧約聖書の「詩篇」の多くには、時々その詠われた状況をしめすタイトルが書いてある。
それによると、冒頭の「詩篇42」篇を含む「詩篇42~49」は、コラの子たちによって書かれたものだということがわかる。
その詩篇のタイトルに、「指揮者のために。コラの子たちのマスキール」とあるからだ。
さて、モーセによるイスラエルの「出エジプト」を描いた映画「十戒」(1969年)で印象に残った場面のひとつが、指導者モーセに逆らった人物とそれに付き従った者達が、地面が割れて地に呑み込まれる場面である。
映画の内容とは少し異なるが、旧約聖書に登場する「コラ」という人物こそが、そのモデルとなっていることがわかる。
コラは、モーセとアロンに反逆して、生きたまま地の中、陰府に落とされた人である。
神のあわれみによって、その子孫で残された者たちがいた。
そして、ダビデの時代には、礼拝賛美を導く奉仕者になったのである。
詩篇のタイトルにある「マスキール」の意味は「指揮」で、神を賛美する者たちを指導し、指揮する意味がある。
コラが、モーセやアロンに対して反逆を起こした理由は、なぜ自分ではなくモーセとアロンが自分たちのリーダーであるのかという不平不満によるものであった。(民数記16章)
その時モーセは、コラを次のようにたしなめた。
主はそれぞれに役割を与えられる。
モーセとアロンだって、自分たちがイスラエルの誰よりも戦闘能力に秀でていて、頭が切れるからイスラエルのリーダーとなったのではない。
主がそれぞれに与えられた役割によるのだ。
つまり、コラは、自分が主から与えられた役割では不服である、もっと主の集会の上に立つ立場をもらえるべきだという理由から、モーセとアロンに逆らい「謀反」を起こしたのでした。
つまり本音は、主に対する不満であったのである。
その結果、コラは、割れた地面に飲み込まれ、コラに従い、香を捧げていた250人も焼き尽くされる。
モーセとアロンのリーダーシップに謀反を起こしたコラは命を奪われたが、コラの子孫たちは、主と、主が立てたリーダーであるモーセとアロンに忠実に従い、神殿での役目を全うし続けた。
ダビデはコラの子孫の中から、神殿で歌をもって仕える人たちを任命する。(歴代誌上6章)。
そして、コラの子孫たちは、その後も、神殿で歌や音楽をもって主に仕える役目を、何百年もの間、忠実に全うし続けた(歴代誌下20章)。
旧約聖書の「詩篇」はダビデやソロモンの歌が圧倒的に多いが、「詩篇」のタイトルに「アサフによる」というものがある。
アサフによって作られたのが旧約聖書の詩篇「73~83篇」であり、アサフが多くの賛美の歌をつくったことがわかる。
アサフは、神を賛美する人であると同時に、「社会的矛盾」に対して敏感な目をもっていて、神を軽んじながらも経済的に豊かで、何不自由なく生活をしている人々への思いを、その詩の中に注ぎこんでいる。
イスラエルの信仰の租アブラハムは、カナンの地にやってくる前にメソポタミアのウルという街に住んでいた。
メソポタミアでは、利子をとって「お金」を貸し付けることが行われていた。
例えば、紀元前19Cほどに作られた「ハンムラビ法典」では、金貸しが一定以上の割合を取った時には現金が没収されるという、「利子制限」の 厳しい条文がある。
具体的には、オオムギの貸し付けで33%、銀で20%といった具合に。
そうした制限は、利子が貧富の差を拡大し、また規模が小さかった共同体社会に大きなダメージを与えることを防ぐために必要であったからだ。
貨幣が利子をとって自己増殖することは、貧者の没落を招き、社会の存立を脅かすからだ。
現代の資本主義はそれとはまったく逆で、貨幣の自己増殖を基礎にして社会が成り立っている。
ユダヤ教、キリスト教(原始キリスト教)、イスラム教がともに「共同体内の利子取得を禁止」しているのは、そのためである。
しかし、ローマ帝国により故郷から追放されて亡国の民となったユダヤ人の宗教は、例外として「多民族に対する金貸し」を認めた。 それが、ユダヤ人が世界史上の代表的な金貸しになった理由である。
ところで「詩篇」の作者のひとりであるアサフは次のように訴えている。
「神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵み深い。しかし、わたしは、わたしの足がつまづくばかり、わたしの歩みは、すべるばかりであった。これは、私が悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。
彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る」(詩篇73篇)。
この詩は、アサフの神への切実な問いであるが、他の詩篇を見るとアサフはその答えを見出しているようである。
「われらはあなたのみ名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
定まった時が来れば、わたしは公平をもってさばく。地とすべてこれに住むものがよろめくとき、わたしはその柱を堅くする。わたしは、誇る者には"誇るな"と言い、悪しき者には"角をあげるな、角を高くあげるな、高慢な態度をもって語るな"と言う。
上げることは東からでなく、西からでなく、また荒野からでもない。
それはさばきを行われる神であって、神はこれを下げ、かれを上げられる。
主の手には杯があって、よく混ぜた酒があわだっている。主がこれを注ぎ出されると、 地のすべての悪しき者はこれを一滴も残さずに飲みつくすであろう。
しかしわたしはとこしえに喜び、ヤコブの神をほめうたいます。
悪しき者の角はことごとく切り離されるが正しい者の角はあげられるであろう」(詩篇75篇)。

旧約聖書のヤコブはラバンの山羊や羊の群れを飼うことになりますが、ヤコブはそこからさらに自分の財産を築くべく知恵を働かせようとした。