聖書の謎("福音"から解く)

パウロは「福音」について簡潔に書いている。
「すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである」(コリント人第一の手紙15章)。
ここで「ケパ」(当時の日常語アラム語)は、イエスによって「ペテロ」という名前を与えられた。
周知のごとく、イエスには十二人の弟子がいるが、彼らに命じて空腹に陥った民衆に「パンと魚」を分け与える場面が「2か所」ある。
そこには「数字」がまるで暗号のようにでてくる。
その最初の場面は、バプテスマのヨハネがヘロデ王に殺害されたと報告を受けた直後の場面である。
「イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。 イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。 夕方になったので、弟子たちがイエスのもとにきて言った、"ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください"。 するとイエスは言われた、"彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい"。 弟子たちは言った、"わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません"。 イエスは言われた、"それをここに持ってきなさい"。 そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。 みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。 食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった」(マタイの福音書14章)。
この場面で「十二弟子、五つのパン、二ひきの魚、女と子供とを除いておおよそ五千人」という数字がでてくる。この数字をどう解釈するか。
「聖書のことは聖書に聞け」という流儀でいくと、「使徒行伝」にそのヒントを見出すことができる。
イエスの死後50日目(ペンテコステの日)にエルサレムの会堂に聖霊が下り「初代教会」が誕生する(使徒行伝2章)。
勇敢な使徒に変身したペテロとヨハネが「ソロモンの廊」で病人を癒した後、集まってきた民衆に対して、次のように「福音」を語った場面である。
「あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。 あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、 いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である」。
そんな、ペテロとヨハネ二人に弾圧の手が伸びる。
「彼らが人々にこのように語っているあいだに、祭司たち、宮守がしら、サドカイ人たちが近寄ってきて、彼らが人々に教を説き、イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、 彼らに手をかけて捕え、はや日が暮れていたので、翌朝まで留置しておいた。しかし、彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった」(使徒行伝3章)。
ここで注目したいのは、「その男の数が5千人ほどになった」という点である。
かつてイエスがパンと魚を与えた「女と子供とを除いて、おおよそ五千人」とピタリと一致している。
しかし、5千人いう「数」が一致するとしても、ふたつの場面にどんな関係があるのだろうか。
カギは、イエスが「パン」を割いて祝福を祈り、弟子を通じて人々にパンを与えたということにある。
聖書で「パン」というのは単に食べ物としてのパンとは限らない。イエスは次のように語っている。
「よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」(ヨハネの福音書6章)。
イエスの死後50日目に下った聖霊は、実は「命のパン」たるイエス・キリストそのものをさしている。
人間の「復活」の保障となるのが聖霊(ローマ人への手紙8章)は、霊の身体を肉体として甦らせるということだ。
ちなみにイエスの言葉にある「マナ(Manna)」はイスラエルの民が荒野で飢えた時、神がモーセの祈りに応じて天から降らせた食べ物である。
旧約聖書に「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる」(出エジプト記16章)とあり、この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語の「マナ」と呼ばれるようになった。
復活後イエスは「12人の弟子や、イエスに従った女たち、また、500人以上もの人々に同時に現れた」(コリント人第一の手紙15章)とある。
まるで「5つのパン」がいつのまにか増えたように。
さてイエスは5千人の空腹な民衆を満足させるほどのものを与えたとあるが、聖書には「パンと魚をさいた」以外どのように増えたかなどという説明はない。
それより不思議なのは、イエスが残ったパンを集めたところ「12カゴ」にもなったという点である。
普通、残り物のパンの量などは記録に残さぬものだ。
この「パンの残余量」については、この「5千人の空腹な民衆にパンと魚を与えた出来事」の直後におきるエピソードにヒントがある。
イエスがツロの地方に行った時、けがれた霊につかれた幼い娘をもつカナン人の女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて足もとにひれ伏し、"娘から悪霊を追い出してください"とお願いした。
イエスは女に言われた、"まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない"。
すると女は答えて言った、"主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます"。
そこでイエスは言われた、"その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった"。そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」(マルコの福音書7章)。
このエピソードでイエスが「子供たちと子犬」の譬えで示したのは、イスラエルとカナン人の関係を示しており、イエスの弟子が与えて「残ったパンくず」とは、「異邦人」に与えられるパンを指すと理解することができる。イエスは、次のように語っている。
「わたしにはまた、この囲いにはない他の羊がある。私は彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一つの羊飼いになるであろう」(ヨハネの福音書10章)。
また「5千人にパンと魚を食べさせた出来事」で注目したいのは、イエスはパンと魚をさいて弟子たちに渡して、弟子達がこれを分けたという箇所である。
実際イエスは十字架の死後3日後に復活し、弟子たちに「全世界にでていって福音を宣べ伝えよ」というミッションを与える。
このことから「12カゴに残ったパン」は、12人の使徒達による「異邦人伝道」を示している。
また、「5千人の民衆にパンと魚を与えた出来事」の「二匹の魚」の意味はなんなのだろう。
このことは、聖書にもう一か所ある、「イエスが空腹な民衆にパンと魚を与える場面」と合わせると知ることができる。
それは、イエスがツロとシドンに行かれた時に起きた出来事である(マタイの福音書15章)。
「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、"この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう"。 弟子たちは言った、"荒野の中で、こんなに大ぜいの群衆にじゅうぶん食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手に入れましょうか"。 イエスは弟子たちに"パンはいくつあるか"と尋ねられると、"七つあります。また小さい魚が少しあります"と答えた。 そこでイエスは群衆に、地にすわるようにと命じ、 七つのパンと魚とを取り、感謝してこれをさき、弟子たちにわたされ、弟子たちはこれを群衆にわけた。 一同の者は食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七つのかごにいっぱいになった。 食べた者は、女と子供とを除いて四千人であった」。
この「4千人にパンと魚を与えた」箇所で登場する数字は次のとおりである。
「パン7つ、ちいさい魚少し、女と子供を除き4000人」である。
イエスが「男の数5千人の空腹な民衆を食べさせた」場面で、12カゴは「12使徒」と推測できるが、この「男の数4千人の空腹な民衆」を満たした「7つのカゴ」とは何を意味するのだろうか。
実は「使徒行伝」に「7人の使徒」とピタリ一致する場面がある。それは12弟子(裏切ったユダのかわりのマッテアを含む)、あらたに「7人の使徒」が加えられる場面である(使徒行伝6章)。
「そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、”わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、 わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにした”。
そして7人を選び出し、それによって神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった」(使徒行伝30章)。
前述の「男の数5千人の空腹な民衆」で「神の言葉」を語ったのは、ペテロとヨハネである(使徒行伝6章)。
彼ら2人はいずれもイエスの「直弟子」であることからも、「2ひきの魚」とはペテロとヨハネを指すのではないか。
次にイエスが対面した「男の数4000人の空腹な民衆」にでてくる「小さい魚」とは誰のことかというと、新たに加わった7人のいわばイエスの「孫弟子」を意味し、彼らによって新たに加わったイエスの(間接的な)弟子の数が4千人に達したということではなかろうか。
初代教会において彼らもまたイエスという「天のパン」にあずかり、「残った7つのパンくず」は彼らの異邦人伝道をさすと推測できる。

イエスが「5千人の空腹を満たした時」の魚2匹が「ペテロとヨハネの伝道」の預言ならば、イエスがペテロに語った「最初に釣れた魚」という言葉が思い浮かぶ。
ペテロは宮の集金人に「あなた方の先生(イエス)は宮の納入金を支払わないのか」と問われ、それをイエスに伝えると、イエスは次のように答えている。
「湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとシケル1枚が見つかるから、それを取ってわたしとあなたとの分として納めなさい」(マタイの福音書17章)。
この荒唐無稽にも思えるイエスの言葉は何を意味するのだろうか。
かつてイエスがガリラヤの海べで、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが網を打っている場面と出会った。
そしてイエスは彼らに「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と言った。すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った(マタイの福音書4章)。
聖書においてイエスの十二人の使徒の中で、ペテロこそはイエスの一番弟子、つまり「最初に釣れた魚」なのである。
第二の疑問は魚の口の中から1シケル(銀貨)が見つかることなど、ありうるのだろうか。
実は、ガリラヤ湖には、幼魚を口で育てる習性をもつ「ティラピア」という魚が棲んでいる。
自分の子供の魚を自分の口の中で育てるが、子供の魚がある程度大きくなると、口の外へ追い出すために、親魚はわざと小石を飲み込む。
子供の魚は親魚の口の中にある石が邪魔で戻れなくなり、外の世界で成長することへと導かれる。
そんな小石と一緒に、湖に落としたコインを親魚が飲み込んでしまうことがあるのだという。
ペテロは漁師であるから、当然ティアピラがコインを飲み込む習性のことも知っていた。
第三に「なぜわざわざ魚を釣りに行かねばならないのか」、そこにどんな意味があるのだろうか。
旧約聖書のヨナが生きた時代から、9世紀の時を隔てて生きたのがペテロだが、両者は重なるものがある。
それは、人間性を裸にされつつも、神の慈愛によって教えられていく点である。
また、ヨナが敵対するアッシリアに向かったように、ペテロも敵対するローマに向かう羽目になる。
イエスはペテロに対して、「他の人があなたに帯を結びつけ、行きたくないところに連れて行く」(ヨハネの福音書21章)と預言したとうりである。
そして最も重要なことは、ヨナが海に投げ出され、3日間魚の腹の中にいたことは、十字架の死後、3日目に蘇るイエスの「復活」の型であるということだ。
イエスがペテロに「湖に行って魚を釣りにいきなさい」といった理由は、後述するように後になって「悟るべき」ことがあるからだ。
「宮の納入金」問題についての第四の疑問は、イエスとペテロの分「あわせて1シケル」という点である。
まずは「1シケル」とはどのような通貨であろうか。
モーセのおきてでは、「すべての者は聖所のシケルで、”半シケル”を払わなければならない」とあるように、1人あたり、銀半シケルを神殿税として納めることになっていた(出エジプト記30章)。
その後、変遷はあるものの、最終的に「1シケル=2デナリ」となっていったようだ。
したがってイエスが納めるべき「半シケル」とペテロが納めるべき「半シケル」を合わせた分が「1シケル」ということになる。
さてイエスのたとえ話の中に、「1シケル銀貨」が登場する話が他にある(ルカの福音書15章)。
「ある女が銀貨10枚を持っていて、もしその1枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたからと」。
また別の譬え話が続く。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、"見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください"と言うであろう」。
この2つのたとえ話から「失われた銀貨」と「見失った羊」が、同等なものとして譬えられている。
聖書では「羊」は燔祭(いけにえ)と捧げられるものであるので、「宮に1シケルを納める」とは、「燔祭」を神殿に納めることを意味する。
イエスは最後の燔祭として十字架で死をとげた。この段階で「失われた銀貨/見失われた羊」なのだが、迷子のヨナが3日後に魚から吐き出されたように、イエスも3日後に復活をとげる。
かつて、イエスはシモンとよばれた漁師に、「ペテロ」つまり「岩」という名前を授け、「私はこの岩の上に私の教会を建てる」(マタイの福音書16章)と語っている。
つまりペテロが神殿に納めた「1シケル」は、イエスを頭としてペテロを基いとする「教会」に転じる。
それはイエスがユダヤ人達に語った「この神殿をこわしたらは三日のうちにそれを起す」(ヨハネの福音書2章)という言葉にも符合する。

8:11 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。 「弟子達はイエスの復活後に、かつて語られた言葉を思い出し悟った」(マタイ26章)」。
ペテロも「魚がくわえた銀貨」の意味を悟ったに違いない。
現在のイスラエルの通貨単位が「シケル」である。
イエスは弟子たちに「わたしは羊のために命を捨てるのである」。さらに「彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」と語っている(ヨハネの福音書10章)。ここでいう「群れ」が、教会にあたる。
第五に「1シケル」を宮(神殿)に納めるとはどういうことか。イスラエル人にとって神殿に納めるものといえば、「燔祭」(いけにえ)である。
パウロはイエスを「大祭司」になぞらえ、次のような手紙を信徒達へ送っている。
「大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである」(ヘブル人への手紙9章)。