ブラックジャックとヘッジファンド

「ブラックジャック」というゲームは、手持ちのカードの数字の合計が21 を超えない範囲で、できるかぎり21 に近い方が勝ちという、一見単純明快なカードゲームだ。
もともと「ヴァンテ・アン」とよび、フラランス語で「21」を意味していた。このゲームが19世紀にアメリカへ渡った際、「スペードのエースとスペード(またはクラブ)のジャック」でボーナスが支払われたことから、「ブラックジャック」と呼ばれるようになった。
そしてこのゲームが、金融界の「ヘッジファンド」を生んだから、この世は驚きに満ちていている。
その勝負は、個々のプレーヤー(自分を含めた他の一般の客)とディーラー(カジノ側のスタッフでトランプを配る人)との 1対1 の対戦形式で勝敗が決められる。
参加者同士は対戦相手ではないので互いの手はまったく関係なく、差し出したドル紙幣と同じ金額のカジノチップをディーラーがくれるので、その手持ちの予算の範囲内で賭け金を決めてゲームをスタートする。
自分の目の前のテーブル上の指定された位置に賭け金を置くことで、ゲームへの参加の意思表示となる。
ディーラーは各プレーヤーおよび自分(ディーラー自身)にカードを2枚ずつ配る。
2枚のうち、1枚は全員に数字が見えるように表向きに、もう1枚は伏せられた状態になっている。
見えているカードのことを「アップカード」というが、ディーラーのアップカードからディーラーの最終的な手(最終的な数字の合計)を推測しながら、自分がさらにカードをもらうかもらわないかの判断をする。
参加しているプレーヤー全員がカードをもらい終えた段階で(もらわない者もいる)、ディーラーは自分の伏せてあるほうのカードをオープンし(表に向け)、全員の前で自分の手を披露する。
この段階でディーラーは、自分の手の合計が 16以下であった場合は17 以上になるまでカードを引き続けなければならない。
そこで、17以上になった段階でディーラーはそれ以上カードを引くことはできないのでゲームをストップし、各プレーヤーの手とディーラー自身の手を照合しながら勝ち負けの確認作業と精算をおこなう。
ディーラーが勝っていた場合は、ゲーム開始時にプレーヤーがテーブルに置いていた賭け金は取られてしまい、プレーヤーが勝った場合は、その賭け金と予め定められた倍率の金額を「払い戻して」もらえる。
初めての参加でも運良く勝てることもあるが、長期では勝てない。
つまりカジノ側がもうかることになっている。
さらに詳しくいうと、カードの数え方は絵札(J、Q、K)はどれも10で、その他のカードはその数字の通りに数える。
エース(Ace)は1 または11 と数えることができ、状況に応じて自分の都合のよいほうに解釈してかまわない。したがってエースは戦略上、非常に強力な武器になる。
合計の数字が21を超えてしまうことを「バースト」といい無条件で負けとなる。ディーラーもバーストした場合負けとなり、掛け金と同額支払うことになる。

エドワード・ソープは1932年生まれ、家は裕福ではなかったが物理学が好きで奨学金をもらいカリフォルニア大学ロサンゼルス校に入学した。
大学院に進み、研究は楽しかったが生活費の問題が重くのしかかった。そこで友人と小遣い銭稼ぎの話をしていた時に、カジノに興味をもった。
ソープは博士課程を終えた後、マサチューセッツ工科大学でインストラクターの職をえた。
その2年間で人生を変える出会いがあった。それは、電気通信や暗号技術に関する「情報理論」を創りだしたクロード・シャノンとの出会いである。
さて暗号システムでよく知られているのは、ランダムな数字をならべた「暗号の鍵」を用意して、対応する文字にその数字の分だけ位置をずらす方式。
例えば、3とDを対応させて、Dを3つプラスしてずらすとGの文字になるといった「ワンタイムパット暗号」である。
シャノンはこの「文字の伝達」を「音の伝達」に置き換えた時、文字をずらす部分を「信号」の特徴を打ち消す「ノイズ」(ランダムな数字)であることと、とらえなおした。
ちょうど電話をしている時に、掃除機の音を思い切り響かせるようなものだ。
このアイデアをもとにシャノン達は「SIGSALY」という新たな暗号システムを開発する。
指揮官の声に十分なノイズをかぶせれば、何をいっているか聞き取れなくなる。
中央本部側にはまったく同じノイズを用意して、その「音」を引いてやれば、もともとの声が再現できる。
要するに音声版「ワンタイムパット暗号」で仕組みは単純でも、実装するのは困難を極めた。ノイズの特徴は正確にわかったとしても、それを電話線の音からどうひいてやるかだ。
シャノン達はそれをなんとかクリアし、その過程で情報とノイズの決定的な関係に気がついた。
例えば、車の中での渋滞の会話と、映画の話題を比較すると、細切れに聞こえる単語から会話の内容を予想する場合、はるかに前者のほうが予想がつきやすい。
このことから、信号に含まれる情報量が、受信側の解読しやすさに関係することを知った。
言い換えると、メッセージの起こりやすさと、情報量の関係である。シャノンは情報と確率を結びつけることによって、メッセージに含まれる情報量を数値で表すことに成功した。
ちなみの「ビット」という言葉は、シャノンが作った「情報量」を表す言葉である。
ところでブラックジャックというゲームは、17Cセルバンテスの「ドンキホーテ」にも登場するほど古くからあるゲームだが、1950年代にカジノブームが起こってからも、プレイヤー側に有利な戦略があるかどうかは謎のままだった。
1953年に米軍の研究グループが研究に着手し3年がかりで計算して、ブラックジャックの「最適戦略」を考え出したが、その欠点はゲームが毎回独立しているという前提をおいていることだった。
実際のゲームではカードが足りなくなるまで、すでに使った札を戻すことはしなかったのである。
カードの出る確率が戦略を左右するならば、すでに出たカードを計算にいれなければ正確な結果にならないはずだ。
何のカードが出たかを覚えておき、残ったカードに応じて戦略を変えていかなければならない。
これが「カードカウンティング」の考え方である。
「カードカウンティング」とは、すでに出現したカード(すでに見えてしまったカード)を記憶し、残されているカードの山の中に、どのようなカードがどれほど残されているかを読む高等戦術である。
この戦術でプレーヤーが具体的に知りたいことは、カードの山の中に 絵札や Ace などの強いカードがどの程度残されているか、ということ。
出てしまったカードが Ace および 10 や絵札ならば、1枚につき -1点、7、8、9 ならばゼロ点、2、3、4、5、6 は +1点とし、それらをプレーの最中に刻々と合計していくという手法だ。
そしてその合計の数値がプラスの値ならばプレーヤー側に有利な「好機」と解釈し、次のプレーでの賭け金を大幅に増やし、逆にマイナスならば不利な状況と判断し賭け金を減らす。
単純に考えても、Ace が山の中に多い状況は明らかにプレーヤー側に有利に働く。それに、ブラックジャックが完成する確率はプレーヤー側もディーラー側も同じだが、プレーヤー側が完成させた場合にのみ1.5倍(もしくは2倍)もらえることになっている。
ただし、カードカウンティングを行なっている者に対して、カジノ側にはプレーを拒否する権利があり、実際にプレーの続行を断られることは少なくない。
ソープは、カードカウンティングで勝率を知ることができたとしても、何度か繰り返されるゲームのなかでどのタイミングでどれだけの金額をかければよいか、どこかに「最適解」があるはずだと考えた。
ソープがその点で悩んでいた時、シャノンがベル研究所で同僚だったジョン・ケリーという男が書いた一本の論文を教えてくれた。
ソープが目を留めた点は、シャノンの情報理論を「競馬」に結びつけたことだった。
単純で素朴な話だが、20世紀前半までレースの結果が各地方まで伝わるのに時間がかかった。もし情報をすばやく知る手段があれば、レースの結果を入手してから賭けることさえ可能だったが、電話やテレビの登場でその時間差はほぼなくなった。
当時のケリーは、例えばプライベート回線で正しい結果を送ろうとしている時にノイズがはいっていたらどうであろうかと考えた。
例えば”T”だけの情報が聞き取れた場合、名前にTがはいっていない馬は除去できる。それだけでも多少は有利な立場にたてる。
情報が不完全でも判断の役に立ち、そこで掛け金の配分を調整することは可能ということになる。
シャノンの理論を使えば、とりあえず読み取れる部分をどう使うかに役にたつ。
ケリーはこれを使って長期的な利益をもっとも大きくするような賭け方を編み出した。
そして特定の結果に賭けるべきお金の割合は、「自分の有利さ/払い戻し率」というケリー基準で表すことができる。
勝った場合の払い戻し部分的情報をもとにした本当の勝率から本当の敗率を引いて、自分の有利さを計算し、 払い戻しの倍率で割ってやると、手持ちのお金の何割をかければいいかがわかるという式である。
シャノンからケリーの論文を受けた時、ソープのブラックジャック戦略に欠けていた最後のピースが埋まった感じがあったという。
シャノンとソープによって編み出された予測のアルゴリズムが正しくとも、不正監視の厳しいカジノで実際にどう実行するかが大きな問題だが、映画「ラスベガスをぶっつぶせ」(2008年)では、この辺の状況がよく描かれている。
カードカウンティングは、本格的に実行し続けていると意外と簡単にバレる。
賭け金の額が不自然に大きく変化したり、プレーヤーの視線があわただしく動いたり、他人がヒットしたカードや流されていくカードにまで視線が向けられるようになるからだ。
コンピュータ計算をした情報を、カジノの現場にイヤホンで伝えるなどスリリングに痛快に描いている。
そして予測が現実のものになるには、確率論の「大数の法則」にしたがって、長時間かけ続けねばならないということも。
そしてソープは「ディーラーをやっつけろ」という本を書き、世界的に知られる存在となる。

エドワードソープは、ある時、投資関連の雑誌をめくっていてワラントのコーナーに目が留まった。ワラントはオプションの一種で、株を発行している会社が、その株を買う権利を人々に売るものだ。
オプションとは、買っても株そのものは手に入らず、特定の値段でその価値を買う権利を買うというもの。
例えばグーグルの株が100ドルで取引されている場合、その株を前もって70ドルで買う権利には、少なくとも30ドルの価値がある。
権利を行使して70ドルで買い、すぐに100ドルで売り払ったら30ドルの利益になるからだ。
一方、その株を150ドルで買うオプションには意味がない。グーグル株が150ドル以上にならないと損をするからだ。
、 ソープは、未来についての限られた情報をもとに金をかけるという点で、ギャンブルの数字は株の世界でも適用できると考えるようになった。
特にワラントは、一定の期日までに一定の価格でその株を買う権利が生じる。
広告によると莫大な富の源泉になるというのだが、多くの人々はワラントをどう売買していいかわからないらしい。これはまさにソープが求めていたものだった。
ワラントの価格は、買い手が賭けに勝つ見込みがどえくらいかマーケットの見方を反映している。
最初にいくらで購入するかで株価が上がった時の利益率がかわってくるので、ギャンブルの払い戻し倍率にかかわる。
5年間のギャンブル経験を経たソープにとって、ワラントの本当の価格を知ることは、競馬の本当の「オッズ」を知ることと同じであった。
投資を一種のギャンブルと考えるならば、株を買うとは株価が上がる方に賭けることだ。
逆に株を得るとは株価が下がる方にかけることだ。
ワラントの適正価格を知ることで、「ケリー基準」にしたがって、長期的な利益が出せるようにかけていけばよい。
しかし伝統的な取引では、そのバランスは「非対称」になっている。
株を買うのはいつでもできるが、株を売るには株をもっていないとできない。
似たようなことはカジノにもいえる。ルーレットで「入らない」方に賭けるのは「入る」方に賭けるより、ずっと簡単だ。
カジノがやっているのは結局そういうことで、長期的にカジノ側が儲かるようになっている。
ただ投資の世界では、株をもっていなくても株を借りることでゲームに参加することができる。
借りてきた株を売って、一定期間後に同じ数だけ買戻し、元の株主に返すのだ。
そうすれば、あらかじめ株を買わなくても、株価が「下がる」ほうに賭けることができる。
売った時点より株価が下がれば、安い値段で買い戻すことができ、差額分だけ得するからだ。
元の持ち主は値段が下がった株を返してもらうが、そもそも自分が持ち続けた場合と何もかわるものではない。
これを株の「空売り」というが、300年も前からおこなわれており、17世紀イギリスでは禁止された記録がある。とはいえ「空売り」はリスクも大きい。
株価が下がってもゼロより以下になることはないが、株価下落の予想のもとで「空売り」した場合どれだけの損失を負うかわからない。
そこでソープは画期的なアイデアを思いついた。ワラントの価格は株価の動きと結びついている。
だからワラントを「空売り」すると同時に、その元になっている株をいくらか買っておけば、ワラントが高騰した時の損失を押さえることができる。
そしてワラントと株式のバランスをうまくとれば、株価がどんなに動いても、いくらかの利益がかならず入ってくることを突き止めた。
これが後の「デルタヘッジ」として有名になるやり方で、様々な転換証券を使ったリスク回避手法のバリエーションが生まれた。
ソープの書いた「株式市場をやっつけろ」という本に対して、ウォール街の反応はけして高くはなかった。
しかし、ジェイ・リーガンというブローカーが理解を示し、ソープとリーガンの共同で世界初の「ヘッジファンド」が誕生した。
1974年「プリンストン・ニューポート・パートナーズ」と改称したこのヘッジファンドは、最初の1年間で投資家達に13パーセントのリターンを提供した。ちなみに平均リターンは3.3パーセントである。
その成功をきっかけに、数多くのクォンツ系のヘッジファンドが生まれた。
2000年代に力を増したヘッジファンドを動かすのはクォンツとよばれるトレーダーだ。
彼らの特徴は、数学や物理学など金融とは無関係の分野の博士号を持つものが多いこと。
なかでも、フィッシャー・ブラックによる「ブラック・ショールズ・モデル」は、オプション価格の決定に多大な影響を与えた。
、 基本的にはソープの考え方と同じだが、ソープの場合は株価の変動が大きくはないことを前提に、なるべく大きな利益をだすことを狙っていたが、ブラックのモデルは、株式とオプションを組み合わせることで、完璧にリスクフリーを目指したものだった。
ショールズと共同研究者のロバート・マートンは、この功績で1997年にノーベル経済学賞を受賞する。