聖書の場面(イエスのしぐさ)から

新約聖書の中のイエスの「しぐさ」の中に、旧約聖書のヤハウェを直接想起させる場面がいくつかある。
その一つが、イエスが「海を叱る」場面である。
イエスは神の国の福音を伝えるために町々村々を巡回し続けていた。
12弟子もイエスに従って、ガリラヤ湖の近くにきた。
ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、湖の向こう岸へ渡ろうと言われたので、一同はそれに従って船出した。渡って行く間に、イエスは眠ってしまった。
すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険な状況になった。
そこで、弟子達はイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。
するとイエスは起き上がって、風と荒浪とを"しかる”と、止んでなぎになった。
そしてイエスは彼らに「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」と問うたのに対して、弟子たちは驚くばかりで「いったい、このかたは誰だろう。お命じになると、風も水も従うとは」と互いに語り合った(ルカの福音書8章)。
ところでガリラヤ湖は、日本の琵琶湖の4分の1ほどの大きさだが、面白いことにガリラヤ湖の旧名キネレットの意味は「竪琴」で、エルサレムも京都の古都も語義としては「平安の都」で同じなのである。
ガリラヤ湖は、海抜マイナス290メートルに位置し周囲を山に囲まれているため、一気に湖面に吹き付けて、今までまるで鏡面のように穏やかだった湖面が、あっという間に波が立ち、荒れ狂うという。
そのガリラヤ湖特有の突然の暴風にさらされ、ペテロを含む四人がもともと漁師である弟子達でさえもパニックになってしまった。
弟子達からすれば「向こう岸へ渡ろう」とい言い出した当人イエスが太平楽にも舟の中で眠ってしまっている。
一体どうしてくれるんだと思ったにちがいないが、イエスを起こしたところ、逆に「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」と問い返される。
そしてイエスが、風と荒波を「叱る」と静かになった。他の福音書では「風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」(マルコによる福音書4章)といったとある。
ここでイエスは、風や海にまるで人に対するような言葉で命じている。
さて旧約聖書でヤハウェの神が「海を静める」場面で思いつくのは、「紅海の奇跡」である。
エジプト王パロに襲いかかった災難によって、モーセに率いらえたイスラエルはエジプトをようやく脱出する。しかしパロの気持ちが変わってエジプト兵に追われ紅海に追いつめられる。
その時、イスラエルの人々はモーセに「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか」。
そして「荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかった」とまでいいだす。
それに対してモーセは民に神の示した預言にしたがって、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい」と励ました、
さらに「 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい”」と語りかけた。
そしてモーセは神から示されたとうりに、杖を上げ、手を海の上にさし伸べると水は分かれ、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を通っていった。
追ってきた、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海の中にはいった。
そのときモーセは神に示された通りに、手を海の上にさし伸べると、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった。
このように、神はこの日イスラエルをエジプトびとの手から救われ、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた(出エジプト記14章)。
この「出エジプト記」には、紅海を前にしてイスラエルの民がパニックを起こしているのがわかる。
それは新約聖書で「湖の向こう側に渡ろう」といって嵐に見舞われた弟子達の極限状況と幾分似ている。
なぜならイスラエルの民はシナイの荒野を昼は雲の柱、夜は火の柱という神のしるしと導きにしたがってきた末に、この極限状況に陥ってしまった。
イスラエルの民衆は、モーセにこの状況をどうしてくれるんだといわんばかりだ。
旧約聖書には「風も水も従させる」ヤハウェイの神を讃える詩は預言書や詩篇の中にいくつも存在する。
「主が命じられると暴風が起って、海の波をあげた。彼らは天にのぼり、淵にくだり、悩みによってその勇気は溶け去り、酔った人のようによろめき、 よろめいて途方にくれる。彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い出された。主があらしを静められると、海の波は穏やかになった。こうして彼らは波の静まったのを喜び、主は彼らをその望む港へ導かれた」(詩篇107篇)。
さらに、イエスの「海をしかる」という"ふるまい"にフォーカスすると、次のような箇所がある。
「見よ、わたしが、"しかる"と海はかれ、川は荒野となり、その中の魚は水がないために、 かわき死んで悪臭を放つ。わたしは黒い衣を天に着せ、荒布をもってそのおおいとする」(イザヤ書50章)。
「主は紅海を"しかって"、それをかわかし、 彼らを導いて荒野を行くように、淵を通らせられた」(詩篇106篇)。

新約聖書のイエスのしぐさの中に「土をこねる」場面がある。
イエスが病人を癒す際に、イエスは病人やハンディのある者に対して、「何をして欲しいか」と問うた上で、手をふれると瞬時に癒される場面がある(マタイの福音書8章)。
それどころか、イエスの衣に触れただけで、12年間も長血を煩っていた女性が癒されたケースもある。
その際に、イエスはイエスは力が出ていくのを感じ、「わたしにさわったのは、だれか」と問うと、女性は「イエスにさわったわけと、さわるとたちまち治ったこととを、みんなの前で話した」(マルコの福音書5章)とある。
こうした、瞬時にいやされたケースとは違い、すこし手間をかけて癒されるケースもある。
イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに、「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と尋ねると「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と応えている。
そう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で”土をこね”て、その人の目にお塗りになった。
そして、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われた。
そこで、病人は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
このエピソードで注目したいのは、男性が「生まれつきの病」であったことと、イエスの「土をこねて目をふさぐ」という行為が、何か陶器でもつくるような表現であること。
実はヤハウェの神が「陶器師」のように人を創られるという表現は「詩篇」や「預言書」の中にいくつか表れる。
なかでも預言者エレミヤに臨んだ言葉が印象深い。
「"立って、陶器師の家に下って行きなさい。その所でわたしはあなたにわたしの言葉を聞かせよう"。わたしは陶器師の家へ下って行った。見ると彼は、ろくろで仕事をしていたが、粘土で造っていた器が、その人の手の中で仕損じたので、彼は自分の意のままに、それをもってほかの器を造った。その時、主の言葉がわたしに臨んだ、 "主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある」(エレミヤ記18章)。
こうした言葉から、イエスがつばで土をこねて目をふさいだ行為は、「癒した」というよりも、「創造した」という方が近いかもしれない。
ところで旧約聖書「創世記」のはじめに人を「土のちり」で創造したことが記されている。
「主なる神が地と天とを造られた時、 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。主なる神は”土のちり”で人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた」(創世記2章)。
ここで神が人(アダム)をつくる際に、土からつくられ、神の霊を吹き込んだという点に注目したい。
また、使徒・パウロはしばしば自らを「土の器」と表現している。
「ああ、人よ。あなたは神に言い逆らうとは、一体、何者なのか。 造られたものが造った者に向かって、”なぜ、わたしをこのように造ったのか”と言うことがあろうか。
陶器を造る者は同じ土くれから、一つを尊い器に他を卑しい器に造り上げる権能がないのであろうか。
もし、神が怒りを表し、かつ、ご自身の力を知らせようと思われ つつも、滅びることになっている怒りの器を大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意された憐れみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされた とすれば、どうであろうか」(ローマ人への手紙9章)。
「大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる」(テモテ第二の手紙2章)。
このように、パウロは創造主なる神を「陶器師」になぞらえているのである。
ただ、パウロは自身を「土の器」に譬えつつも、自らのうちに”宝”をもっているとも語っている。
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」(コリント人第二の手紙4章)。
さて、イエスが生まれながら目が不自由なものを癒した際に、土でこねた後に目をふさいだ後に「シロアムの池」で洗いなさいと言った。
この経緯で思い浮かぶのは、もともとキリスト教の迫害者であったパウロが光をうけ目が見えなくなったことである。
そこにアナニヤという人物が「つかわされて」きて、アナニヤがパウロの目にふれると、目から目からうろこのようなものが落ちてみえるようになったというエピソードがある(使徒行伝9章)。
「目からうろこ」ということわざは、このエピソードに由来している。
実は「シロアムの池」の由来は「つかわされてきたもの」という意味がある。
この言葉の由来はよくわからないが、もうひとつイスラエルの人々から「癒しの池」と信じられた「ベテスダ」というの池がある。
その池は天使が水面を揺らした時に、最初にはいったものが癒されるという伝説がある池だが、その池にいくことのさえできない病人も多くいた。
その中に38年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。イエスは「なおりたいのか」と言われた時、病人は「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」というと、イエスは「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」というと、ぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行ったというエピソードがある(ヨハネの福音書5章)
また、「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる」(ヤコブの手紙5章)とある。
この言葉から、「池で目を洗う」ということと「油を注ぐ」ということに関連があるのかもしれない。

イエスのしぐさの中に、「地面に文字を書く」場面である。それは、イエスが遭遇した姦淫の女が石打の刑にあっている場面で起きた。
「律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、 ”先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女をを石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか” 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた”あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい”。 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。そこでイエスは身を起して女に言われた、”女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか”。
女は言った、”主よ、だれもございません”。イエスは言われた、”わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように”」(ヨハネの福音書8章)。
ここで注目したいのは「イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた」という箇所である。
この場面の意味を様々な学者や作家が推理をしているが、全体の文脈の中で「地面に書く」ということが重要な位置をしめることだけはわかる。
何故なら、パリサイ人や律法学者が問い続けているその真ん中で主は文字を地面に書いており、イエスは、二度までも地面に書かれたからである。
唐突だが、旧約聖書のには、シナイ山において神がモーセを通じて「十戒」を与える場面がある。
モーセの書には、「主はこれらの言葉を山で火の中、雲の中、濃い雲の中から、大いなる声をもって、あなたがたの全会衆にお告げになったが、このほかのことは言われず、二枚の石の板にこれを書きしるして、わたしに授けられた」(申命記5章)とある。
旧約聖書に"神の手"が出現する場面がもう一つある。それは「ダニエル書」に登場する「神が遣わせた手」で、こちらの「手」のほうがかなりリアルである。
ちなみに「十戒」のなかの第七戒は「汝 姦淫するなかれ」である。
「姦淫の女」と遭遇したイエスのしぐさで注目したいのは、"二度"身をかがめて地面に文字を書いたこと。
実はモーセの「十戒」も"二度"神の手で書かれている。
モーセが最初に刻まれた十戒の石版を抱いて麓に下ると、イスラエルの民はモーセがかえってこないことに不信をいだき、「金の子牛」を刻んで偶像崇拝に陥っていた。
怒ったモーセは石版を民衆に投げうって、あらためてシナイ山にのぼり「十戒」をうけている(出エジプト34章)。
こうした点からイエスが「地面に文字を書く」仕草には、この戒律を与えたのがイエスであること示している。合わせて、新約聖書に”ヤハウェ(エホバ)”の名が一度も出てこないことにも注意したい。
冒頭の弟子たちは、「海をしかって」ガリラヤ湖の嵐と海を静めたイエスが、紅海の海を左右に分けたヤハウェなどとは思いが至らなかったであろう。
「海をしかる」「土をこねる」「地面に文字を書く」、その他諸々のイエスの仕草や言葉から、イエスが天地創造の神であること、イスラエルに律法を与えた神であること、そして「ヤーウェ」(=私は有る)の真の名が「イエス」であることを示している。