聖書より(四つの福音書)

最近ニューヨークで、カナダの山火事で太陽が「赤く」見える映像をみて不気味なものを感じたが、聖書の預言(天の異象など)を信じるといわれるキリスト教「福音派」の人々も何かを感じたであろうか。
一般的に、福音とは「良い知らせ」という意味であるが、元々は聖書の中の、「福音書」に由来している。
今の時代だからこそ、「良い知らせ」の意味を確認したい。
新約聖書に含まれる福音書の内容はイエス・キリストの言行録で、4人の記録者それぞれの名前をとって「マタイの福音書」「マルコの福音書」「ルカの福音書」「ヨハネの福音書」といわれている。
何も知らずに新約聖書を読むと、なぜ同じ話をくりかえしているのかと思うが、何度かよむと、それぞれの福音書の違いに気がつくに違いない。
また旧約聖書には、法廷においてひとりの証人だけに基づいて罪が立証されるべきではなく、最低でもふたりか三人の証人が要求されることが書かれている(申命記19章)。
つまり、四つの福音書をもって「イエス像」は、より正確に伝わるということがいえる。
まずは、「マタイによる福音書」を書いたマタイは、ローマ政府のために働いていた取税人である。
当時、取税人の多くが不当な搾取を常習していたことなどから、ヘブライ人には嫌悪されていた。
、 ところが、イエスは「取税人・罪人らと食事をしていた」(マルコの福音書2章)ので、マタイもその一人であったかもしれない。
、 なにしろイエスは、取税人の元締めザアカイに声をかけ、その家にすすんで宿泊したこともある。
、 ともあれ、イエスがレビとよばれたマタイに自分に従うようにというと、マタイはすぐに従い、イエスの12弟子の1人となった(マルコの福音書2章)。
、 「マタイの福音書」の記録者は取税人マタイとは異なるという説もあるが、取税人は記録を必要とする仕事でもあり、人々の会話や状況をわかりやすく正確に記録することは得意だったのではなかろうか。
「マタイによる福音書」の特徴は冒頭の「イエス・キリスト」の系図。この系図をよむだけで、旧約聖書に書かれた歴史を概観できるばかりか、神の経綸の奥深さを教えられる。
ちなみに、アブラハムから14代でダビデ、ダビデから14代でバビロン捕囚、バビロン捕囚から14代でイエス・キリストである。
もうひとつ「マタイの福音書」の特徴は、頻繁な旧約聖書の預言書の引用などを含んでいることで、イエスがが長い間待ち望まれた「メシヤである」ことを示すこと(マタイの福音書9章)。
そのことから、マタイは、身近にいるへブライ人(古代イスラエル人)を念頭に「福音書」書いているといえる。
そして「マタイの福音書」で、多くの人々にとって印象的なイエスの言葉は、いわゆる「山上の垂訓」とよばれるものではなかろうか。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」(マタイの福音書5章)。
「ルカの福音書」にも、山上の垂訓の内容が記されている(6章)が、かなり省略されている。

「マルコの福音書」は、福音書のなかではもっとも短く15章でなっている。ちなみに一番長いのが「マタイの福音書」は27章でなる。
その特徴は、イエスの教えよりも行動に重点が置いてあり、「たとえ話」などがかかれていない。その点、イエスの「足跡」を知るという点では優れている。
「マルコの福音書」の著書は、マルコという人物で、バルナバの親戚であり(コロサイ人への手紙4章)、「使徒行伝」に若き日のマルコのことが記されている。
使徒たちによって「バルナバ」(「慰めの子」という意味)と呼ばれていた信者がいた。
パウロは熱心なユダヤ教徒で、キリスト者を捕縛することを使命としていたが、ダマスコで神の光にうたれ回心する。
そんなパウロが信者に合流しようにも、信者たちには恐れがあってなかなか受け入れられなかった。
そんな中、パウロと信者の間をとりもったのがバルナバである。
バルナバは、「彼(パウロ)の世話をして使徒達のところへ連れて行き、その身に起こったことを説明し、人々がパウロに対して抱いた恐れを取り除いた。
そのうちパウロは使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語りユダヤ人達としばしば語り合い、論じあうほどになっていく。
ところが、パウロが恩人バルナバとが激しく対立する場面がある。
パウロとバルナバによる第1回の地中海伝道旅行の時、助手としてマルコを連れて行った。ところがマルコは、キプロス島伝道のあとトルコに上陸してからエルサレムに帰ってしまう(使徒行伝13章)。
なぜマルコが途中で帰ってしまったのか理由は定かではないが、第二回目の伝道旅行の際に、そのマルコが途中で退却したことが、問題となった。
バルナバはマルコを一緒に連れていくと主張するが、パウロは、途中で帰ってしまったような人など連れて行けないと、たいへん厳しい。
その際、パウロとバルナバの対立は消えず、両者は別行動をとることになり、パウロは海路バルナバとマルコは陸路をとることになる。
このことは、福音の”広がり”という観点に立てば、前進であったに違いない。
ところで、この時問題となった若者マルコは後に「マルコによる福音書」を残すほどに成長するだから、バルナバの寛大さに救われたのだろう。
マルコは、使徒たち特にペテロとは親しい関係にあり、ペテロはマルコのことを「私の子」と親しみをもって呼び、ふたり人が師弟関係であったことがわかる。
それだけに、ペテロを通じてイエスの話を聞き、「福音書」を残すことになったことが推測される。
当事者しか知り得ないような行動まで詳しく記されていたり、まるで著者が直接目撃したかのような印象を受けるのはそのためである。
「マルコの福音書」が他の福音書とは異なる点は、イエスがみずからを「人の子」と呼んでいることをが頻繁にでてくる。
これは旧約聖書の「イザヤ書」(52章・53章)にある「苦難の僕」に応じた表現のようにみえる。
マルコがイエスを「苦難の僕」と結びつけ、栄光に入ることを示唆したのは、キリスト教徒に対して迫害に耐えるよう励ます意図があったのかもしれない。
マルコは、イエスの姿から、イエスの“弟子”となるとはどういう事なのかを伝えるために本書を書き、イエスを「しもべ」として描写していることがあげられる。
マルコは苦しみを受けるしもべ、仕えられるためではなく人に仕えて多くの人のための贖いの代価としてご自分のいのちを与えるためにこられた方としてのキリストを強調している。
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコの福音書10章)。
すなわちイエスは、天におけるすべての栄光を脇に置き、「仕える者」としてこの地上で過ごされている。
ここで注目したいのは、マルコ自身が目の当たりにしたことを記したわけではなく、ペテロとは師弟関係にあったことから、ペテロが語ったことを本書にまとめたのである。
では、ペテロこそ福音書を書く適任者ではなかったのかという疑問がおこる。
イエスの十字架の際には逃げ出したペテろだが、復活のイエスともっとペテロは別人のような勇敢な使徒へと変身する。
ペテロはエルサレムの「美しの門」近くで病人を癒し、そのことで集まってきた人々を前に次のように語っている。
「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。 アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光を賜わったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、 いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである」使徒行伝3章)。
このメッセージこそが「福音の本質」だが、ペテロは記録する余裕もなく伝道にいそしんだといえそうだ。

地中海世界、当時のローマへの伝道(異邦人伝道)に力をつくしたのがパウロである。
このパウロの伝道を身近にみていたのがルカで、「ルカの福音書」そして「使徒行伝」の記者でもある。
は、アンテオケ出身の医者で、パウロが「愛する医者」(コロサイ人への手紙4章)というように、使徒パウロの同伴者であるルカは、「ルカの福音書」と「使徒行伝」を書いた。
ルカは長い間パウロに同行し、晩年は病弱であったパウロの伴侶として寄り添い続けた。
またイエスの生涯の目撃者ではなかったが、他の使徒たちに取材を重ね、「使徒行伝」も記したことから、最初の教会歴史家ともいえそうだ。
歴史家として、彼はキリストの生涯の順序だった記事を、目撃者の証言に基づいて書きとめておくのが自分の目的であると述べている(ルカ1:1-4)。
「ルカの福音書」で、他の福音書にない内容は、イエスの母マリアとバプテスマのヨハネの母エリサベツとの出会いや、幼きイエスの姿を書いている点である。
「幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、”どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです”。するとイエスは言われた、”どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか”。しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった」(ルカの福音書2章)。
幼いイエスの言葉にも、普通ではない深遠さが隠されている。
「ルカの福音書」は、冒頭に「テオピロ閣下」で始まっているので、ローマ皇帝を通じて「福音」が広く異邦人の書かれたものである。

「ヨハネによる福音書」は、ほかの3つの福音書とは違っていて、信仰の意味に関する神学的な内容を多く含んでいる。
例えば、旧約の「天地創造」にあたる箇所を次のような言葉で示してている。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである」(ヨハネの福音書1章)。
また、全体として「聖霊」という言葉がしばしば登場し、「聖霊なる神」を全面にだしている感じがある。
さてヨハネは12弟子の1人でペテロと同様に最も初期の弟子であり、自身のことを「イエスが愛された弟子」と紹介しているのも面白い。
確かに、イエスの地上の宣教において、重要な場面にはいつもヨハネ、ヤコブ、ペテロの3人だけが同行を許可されていたのである。
ペテロとともに「イエスの死と復活」を聴衆に語り、3000人が洗礼をうけた時のメッセンジャーでもある。
イエスの昇天後、ヨハネはペテロとともにエルサレム教会の指導者となり、晩年はエペソにいたが、迫害によって捕らえられてパトモス島に流刑になってしまう。
そこでヨハネは神より啓示をうけ、この世の終わりの様を「黙示録」として記している。
「ヨハネの福音書」の最大の特徴は、「聖霊」に関する深遠な記述が多い点で、それが後の「ヨハネ黙示録」に繋がるのかもしれない。
例えば、イエスが弟子達に次のようなことを語ったことが記されている。
「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。 "わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る"と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。 今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである 」(ヨハネ福音書14章)。
さて、イエスの最も間近にいたペテロ・ヨハネ・ヤコブでさえも、イエスの生涯の意味を悟ることはできなかった。
彼らが、その意味を知ったのは、復活のイエスと実際に出会ったことがきっかけである。
そして、「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させる」とあるとうり、彼ら自身もしくは彼らの弟子たちに見たこと、聞いたこと、起きたことを語ったことから「四つの福音書」が出来上がった。
つまり、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたもの」(テモテへの第二の手紙3章)ということである。

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。 16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 17それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
それに対して、イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。 イエスは彼に答えて言われた、