「感動」のシェア

経団連による企業アンケートでは、新卒採用で「選考に重視した点」のトップは2017年まで15年連続で「コミュニケーション能力」。
いまや、「主体性」や「チャレンジ精神」「協調性」より重視されている。
しかしコミュニケーション能力といっても、幅広く多様である。ごく身近な仲間同士で、空気をうまく読んだり、雰囲気をなごませたりする能力。
それとも、プレゼンテーションをして仕切ったり、外国語で討論したりする能力をさすのか。
1990年代半ば、携帯電話とインターネットの普及でコミュニケーションの手段に革命的な変化が起きた。携帯には大量の連絡先を登録し、ネットを通じて四六時中つながれる。相手とほどよい距離感で見しらぬ者どうしでもやりとりする。
自分を分かりやすいキャラで見せつつ、相手のキャラを瞬時に見抜き、それを互いに承認する。
せいぜい「キャラいじり」で、互いの深層に入ることはなく相互に理解しあうこともない。
遡れば1974年、いまだネットなき時代、慶応大の小此木啓吾教授(おこのぎけいご)が紹介した「ヤマアラシのジレンマ」と呼んだ関係を思い出す。
ヤマアラシは、温かみが欲しくて相互の距離を縮めるが、近づきすぎると互い傷つくので、程よい距離を見出す。
小此木は、「モラトリアム時代」の人間関係の結び方として「ヤマアラシのジレンマ」を分析した。
ちなみに、モラトリアムとは本来、戦争や災害などの非常事態で、混乱を避けるために国が債務の支払いを一時的に猶予することをいう。
「モラトリアム人間」とは、発達心理学的な意味合いの「モラトリアム」に由来する造語で、大学卒業後も働かないなど、大人になる準備期間を終えているにも関わらず、将来の選択いつまでも遅らせている人を指す。
モラトリアム人間は、「自分にはもっと実力がある、本来の自分はこんなはずではない」と思っているため、社会に溶け込む努力を避ける傾向にある。
そのため、周囲との親密な関係を築きにくいと言われている。
その時代から50年を経て、今日のSNSの時代は、「ヤマアラシの距離」が自然な環境となっており、筑波大の斉藤環(たまき)教授が造語された「毛づくろい空間」とよぶものに近い感じがする。
教授によれば、その原型はお笑いの「キャラ」いじりからくるのだという。その天才が明石さんまではなかろうか。
ネット社会の「毛づくろい空間」では、自ら発信する「キャラ」が承認されれば、ここちよい居場所をみつけることができる。
しかしこの空間はいわば、波風立たぬ「水槽」中でのこと。求められるコミュニケーション能力とは、もっと異質な世界のものであろう。
数年前、NHKの動物番組でマングースの子育てを見ていて、動物の世界での「子育ての社会化」について知った。
マングースの子供達は青年オスに弟子入りして昆虫の捕獲法や食事法を学ぶ。
食事法というのは、固い甲羅の昆虫を後ろむきで股の間から木にうちつけて甲羅を割って食べる方法などである。
母親は寒季が来る前に沢山の子供を育てなければならないので、そうした技術を教える余裕がない。
そこで子供達はこれはと思うオスに「自己アピール」して生きる術を学ぶということなのだ。
青年オスに気に入られるように熱意を充分見せたり、可愛らしく振るまわねければ「弟子入り」は認められないのだから厳しい。
母親とは違う他者である存在(青年オス)に自らの「子育て」の一部を子供自身がお願いにあがるのだから大変なことである。
結局、「自己アピール力」に欠ける子供は生存できないのだ。
だが、こうしたコミュニケーションのポイントは、子供にとって相手が「他者」ということなのだ。
空気を読むとか、キャラを承認するなどというスキルとは違う、そこには超えるべき「壁」が存在している。
かつて見た映画「クライング・ゲーム」(1998年)で一人の男が語った「カエルとサソリ」は、「他者」とのコミュニケーションの問題を含んだ寓話であったように思う。
ある時、川を渡ろうとしていたカエルとサソリがいた。サソリはカエルに背中に乗せてくれてと頼んだが、カエルは刺されては大変だと断った。
しかし、サソリが絶対に刺さないからというので、カエルはサソリを背中に乗せ、川を渡り始めた。
川の真ん中あたりに来たときに、カエルは背中に痛みを感じた。サソリが刺したのだ。
カエルは当然「なぜだ」とサソリに聞いた。サソリは、「仕方がないんだ。これは自分の性(サガ)だ」と答えた。そして、二匹は川に沈んでいった。
戦後まもなくフランスに渡ったエッセイストの須賀敦子は、「他者」とのコミュニケーションにつき、次のように表現している。
「この国のひとたちの物の考え方の文法がつかめない。対話だけでなく出会いそのものが拒まれている。岩に爪をたてて上ろうとするが、爪が傷つくだけだった」と。

今日のグローバリズムの時代には、どんなビジネスでも異なる文化や価値観をもつ相手と意思疎通を図らなければならなくなった。
SNSの「ツイード」で思いを簡単に伝えることには慣れていても、「他者」と向かいあうこととは随分違う。
「毛づくろい空間」のコミュニケーションは、承認を通じて生まれた関係を固定するだけのものである一方、他者との「対話」は関係性を揺さぶってお互いに変化をもたらす。
自分の考えを整理し、相手にわかるように相手の心を動かし、時には意思を変えさせることも必要だ。
若き日に1年ほど外国で生活した体験で発見したことは、人間の悩みや喜び哀しみなど様々な感情は人種や文化を超えてほとんど変わらないこと。
こんな当たり前にも思えることが「発見」にも思えたのだが、そこで得た結論はほとんどの「感動」というものは、世界中の人々と共有できるということだ。
したがって、「他者」とのコミュニケーションの中で一番のカギは、いかに感動を「シェア」するかということである。
近年、”SEKAI NO OWARI”のステージなどに登場する「パラパラ動画」が人々の感動を呼んだ。
制作者は「鉄拳」という人物だが、プロレスのマスクをしているのが謎である。
元々漫画家志望で、初期の作品があるコンクールで入選したものの、次が出ず漫画家の夢を断念した。
高校卒業後は二番目の夢であったプロレスの世界を目指して、FMW(超戦闘プロレス)に入団がかなうが、「レフェリー」としての採用だったことにガッカリ。まもなく退団する。
次いで俳優の世界に挑戦。1995年に劇団東俳に入団するものの、「滑舌」の悪さははなかな修正できず、こちらも退団する。
そこで、自分の挫折の繰り返しを「逆手」にとって、「滑舌の悪いレスラーの格好をしたゴツイ男が得意の絵を活かして芸をしたらどうだろう」と考え、「芸人」の世界に飛び込んだ。
独特の風体のお笑い芸人「鉄拳」として活動を始め、ある程度人気を得ることができた。
その後、「マネージャー不在」を解消するために吉本興業へ移籍するが、周りのスゴサに圧倒され、芸人としての自信を失い、2011年夏に芸人を辞めることにしたところ、芸人がカラオケ・ビデオに「パラパラ漫画」を描くという企画があった。
これがテレビのプロデューサーなどの目に留まり、「パラパラ漫画家」として注目を集めるようになる。
鉄拳のパラパラ漫画作品 「約束」では「親子愛」が描かれている。
船員であった父の死から母親との関係が悪化していき、後戻りできない状況になるものの、変わらぬ母の愛に気づくという泣ける作品。
また、「振り子」では、斬新にも時計の揺れ続ける振り子の中に「夫婦愛」を描いた。
学生時代に知り合いそのまま結婚するが、やりたい放題の夫をいつも隣で支えてくれた妻。病にかかってその有難さに気づくという感動作品。
芸人の「鉄拳」が世に広く知られたきっかけは、イギリスのロックバンドMUSEの楽曲のバックに、左右に揺れる振り子の中に夫婦の半生をマジックペンで描いた「パラパラ漫画」であった。
ぱらぱら動画は日本国内のみならず海外を含めて一躍注目を集めることになり、MUSEの楽曲の公式プロモーションビデオに採用されるに至り、全米・ヨーロッパなど世界各地で配信され、その感動は世界でシェアされている。

最近、マーケティングの新しい手法として注目されているのが「ブランデッド ムービー」というものである。
それは、映画ともコマーシャルでもない15分~30分のドラマである。
いまや、消費者は国境を超えてあらゆる「動画コンテンツ」に触れることができる。
ユーチューブといったプラットフォーム上に企業チャンネルを設け、そこにコンテンツをアップロードしていけば、世界中の人々に対してメッセージを伝えることが可能なのだ。
ネットで配信すれば、CMのようにオンエアのコストもかからないため、高い「費用対効果」も望める。
その意味で、「燃費のいい映画」、スナックサイズムービーともいわれる。
「ブランデッド ムービー」は、短いストーリー性をもつ動画で、企業名ほほとんどあらわれず、それが作る商品やサービスを伝えているのではなく、動画の最後になってようやく表示される程度だ。
その動画の感動を通じて企業の目指していること、伝えたいこと、大切にしていることを伝えようとしている。
この「ブランデッド・ムービー」の前ブレともいえる番組を日曜日の早朝のTV番組に発見した。
その多くが若くして事業を起こしたものの、無理がたたって死線をさまよったものの、家族の支えや同僚の励ましによって奇跡のように健康を回復した30分の感動の物語である。
この物語が、「青汁」のコマーシャルであることを知るのは、番組の最後近くになってからである。
夫婦が一つとなって、壮絶な戦いの後に健康を回復したのは、青汁をすすめられ飲み始めたからだという展開である。
正直いって青汁という商品以上に、実人生のドラマの方が記憶に残りそうだが、ドラマの感動と商品の宣伝に結びつけた新しいスタイルの宣伝といってもよいだろう。
人間のドラマの感動とて製品やサービスを提供する側の思いを結びつけるのが「ブランテッド・ムービー」といってよい。
最近、テレビで紹介された「ブランデット ムービー」でもっとも印象的なものに、マンションの部屋をカーテン越しの影絵のように捉えながら、結婚、出産、入学、卒業などを表していく平和な家庭の区切りを表したものであった。
このムービーは一体どんな企業の宣伝なのかと思ったら、LED電球の宣伝であること最後に知った。
「ブランデッド ムービー」の魅力は「日常に入り込めるところ」にあると話す また、生活のなかで何気なく楽しむ、そんな良さが「ブランデッドムービー」にはある。
たとえば、寝る前のベッドタイムストーリーとして、もしくは食後のデザートムービーなど、今後さまざま楽しみ方が考えられる。
どれも広告らしさのない、視聴者が自然と魅入ってしまう。
その点、「ブランデッドムービー」は、ストーリー重視で広告らしさがない。
そのため消費者の生活に何気なく溶け込み、「不快感」を抱かせることなく企業メッセージを伝えることできるものである。

この「ブラデッド・ムービー」の制作に深く関わり、コンクールの審査員をつとめた人が、小山薫堂(こやまくんどう)である。
小山は、日本大在学中にテレビ番組「11PM」の放送作家としてデビューした。
また、映画「おくりびと」の脚本を書いた小山は、熊本のゆるキャラ「くまモン」の生みの親でもある。
その人気について小山は、昔は計算されて、スキのないものがヒットしていたけれど、今は欠点があって人々がそこを「埋めたく」なるようなキャラに人気が集まるのではないかと語っている。
自分に放送作家の道が開かれたのは、先輩がつい教えたくなるようなスキがあること。 それが、チャンスをもたらす人々との出会い、すなわち「偶然力」をもたらすのだという。
最近、TV番組で、小山の言葉を裏付けるような人物を知った。
この人物は、英語はまったく出来ず、しかもアメリカ人が大嫌いだった豆腐をアメリカ全土に普及させた雲田康夫という人。
雲田が、ビジネスの世界において向き合ったのは「他者」。完全アウェイでの交渉相手であった。
雲田は、保存期間の長い豆腐を開発し、売れ行き間違いなしと思っていたら、既存の豆腐屋の大反対が起こり、発売が中止になり在庫のヤマとなった。
この在庫の山をどう処理するか、雲田がアメリカで売ったらどうかと提案したら、なんと雲田自身が売り込み役を命じられる。
盛大な送別会でアメリカへと送り出されるが、自分の尻拭いは自分でヤレということだったのかもしれない。
そうして、渡米したもものの雲田は英語が全くできず、身振り手ぶりで豆腐をアメリカ人に試食させたら、古びた靴下の匂いがすると露骨に吐き出す始末。
たまに豆腐を買う人がいて聞いてみると、ペットフードにするのだという。
家族を呼び寄せるも、子供達2人は学校になじめない様子で雲田は追い詰められていく。
そんな中、「救い」は一人のアメリカ人の夫人との出会いからやってきた。
大量に豆腐を買い込む夫人に、雲田はどうやって食べるのかと聞くと、豆腐とフルーツをミキサーしてシェイクにするという。
このシェイクを各地で紹介すると大好評で、ようやく雲田は手応えをえた。
そしてこのシェイクを知ったインド人のシク教徒が、豆腐シェイクという健康食を評価し、大量に買ってくれた。
これならスーパーに豆腐を置いてくれると頼みにいくと、棚に置いてもらうのにも相当な金が必要で、会社にそれを訴えると、自分でなんとかしろと冷たい返事。
渡米の際に、会社側が資金を出すので心配はいらないというのはまったく当てがはずれた。
行き詰ったかに思えた時、雲田にはひとつの考えが閃いた。
今まで買ってくれた豆腐の顧客名簿の人々に、手紙と封に10ドル札一枚をいれて、豆腐を近くのスーパーにおいてくれと頼むように依頼したのだ。
それが功を奏して、豆腐は各地のスーパーに置かれるようになっていく。
そして、クリントン大統領夫妻が豆腐をダイエットに食べているというツイードで、健康食品のトーフは全米にブレイクした。
雲田は英語力なしで、アメリカ人という「他者」をつき動かし、「豆腐愛好者」に変えてしまった。
スキだらけの雲田は、自らを「豆腐馬鹿」といい、人々は雲田を「ミスター トーフ」と呼んだ。
雲田康夫は、コミュニケーション能力の極致が「感動を伝えること」であることを教えてくれる。