「どん底」からの思想

「僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえてやることなんだ。一日じゅう、それだけやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういうものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね」。
以上は、サリンジャー「ライ麦畑で捕まえて」(1951年)の最後にでてくる、主人公ホールデンの言葉。
ところでユダヤ人作家・サリンジャーは、40代後半からは一切著作を発表しなくなり、「禁欲的な隠遁者」としても神話化された。
実際ニューヨークからニューハンプシャー州コーニッシュという田園地帯に越すと、人目を避けるように暮らした。
サリンジャーは2010年に91歳で亡くなっているので、作家としてはかなり長寿といってよい。
長寿の秘訣は、作品を発表しないことだったかもしれないが、サリンジャーは書き続けていた。
朝早く起きて、瞑想とヨガをして、そして日課のように書いていた。
インタビューで「発表しないとすばらしい平安がある。安らかだ。静かなんだ」「仕事と祈りのふたつは区別がつかなくなった」とも語っている。
そして、2015年、未発表の5作品が、本人の遺言により出版されている。
その中には、彼が第二次世界大戦中、捕虜がスパイでないかを尋問する「防諜部隊」にいた頃の話も含まれている。
サリンジャーは、米軍諜報部員としてノルマンディー上陸作戦に参加し、ドイツ軍との最も過酷な戦いを強いられた部隊にいた。
ノルマンディーで活動したアメリカ陸軍の医療関係者は、交戦によって精神が崩壊した「戦闘ストレス反応」を呈する兵士があまりに多いため、時おりその数に圧倒されそうになったと伝えている。
サリンジャーらの部隊は、ノルマンディー上陸作戦後に、ドイツのダッハウの強制収容所を解放する。
そこで彼が見たものは、サリンジャーの同胞である多くの痩せ衰えたユダヤ人たちだった。
その時の体験につきサリンジャーは、「焼ける人肉のにおいは、一生かかっても鼻からはなれない」という言葉を残している。
戦後、サリンジャーは過去に数年を過ごしたウィーンに行き、恋した少女だけでなく、当時知り合ったホボ全員がナチスに殺されていたことを知る。
代表作「ライ麦畑で捕まえて」における、「無垢で壊れやすいものを守りたい」という気持ちも、そういう彼の体験の中から生まれたものかもしれない。

「ライ麦で捕まえて」ラストの「崖っぷちの子供達」というイメージ、戦争という文脈からではなく、格差と貧困の蔓延の中にいる子供たちの姿が脳裏にうかぶ。
というのも平和な社会にあっても、家庭内で十分な食事が食べられない子供たちのために、各地で「子供食堂」が出来つつあり、そのことからサリンジャーの「ライ麦畑~」が思い浮かんだ。
子供たちの将来に対する不安、それはその子供たちを育てる大人にとってもより切実なものであろう。
そこで今、将来何があっても全国民の最低限の生活を現金支給により守る「ベイシックインカム」が世界の注目を集める議論となっている。
たしかに、現代日本のように年金記録がちゃんと入力されもせずに、将来返ってくるかわからないようなものに、保険料を払う気持ちがおきるだろうか。
また、国民の税金は森友/加計問題のように、官僚の利益のためにいいように使われる現状にあっては、ベイシックインカム導入について本気で考えてみてはどうかという気にさせられる。
ベイシックインカムは、18世紀末に社会思想家・トマスペインにより提唱されたが、現在ヨーロッパを中心とした多くの国々において試験的な試みが成されている。
国家レベルでの実施には至らずとも、本格的にベイシックインカムが導入されている地域も存在している。 この制度に一体どのようなメリット・デメリットが生じうるのか。
(1)全員一律、無条件給付なので、制度がシンプルでわかりやすい。
(2)制度運用コストが小さい。資格認定の手続きも、給付金額の算定も不要。
(3)全員一律・無条件であるため、恣意性や裁量の余地がない。
(4)人々はベイシックインカムに加えて働いただけ追加の賃金を得ることができるので、働くことに対するインセンティブを損なわない。現行の生活保護制度などはこれと異なり、受給者が働こうとするとかえって損をしてしまう場合がある。
(5)現行の生活保護を受けようとする場合、大半の申請者は精神的負い目を感じるもので、窓口で不当な扱いを受けることも少なくない。
逆にデメリットは、(1)働かない人が増えるのではないかという懸念。
(2) 巨額の財政負担が必要であることに対する財政的制約。
(3) 仕事と既得権に対する行政の執着。
(4)「働かざる者、食うべからず」という規範に基づく人々の抵抗感。
(5) 個人の状況に応じた、きめ細やかな保障が無くなるため、福祉の水準が低下してしまうという懸念。 デメリット(1)についてだが、ベイシックインカムがあるからといってまったく働かない人が大量に発生するかというと、単純にそうは考えられない。
なぜなら、より良い暮らしをしたいとか、より高みを目指して自己実現を図ろうとする人たちは今と変わりなく働く。
さらに、低条件で過酷な仕事を押しつけることができなくなる一方、好きな仕事なら賃金は低くてもやりたい、楽しめる仕事なら給料を気にせずに働きたい、という人も出てくる。
また、苦役的労働よりやりがいのある仕事=知的でクリエイティブな仕事のほうが経済的付加価値が高く、かえって社会の厚生水準の向上に寄与することなども考えられる。
最大の課題は、財政的制約だが、ベイシックインカムを仮に月額8万円支給するとする。この金額は国民年金などと同程度の、最低限の生活が維持できるものとして想定したものである。
そうすると必要源資は年間約122兆6000億にもおよぶが、行政コストの相当な縮減が可能となる。
その反面、行政を司る側にとっては仕事が奪われ、裁量の余地がなくなることを意味する。
そもそも、現行の社会保障、社会福祉の制度が非常に複雑になってしまっている現実は、自己肥大化を志向する官僚組織の本能に基づくものだから、全ての「社会保障を一本化する」ということで、その歯止めになるという意味で、特に日本のような社会に望まれることではなかろうか。
各国の実施状況をみると次のような現状にある。
フィンランドでは、2017年からは、ヨーロッパ地域において初めて国家レベルでベイシックインカムが導入されることとなった。ただし、あくまでも試験的なものであり、期限も2017年1月1日から18年12月までの2年間に限られたものでものである。
今回の試験的導入の目的は「ベイシックインカムが失業率の低下にどのような影響をもたらすのか調査すること」にあるので、支給対象は、無作為に選出された2000人の失業者に限られている。現在、支給は月ごとに行なわれ、日本円でおよそ6万8000円が支給されている。
またカナダにおいては、1974年から79年の間にベイシックインカムの実験が実施された。この実験は、毎月あらゆる金額の給付金を支給し、国民の最低限度の生活を保障することを目的としていた。
政権交代が行なわれたため正式導入はなかったものの、5年間に行なわれた実験は着実に効果をもたらしたという。
特に、長時間労働を強いられても貧困を逃れることのできないワーキングプア層の生活が安定したという結果が報告されている。
また、ベイシックインカムが導入されても、働く時間に大きな変化があったというわけでないことも証明されており、導入の懸念材料の一つである労働意欲の低下はそれほど大きな問題には至らない可能性があることが判明した。
スイスでベイシックインカムの運動を率いた映像作家のエノ・シュミットは、「そもそも勤労の価値は、稼いだおカネの額ではないはず。ベイシックインカムがあれば、収入を得ることにこだわらず、自分や社会にとって本当に価値があると思える活動に従事する自由が得られる」と主張する。
そのスイスにおいては2016年6月にベイシックインカムを国家レベルで導入するかどうか、世界で初めて「国民投票」を実施ししたが否決された。
スイスのベイシックインカムには、支給の条件が定められていて、その条件とは、収入の月額が2500スイスフランに満たない場合において、不足している分をベイシックインカムとして補い、全国民が2500スイスフランの収入を確保できるようにする、という条件であった。
となると、月収2500フランを超えて働く人はベイシックインカムを受け取れず、また収入はあっても2500スイスフランに満たない人にとっては、大した収入にならないため労働意欲も向上しないといった制度設計が問題であろう。
つまり、毎月もらえる金額が、勤労意欲を考えるうえで重要であることがわかる。例えば月7万円の支給であれば、ベイシックインカム以外の収入を得るため何らかの仕事をしようと考える人もいるだろう。
一方、月15万円の支給であれば、働かなくても暮らしていけると考える人が増えるかもしれない。
そして、これは第二の財源問題と関連してくるのは当然である。
またベイシックインカムで夢のような生活を実現している地域もある。アラスカ州では州税が課されず、州からベイシックインカムの収入をえることができる。
アラスカ州ではベイシックインカムとして1年につき1000~2000ドルを支給している。この地域において、ベイシックインカムの導入を行うことが可能な理由として、州営の石油パイプラインが運営されており、「公益ファンド」を通して州の住民にベイシックインカムが分配されている。
また、中東諸国の1つであるカタールは、ベイシックインカムと呼ばれる制度は実施されていないが、この仕組みに近い枠組みを適用している。
カタールは、消費税・所得税を国民に課さず、病院の診察、大学までの教育費、電気・水道・光熱費が無料であることが特徴的である。
その財源はオイルマネー。世界でも高い原油生産量を誇るカタールは、原油の輸出の恩恵により、このような政策の実行が可能となっている。
ベイシックインカムの実現について検討する際、多くの国が共通して抱える課題はやはり財源の問題で、すでにベイシックインカムを導入しているアラスカ州や、ベイシックインカムと類似した制度を設けているカタールの場合は、資源が豊富なため、財源調達に関する問題は無く、それを導入しやすい環境が整っているといえよう。
さて、日本の現状は「不安」が経済全体を縮こまらせ、リスクを冒すことを嫌う社会になっていることなど鑑みると、社会に蔓延する「不安」を取り除くという点でベイシックインカムの導入は新たな活路となりうるものではなかろうか。

ハーバード白熱教室のサンデル教授の著書にしばしばその名が登場すのが、ジョン・ロールズ。
ユダヤ人で、冒頭のサリンジャーと重なりあう部分が少なくない。
そしてベイシックインカムの考え方は、ジョン・ロールズの「正義の原理」とかなり符合するものがある。
その「正義の原理」とは、(1)個人の自由が全員平等に尊重されていること。
(2)機会の平等が全員平等に与えられていること。
(3)所得や生活水準を含め様々な格差がなるべく小さいことの3条件である。
そのジョン・ロールズは、現代社会に次のようなメッセージを放った。
”この世で少々のツキに恵まれ豊かになったアナタが、仮に生まれ変ったら、今とはまったく違う「ドン底」の世界を生きているかもしれない。もしそうならばこの世の中の「ドン底」を少しでも改善しようとは思わないか。”
こんな風な発想をして「正義論」を展開した人に一体どんな「ドン底」体験があったのか、とつい想像したくなる。
ロールズは、幼き日にジフテリアに罹病し、その結果感染した弟二人が病死するという出来事が起こった。
自分が生き残って弟二人が死んだという事実は、誰も表立って言わずともロールズの心に「深い影」を落とすことになった。
ロールズはプリンストン大学に進み、花形選手だった憧れの兄を目指して、フットボールに没頭した。
大学卒業後、陸軍の士官として日本との戦いにニューギニア、フィリピンと転戦した。
そして、日本の全面降伏後は、占領軍の一員として広島長崎の「原爆の惨状」を目のあたりにして、それまで疑うこともなかった「アメリカの正義」に疑問をもちはじめた。
同時に「社会にとっての正義とは何か」を考えるようになったという。
ジョン・ロールズは1970年代初頭に「正義論」という本を書き脚光を浴び、そのロールズの説が今頃再び注目を集めるのは、このところ進行する「格差社会」の問題への一つアプローチを提供するからにほかならない。
ロールズは、人間にとっての一番基本的な欲求「自由 生命 財産」を基本財とした。
権利は法律上では平等といいながら、実際に成功して財産を多く得る人と、失敗して貧困に落ち込む人が出てくるのであり、成功者はこれらの「基本財」を多く享受でき、失敗者はそれらを過少にしか享受できない。それでも功利主義者は、全体としての快楽がプラスならヨシと考える。
ロールズは、真に「公正な社会」を考えるときに、原初の段階ですべての人が「無知のベール」をかぶっている時、どのような選択をするかを思考実験した。
「無知のベール」とは、自分がこれから作り出されるであろう共同体の中で、自分がどのような位置を占めるかがわからないということ。これは徹底した機会均等を仮想するための「舞台装置」と思ってよい。
共同体が形成され、無知のベールが取り払われるや、経済的貧困や宗教的迫害や人種差別にさらされては困る。
そこで人々は、自衛のために功利主義を拒否し、すべての市民に基本財(信教の自由や思想の自由)を平等に与えることに同意(社会契約)する。
だからといってロールズはそうして出来上がった共同体の中で、形式的な平等な社会を現実的なものとみていない。それが「正義の原理」以上に有名な「格差の原理」である。
極端な「平等」を追求することは人々の意欲をそぎ社会的な「効率」を犠牲にすることになるからだ。
そこで、社会的効率を追及することは「格差」を生むかもしれないが、少なくとも「最低の生活層」の水準を引きあげうる範囲での「社会的効率」の追求と、その結果生まれるであろう「格差」は許容されるというものである。
これが「マキシミン原理」つまり「ミニマム(最低)をマックス(最大化)」にする原理である。
今までも、下層から社会を考えた学者はたくさんいたかもしれない。
しかしロールズのように「ドン底」から社会の「公正」を追求した稀有な学者であった。
映画「東京物語」の監督・小津安二郎は「ロウ・アングル」で世界に名を馳せたが、J・ロールズはロウイスト(最底辺)・アングルで「社会的公正」の基準を作り上げたといってよい。

ブラジルは、あまり話題にされないが、世界で唯一ベーシックインカムを法制化している国である。
しかし、衣食住全ての面で行われているわけではなく、所得制限付の児童手当がベーシックインカムの最初の段階として導入されているだけである。
ブラジルが全面的な導入を行うには財政問題の解決が必要とされているが、現在行われている児童手当のおかげで、適当な教育を受ける機会が多くの子供たちに与えられ、自分の夢を実現する意欲を持った子供も増えてきている。
馬鹿げていることは知ってるけどさ