「意味」が開く時

「アルジェの戦い」(1966年公開)は小学生の頃みた映画だが、同年公開された「ナバロンの要塞」と共にいまだに鮮烈に残っている。
話の中身がわかる年齢でなかったから、全編に漲るリアリティーと緊迫感のためであろう。
ロケは、実際に独立運動が激しかったアルジェリアの首都カスバで行われ、レジスタンスを演じるのが俳優ではなく、実際にカスバの独立運動に参加したメンバーであり、群衆も地元の人々であり、戦車、武器類もアルジェリア軍から調達された。
しかしそれ以上に、この映画がまだアルジェリア独立(1962年)の熱気冷めやらぬうちに制作されたということが大きい。
つまり、どれだけの予算と人員を割いても、もはやこれだけの映画は2度とは作ることができないということだ。
それでも、本作が1966年、ベネチア国際映画祭でグランプリの金獅子賞を受賞した際には、会場にいたフランス代表団が“反仏映画”だと反発し、フランソワ・トリフォーただ1人を除いて全員が会場を退場したというエピソードが残っている。
この映画は、意外にも「キリスト教」が通奏底音としており、それは音楽の使われ方によく表れている。
冒頭に一瞬流れるマタイ受難登曲のコラール、そして物語後半、フランス軍の巧妙な分断作戦によりとらわれたメンバーの男たちが裸にさせられ、縛られ殴られて血を流しながら拷問されるシーンでは、バックにグレゴリオ聖歌が流れる。
ところでこの3月から公開中の「パリ行15時27分」は、実際のテロ現場で戦った3人の男がそのまま出演したということで「アルジェの戦い」と共通している。
もう一つの類似点は、「アルジェの戦い」のバックに流れるのがグレゴリオ聖歌に対して、「パリ行15時27分」の中に登場するのが聖フランシスの祈り。
つまり、映画製作において「戦争と聖歌」、「テロと祈り」という似通った観点がある。
さて、スペンサー・ストーンとアレク・カトラスの二人は幼なじみ。中学でそこに加わったのがアンソニー・サドラー。3人は学校に馴染めぬ一方サバイバルゲームなどで友誼を深めるが、アンソニーは別の学校に転校。
アレクも父親に引き取られ3人はバラバラになる。それでも3人の友情は終わらなかった。
大人になってスペンサーとアレクは軍に入隊する。
ヨーロッパに駐屯するスペンサーとアフガニスタンで従軍するアレクは休暇期間中にヨーロッパ旅行を計画する。
そこにアンソニーも加わってドイツ、イタリア、オランダと楽しむ3人。
そして2015年8月21日アムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリスに乗りこむ。
この映画では、そこに乗り合わせたテロリストの背景や経緯は描かれず、映画の主題はむしろスペンサーというアメリカの一若者の苦悩に向かう。
スペンサーとアレクはADHD(注意欠陥・多動性障害)を疑われ、母子家庭でもあるため、学校から疎まれている。
母親はキリスト教系の学校に転校させるがそこでも二人は疎外感を味わっている。
この2人に問題児であるアンソニーを加えた3人はサバイバルゲームに熱中。
このストーリーの流れからいうと、周りから浮いた「軍オタク」三人が、将来テロリストとなる過程が描かれているのかと誤解するくらいなのだ。
そしてスペンサーとアレクは軍に入る。成長し巨体だが童顔のスペンサーはアンソニーの何気ない一言に奮起しこれまでにない努力をする。
しかし、本人の与り知らないこと(視力関係)で希望の部隊に入れない。
母親に対して「これまでは何もしてこなった。何もしてないということはやればできる、と言う可能性を残すことだ。でも今回はやった。でもダメだった。それじゃあ希望はないじゃないか!」と叫ぶように言う。こんな子供の内なる叫びに、母親も押し黙ってしまう。
スペンサーは志望の「パラセーリング部隊」に入れず、第2志望の部隊でも中々成果を出せない。
遅刻して腕立て伏せさせられるなどチグハグでうまくいかない。
彼らが英雄となるなどという未来はとても見いだせないが、一応軍で習った「応急処置」がのちのち生きることになる。
さて三人のヨーロッパ旅行のはじめの乗り込んだ列車「パリ行15時27分」は554人もの乗客を乗せていたが、スペンサーがその直前に「何かに導かれているようだ」と語ったのが印象的であった。
そして特急列車内で、イスラム過激派の男が自動小銃を発砲し、554人の乗客全員をターゲットにした「無差別テロ」に遭遇する。
そこに居合わせた海兵隊員のスペンサー・ストーン、米オレゴン州兵のアレック・スカラトス、大学生のアンソニー・サドラーの3人の勇敢な若者によって犯人は取り押さえられる。
スペンサーは、その際にカッターナイフで切りつけられ、頭や首などに多数の傷を負い。親指は切断寸前という重傷を負った。
欧州テロ対策当局の発表によると、男は多くの弾薬を持っていた為、多くの死傷者が出る可能性もあり、3人の若者が無差別テロを食い止めたとして、多くの報道機関がこのニュースを報じ、フランス政府から最高勲章のレ「ジオン・ドヌール勲章」を授与、ホワイトハウスにも招待されるなど、その勇気ある行動が称賛された。
また、地元の英雄としてパーレードをもって大歓迎される。
ところで、学校生活で皆に疎まれたスペンサーには、ひとつの願いがあった。それは人を助けたいということ。就寝前に「神様の道具として使ってください」という祈りを捧げているシーンがあった。
またスペンサーが「聖フランシスの祈り」の一節を祈る場面がある。その全部を示すと次のとうり。
「主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを、 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分のからだをささげて死ぬことによって、とこしえの命を得ることができるからです」。
スペンサーの幼き日からの祈りは、こうして成就した。
そして、なんの脈絡も意図もなく起きているような日々の出来事が、ユーロッパ旅行の列車の「ワン・チケット」によって統合されて、「意味」が開かれたかにみえる。

人生には、無意味で脈絡もない辛苦にすぎないと思える時もあるし、反対にものごとが「意味なす」ように結びつくこともある。
後者の時を「意味が開く時」と表現したいが、それは、スペンサーの言葉にある自分の生が「何かに導かれている」と実感できる体験に近い。
そこで、もうひとつ思い浮かべた映画が1994年、アカデミー賞をとった「スラムドッグ・ミリオネア」である。
この映画の原作は、「ぼくと1ルピーの神様」という本で、世界的な大ヒットとなった作品で、日本を含めた計16か国で刊行された。
作者は、インド人の外交官で、インドが舞台となる。
ありそうなこと、ありえないことがナイマゼになったようなストーリーで、フィクションにノンフィクションを折りませた物語ではないかと推測する。
テレビのクイズ番組でみごと全問正解し、史上最高額の賞金を勝ちとった少年ジャマールの物語。このクイズは医者や弁護士といった相当な知識階層でも、全問正解はほとんどないというハイレベルのクイズ。
警察は、孤児で教養のない少年が難問に答えられるはずがないと、ジャマールをインチキの容疑で逮捕する。しかし、ジャマールにとってそれは「奇跡」とは異なる「必然性」をもつものであった。
少年が、インドの貧しい生活の中で死と隣あわせになって目にしてきたもの、それは殺人、強奪、幼児虐待など。
それらの出来事の中に、クイズの答えが秘められていて、ジャヤマールは、他に選びようのなかったひとつを答えたに過ぎない。
幸運を呼ぶという「1ルピーの神様」だけを頼りにしてきた孤児の、いかさま疑惑を解消するまでの「人生録」が、この「スラムドッグミリオネア」の内容となっている。
ジャマール青年は、クイズ番組の終盤に暴力的な取り調べをうける。
そのクイズ番組の始まった頃、青年はコールセンターでお茶くみ係をしており、あいかわらず社会の底辺をさまよう存在であることに変わりない。
まして、青年は天才でも特別な学習をしたのでもないが、ちょっとした偶然でそのクイズ番組に出場するハメになってしまっただけだ。
ただ青年が番組に出場してみて不思議の思ったことは、クイズ番組の出題が自らが人生の途上において「焼印」を押されるような苦しみの体験から得られた知識ばかりなのだ。
それは忘れられるハズもないもので、青年が正解を答える度に、ジャマールの中の忘れがたい過去の亡霊が答えを導き出す。そのこと懐古形式で語るという展開なのである。
例えば、「ラーマ神の描写で彼が右手に持つものは何でしょう?」という出題に、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の暴動に巻き込まれ母を亡くし住処まで奪われる記憶が蘇る。
その悲劇とからんで、自然と「答え」がでてしまう。
この暴動以後、「孤児」という同じ境遇に陥った少女ラティカと出会い、ジャマールの兄サリームとラティカの3人は行動をともにする。
兄のサリームはずるく立ち回り、一見すると悪役じみて見える、弟ジャマールの決定的なピンチを、なんどもその機転と賢さで救いだす。
その意味で、サリームは容赦なき現実と向き合う影のヒーローといえるかもしれない。
この映画では、インドの底辺に生きる子供達にむけられた非人間的な闇の深さが実にリアルに描かれている。
ある日3人の前にママンと名乗る聖者のような男が現れ、他の孤児たちと共にある場所へと連れて行く。そこではみんなに充分な食事と寝床が与えられ、子どもたちにとってこここそは天国だと思わせる。
ところがママンは、孤児を集めてお金を荒稼ぎしている悪徳商人なのである。
ママンは歌のうまい孤児の目をつぶして、物乞いをさせていた。そうすれば、普通に歌の上手い子よりも、もらえる金額が二倍に増えるからという悪徳ぶり。
恐ろしいことは、実は彼ら自身もこうしたスラム出身の子供達であることをニオワセている。
ママンと仲間達は、「男になるか」と、同じ年令の子供達の目を焼くことの手伝いをすることを強要されそうになる。
サリームはジャマールを呼び出すように言いつけられ、兄は歌が上手い弟が、目をつぶされると直感し、ママンの手下に硫酸を浴びせかけ、間一髪、弟を絶体絶命の状況から助け出す。
そしてジャマール、サリーム、ラティカは、首尾よくママンのもとから逃げ出し電車に飛び乗るが、ラティカだけは逃げ遅れて捕まってしまう。
ラティカを助けに戻とうとする弟を、戻ったら殺されると引き留める兄。
結局、明日の命も分からない状況下で、ジャマールは兄と生き延びる決意をする。人を騙し、盗難を繰り返しながらも成長していくが、ラティカのことを忘れられない日々が続く。
ジャマールは一緒に逃げられなかった初恋の女の子が売春窟のダンサーとなっており、彼らはママンが経営する売春宿にかくまわれているラティカに再会する。
また、目を焼かれて盲目の歌手となったあの男の子と再会する。
その盲目の男の子はただ「君は幸運で、僕は不運だっただけのこと」という。
そんな諦観を少年が吐くのはあまりにもせつない。
ところが、兄サリームはラティカを救うため、ママンを撃ち殺し、「幸せになれ」という言い残して、ラティカに自由への扉を開けてやる。
回想から今に戻ると、ジャマールはテレビで注目を浴び、人々の興奮と期待と熱狂の頂点の中にいる。
青年が正解を出すたびに、貧しい人々や打ち捨てられた人々に希望を与えていく。
そして青年は人々の嫉妬や羨望の対象としてではなく、貧しい人々の夢の体現者としてヒーローとなる。
その同じ頃、兄サリームはラティカを逃がしたことがマフィアにばれ、バスルームに籠城している。
その時、意外にもサリームは札束に埋もれているのだが、それは札束さえあれば自由の身になれることを暗示しているのだろうか。
あるいは、無垢な子供達がスラム生活の中から這い出し富(幸)を得ていくには、悪魔に魂を売る他はないという現実を表しているのだろうか。

過去のつらい出来事が、今の「幸運」を導き出すということは、しばしば、成功者の体験談として語られる話である。その一方、つらい出来事が今の「悲境」に連なっているのことはありふれすぎて語られることは少ない。
神様がその指先をヒトコマ動かす毎に、人間の側がどう応えるのかというある種ナゾカケへの応答で、人生はカタチ創られていくものかもしれない。
とはいえ、ある地点に到達(獲得)するためには、どうしても通らねばならない道というものがある。
聖書の「サマリアを経ずをえず」(ヨハネ4・14)という言葉で、それを表現することがある。
イエスが、 ユダヤを去って、またガリラヤへ行く。イエスは偶像崇拝者の多いサマリヤの街を通らざるをえず、そこにスカルの井戸があり、水を汲みに来た一人の女性と会う。
イエスはそこでどうみても身持ちの悪いその女に、「聖霊」についてのたとえ話をする。
これは、聖書の世界観からすれば意味深いことで、モーセの律法はユダヤ人に与えられたが、聖霊による救いは人種人格に関係なく全世界に広がっていくことの預言でもある。
また聖書には、短いが我々の「心棒」になってくれるようなピカリと光る言葉がある。
そのひとつが「後悟らん」という言葉で、今は辛くとも後からその出来事の意味がわかるという意味である。
実際の出来事では、イエスが弟子たちの足を洗おうとしたところ、そんなことをさせるわけにはいかないと思った弟子達が遠慮しようとすると、イエスは弟子たちに、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになる」(ヨハネ13・7)。
もう一つの言葉は、「遅くあらば待つべし」。
これも忍耐を強いられる場合には大きな支えとなる言葉だ。
これは、天才ピアニストのフジコ・ヘミングの半生を描いた実録ドラマのワンカットで、「遅くあらば待つべし」という言葉を見かけた。
ピカリと光ったこの言葉は、旧約聖書ハバクク書2章3節の言葉である。
また六本木ヒルズを建てた森ビル社長が座右の銘とした聖書の言葉が東京赤坂のカラヤン広場に刻まれている。
「私達は知っています。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマ人5・3)というパウロの言葉。
さらにパウロは「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ人8・28)と記している。