貨幣のアンカー

小学校には、しばしば「いきものかかり」という係がある。他にも呼び方はあろうが、要するに「生きもの」を世話する係。どんな生きものかといえば、なぜか「うさぎ」が多い。
なぜ学校で「うさぎ」を飼うのが多いのかといえば、「ちょうどいいから」という他はない。
激しく鳴かない。噛みつかない。いやしになるなど。うさぎを馬と一緒に馬舎に入れておくと、落ち着かない馬もやさしくなっているという。
実は、お金はしばしば「生きもの」と結びついて生まれたのだが、どうして、金・銀・銅がお金になったかというと、「ちょうどいいから」という他はない。
かさばらない、持ち運びに便利、それ自体に価値があるということである。
牧畜民は、家畜に子を産ませることで財産を増やし子を殖やすことは、資産運用における利殖とアナロジカルである。
牧畜民は、家畜(羊、ヤギ、ウシ、ラクダ)を飼って生活するため、その財産は動く資産(動産)であった。
羊の頭が、英語で資本を意味する「キャピタル」であるのはそのためである。
また英語で、家畜を「ストック」というが、「ストック」は株などの資産をも意味する。
また、株式会社における経営者、株主、従業員、地域住民などの利害関係者をステークホールダーという。
ここで「ステーク」とは、杭(くい)を意味し、家畜を囲う杭のことを指す。
さて、農耕民と牧畜民では「財産」の捉え方が異なる。
農業民にとっての財産、余った穀物を不時の時の備えとして蓄積しておくべきもので、財産といえば土地ということになる。
日本の貯蓄好きや企業の内部留保の大きさは、日本人が農耕民であることの一つの表れといえるかもしれない。
一方、遊牧民は家畜ひきつれて移動するため、その財産は「動産」であり、征服によってその「動産」を増やすという生き方をする。
ユダヤ人が資産運用がうまいのは、もともと遊牧民であり、旧約聖書のヤコブが羊を増やしたことが、創世記30章に印象的に描かれているとおりである。
お金も、いきもの同様に子を生むし、それ自体増殖もする。
そしてお金を長いスパンでみれば、「生成→発展→死滅」のプロセスをたどるので、「お金」を管理す銀行とは、ある意味「いきものがかり」のようなものかもしれない。

「貨幣」はどのように誕生したのか。貝殻や羊や布など貨幣的な役割を果たすものが生まれ、交易の範囲が拡大するにつれて、使い勝手がよい「ちょうどいい」コインが生まれる。
現在のトルコの西部のリディア(BC7C~BC6C)で、世界最初のコインが発明された。
それを発行したリディア王は、刻印により品位と重さを保証する金貨・銀貨を発行し、大金持ちとなった。刻印することで「信用」を、目に見えるようにしたのだが、王が貨幣の発行権と管理権を握るようになったのが「コイン革命」である。
10世紀ごろは、西アジアでも中国でもコインの使用量が飛躍的に拡大した時代であった。
しかし、さらに経済規模が上がると、コインの素材たる金属が不足がちとなる。そこで、コインに含まれる金や銀の含有率を減らしたり、そのうち手形や紙幣といったコインの代替物であっても王の「保証」があれば流通することを発見する。
紙に価値をもたせて金属貨幣の代用とする「信用貨幣」の始まりである。
イスラム世界では手形が、中国では「交子」とよばれる紙幣が流通するようになる。
ただ、ウサギは「かわいさ」ゆえに人々を引きつけることはできるが、一体どうして「紙きれ」で人々を引きつけることができようか。
そこに紙幣の価値の裏付けが必要となる。
その最終的に裏付けを、漂う海で船が流されないように碇(いかり)を降ろすようにすることのになぞらえて、「アンカー」(碇)と呼んでいる。
そして近代的な銀行システムは、このアンカーを金や銀として確立していくのである。
その始まりは、17世紀のイギリスにおいて、商人たちは貿易でもうけた資産を「金」にかえて、丈夫な金庫をもつロンバート街の金匠(金細工の職人)に預けたことにはじまる。
「預かり証」は、金匠手形(ゴールドスミスノート)とよばれ、金と交換できるのだが、商人はいちいち引き出さずに「預かり証」を流通させることになる。
また金匠がつけていた帳簿を利用して口座取引も行われるようになり、金匠は自己資金をまったく使わずに多額の利子を手にすることが可能となった。いわゆる「信用創造」の始まりである。
‏イングランド銀行において、「金」を見せ金にして信用創造すれば膨大な利子を稼げるというビジネスモデルとなる。
イングランド銀行というのは、戦費を調達するために商人たちがつくった民間銀行で、政府に戦争資金を貸し付ける代わりに紙幣の発行権を獲得していく。
そしてイングランド銀行は、政府が発行する国債を引き受ける代わりに、資本金の枠内で金貨や銀貨と交換できる手形つまり紙幣の発行権を獲得し、1697年になるとその権利を独占的するのである。
1844年にはピール銀行条例という法律が制定され、イングランド銀行に銀行券の独占発行権が認められ、これで中央銀行であるイングランド銀行を頂点とする金本位制が完成したことになる。
しかしながら、1930年代には世界恐慌が発生し、金本位制度は停止から廃止へと向かい変わって管理通貨制度に移行する。
この制度では「不換紙幣」(金と交換されない紙幣)が発行されることになる。
現代の管理通貨制度において不換紙幣が発行されるのだが、何しろ金の裏付けを欠いた時、何が貨幣のアンカーとなりうるのだろうか。
結論を先にいうと、管理通貨制度における貨幣のアンカーは「国債」ということができる。
例えば、政府が国債を発行して、その発行した国債と同額を日銀が買い取るとして、紙幣は中央銀行の負債として計上されている。
一方の資産の側には国債があるので、帳簿上は、不換紙幣は国債によって裏付けられているとみられる。
しかし、国債といえども紙切れにすぎず、同義反復のようなもので、国債が貨幣のアンカーになれそうもない。
しかしながら、一定の条件さえそろえば、国債は貨幣のアンカーとなりうるのである。
イギリスでは国王は、戦争の際に金融業者や商人から借金をし、しばしば踏み倒した。そのため王の借金は信用度が低く、商人は何かと理由をつけて貸し出しを拒んだ。
ところが名誉革命で主権(ソブリン)が議会に移ると、国王の借金が、国の債務に変わり、主権者の国民から債務が確実に返済されることになった。
そのため、国債は借金の返済を確約する証書として「貨幣同様」に扱われるようになった。
そこでイギリスは、第二次英仏戦争に勝利できたのは、戦時に大量の国債を発行できたのである。
このように、「国債が貨幣のアンカー」となりうるのは、国王の気まぐれではなく、議会政治の下で借金を返すだけの徴税権が確立していることが前提となる。

貨幣は、いきものと同じように「生成→発展→死滅」するのだが、貨幣が死滅するとは要するにその貨幣が使われなくなることである。
なぜ、ある貨幣が使われなくなるかといえば、その貨幣がアンカーという命綱を失うからである。
倒れた王朝の紙幣が紙切れになってしまうのがその典型である。
第一次世界大戦で敗れたドイツに対して、賠償金・総額1320憶金マルクを貸した。敗北したドイツにそれが支払えるわけがない。
そこでドイツは戦勝国であるフランスなどに対しえ、支払い猶予を要求するこれを。経済用語で「モラトリアム」というが、これにはフランスが怒った。
怒ったフランスがベルギーを誘ってドイツのルール地方を占領する。
これに対してドイツ政府は、国民に対して工場に行かずにストライキをする。あるいは機械の前でサボタージュ(怠業)するように求めた。
そうすることで、フランスやベルギーの行為を無駄にするようにした。
ものは作らないにもかかわらず、政府は年金などの支払いのために紙幣を発行し続けるならば、貨幣価値が低落し超インフレが起きるのは自然の法則に近い。
この破局的なハイパー・インフレーションに対して、エーベルト大統領の元たシュトレーゼマンが発行した新しい貨幣がレンテンマルクを発行する。これは、国土を担保した貨幣であった。
レンテンマルクで、激しかったインフレも嘘のように終息した。
レンテンマルクの「レンテン」は、地代・地租徴収権を意味し、レンテンマルクは、土地をアンカーとしてはじめてその発行量の制限の下で、通貨としての機能を果たすことができたのである。
さて現代の日本のアベノミクスは、どうであろうか。
政府は異次元の規模の買いオペレーションで市場にお金を流し込んだ。しかしながら、民間がそのお金を使わない限りは、市中のマネーストックが増えたことにならない。
マネーストックが増えるということは、資金需要があり、銀行が貸し出しに積極的で、預金通貨が次々に創造されていることである。
つまり「信用創造」が大車輪で稼動していることで、それは経済活動が「活発化」し、雇用も拡大していることを意味する。
日銀が何度か金融緩和をやっても、なぜ「マネーストック」が増えないのかといえば、人々(企業)がオカネをなぜ「退蔵」させるのかという問題にも言い換えることができる。
結論を先にいうと、グローバル化の進展の下に、人々の心に「デフレ(物価下落)予想」が定着してきたからである。
しかし、「インフレ(物価上昇)予想」に転換できればこの問題は解決できる。
それがアベノミクスの期待物価上昇率2パーセントを定着させようという政策であった。
しかし、人の心理を操作することは予想以上に困難であった。
企業がお金を内部留保や貯蓄に退蔵して、なかなか使おうとしない。
このお金が回らないということに対して、一つの「発想」として考えられうるのが、現実には使われなかった「スタンプ通貨」である。
1916年 ゲゼルが提案した「スタンプ付紙幣」は、紙幣の保有者に保有期間に応じた枚数のスタンプを購入させ、そのスタンプを貼り付けておかなければ貨幣としての価値が維持できないと定めておくという制度である。
ゲゼルが考えたのは、実物財として市場で取引される多くの商品が腐ったり時代遅れになったりして時間の経過とともに劣化して行く中で、貨幣だけが腐りもせず時代遅れにもならずに価値が維持されるのはおかしいというものであった。
彼の考えは、貨幣の保有にコストをかけさせ、時間の経過とともに価値が劣化するような仕掛けを作った方が、貨幣が退蔵されることがなくなり、人々の経済活動への参加が促進されるという斬新なものだった。
このゲゼルの考えは不当に無視されているとしたのがケインズで、「一般理論」の中でかなりのページをさいているという。
そしてケインズの貨幣観は、幾分ゲゼルの貨幣観と重なるものある。
ケインズは、ゲゼルのように貨幣は腐るとはいわないが、貨幣は他の商品と同様に選好される(流動性選好)ため、貨幣が保有れたままの状態で、商品の流通に向かわず総需要が不足するというものであった。
そのことによって生じる総需要の停滞が不況をもたらすとしたのである。
さて、アベノミクスにおいて、日本銀行の紙幣の大量供給によって生じる低金利は、政府の国債発行を容易にし財政規律をも失わせる結果となっている。
人々は、少子高齢化の下、追加の増税を予想しているが、議会政治の下にあっては、無理な増税は政権の崩壊をもたらす。
そこまでいくと、国家に徴税力が"実質上"失われる状態になるため、これ以上の国債の発行に対して、銀行といえども国債を引き受けることを渋る可能性がでてくる。
その結果、国債を引き受けてもらうためには、金利を引き上げざるをえなくなる。
長期金利の上昇は、日本経済の息を止め、政府の年々の国債利子の支払いを一気に膨れ上がらせる。
日本の現状では、国債の引き受け手は銀行である。
民間銀行が超低金利で貸し出しを増やす気があっても、なかなか資金需要引がなく、「貸しつけ」のかわりに国債を買うことにした。
預かった預金を「何か」で運用しなければならない時に、国債を選んだのである。
国債は国にとって借金だから、国にとっては引き受けてがあることで、とても有難い結果となった。
どんどん借金が増えていくから誰かに買ってもらわなければならないからだ。
その国債を銀行が、個人から集めたお金でどんどん買ってくれた。
銀行だけではそうそう国債をサバキきれなきなったので、「禁じ手」ともいわれた日銀も手伝って国債を買ったのである。
つまり日銀は一生懸命に紙幣を刷る一方で、国債を買うことも行っている。
この段階で、1997年の「銀行発行高に見合うだけの優良資産の保有を義務づけた法律」は実質上、御破産になっているとみていい。
そういう状況の下で、国債は通貨のアンカーとはなりえないということになる。
そこに、国家権力と結びつく貨幣に対する不信が生じ、国家権力とは無関係な、新たな貨幣が誕生する余地が生まれているのではなかろうか。

現在世界中から現金に変わって、ポイントカードやモバイル決済、仮想通貨やブロックチェーンの拡大など、いま我々の暮らしから、どんどん現金が姿を消している。
キャッシュレス化の理由は単に「便利だから」だけではなく、現在の貨幣の“限界”も指摘されている。
一方、国家に代わって、世界中のユーザー自らが信用を支える「仮想通貨」や、お金という概念そのものを見直し“時間”の交換に着目した「時間通貨」など、史上類を見ない“ネクスト・マネー”も次々と生まれ始めた。
「ビットコイン」は、紙幣や硬貨より送金コストが低く、預金の管理費用も低くなった。
それ以上に重大なことは、国家権力とは無関係であることだ。
ビットコインが一定の成功を収めたのは、「ブロックチェーン」という、一種の「共有の取引台帳」の仕組みが実装されたことによる。
誰かが全体を管理しなくても不正な取引が起こらず、秘密は保持されるような仕組みは作れないか。
これを暗号技術などによって実現したのが、「ブロックチェーン」である。
ビットコインは、その総量が設計上、定められている。したがって希少性という点では、中央銀行がその気になればいくらでも印刷できる「銀行券」よりも、かつて通貨の役割を果たしていた金属の「金」に近いので、中央政府が借金帳消しのために意図的に行うハイパー・インフレなどからの安全を図ることもできる。
ビットコインという仮想通貨のアンカーは、ブロックチェーンを中核とする「テクノロジー」ということになろう。