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業界の闇と官僚

自分が幼少の頃、入院でもしなければ食べられなかったバナナが、今や入院してバナナを届けると迷惑がられるほど、ありふれている。
日清戦争後、台湾が日本に割譲されたことにより、 台湾バナナが「移入」されるようになった。
当時、台湾は日本の統治下にあったので、「輸入」ではなく「移入」なのである。
甘くておいしいバナナは瞬く間に日本人を魅了し、明治末期から昭和初期にかけて入荷量は年々増え、戦前のピークとなった1937年の年間移入量は14万トンに達した。
露天商による「バナナのたたき売り」があちこちで見られるようになった。なかでも九州の貿易港として発展していた門司港で、 大正後期に始まった「バナナのたたき売り」は、いまだに演じられている。
ところが、日中戦争が始まり、続いて太平洋戦争も勃発。輸送力が軍に取られてしまい、戦争末期の1944年~45年には、 台湾バナナの移入が完全にストップしてしまう。
戦後、 日本に進駐していたアメリカ軍用に台湾バナナの輸入が再開され、1950年には民間貿易が正式に許されるようになったが、「外貨不足」による輸入規制があったために、1960年ごろまでの輸入量は、 年間2~4万トンと非常に少なかった。
とはいっても、大人気のバナナは輸入するそばから飛ぶように売れていった。そこで、限られた「バナナの輸入権利(外貨割当制)」を得ようと、多くの業者がバナナ・ビジネスに参加したのである。
こういう「輸入割当制」は、贈収賄が起きうる権益となるが、砂糖についても同じような「割当制」があり、汚職が起きる可能性を孕んでいた。
松本清張原作「中央流沙」は、1953年に実際に起きた「ドミニカ輸入原糖割り当て」をめぐる汚職事件を下敷きに書かれたものである。
「中央流沙」はこれまで3度もテレビドラマ化されたが、自分が見た1976年の最初のドラマが印象的であった。
)ドラマの舞台は農林水産省で、エリート局長を演じたのが佐藤慶、影の実力者・西を演じたのが加藤嘉、そしてマイホーム購入を夢見る役人が川崎敬三。
農林水産省の課長補佐・倉橋豊(内藤武敏)は収賄の疑いで警視庁から事情聴取を受けていた。
上司の岡村局長(佐藤慶)は、農水省の幹部に顔の利く実力者・西秀太郎の示唆を受け、倉橋に北海道への出張を命じた。
札幌で不安に怯える倉橋に、西からの連絡が来て、今度は作並温泉に行くようにとの指示が出る。
西は作並温泉に着くや倉橋とさし向かいになり、人払いをして「私は君にどうしろこうしろと言える立場じゃないよ」と笑いながら、「つまり、善処して欲しいんだ」と言う。
「善処しろ」とは、一体どういう意味か。
倉橋が自殺すれば皆が助かる、組織は守られるから自殺してくれということの婉曲表現なのだ。
しかし課長補佐が「どうして私だけが犠牲にならなくちゃいけないんです」と反抗のそぶりを見せるや、「そんな意味で言ったわけじゃないよ」とすかさずとぼける。
挙句、「失礼ながら見直した」「私は骨のある男が好きだ」「惚れたらとことん惚れるたちだ」などと倉橋をおだてあげる。
つまり西はこの時、倉橋の殺害をきめるのだが、現実にありそうな鬼気迫る場面である。
その翌日、濃霧に埋まった早朝の作並温泉、旅館近くの断崖下に、倉橋が墜落しているのが発見され、まもなく死亡した。
このドラマのもうひとつ忘れたいのが、ラストシーン。死に追い込まれた役人の死後、家族なぜか羽振りよい生活を嬉々として送っている姿である。

日本国内で砂糖の生産に成功したのは、17前半奄美大島(当時の薩摩藩)及び沖縄(当時の琉球国)であった。それによって、幕末の薩摩は雄藩たりえたわけだから、明治維新の一端は「砂糖が築いた富」によるものであったということができる。
近代において日本と砂糖との関係におけるエポック・ポイントは、 バナナと同じく「日清戦争」 であったことは銘記すべきことである。
この台湾の経済の中心に据え置かれたのが製糖業で、これが今日の近代的製糖業の基礎になった。
1900年に、台湾で最初の近代的分蜜粗糖工場として 「台湾製糖」 が設立されたのを機に、10年余りの間に相次いで製糖工場が進出した。
同時に、内地にもこれを精製する精製糖工場が建設され、粗糖を運搬する貿易業者を含め日本の砂糖の生産体制が確立した。
このころ、明治維新以来すでにこの頃までに、政治家や官僚が著名な商人や実業家と結託するところから起こった不正事件はかなり多い。
北海道開発使による官有物払い下げ事件(1886年)、教科書疑獄事件(1902年)などだが、1908年4月に起こった「日糖事件」も、その一つである。
ただ日糖事件の場合、同様に政治と砂糖が関わる「ドミニカ輸入原糖割り当て」をめぐる汚職事件をはるかにしのぐ、政権全体を揺るがすに大事件であった。
日糖とは「大日本精糖株式会社」のことで1906年年、埼玉県出身の相場師「鈴久」こと鈴木久三郎が、あくどいやり方で買収してこの社名になったという。
台湾には工場を新設するやら、金子直吉の大里製糖所を買収するやらで、わが国製糖業界に君臨する勢いを示した。
そのために必要な借入金は社債でまかなったのだが、こうした無理な経営で、何とか成長してきたのたが、1907年1月15日を頂点として株価は値下がりをはじめ、さすがの鈴久も事業に行きつまり、大日本精糖は破滅寸前に陥った。
さて、1902年5月、政府は「輸入原料砂糖戻税法」の施行を始めているが、この法律の意図は次のとうり。
当時、沖縄や台湾で作っていた砂糖(粗製糖)を擁護するために、外国から入ってきた砂糖には、それを精製糖にして再輸出する場合でも、税金をかけるということになっていた。
しかし、これでは日本の精糖業が成り立たないという申し入れがあって、外国の粗糖を輸入して再び外国へ出す場合には、はじめ輸入する時に払った税金だけ返してやるという厚かましい法律を設けた。
ところが、この法律は1902年から1911年までという「時限立法」であったから、その期限を延長してほしいと、代議士達を買収したのである。
日糖の首脳部は、そればかりか「砂糖官営法」を成立させることを図った。経営破綻に陥った会社を高い値段で政府に買わせて、一時を糊塗しようなんということまで考える。
糖業界随一の大日本製糖は鈴久の力で農商務省農務課長だった農学博士「酒匂常明」を天下りさせて社長の地位に据えつけ、「渋沢栄一」を相談役に置く。
ここまですれば、不正を摘発する方も、相当に腹をすえてかからねばなぬという状況を作りだしたのである。
そして、日糖の幹部らはあくまでも会社のために骨折ってくれる代議士を、少しでも多く獲得したいと、巨額の選挙資金を立候補予定者にバラまいた。
ところが、そうしている間に日糖の株式が大暴落するやら、不正経理が暴露するやらで大混乱に陥った。
そしてついに1908年4月11日の夕刻、日本製糖取締役の一人が突然検事正官舎にやって来て、「会社が不正の金を捻出して国会議員を買収した。その資金の出所を隠蔽した事実がある者を、わたしは申告に来た」と言ったものだから、検事正はついに重い腰を上げざるを得なくなり、家宅捜査と贈収賄者の取り調べをさせた。
直ちに日糖首脳部が拘引され、4月から7月にかけて計24名の代議士が起訴あるいは召喚さた。容疑内容は 「戻税法案」「官営法案」の国会通過を図って、社金数十万円を贈賄したというものであった。
天下りした酒匂社長は予審が終結してから8日後、遺書を残してピストル自殺した。

「時の人」安倍昭恵夫人の曽祖父が、アメリカで西洋菓子の製法を習得し、帰国して「森永西洋菓子製造所」を創業した森永太一郎である。
昭恵夫人の父・昭雄氏は、関連会社の役員などを歴任した後、1983年から1997年まで、森永製菓の第5代社長を務めた。
父の任期中に、あの「グリコ・森永事件」(1984~85年)が起きている。そのため昭恵夫人には当時、護衛がついたのだという。
さて、森永製菓の森永太一郎や江崎グリコの江崎利一、いずれの創業者も「佐賀県出身」なのは奇妙な符合のようにも思える。
そこで佐賀人のDNAとして思い浮かぶのが、「シュガーロード」(砂糖の道)である。
江戸時代、天領(幕府領)であった長崎と藩境を接していたのが肥前・鍋島藩であるが、ポルトガルから伝わった製法を下に数々の銘菓を育ち広がったのは、「シュガーロード」ともよばれる長崎街道の存在が大きい。それは何といっても、オランダ商館長が江戸参府をする際の「通り道」だったからだ。
森永太一郎は1865年佐賀県伊万里の陶磁器問屋に生まれた。幼くして父を失い母とも離別した。
13歳の春、伯父の家に引き取られ、50銭の資本で八百屋の行商をやり、次に陶磁器の番頭となり横浜にいった。
ところが借金地獄に苦しみ1888年、23歳で単身アメリカに渡る。
知人もなく英語もできない森永が、そうそう商売で成功するわけはない。
たちまちホームレス状態となり、ある時雑役夫として働いた頃、酒をあおるように公園のベンチに寝ころがったところ、天使(エンゼル)が舞い降りた。
そこに、「キャラメルの包み紙」が落ちていたのだ。
ピーンときて早速行動を開始、なんとかキャンディー工場の仕事に就くことができるようになった。
そして1899年35歳の時、森永は洋菓子の製法を身につけ日本に帰国した。
その年東京赤坂に念願の「森永西洋菓子製造所」を起こした。これが後に、「エンゼルマークの森永」として親しまれる森永製菓の創業であった。
森永太一郎は、1937年73歳で波乱の人生を閉じるが、かつて森永が憧れたアメリカの菓子業界の裏側に、「シュガー・マフィア」という存在があることが、様々なかたちで取り沙汰されている。
アメリカで、「SNAP」(補助的栄養支援プログラム)ということが行われている。
最貧困層に対して1人あたり月額1万3千円ほど支給されるという。
月に一度午前0時に支給されるために、夜中すぎから全米の安売りスーパーには受給者が溢れているという。
しかし奇妙は話ではある。国の財政が圧迫する中で、自立のための雇用よりも税金による生活保護受給者を増やしているのだからだ。
しかしその理由は、SNAP利用者を増やすことで、生活の国民を救うだけでなく、食品業界の消費が増えて経済が活性化し、国民は最低限の栄養をとることで就職活動にも力を入れられるということなのだそうだ。
こういうと、良心的なプログラムにも聞こえる。
ところがSNAP制度によって失業率の改善になっていないことに加え、貧困児童はそうでない子供に比べて肥満率が7倍も高いのだという。
現実は、SNAP受給者の食生活の中心であるジャンクフードや糖分の高い炭酸飲料、栄養のない加工食品などによって、子供の医療費は増えているのだという。
SNAPを導入している10州で、栄養面の改善を図るために、砂糖入りジュースや炭酸飲料、栄養価の低い食品を「適用外」にする法案が出ているそうだが、ひとつとして成立していない。
その理由は、SNAPの内容を栄養に配慮した食品にする法案が出されるたびに、コカコーラ社やキャンディ協会、いくつものファーストフード店を傘下にもつ協会やスーパーマーケットのウオールマートなどから反対の圧力がかかるからなのだという。
その背後にあるのが「シュガーマフィア」といわれるものの存在だ。

日本の政治・官僚・業界の結びつきを「砂糖業界」を例として挙げたが、たまたま実家が「砂糖業界」と関係が深い昭恵夫人が森友学園の名誉校長を務め、そのことが「国有地格安払下げ」に影響を与えた可能性があるが、それもこれまでの構図と同様である。
その構図とは、官僚の末端からから自殺者が出て、その遺書に「汚い仕事をした人はみんな異動した。自分だけが残された」とあったという文面に垣間見える思いがした。
自殺したのは近畿財務局の下級官僚A氏、つまりノンキャリアだった。自殺した日は3月7日だったが、これが報じられた3月9日に佐川宣寿国税庁長官(前財務省理財局長)は突然辞任した。
佐川氏本人は否定しているが、理財局傘下の「かつて部下」の自殺を知って長官を辞任したと思われても不思議ではない。
大阪地検特捜部は、市民等からの告発状を受理、公用文書毀棄、証拠隠滅、背任などの容疑で捜査に乗り出しているが、異動から取り残されたA氏は局内あるいは対本省との対応や大阪地検の事情聴取などに追われ体調を崩していた。
決裁済み文書の書き換え・改ざんなどノンキャリアA氏らの独自判断で行えるはずはないし、A氏らには決裁文書を書き換える動機もない。
高級官僚はキャリア、下級官僚はノンキャリアと呼ばれる。
キャリアは、政策の企画・立案、調査・研究を職務として、最終的には審議官、局長、事務次官にまで昇進することができる一方、ノンキャリアは「定型的な事務を職務とする係員」で昇進しても本省では課長止まり。
ところで官庁には、処理に特別な配慮を要する案件がある。
「政治家案件」はその典型で、いつも政治家に有利な判断をするわけではいなが、有力で権限が強大な政治家だったり、いわゆるうるさ型だったりすると、その意向を忖度して可能な範囲で有利な処理をする。
その省庁の法案を通してもらう利害関係があったり、官僚として出世したい、あるいは出世を邪魔されたくないと官僚が思ったりする場合にそうしたことが起こる。
特に財務省は、予算や税制を担う役所だから、政治がからむことが多く、官僚たちは議員会館に通って政治家と会い、意向をさぐり、必要に応じて報告もする。
将来、首相や官房長官、財務相になりそうな政治家の秘書官にはエース級を配置してパイプ作りをしたりする。
2014年に内閣人事局ができて、政治があからさまに人事を操作できるようになると、官僚は政治に配慮せざるをえなくなり、決済文書の中の政治家の名前や首相夫人の名前が削除されたのも、そういう流れの延長線上にあるといわざるをえない。
結局、こういう事件で犠牲になるのが末端の官僚で、不正行為は自分には何の得もないのに組織の命令でやらされ責任を負わされる。
これこそが松本清張が幾多の小説で描いた構図である。
そもそも忖度して部下におかしな指示をだした幹部官僚でさえ、政治家は絶対にかばってはくれない。
森文書の書き換え問題に関して、麻生大臣は「財務省の一部の職員の不正」ということにして、財務省外にその飛び火が及ばないようにしているのはミエミエである。
佐川氏は発覚から森友問題の国会答弁後、国税庁長官にまで出世している。ところが文書改竄が明らかになると、手のひらを返すように麻生大臣や現理財局長から「佐川が~」という言葉が決まり文句のようになった。
決済文書の書き換えに連座した財務省の官僚は懲戒処分を受けることにはなろうが、佐川氏を含む高級官僚が「昭恵夫人の関与」や「安倍総理への忖度」について「人の心の内の問題」とすれば、文書改竄の責任は下級官僚で収まる。