ジーンとミーム

生活の習慣を変えるには、ほんの些細なことから変えたらよいと聞いたことがある。
例えば、靴をきちんと並べるのでもよい。靴がきちんと並ぶと玄関をきれいにしたいと思うようになる。 玄関がきれいになれば、部屋を綺麗にしようという心が働く、というわけだ。
実際にそうなるかは、人による。
それよりも、誰かが乱雑な部屋に花を活ければ、他の誰かが周りを綺麗にしようという気持ちが伝搬していくことは大いにありうるだろう。
それは、「綺麗にしよう」ミームが、植え付けられたということだ。
さて、19世紀末、生物学者メンデルは、生物の性質が次の世代に引き継がれることにつき、何か「粒子」のようなものが伝わっているのではないかと考えていた。
メンデルはこの法則では、何らかの単位化された粒子状の物質が一つの親の性質(形質)を決めていると仮説を立てた。
これを融合説に対比して粒子説または粒子遺伝と呼ぶ。
この粒子は後にウィリアム・ベイトソンよって「遺伝子」と命名された。
現代に至って、「利己的な遺伝子」(1976年)で知られるイギリスの生物学者リチャード・ドーキング博士は、「ジーン(遺伝子)」に対して「ミーム」という概念を打ち出した。
ジーンとミームは、体の細胞の中に奥深く伝達されていくものと、個人の脳から脳へと伝達されていくもの、伝達、変異が起きるものという点で共通している。
とはいえ、両者はあくまでアナロジカルな存在であるにすぎず、文化因子は「粒子」で伝わるというものではない。
ただ、文化因子の伝搬が、人間の脳がつくりだす様々な「モノ」を通して行われていることに気づく。
1966年、マイク真木という歌手が、ジーンス姿で紅白歌合戦に出場し、「バラが咲いた」を歌うと、視聴者から、「Tシャツとジーパンでステージに立つとは何ごとか」とクレームが寄せられた。
しかし、今やジーンズを履いて歌うことに抗議する人はいないし、逆にジーンズとギターで歌ってこそサマになる「吉田拓郎」に代表されるフォークソング歌手が登場した。
つまり「ジーンズ」というミームが蒔かれるや、「突然変異」が起きたかのように広がっていったということである。
そればかりではなく、ジーンズを履くこに付随して、Tシャツやスケボー、SONYのウォークマンというようモノに結びついて変化がおこり、その変化の総体を「ジーンズ文化」とよぶまでにもなった。

ジーンとミームのアナロジーにつき掘り下げよう。
ドーキンスによるミームの定義は、「文化の伝達や複製の基本単位」ということである。
この定義からすると、我々の文化と呼ぶものはすべての原子のようなミームからできており、そのミームが互いに競合していることになる。
遺伝子は糸状分子DNAに存在する小さな科学的パターンである一方、ミームは、「心の働き」というものではある。
遺伝子が精子と卵子を通じて人から人へと広まってゆくのと同じようにして、ミームは心から心へと移り広がってゆく。
競争に勝ったミーム、すなわちもっとも多くの心に入り込むことに成功したミームは、今日の文化を形成する活動や創造に大きく関与するのである。
遺伝子という小さなDNA内のパターンが、あらゆる外部形態、たとえば目の色、髪の色、血液型などを決定しているように、我々の頭の中のミームが、我々の行動形態を支配する。
生物学上の遺伝子が人間のハードウエアだとするならば、ミームはソフト部分(プログラム)に相当するものとみなすこともできる。
あるミームへの接触が繰り返されることで、そのミームが心のプログラムになるということである。
したがって、ミーム同士の戦いは心の内部のプログラムであり、ミームの物理学的現れである「媒介物」によって広まってゆくのである。
ミームは、その複製が他の心の中にも作られるように影響をブンブン及ぼしてゆく「インフルエンサー」となる。
すぐれたミーム、あるいはうまくできたミームというとき、それは人々の間を容易に拡散してゆく考えや信念を指しているのであって、優れた考えを意味しているわけではない。
生物は争いを避けるために自然淘汰され、多様な自然界をつくってきた。
しかし人間は自然に適応する上で、生物のようなジーンの進化をとげずして、むしろ自然界の方を「改変」して生きてきた。そして、その仕様のある側面が「文化」といえるかもしれない。
この世の中は、「悪貨が良貨を駆逐していく」という方が、よほど一般的なのだ。例えば「嫌韓/嫌中」にみられる「ヘイスト」ミームの広がりだ。
ドーキンスによれば、自然選択に基づく進化が起きるためには、複製され、伝達(あるいは遺伝)される情報が必要である。
またその情報はまれに「変異」を起こさなければならないが、これは生物学的進化では遺伝子である。
この複製、伝達、変異という三つの条件を満たしていれば遺伝子以外の何かであっても同様に「進化」するはずである。
したがって、ミームを「摸倣子」「摸伝子」「意伝子」などと訳すことも可能である。
遺伝子(ジーン)と同じように、ミームは複製し、ある程度の変異を起こすので、進化をする。
一般にミームの進化は遺伝子よりずっと速く進行し、DNAは数千年かけて進化を進めるが、人は一生の間にDNAが進化することはないのに対して、ミームは数日や数時間で進化することが可能である。
生物は遺伝子(ジーン)の複製のために一生を捧げるが、人間は例外的な存在とも考えられる。
なぜならミームの進化がジーンの進化よりも生活に影響力を持つからである。
例えば、「お金とは何か」という時、今「仮想通貨」という変異が表れて「お金」の概念を壊そうとしている。
また、かつての男女の社会的役割の違いについての考え方は、「女性は家にいるべき」といった今から見れば不自由なものでも、当時の人々にとって当たり前であった。
しかし、その考え方に疑問が投げかけられ、新しい考え方が生まれ、それがミームとなって広がるのである。
現代においては、スマホやSNSなども、人間の行動や思考に影響を及ぼす、数多くの自己「情報」の複製因子を送り込むことに成功した広まったものだ。
すなわち、ミームの進化は、どのミームが多くの心へ複製され、どのミームが消えていくかという過程によって進んでいく。
たがって「ミームの進化」とは、より多くの心へコピーされ、拡散されるミームが選別されていくということである。

地球の温暖化/亜熱帯化が、おとなしかったウイルスを活動を活発化するように、グローバル化は、特定の国に収まっていたミームを世界中に拡散することにもなる。
個人的には、「無国籍化」ミームといったものを見出す。
アメリカに寿司が広がり、若者がコーラを飲みながら寿司を食べている。
カリフォルニアでお寿司はアボガドロールなどを生み、日本の伝統的な寿司文化を変異させている。
おそらく寿司に醤油ではなく、ドレッシングをかけて食べる外国人もいるかもしれない。
天丼にケチャップかける外国人もいる、オデンをナイフとフォークで切り刻んで食べる外国人も現れる。
こうなると、日本文化は「お寿司」というものを介して、「無国籍化」ミームに押し切られて変容を余儀なくされるというわけだ。
また、日本の「柔道」もJYUDOへの変質し「無国籍化」ミームが勝利しつつある。
日本が自ら開発した柔道が、いつのまにか「柔」の心を欠いた力まかせのJYUDOとなり、その外国人選手が日本の柔道を打ち破るようになった。
この場合、JYUDOはもはや国籍のないものといえる。
日本人もオリンピックで勝つためには、「柔道」に拘ってはおられず、JYUDOを研究せざるをえなくなっている。
日本は戦後の高度経済成長期においてオリジナルな製品開発ではなく、製品の「商品化」において高い能力を発揮してきた。
後発の日本にとってそれが外国に追いつく一番効率的な道筋だったのだが、その過程で日本人があまり意識してこなかったことがある。
それは、その国が開発して生み出した「製品」というものは、単に製品であるばかりではなく、国民のナショナリティを背負っているということである。
一般に、人間が「何を作るか」を考えるということは、何を得意とするかを考えることであり、何をもって自分を表現するかなのである。
したがって国の基幹となるような製品の開発とは、ナショナリティの発露であり「国籍」を担っているということだ。
特に、車というものは、国民の歴史と夢が詰まった工業製品なのである。
アメリカが生んだ自動車キャデラックは、富と成功のシンボルとしたものであり、アメリカンドリームの象徴でもあった。
フォルクスワーゲンのカブトムシの形も、当時のドイツの国民車をシンボライズしたものだった。
イギリスが非効率を承知の上で手作りにこだわったロールス・ロイスもイギリスの文化の象徴だった。
ところが、日本車はそうした意味で「国籍」を担ったものではなく、あくまでも機能と性能とコスト安、そして貿易相手国の習慣への細かいアレンジで世界を席捲したのである。
それは作り手のオリジナリティーの表現よりも相手のニーズを最優先したものである。
日本車がアメリカに輸出する車は左ハンドルに変えるのに、逆にアメリカから日本に輸出される車は、日本に合わせて右ハンドルにしなかったことに、最もよく表れている。
日本から輸出される家電製品の炊飯器にせよ、少し焦げ目が出来るのが好きな国民に対して輸出するものや、ややオカユ状が好きな国民向けなどを区別したのである。
日本企業は、徹底的な相手国の嗜好や傾向を調査して、製品を微調整しながら輸出して世界市場を席巻してきた。
つまり、あくまでも相手の国の事情に合わせたものであり、その製品開発に関して「無になること」を選択したといってよい。
かつてトヨタ車がアメリカで「欠陥」を指摘されバッシングされたのは、単にアメリカ人労働者の仕事を奪ったからではない。
日本車がGMやロ-ルスロイスやフォルクスワーゲンのオリジナリティを市場で打破したということになる。
それは、ある部分外国人のプライドとアイデンティを傷つけたということに他ならない。
同時にそれは、自動車という製品開発にお「無国籍化」ミームの勝利を意味する。

日本人のアイデンティティの拠り所の一つは、祖先がどこかで繋がっているという曖昧かつ消しがたい意識にある。
その意識の象徴が、天皇という存在であり、「万世一系」などという大仰なものをもちだすまでもなく、出入りの少ないこの島国において、人々はどこかでつながっているというのは日本人のアイデンティの最大の根拠である。
その天皇が幾分「無国籍化」したのではないか、と思われる時期があった。
その時期とは、1990年代の「米の自由化」問題から始まった微妙な意識変化である。
日本の天皇はその祖神が「天照大神」というくらいだから、太陽の光を帯びた存在である。
そして天皇の宮中で今も行われている神事は、農耕儀礼と密接に関わっている。
天皇が大嘗祭や新嘗祭でコメを神と食すと、新しい霊がみずからの中に入りこみ、新たな時代・新たな年を迎える、ということなのだそうだ。
柳田国男によると、日本人はもともと米をヨネといっていたという。一般の農民は普通(ケの日)にはアワ・ヒエ・ヒエなど食べており米を食することはめったにない。
神様へのささげものとしてコメがあり、農民はハレの日だけにヨネを食したのだという。
つまりヨネとコメを区別していたのだが、現在はすべてコメと言っているので、コメがささげものではなく「俗化」したことになる。
そしてその米(イネ)の成長を主宰する役割を果たすのが天皇の存在であり、天皇はコメ作りにおける様々な儀礼と密接に関わってきた存在である。
ということは日本人の米作りは、日本人のアイデンティティの一端を担うものであり、そういう点でアジアの米作りと一線を画してきたのである。
そうした意識は、1980年代まで日本政府は農民を過剰に保護して、国民は国際価格の何倍もする米を食べてきたことと無関係ではないかもしれない。
しかし日本のカラーテレビや自動車の集中豪雨的な輸出が世界的な非難を浴びる一方、コメの輸入自由化への圧力が増していった。
そして1993年に、アメリカの圧力などにより細川内閣はコメの「部分的自由化」をうけいれ、1999年よりコメの輸入関税化がはじまった。
この頃より、日本人はアジアのコメ(インディカ米など)を食べ始めた。
日本が無理してでも米つくりを保護していた時代には、日本人のナショナル・アイデンティがコメ作りにあるという意識は消えてはおらず、それと符合するかのように「単一民族説」が存在し、天皇の存在は世界的に見れば、ローカルな存在といってよかった。
ところが1980年代よりはコメ作りよりも、自動車や半導体の生産に日本人のものづくりの優位性があることを示すようになった。
また、アジアへの日本企業の進出に伴ない「日本人多民族説」が次第に主流となっていった。
当時、京都大学の梅原猛氏は日本人の基層にアイヌがあると唱えたが、それ以外にも日本人の基層が北方にせよ南方にせよアジアとの関わりが深いという学説が台頭してきたのである。
こういう学説は、日本人のアイデンティティの根源を必ずしも「農耕儀礼」には求めないという特徴がある。
1980年代に、国語学者の大野晋も、インド南方やスリランカで用いられているタミル語と日本語との基礎語彙を比較し、両者の共通点を指摘した。
また江上波夫の「騎馬民族渡来説」という学説が脚光をあびたりして、天皇が「アジア的な存在」として無国籍化ミームが蠢き始めたように思う。
それは、当時のの国家戦略と合致するものあったが、アジア諸国からすれば必ずしも「融和的」のものとして受け止められなかった。
この頃から近隣国の「反日」ミームが強まり、双方のパ-セプション・ギャプ(認識のズレ)の大きさを痛感するようになった。
つまり、天皇という存在は、外国人からすれば日本人が思う以上に「色彩」を帯びているのだ。
日本という国は、「安全/安心/信用」を提供できる国だからこそ、日本の製品を買おうとするし、日本に学ぼうということになる。
ところが、政府トップの「公文書改竄」や一流企業の「データ偽造」などでノキナミ傷ついている。
天皇にシンボライズされる日本人の「ジーン」が、悪質かつ広範な「ミーム」に根本から侵されつつあるようだ。

日本企業のアジア進出は、戦時中の「大東輪共栄圏」を連想させるものがあり、首相・閣僚の靖国参拝におけるアジア諸国の反応のあまりのスサマジサに、我々自身が愕然としたほどであった。
しかし、最近の日本は新興国の台頭により、日本人のモノつくりにおいて優位性を失い、新興国に海外市場は奪われつつある。
東京オリンピック誘致の際に、フランス系の滝川クリステルの語った「お・も・て・な・し」は、日本がモノツクリからサービスやソフト面にそのアイデンティテイの拠り所を移すシンボリックな表現だったのかもしれいない。
したがって人間は一つの「種」として同じ生態的地位に止まり、「棲み分けて」争いを避けるようなことができず、生きるために同一のエネルギー(石油資源、水、食糧、レアアースなど)を求めて争奪戦をくリ広げている。
せめてミームは、それをカバーする意味でも「平和の方向」を向かって欲しいが、自然界のように争いを避ける方向には向かっていないような気がする。
中国における「反日ミーム」などがそれで、よほどの「変異」が起こらない限り、昨今の不穏な動きは「半永久的」に繰り返されそうな気配である。