確率か道理か

フランスの経済学者・ピケティは、2015年に話題になった「21世紀の資本論」の冒頭で、2012年に起きた南アフリカ鉱山での紛争で、警察がストライキ中の労働者を実弾で撃って鉱夫34人が死亡した事件をとりあげた。
これをもってピケティが扱う問題の主題が、「産出のうちどの比率が賃金に行くべきで、どの比率が利潤になるべきか。言い換えると、生産からの収入は、労働と資本でどのように山分けされるか」という分配の問題であることを前置きしている。
ちなみに、南アフリカの鉱山の資本家側(ロンドンのロンミン社の株主達)が、賃金の倍増を求める労働者に認めた賃上げは、月額75ユーロであった。
ところで、AI(人工知能)が爆発的発展を遂げる10~20年後、日本でも50%ちかい人が職を奪われるというのは本当だろうか。
その時、産出は労働と資本でどのように山分けされるのだろうか。
アメリカでは既に、AIを含むITが人々の仕事を奪い始めている。コールセンターや旅行代理店のスタッフ、経理係といった事務労働の雇用が減りつつある。とはいえ、仕事を失った人々はいつまでも失業者でいるわけではなく、別の職業に転職する。
したがって長期的な失業率の上昇はいまのところ観察されていない。
ただし、アメリカで事務労働を失った多くの人々は、介護スタッフや清掃員などの昔ながらの肉体労働に転職している。
これらの肉体労働は元の事務労働よりも賃金が低いので、アメリカでは今世紀に入ってから一般的な労働者の「低賃金化」が起きている。
以上のような兆候から、労働者は今のところ仕事を失うまでにはないが、貧しくなっている。
だが、ことがより深刻になるのは、2030年頃に開発のメドが立つ、人間と同じふるまいができる「汎用AI」が普及し始めることなのだという。
「特化型AI」は、Googleのような「検索エンジン」、囲碁プログラムの「アルファ碁」幾つかの特定の課題しかこなすことができない。
「汎用AI」は人間のようにあらゆる課題をこなし得るため、ロボットに装備すれば、人より安くて効率的に働くことができる。
その普及を考えると、早くて45年、遅くて60年には既存の多くの仕事がなくなる可能性があるという。

ピケティの「21世紀の資本論」は、新古典派経済学にしばしば登場するコブ・ダグラス生産関数とソローの成長理論の二つを組み合わせて、世界各国の経済データから、労働と資本の分配の関係、国ごと時代ごとの成長率や貯蓄率の相違の下で、どのように推移しているのかを実証的に明らかにした。
さて、生産関数を最も抽象的なカタチで示すと、Y=F(L、K)となる。
生産量Yは、労働投下量:Lと資本投下量(or工場設備規模):Kで決定するという式である.。
ここで、Kを一定にしてLを1単位増やすとどれくらいYが増加するかが労働の生産に対する貢献率で、Lを一定にしてKを1単位増やすとどれくらいYが増加するかが資本の生産に対する貢献率となる。
そして労働と資本のそれぞれの貢献率(限界生産力)に応じて賃金(r)と利潤率(g)が決定されるとするのが、新古典派経済学の分配理論である。
詳述は省くが、ピケティが採用したコブ・ダグラス生産関数(Y = AKαLβ)は、産出増Yが、賃金と利潤率にきれいに分配「α(資本分配率)+β(労働分配率)=1」され、計算上、余分な所得が生じないので、「分配論」には最適である。
そして、こうして賃金と利潤率が決定されるのであれば、一応「公正な分配」がなされているとみなしてよい。
もちろん、現実の経済は公正に運営されているとは限らないが、ここで公正な分配を前提としても、次のような未来図を描くことができる。
前述の生産関数、Y=F(L、K)を少しだけイジッテ、K(資本)の部分をAI(人工頭脳)におきかえてみよう。
Y=F(L、AI)なのだが、ここでAIを一定水準として労働を1単位(または1%)増やして得られる労働者の所得(賃金)は微々たるものである一方、L(労働)を一定にして、AIを1単位(または1%)増加した時の所得が資本家の利潤率(多くは配当)とするならば、分配の比率は資本側に大きく傾くことであろう。
結局、新古典派経済理論からいうと、所得の大半はAIの所有者(資本家)と、少数の超高度プロフェッショナルな労働者だけになる。
ならば「汎用AI」が普及し、「無人工場」まで実現していく社会において、労働者は何を生活の糧にして生きていけばよいのだろうか。
今、ベイシック・インカム(BI)つまり、最低限の生活を営むに足る額の現金を、国民全員に無条件・無期限で給付する制度の導入が議論されている。
AI(人工頭脳)とBIが繋がるとは語呂がいいが、BIの財源はどうなるのか。
生活保護や国民年金と同水準の1人当たり8万円と設定すると、夫婦に子ども2人の家庭では32万円の給付になる。
BIの使途は自由で、官僚や行政の差配が利かないことが何よりスッキリする。
今、「働き方改革」で会社が早く終わっても自宅にまっすぐ帰らない人々を「フラリーマン」と呼ばれているが、働かなくてもAIの恩恵の下、ベイシック・インカムのおかげで"生きる"ことは可能である。
パンとサーカスに生きたローマ市民を思い浮かべるが、ヨーロッパを中心にBIの社会的実験が行われている。
我々は「働かざる者 食うべからず」という意識がある。その場合、長丁場となったこの人生において、「働き方改革」どころではない「生き方改革」を迫られることになる。

AIが一般労働者を駆逐するというのは、個人的には現実感を感じない。
AIが普及しても、人間にしかできないものを考えた時、芸術などの「想像力の必要」なもの、新商品企画など「発想的なもの」、会社経営などマネジメント、看護師など「人間的なふれあい」が必要なものとして残るに違いない。
また一般の労働者もAIの普及による「人間の拡張」にあずかることになる。
義手や義足などでハンディキャップを克服するサポートする技術はあったが、「人間の拡張」とは人間の元々持っている運動や感覚、認知などの能力を伸ばす可能性である。
AIの能力をも、人間の能力として「一体化」する方向での技術開発である。
現状で類似物をみると、パソコンのマウスは手、歌舞伎などのイヤホンガイドも耳の拡張と言ってもよい。
複雑な指令がVRやウエラアラブルなメガネに表示されると、一般の労働者でも訓練を要する複雑な仕事を効率よく成し遂げることができる。
さて、「人間の拡張」が進むと、どこまでが自分かどうかだが、セルフ(自己)とアザー(非自己)の一線は0・2秒までたどいう。
例えばマウスを動かしてから、画面上のカーソルの反応が0・2秒以上遅れると、自分と一体化していない。
ほかにも、自分をくすぐるロボットの手を作ると、自分の命令から0・2秒以内に実行するとくすぐったくないけれど、それ以上の時間差だと、くすぐったくなるという。
こういうものは、人間の性格にまで影響がでそうだ。例えばネット上でCGのキャラ(アバター)を操ったりもするが、おじさんユーザーが"自己の分身"ともいえる女の子のキャラを使って、ネット上で「可愛い」とちやほやされる。
すると、現実のおじさんも、おしとやかになるという。
分身も0.2秒が勝負。つまり「人間の拡張か/機械の操作か」の分かれ目で、人間の意識感覚や生き方にまで、根本的な変化をもたらすことであろう。

AIが何をもたらすのかという点について、「公認会計士」という仕事から考えてみたい。
なぜ公認会計士かというと、「医師」「弁護士」と並ぶ日本の3大資格に数えられている一方、AIによって一番早く仕事が奪われそうな感じがするからだ。
すべての会社、会計業務なしに経営は続けられず、専門家である公認会計士の監査を入れて社会的信用を保ち続けたい。
ところが、AIの実用化により複雑な計算も一瞬で行えてしまうAIが監査業務などにも本格進出したら、高額の報酬で雇われていた公認会計士は切り捨てられる可能性がある。
ところが今起きていることは、人間とAIがタッグを組んで仕事をするということ。
最近、日本を代表する上場企業で不正会計が発覚した。そこで、不正を見逃さないためのAIの開発が、大手監査法人や研究者などの間で本格化している。
まずは、過去に不正をした企業の財務データを十数年分集め、様々な不正のパターンをAIに学習させる。
休日や深夜の時間帯の入力が多かったり、決算期が末直前に多額の収益が計上されるとか、仕訳の作成者と承認者が同じだとか、「パターン」見えてくるし、効率があがリ見逃しも減るという。
AIソフトは年々変わる監査基準や会計知識を蓄え、新人会計士らの質問に答えていく。繰り返し答えるうちに質問の意図を正確に読み取り、ディープランニング(深層学習)機能で自ら成長していくという。
そのAIに、これから監査しようとする各企業の財務データを分析させると「不正確率」が割り出され、ランク付けさせる。
その「不正確率」に基づいて会計士が重点的に調べさせるというAIと人間の連携プレーが行われる。
アメリカでは、こうした不正の発見は、関係者の動機や状況にまでも含めて研究が進んでいるという。
例えば、企業側には「減価償却の方法」を選択できるため、利益を調整する裁量があるものの、裁量にも限度があり、利益調整しても損失が回避できないと、不正に走る可能性がある。
また、アメリカは、捜査などでプロファイリングの蓄積があるのか、経営者の内面にも踏み込んでいる。
例えば、年次報告書などに載っている経営者の写真が枠いっぱいに広がっているか、一人だけで写っているかなど、ナルシズム傾向から、リスクをとる確率を割り出す。
また企業が株主や投資家に公表する年次報告書には、経営者が自社の経営を分析した文章が載っている。
過去に不正があった経営者の文章と、そうでない文章をAIに読みませ、使われる単語の頻度から「不正リスク」を割り出すという。
「汎用AI」の大きな問題は、AIが出した結論がなぜそうなのかを説明できない、つまり人間の側から理解不能ということだ。
インドのシュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887-1920)という数学者を思い出す。
貧しいバラモンの家に生まれたラマジャンは、いろいろな「数学上の公式」をヒネリ出している。
彼の業績に心打たれたケンブリッジ大学の教授が、1914年ラマヌジャンをインドから招聘するが、驚いたことに、ラマヌジャンは「証明」という基本的な概念が全然理解できていなかった。
ラマヌジャンのような存在は果たして「数学者」といえるのかという疑問さえおこる。
まるで「ブラックボックス」のようなラマヌジャンの公式に証明を与える仕事を、別の優秀な数学者が挑んで、20世紀末まで証明が与えられたのである。
最近、政府や企業で「偽装データ」や「水増し」が話題になっているが、AIがどんなに髙い計算能力があっても、正しくAIにデータを与えること、その計算を確認(保証)するのはやはり人間である。
上記にあげた公認会計士の場合、正確に計算ができることだけに留まらず、会計の専門家が企業に対して会計状況に問題はないと「太鼓判を押す」ことに存在意義があるのである。
ところで、コンピュータは、無闇やたらと計算するのではなく、何を比較し、何を読み取らせるかという「アルゴリズム」は、人間の側が設定するものである。
「アルゴリズム」は問題を解決する手段や手順を意味する言葉であるが、例として「乗換検索サービス」において「所要時間」「運賃」「乗換回数」のどれを優先するのかなど、問題を解決する際に「何を優先するか」によって、取る手段(=アルゴリズム)も変えることになる。
Googleの検索アルゴリズムが変われば、当然検索結果表示する方法(表示順など)が変わる。
国の政治を考える場合でも、先進国と中進国では、環境や人権などの優先順位が異なる。
したがって外交や軍事や通商面など、独自のビッグデータを用いて全く異なるシステムが出来上がることになる。
米国と中国の軍拡競争の一端をAIが占めており、この分野では抑止力も相互の協力もなく、冷戦から現実の戦争に繋がるリスクとなっている。
近年、中国の科学者が世界で初めて人の授精卵の編集したことが専門誌に発表され、世界を驚かせた。
デザイナー・ベイビーを生み出すためのゲノム編集など、いかにもAIが得意そうな分野だが、その場合、倫理や人権は片隅に置かれかねない。
AIとビッグデータは、(1)膨大な量のデータを集め、(2)そこから、ある目的のためのアルゴリズムを作り、(3)そのモデルを当てはめて予測を引き出す。
ここでどんなデータを集めるべきかを決め、それに基づきアルゴリズムを決めるのは人間の側なのだ。
こうした点をふまえ、現実の問題として、AIを動かすアルゴリズムの「透明性」を確保し、ブラックボックスになるのをどう防ぐのかが大きな課題となっている。
AIを使った「金融機関のローン審査」のケースをあげてみよう。
複雑なアルゴリズムを書き換えさえすれば、人為的な操作はいくらでも可能になる。
融資を認めない場合は、不正を疑われないためにも、どうしてAIがそう判断したのか明らかにしなければいけない。
例えば、AIを使ったプロファイリングが「あなたはこういう人間ですね」という判断を出す。彼を取り巻く具体的な文脈がなどが捨象され、その能力がただ確率的に判断されているのだが、ビッグデータを基礎にしているだけに、正確で科学的な「評価」となってしまう。
企業の採用において、プロファイリングに使われる個人の属性や、アルゴリズムの内実が企業秘密になっていると、なぜ自分が不採用になるのか、排除されるのかわからない。
結局、AIによって支配される世界とは、情熱や動機にも支えられない「意味のない」の世界で、人は「確率」(ビッグデータ)を唯一の根拠にして、道理なきことや意味のわからぬことを実行できるだろうか。
中国は歴史的に儒教に基づく徳治主義の国であったが、今日のような「デジタル権威主義国家」への傾斜は一体何をもたらすのだろうか。
街中の監視カメラが、手配犯を群衆の中から見つけ出したという報道がなされたが、誰を「要注意人物」としてアルゴリズムに仕組むかは人間の側の判断である。
中国ではすでに「個人の格付け」が進んでいて、一度信用を失った人間が回復の機会を失う「バーチャル・スラム化」が懸念されるほどである。
となると人は、人に好かれるよりも、AIの評価をあげるために、AIに気に入られるような生き方をするようになるかもしれない。
仮に「アルゴリズムの支配者」が国を支配するのならば、その統治の正当性の根拠は究極的には「確率」ということになる。
独裁者が、都合よく独自のアルゴリズムから導き出したものに”民意の装い”をほどこして広げていくのは、今日のSNSを使えば容易なことであろう。
そんな「確率」の暴走に、人間の「道理」はどこまで対抗できるのだろうか。

不正の可能性を着目するポイントがいくつかある。この辺の着目点こそが人が決めるアルゴリズムである。
企業は、取引データを簿記に落とし込んでいく「仕訳」という作業が日々、大量に行われている。
ロボットを所有する資本家のみが所得を得て、他の労働者は飢えるしかなくなるのですか。
フィンランドで抽選で選ばれた失業者2000人に対して月6万8千円を給付する実験を行っている段 「そんな社会にふさわしいのはベーシックインカム(BI)だと考えます。全ての人々に、最低限の生活費を一律に給付する制度です。もし今すぐ導入するなら、1人月7万円くらいが妥当かと思います。AIの発達など社会の変化に合わせて、給付額や制度は柔軟に変えていけば良いでしょう」。
古代ギリシャでは、労働は奴隷がするもので忌むべきものだったとか。市民は政治や数学に熱中したり、哲学したり。近い将来、かつての奴隷の仕事がAIやロボットにとってかわられ、古代ギリシャのような世界になるかもしれませんね。
働かずBIで食べていけるなら、人間は怠けるのでは?「高度にAIが発達したら、人間は怠けていても別に問題ないでしょう。今の社会でも、働かない、働けない人には色々な理由があると思いますが、単に怠けていたとしても、それは一種のハンディキャップ。人間はあらゆることを意志でコントロールできるものではない。いま働いている人は、たまたま労働意欲や能力に恵まれてラッキーってことですよ。私はすぐにでも、全ての人にBIを給付すべきだと思います」
労働が人間の本質であるとはあまり思いません。近代になって労働の価値が高められた部分がある。国民に労働をさせて国力を高めることが、国際競争の中で必要だった。特に日本は、憲法に勤労の義務がある。それくらいこの国では、労働に重みがある」
働く以外にも素晴らしいことはあるし、生きているだけで貴いという価値観に変えていかないといけないんですよ。
遊んで暮らすもけっこう、くらいにゆるい社会にならないと、今でも生きづらさを感じている人は多いし、ますますそうなってしまいます。労働以外のことに意味や価値を見いだしている人の生き方も肯定していかないと、立ちゆかなくなります」

本丸は富裕層の富の再分配です。これまで日本の財政改革は消費税率を上げる一方で、法人税減税と富裕層に対する累進課税の緩和をしてきた。
強者ばかり優遇し弱者からカネを吸い上げ、あるべき公的機能の逆ばかりをやってきた。世界で日本だけが20年間ゼロ成長である最大の理由がそこにあります。BIで富裕層から貧困層へ富の再分配をすれば、格差が解消され景気もよくなるし、いろんな問題が一気に解決する。そのためにも法人税増税や累進課税の強化、特に金融資産課税が必要です。
BIの導入実験で、そのたたのり問題は顕在化しませんでした。ケニアの実験例ではBIが漁網の購入や学費に充てられた。ホームレスを対象としたロンドンの例では、半数の人が家屋に住めるようになり、他にも社会に関与するための職業訓練など投資に回された。
何かしたくても、貧しさから機会が与えられないこと自体が貧困問題の根本的理由。少数のフリーライダーの何十倍、何百倍の人が餓死せず、人としてまっとうに生きる権利を得られるなら、よくなる総量のほうが圧倒的に大きい。GDPがこれだけあるのなら、生きていくための保障くらい弱者にしようよ、というのが私の理念的ポジションです。
BIには一方で、企業や産業界を活性化するメリットもある。典型的なのが北欧です。60〜70%の高負担で企業も富裕層も高率の税金を課され、消費税率も20%と重い。人口増のボーナスもない。それでも成長しているのは、BI導入以前の段階で再分配が利いているから。
繊維会社がIT企業になろうとしたら従来社員の大半が不要になる。BIが保障すれば解雇規制は大幅に緩和でき、企業は合理的で柔軟な経営戦略を取れる。そもそも労働者の生活保障を企業に負わせること自体、資本主義経済として合理的ではない。企業は法人税を厚く負担して生活保障は国家に移管する。現在企業が抱え込む400兆円もの内部留保は国が再分配したほうが
AIが仕事を奪うとか脅威論がありますが、人間がAIの能力を生かす場面と使い方を正しく規定しさえすれば、怖がる必要は全然ない。<>今後実現が期待されるAIは習得した学びを他に転用し臨機応変な対応をする、たとえば自動運転をし碁を打ち翻訳もする「汎用型AI」ですが、大量の情報を組み合わせどう総合的に判断させるか、その目的を設定するのは人間です。
むしろ懸念すべきは、AIだけが知的に高度な生産活動をするようになると、AIを所有する資本家が経済の絶対的支配者になること。資本家が富を独占し、豊かな社会どころかほとんどの人が仕事に就けないディストピアになってしまう。そこでBIによる強力な再分配機能が必須になります。
でも、働かなくてもいい世界は単純にユートピアとは限りません。退屈の不幸がある。人間はラクがいいという怠惰な一面もあれば、よきことのために努力したり興味を持ったりする一面もある。
の6人に1人が貧困で、年々格差が開いている日本こそ、BI導入を本気で考えてもいい?
ベーシックインカムは全員が同じだけのお金をもらうことができる一方、負の所得税は累進課税なので所得は低いけど少しはあるという人は全くない人に対してもらえる金額は少なくなる。
負の所得税は所得に応じて決められるため、確定申告をすれば自動的にもらえるお金も決まります。還付金みたいなもの。貧困に陥ってもいちいち申請しなければもらえない援助よりかはマシかもしれません。最後のセーフティネットといわれている生活保護でさえ申請が必要ですからね。
それに比べて確定申告はサラリーマン以外の人は(学生などを除き)必要となっていますので、めんどくさい手続きが増えるということはありません。ベーシックインカムと同じく、負の所得税もまた貧困対策の一つとして考えられている構想。
収入が0の人で所得税が-90万円(90万円もらえる)と、ちょっと働いて収入が30万円の人で所得税が-60万円だった場合、働いている人と働いていない人と収入の差がなくなります。
さらに累進性を高めて収入30万円の人の所得税が-40万円となった場合、この人の収入は70万円となり、働いていない人の方が収入が上になってしまうということになるため、これでは勤労意欲の低下につながってしまうことは間違いないでしょう。
役所にて、コストが掛かりすぎるとか、金持ちにもばらまくのは無駄ではないかといったBIに対するいわれなき批判の多くは、この「同質性」を理解することで消滅するだろう。
トマ・ピケティの『21 世紀の資本』の基本法則は二つの公式すなわちα(資本分 配率)= r(資本収益率)×β(資本所得比率),β= s(貯蓄率)/g(経済成長率)と結論式r> g である。
21 世紀はαが拡大し資本支配が大きくなるが,それは少子高齢化によってg がゼロに近づくほど低下し,他方s は小さくなっても資本蓄積は大きいのでβが増大するためである。最後の公式r は歴史的にみて変わらないので資本の優位性を拡大させていく。
この公式は用語に多少の違いはあるが,今日主流の新古典派経済学踏襲している。問題なのは公式どおりにα,βが増大しているかどうかである。とくにαは規模に関して収穫一定の経済学の論理からはその拡大はないし,実証的にもその例はない。これは形式論理的なαの数値だけでは所得分配を論じえないことを示しており,ピケティはこの公式だけではなく膨大な税務データによって格差論を検証しようとしている。
1 資本主義の第一基本法則(36 ページ)α= r ×βア)ここでα:所得に占める資本シェア(資本分配率),r:資本収益率,β:資本所得比率。α,r,βを国民経済計算(SNA=system of national accounts)で示すと,α(資本所得/ 国民所得)= r(資本所得/国民資本)×β(国民資本/ 国民所得)6)α= r ×βは,この三つの変数が完全に独立的であり,会計上の恒等式(定義式)であり,トートロジー的であるが,歴史上のあらゆる社会に当てはまる公式である(60 ページ)。
資本シェアαの2010 年における富裕層の比率は,30%程度である(37 ページ)7)。
イ)資本収益率r は,1年間の資本からの収益をその法的な形態(利潤,賃料,配当,利子,ロイヤリティ,キャピタルゲイン等)に限定せず,投資された資本の価値に対する比率として示すもので,通常の利潤率や利子率よりも遥かに広い概念である7)。
通常の資本収益率は,投資の種類によって異なってくる。しかし,α= r ×βだけでは細かいことは解らない。
三つの変数がどのような関係にあるかを考えた資本収益率の枠組みが必要である(56-60 ページ)。
ウ)資本所得比率βは,ある意味でその社会がどれほど資本主義的かを表している。富裕国の場合,国民経済計算(SNA)から,国民資本(国富)は,国民所得の600%(6倍)程度である(54 ページ)。
エ)以上の数値を資本主義の第一基本法則にあてはめると,30%= r × 6,資本収益率:r は5%となる。平均資本収益率は,フランスの実態では,4-5%程度である。後述のように歴史的に もこの資本収益率を示す数値は,あまり変動していない。
オ)以上から,富裕国の第一基本法則の数値例としては,α 30%= r 5%×β 600%(6倍) と書くことが出来る。
カ)第一基本原則であるα= r ×βの公式が,どのようにして決定されるのかについては,こ 世界経済評論IMPACT+ / No. 7 3トマ・ピケティ『21 世紀の資本』基本法則に関する研究 の式を見ているだけでは解らない。
何より資本所得比率βがどのように決定されるのかが重要である。その為にはβに関する追加概念として,貯蓄率,投資率,成長率,の把握が必要と なる。βの長期的な動向,βの決定要因を理解する必要がある。その上で,次の資本主義の第 二基本法則が生まれる(174 ページ)。
2 資本主義の第二基本法則(172 ページ)β= s/g ア)ここで,β:資本所得比率,s:貯蓄率,g:経済成長率。β,s,g を国民経済計算(SNA=system ofnational accounts)で示すと β(国民資本/ 国民所得)=(貯蓄率/ 経済成長率)⑴ この基本法則が成り立つための前提条件(176 ページ)。
長期的に見た場合のみ有効:・ある国がゼロ資本からはじめて一年だけ国民所得の12%を貯蓄に回しても,所得の6年分の資本ストックを蓄積することは出来ない。ちなみに貯蓄率12%でゼロ資本からのスタートの場合では50 年かかる(176 ページ)ことに注意。
・β= s/g の法則は,動的プロセスの結果であり,この均衡状態が完全に実現することはな い。
イ)β= s/g の基本法則が有効なのは,人間が蓄積する資本に注目した場合だけである(177ページ)8)。
ウ)β= s/g の基本法則が有効なのは,資産価格が平均で見て,消費者物価と同じように推移 する場合だけである(177 ページ)。
⑵ β= s/g の関係式の意義(175 ページ)ア) 例えばある国の貯蓄率:s が12%,経済成 長率:g が2%ならば,β =12%÷ 2% =6 で,国民所得の6年分の資本を蓄積することを意味 する。この式の重要性は,沢山蓄えてゆっくり成長する国は長期的には所得に比べて莫大な資 本ストックを蓄積し,それが社会構造の富の分配に大きな影響を与えることである。ほとんど 停滞した社会では,過去に蓄積された富が異様な程影響を持つようになる。
イ)21 世紀は低成長時代であり,経済成長率:g の低下により,資本所得比率:βが巨大化す る。成長率が落ちて長期的なβが大きくなると資本集約的な社会となる。資本は誰にとっても 有用ではあるが,資本の持ち主が最も支配的な経済社会になる。
ウ)資本ストックが年間所得6年分に満たないとき,貯蓄率12%だと資本ストックは年間2% よりも大きな比率で成長する(資本ストックは所得よりも速く成長する)。資本ストックが年 間所得より大きい場合,貯蓄12%だと資本ストックの成長率は2%で成長する。資本所得比 率はこの水準を保つことが出来ず減少する(6以下)(178 ページ)。
3 資本主義の結論(368-376 ページ)r > g r > g は,絶対的な論理的必然ではなく,様々なメカニズムによって決まる歴史的現実として 分析する必要がある。資本収益率と経済成長率のそれぞれ相互には,独立した力が重なり合っ て生じたものである。経済成長率:g は,構造的に低くなりがちである。イノベーションの速 度が落ちると通常1%を大きく上回ることはない。他方資本収益率は技術的,心理的,社会的, 文化的要因に左右され,それらがまとまって約4-5%の収益率をもたらしてきた(376 ページ)。
イ)資本収益率に関する経済理論として将来所得を現在価値で割り引く時間選考率概念がある が,人間の未来に対する行動を時間選好率9)というひとつのパラメーターに要約するのは不 可能である。予備的貯蓄,ライフサイクルの影響,富そのものに付随する重要性など多くの要 素を含む。もっと複雑なモデルで分析する必要がある(374 ページ)。
ウ)格差の均衡水準が資本収益率と経済成立の差r - g の増加関数である。もし平均所得が 全く消費に回されず,全てが資本ストックに再投資されたら,資本所得がどれだけ平均所得 から乖離するのかという率を表している。
r -g が大きければ格差拡大の推進力がそれだけ大きくなる。
もし資本収益率と経済成長率の差が19 世紀フランスで見られたほど高ければ(当時の平均収益率は5%,経済成長率は1%程度),自動的に富は極度に集中し,通常トップ 10 分位が資本の90%程度,トップ100 分位が50%以上を保有することになる(パレート分 布)10)。基本的不等式r > g は資本格差を示しており,21 世紀の世界は経済成長率の低下に よって資本格差が拡大し,何らかの政策手段がなされないならば,富の不平等が大きく広がる 事態となる(379 ページ)。
ア)筆者の検証と試算による(以下試算とする)日本のαは,2014 年度30.7%,1995-2014 年度 の20 年間の資本分配率は平均29.6%(労働分配率は70.4%)で殆ど変動していない(図1)。 いずれもコブ・ダグラス型生産関数で用いられた数値と相似である。
したがって21 世紀に向けてαが増加するというピケティの基本法則が一般的に妥当するの かは疑問である。ピケティの第一基本法則にもとづけば,αの増加要因として先ずr の増加が 考えられるが,ピケティはr はヨーロッパの歴史からみて4~5%程度でほぼ一定と述べてい る(58 ページ)。日本経済でのr は1995-2014年度(国民資本は年計算)の20 年間平均3.21% で,結論的には3~4%程度でほぼ一定していると考えても良い(図2)。日本の資本収益率 は,ピケティ論と同じように,r 一定を検証できる。
このような日本の経済動向指標をみる限り,ピケティの21 世紀の経済成長率g が人口減少を主要因として低下し,βの増加によってα上昇という資本分配上の不平等が拡大する という指摘は,日本では適用出来ない。このような認識の差異は何故起こるのであろうか。ピ ケティとの比較論でいえば,直接的には貯蓄率に対する視点の差異である。ピケティは1%程 度の低い成長率が続く場合であっても,貯蓄率は下がっても,10%程度で安定するとしている ことにある(366 ページ)。しかし,日本は大幅に貯蓄率が減少した。実はそれは日本のよう なバブル崩壊過程が長期に持続することを,前提にも予測にもしていないからだと思われる。 正味資産の大幅な毀損(最も大きな要因は土地バブルの崩壊)は,ピケティの想定を超えたも のであったと思われる。ピケティは貯蓄率が一定の条件で維持されること,その結果過去の資 産である資本ストックが無限に積み上がるという前提で理論を組み立てているため。βの上昇 による資本格差拡大を論じているのである。このような日本の経済現象は資本主義の異常な形 態で,あくまで例外的というべきであろうか。
日本経済の実証分析からも説明できる。収益率3.21%>成長率0.93%(名目で 0.67%)である。
しかし,この公式を導出する経済理論的な一般性はないと考える。すなわちピケティの定義 する資本収益率を示すr と資本係数(資本所得比率)のg はそれぞれが独立した変数を構成 する要件であり,それを直接結びつける因果律はない。加えて貯蓄率の低下,経済成長率の上 昇,資本ストックの瑕疵,資本収益率の変動は,今後の資本主義にとって実は不確実性の世界で ある。確かに人口の減少が潜在成長率を押し下げる要素であることは歴史が証明している。し かし,ピケティのr(一定)の特性とg(低下)の特性を比較したr > g は,余りにも素朴な数 値比較と言えない訳ではない。g が低下し,資本格差が拡大する事実とその是正策を提案する には,この指標以外の分析可能な指標を加えた多面的な議論が必要である。
基本法則論と資本主義の不平等論は,α= r ×β,β= s/g,r > g の三つの記号式に集約される。
それは一見理論的鮮度が高く多くの耳目を引く魅力に溢れている。しかし本稿で論じたように α= r ×βのオリジナルはコブ・ダグラス生産関数であり,この理論を超えていないだけでな く,実証的にもこれを否定する事実が示されている訳でもない。また公式β= s/g もオリジナ ルはハロッド・ドーマーモデルである。
βを形式的に左辺に位置付けたのは新古典派のロバート・ソロー15)である。実は,長期的にゼロ成長に近く,又貯蓄率の大幅低下によって正味資 産も減少するバブル崩壊過程の日本経済のようなケースは,期間の長短など多少の違いはあっ ても先進資本主義国がこれまで経験し,今後もどこにでも起こり得る経済現象である。そして この点において現代マクロ経済学の理論は,なり織り込み済みであると言って良い。しかし ピケティ基本法則は,低成長時代でも貯蓄率がそれほど低下せず,結果βが急成長し,資本格 差拡大による不平等が生まれるとしている。ここからこの法則の誤りを指摘する理論的主張が 生まれる背景がある。筆者の日本経済の実証分析からもピケティ法則に添いながらβが無限, 且つ急拡大していないことが示された。
21 世紀の低経済成長率下でβが増大して経済格差が 拡大するピケティの公式では説明できないのであり,特に貯蓄率の低下を十分に配慮しなけれ ばならない16)17)18)。r > g についても追加的な理論構築が不可欠である。またg には更新 投資及び減価償却率を含めて検討しなければならない。尤もピケティの三つの基本法則モデルは先述したように彼の独創的な経済理論からのみ構築されたものではない。

BIにつき財源的には可能なのか。計算上、十分賄えます。不要になる国民年金・基礎年金、生活保護の生活扶助費、雇用保険の業保険費や、“強者の年金”といわれる厚生年金の分を充当する。現在42%の国民負担率を欧州諸国並みの60%へ引き上げ、消費税率は8%から15%にする。
最新の研究者は、複数のドローンで体を持ち上げ、月面を跳ぶような感覚が得られる『オーグメンテッド・ジャンプ』。これはサイボーグに近い身体的な拡張である。
また、高齢者や体の不自由な人が自宅にいながら旅行を味わえるような『ジャックイン・スペース』もある。
『ジャックイン・ヘッド』という装置は、全天球カメラをつけた機械を頭に装着した生身の人が見た映像を、遠隔地の人がディスプレーで見る仕組み。
スポーツで使うなら、プロのサッカー選手がプレー中どこを見てどう体を動かしているかも追体験できる。
離れた場所にいるロボットや代理人が撮影した映像を見て、そこに行ったかのような状況は作れる。
最近、仕事は早く終わっても家に帰りたくないフラリーマン問題となっているが、最低の所得が確保されるならばブラリーマンが問題となる。
そのいくらかBIほどではない「負の所得税」というものも、一つの政策として考えられる。
アメリカのでノーベル賞受賞者の経済学者ミルトン・フリードマンがで提唱した「負の所得税」を思い起こす。
「負の所得税」は、低所得者がマイナスの徴税つまり給付が受けられる制度である。フリードマンの負の所得税は個人ではなく世帯が対象となり、ほとんどの子供は所得がゼロなので税金を払わず給付のみを受けることになる。
したがって、「お金持ちから多くの税金を取る」ということではなく、ある水準から下の低所得者に国からお金をあげる」という意味での累進課税となる。

さて、コブ・ダグラス生産関数は、Y=AKαLβと表される。
この式のポイントは、△Y/△L=α、△Y/△K=βとするとα+β=1になるということである。
すなわち、生産活動に応じて生まれた所得の増加△Yが、賃金と利潤率にきれいに分配され、余計な所得が式のうえで生じないという便利さなのである。
ちなみに式の中のAは人間とAIがタッグを組んで仕事をするということがおきている。
企業は、取引データを簿記に落とし込んでいく「仕訳」という作業が日々、大量に行われている。
不正の可能性を着目するポイントがいくつかある。この辺の着目点こそが人の決めるアルゴリズムである。
休日や深夜の時間帯の入力が多かったり、決算期が末直前に多額の収益が計上されるとか、仕訳の作成者と承認者が同じだとか、パターン見えてくるし、効率があがリ見逃しも減るという。
最近、日本を代表する上場企業で不正会計が発覚した。そこで、不正を見逃さないためのAIの開発が、大手監査法人や研究者などの間で本格化している。
まずは、過去に不正をした企業の財務データを十数年分集め、様々な不正のパターンをAIに学習させる。
AIソフトは年々変わる監査基準や会計知識を蓄え、新人会計士らの質問に答えていく。繰り返し答えるうちに質問の意図を正確に読み取り、ディープランニング(深層学習)機能で自ら成長していくという。
そのAIに、これから監査しようとする各企業の財務データを分析させると「不正確率」が割り出され、ランク付けさせる。
その「不正確率」に基づいて会計士が重点的に調べさせるというAIと人間の連携プレーが行われる。
アメリカでは、こうした不正の発見は、動機までも含めて研究が進んでいるという。
アメリカは、捜査などでプロファイリングの蓄積があるのか、経営者の内面にも踏み込んでいる。
例えば、年次報告書などに載っている経営者の写真が枠いっぱいに広がっているか、一人だけで写っているかなど、ナルシズム傾向から、リスクをとる確率をわりだす。
また企業が株主や投資家に公表する年次報告書には、経営者が自社の経営を分析した文章が載っている。
過去に不正があった経営者の文章と、そうでない文章をAIに読みませ、使われる単語の頻度から「不正リスク」を割り出すという。
ただ、何を比較し、何を読み取らせるかというアルゴリズムは、人間の側が設定するものである。
、技術水準(全要素生産性)を示している。
とくに決算集中期などは、すべての財務データを人間が読み込むのは物理的に難しく、抽出した一部のデータをチェックしているのが現状だ。AIの学習能力や大量のデータ処理能力を生かせば、会計士を補完する貴重な戦力になり得る。