昔の経済ならず

太宰治は、中学校にならった英文"He is not what he was."という文章が忘れがたかったらしく、「彼は昔の彼ならず」という短編を書いている。
同じ意味で、"He is not what he used to be."といってもよい。
個人的思い出だが、アメリカ のサンフランシスコのアダルト・スクール(移民の語学習得を主たる目的とした学校)の授業中、”used to”を使った例文を書けといわれ、"He used to be a man,but now he is an woman."と書いたら、大学院生と思しき女性の先生の爆笑をかって、皆の前で発表させられた。
その際、先生は、"Naohiro(我が名) is now hero."と負けずに笑いをとっていた。
今、振り返れば人権への配慮欠けていたかも。
さて今一番感じていること。それは「経済は昔の経済ならず」ということである。
日本は、バブル崩壊以来「長期停滞」(失われた20年)に陥ったが、土地の無制限の売買など、諸外国からは政府当局の「無策」によるものとみられてきた。
ところが、今やこうした「長期停滞」は世界各国に共通に見られる現象であり、それは「資本主義経済そのもの」の変化によるもので、日本は「第一患者」と捉えるべきものなのかもしれない。
この「長期停滞」の原因については、二つのことが思いうかぶ。
一つは、多くの資本主義国が採用している「民主主義」の変化(例えばポピュリズム)によって、「痛み」を伴う改革がますます難しくなっているということ。
もう一つは、人・モノ・カネが自由に動くグローバル化の進行で、従来は国家内の分業体制が「世界的な分業体制」が出来上がりつつあり経済格差が進行し、富がますます一か所に集まるようになったこと。
そして富が一か所に集中すればするほど、全体としてモノが売れなくなるのは、当然のことだ。
さて、民主主義の問題に戻ると、偉大なリーダーとは、たとえ有権者に人気のない政策でも、正しい政策を選択しうる人であろう。その点、はやくから「消費税導入」を唱えて不人気だった大平正義を思い浮かべる。
1970年代後半、大平正芳内閣当時、ア~ウ~と答弁する首相の下での政局の混乱ばかりが目についた。
ただ、大平氏が在任中に何を言いい、何を構想したのかという「中身」については、全く知らなかったといっていい。
その不明を恥じるが、今日の日本社会にあって「大平構想」がいかに先見性にとみ、その方向性が正しかったか、今更ながら知ることになったのである。
逆に言うと、もしあの時「大平構想」のひとつでも実現していたら、今日のような日本の姿にはなっていなかったとかもしれないいうことである。
大平氏の首相在任中、福田赳夫氏との政権抗争、60日間抗争やら国会の空転、増税などで散々タタカレまくり、良い材料はほとんど見当たらなかった。
1981年、与党内造反による「不信任」可決によるハプニング解散で「衆参同時選挙」が行われ、その選挙期間中に大平氏は急逝した。
その「弔い」ムードが自民党の追い風となり、自民党は当初の劣性を大挽回し、なんとか勝利することができたのである。
さて、大平正芳が首相になったのは1978年、第二次石油ショックが起きた時代で、なんとか「第一次石油ショックを乗り越えた時期だった。
大平首相は、「財政再建」を第一の使命とした戦後最初の首相といってよい。
その中で大平首相は、「一般消費税」の導入をうちだし、国民は大反発した。「天下り」などを放置しておいて、なんで国民に負担を押し付けるのかという雰囲気であった。
ただ大平首相はこの時「増税」を、様々な措置のうちの一つの可能性として取り上げたにすぎないのだが、マスコミと野党はこの部分を大きく取り上げ、大平首相の意図は「歪曲」されて伝えられた感がある。
そこで与党の候補者ですら「一般消費税の反対/増税反対」を訴え、野党提出の内閣不信任案の議決に際して「造反欠席」しての、ハプニング的解散・総選挙となった。
今の時代から見て、大平首相の先見性は、遡る蔵相時代に官僚たちによる赤字国債発行の「恒久化」への要望を退け、毎年毎年しっかり議論すべきこととして、1年限りの「特例法」にしたことである。
もしそれがなければ事態はさらに悪化していたにちがいない。
日本は1973年の第一次オイルショックで戦後はじめての「マイナス成長」を記録するが、1975年度の予算編成で、三木内閣の蔵相であった大平正芳氏は連日の省議の末、やむなく2兆円の「赤字国債」(特例国債)発行を決断した。
大平氏は、もともと「小さな政府」論者であったが、これをひどく無念として「万死に値する」とまでいい、さらには大平氏は「一生かけて償う」とまで周囲に語ったという。
今から思えば大平氏は官僚出身だけに、赤字国債発行が「パンドラのふた」であることに気づいていたのだ。

最近の行政改革で、「内閣人事局」というものができて、官邸が役所の人事を握るようになった。
森友関連の公文書の改ざんなど、そこに忖度が働いたかは脇におくとしても、民主政治の根幹を揺るがすような事態であることに変わりはない。
そして人事といえば、政府の日銀人事への影響力がめにつく。
一般の会社なら、辞任してしかるべき黒田総裁の続投。すなわち日銀の「出口なき」異次元緩和の継続である。
財政政策と違って金融政策に対しては国民の主権は一切及ばない。
金利を上げるかどうかは当局がきめ、専門家に判断を任せるしかない。しかし、素人目にも「2パーセント物価上昇」にいつまでこだわっているのかと、不信感の方が増している。
「日本銀行」の独立は、戦後の超インフレなどの反省から生まれた歴史の知恵である。それを踏みにじっ、「出口」なき緩和を続けて、いくところまでいくのでは、戦時中の日本軍を思わせる。
バブルと戦争は、政策当局の無能さを顕すものでしかないともいわれている。
そして「経済は昔の経済ならず」を一番痛感させるのが、「株価コンシャス」。政府当局が、株価に妙に気を使って経済が運営されていること。
本来、株価は実体経済の反映のはずだが、政府が株価を操作する「官制相場」となっていて、景気がよいのか悪いのかさえわかりにくい。
安倍内閣は、「株価連動内閣」とも呼ばれているが、国民の年金の積立金など「準公的資金」の運用を債権から株へとシフトさせ株高を演出してきた。
「株価コンシャス」のひとつの理由は、大量の株を保有している富裕層の政治的影響力が働いているともみなされる。
または、株高こそは政権の失政を「帳消し」にできる万能薬のようなものかもしれない。
アメリカの1990年代、IT業界の好調に基づく株高が、スキャンダルで辞任してもおかしくはないクリントン大統領の政権を全うさせたということを思い浮かべる。
しかし「株価コンシャス」の根本的理由は、「バランス・シート(貸借対照表)調整」なのではなかろうか。
バランスシート調整とは、資産価格の変動などによって資産が目減りしてしまった際に、負債を圧縮するためや利益率の改善を図ろうと、投資などを抑制する事である。
成長よりも損失の穴埋めの方向で「利益率」の改善が優先すると、社会全体で一斉に投資の抑制を行われる。
その結果、さらに景気が悪くなり、土地や株の目減りが加速化していくという悪循環が生じる。
これを「バランシシートの悪化」を防ぐためには、「株価」を常に吊り上げておく必要がある。
こうして生まれた株高が、実物経済の活発さと期待を表しているはずもなく、会社の業績はそこまで好調なはずはないのだ。
最近では投資や賃金アップの障害として「内部留保」という言葉が頻繁にとりあげられている。会社が利益を「内部留保」としてため込んでいるため、企業収益が投資や賃上げに十分に回っていかないからだといわれている。
「内部留保」とは、企業の税引後利益から配当や役員賞与などの形で「社外流出分」を除いた額を表す。会計上の「勘定科目」で言うと、主に利益剰余金や資本準備金という「純資産の部」に計上されている項目がこれに該当する。
この内部留保は、返済不要な企業の純資産として、企業内の様々な資産(土地・建物・機械等)に形を変えて存在している。つまり、次期の利益調達の手段に変化する内部留保の蓄積は、本来は企業活動の更なる拡大を担う源泉なのだ。
したがって「内部留保」は本来阿、長くため込むべき性質のものではないのだ。
その背景に、「国際会計基準」の導入があり、全世界がひとつの会計基準を持つならば、国際的な取引のなかで、相手企業の経営実態を容易に読み取れるようになるのは確か。
従来、日本の会計基準においては、「純利益」つまり収益から費用を差し引いて算出した値つまり「フロー」に重きを置いている。
一方、国際会計基準では「純資産」つまりストックを重視しており、その値は資産から負債を差し引いて算出する。
ところで会計学の世界では、「原価会計が優れている」ということがあり、原価会計の基礎になっている「複式簿記」の考え方は、人類が生んだ三代発明のひとつとも言われている。
しかし、これを「時価会計」と比較した場合、「粉飾しやすい」という弱点がある。
「含み益」のある債券を売って利益を高上げしたり、含み損を抱えた株式の損失をアエテ認識せずにいたりすることによって、「損益」をゴマカスことができるのである。
こうした「粉飾」を防ぐには、簿価会計の枠組みのなかで、その方法に研究・実戦する手立てを考えることはできる。
ところが、アメリカは会長の業績評価を含めて業績評価はすべて「時価会計」で、「簿価会計」(原価会計)などというものは存在しないという。
さらに、アメリカは、エンロンやワールドコムといった会社が「粉飾決済」で破綻したこともあり、アメリカの政治力をもってしかできない「域外適用」をおこなった。つまりアメリカに関係のある企業は、すべからくアメリカのルールを守るべしということである。
この国際会計基準導入が、日本の不況を長引かせた主因といっても過言ではない。

松本清張の「渡された場面」という小説がある。佐賀の旅館に勤める女中が、宿泊した老小説家の捨てた原稿を手に入れる。
女中は、文学好きの恋人に参考のためにと原稿を渡す。その老小説家は急死するが、その小説家の書いた場面を取り込んだ作品が文芸誌で高い評価をうける。
その作品は特に6枚ほどが優れているが、他は平凡という評価をうけるが、その小説は女中の恋人が「盗作」したものであった。
そのことが殺人事件にまで発展するが、この「渡された場面」という小説を思い出したのは、最近の消費で起きていることを思い出させるからだ。
ところで、人間の社会は「必要」なものはほとんど作り出してきたので、どうしても買いたというものがなくなっている。
前述のように経済格差でとなると、消費が停滞するのだから、必要でないものをいかに買わせるかということだ。
イノベーションも、それほど期待できない中、モノが売れなくなるのは当然。そんな中、消費に新しい動きが起きている。それは、モノの消費からコト消費といわれているが、「コト消費」とは出来事を作る「場面つくり」といってよいかもしれない。
それは、洒落た「場面」、おいしい「場面」などを作り出して、それを写真に写してスマホを使って「インスタ映えのする場面」を一般に広げる。
ブランド品や高級車のような「所有」によって承認を得ようとするものと比べて、それは一過性の「場面」による承認「いいね」である。
平凡な中にもキラリを生み出すの消費活動が、ソーシャルメディアの発達とともに、「承認欲求」を重要な因子としながら広まっている。承認欲求とは、消費行動の中で「所有欲」として顕れ、ヴェブレンの「顕示消費」がそれでである。
「所有欲」は、人が持たぬものをもって自分のステータスを誇示するものとみなされるが、こうした所有欲とは異なる「消費志向」がうまれつつある。いわば、「場面」を買うといえる。
その場面の消費は、いくらかお金がかかっても、その場しのぎでも「いいね」という返事によって報われる。
若者はキラキラする場所にいたり、楽しい思い出を作ったりしたい一方、車やブランド品の所有欲は薄れている。
最近、「インスタ映え」というこ言葉がはやっているように、変わった盛り付けの食べ物を演出してアピールする「場面」を買う。 「場面つくり」というからには、生産しているようだが、消費である。一時の「場面」(体験)を作るために消費するからだ。
こうした「場面つくり」に役立つビジネスや商品がたくさんうまれている。レストランのメニューも「インスタ映え」が大きなポイントである。
スケールの大きなものでは、決まった場所や時間に雨やを降らす「人工気象」の話はもはや目新しくはないが、最近では、結婚式や誕生日に合わせて「流れ星」を出現させる超小型人工衛星の開発までも行われている。
最近の「モノ消費」から「コト消費」への移行は、「場面作り」ばかりではなく「体験共有」が大きな要素である。
「コト消費」は、個人の体験ではなく、集団が主体になる場合が多い。「集団のコト消費」を可能とするIT技術の革新が、一つの大きな理由である。
カラオケの世界では、すでにあったことであるが、例えば、機器を組み込んだジョギング・シューズ。どれだけの距離を、どのくらいの時間で走ったかの走行データを蓄積し、他者と共有して、世界のランナーの中での自分の順位を教えてくれたりする。
技術革新の結果、靴というモノを通して練習成果の記録や共有、分析が可能になり、スポーツを楽しんだり上達したりするコト消費を可能にした。
こんな風に、一人ひとりが自分の情報を集団に提供することで、皆が楽しめるという「コト消費」つまり体験共有型の消費が広がってきた。
「インスタグラム」の存在を前提にした新しいビジネスも次々に生まれていっている。
現在、個人の健康状態を常に測定できる端末が開発されつつあり、個人のDNA解析も可能である。
こうした個人データを世界規模で集め、人工知能で解析すれば、一人ひとりに日々を楽しく健康的に過ごすための個別アドバイスを、高い精度で提供できるようになる。
かくして、共有・共創によるコト消費が、新しい生活の可能性を切り開こうとしている。
ある出来事を作り出してその「一瞬」をインスタにアップするための消費するというライフスタイル。
そこでは、「いいね」をもらうことがインセンティブ。
今、若い女性に人気なのがナイトプール(夜営業のプール)で、それは泳ぐことを目的とするものではない。自撮した写真をアップするためのものである。
こうした消費スタイルは、どうして生まれたのだろうか。
生まれた時から不況で、今日より明日がいいと思えない中で、「刹那(せつな)」を楽しむ、それをみんなに広げて承認してもらうこと。
「はかなさゆえに連なる」のは、ビットコインばかりではなさそうだ。

とはいえ、金融の量的緩和や株価の吊り上げで環境を改善したとしても、「イノベーション」なしには経済は発展しない。アベノミクス「第三の矢」にあたるが、いまだに効を奏してはいない。
米国の大学は優秀な学生に「起業」を進めるのに、日本の学校で「投資教育」なんてやったらどこからかクレームがきそうだ。
ビジネスにおけるサクセス・ヒーローが語られることはすくなく、教育の中で「お金もうけ」の位置づけはあまり高くはない。

また日本でも、日本株を保有する外国人投資家の比率の上昇にともない、時価を表さない「原価会計」への不公正さを是正する要求が異常に高まった。
M&Aを視野にいれいてる企業にとっては、「時価」で評価された方がやりやすいからである。
つまり「時々の」企業の損益が明確になるので「経営の透明性」をもたらすという点で「公明性」を確保できる利点がある、
ただし、日本がバブル崩壊によって企業の「市場価値」が下がる一方である時、「原価会計」から「時価会計」への転換はほとんど「自殺行為」のようなものだったといってよい。
それでも、日本の企業が「時価会計」の採用に踏み切った理由は何だったのだろうか。
以前は、株の持ちあいで株価の安定をはかっていたが、持ち合いの株式の資産価値が下がったために、それが重荷となって持ち合いの解消がすすんだ。
そしてグループ会社への不良債権の「飛ばし」をはじめとする「粉飾会計」が相次いで発覚することになり、海外からの日本の金融システムの「抜本的改革」への圧力が高まった。
また経営の透明性の高まりによりコーポレー・ガバナンスが強化され外国人株主が増えることにより、従来の「従業員主体」の経営から「株主主体」への経営へ移行することになった。
その結果、企業の長期的な成長や従業員の福祉ヨリモ、短期的な利益や配当の最大化に大きな「インセンティブ」を与えることになった。
「短期的な利益」をモタラさない設備や雇用はコストカットの対象となり、企業は正規雇用を非正規雇用に置き換えることで、利益を確保するようになった。
それは、雇用はコストとしかみなされなくなり、従来の日本型経営は息の根をとめられたことを意味する。

このたびの与党税制改革大綱でも、賃上げや設備投資に積極的な企業向けに「減税」を拡充する一方で、家計個人向けには各種控除の縮小・廃止、たばこ税引き上げ、出国税の創設など「増税メニュー」が並ぶ。
企業減税にどれだけ景気拡大効果があるのか。少なくとも、春闘賃上げ率はここのところ、一人当たり小幅にしかあが
今はスマホなしには生きていけない時代。
かつては富裕者にのみ許されるステイタスを求める「象徴」消費。どんなに金はなくても「一瞬の場面」で認知されたいという消費行動が生まれているということだ。

また1990年代にバブル崩壊後のBIS規制は、国際業務を行う金融機関は、自己資産の総資産に占める割合を「8パーセント」以内に収めるというルールである。
このアメリカ発の規制が日本で適用されるのは1992年、つまりバブルがハジケて日本が不良債権の蓄積に喘いでいた時期だった。
確かに、BIS規制というルールは、イザという時に国民を守るため、銀行が「貸し出し」をしていくと、銀行にモシモのことがあった時に、預金が返ってこない可能性を考えておこうという「正当性」をもつものだった。
しかし、わざわざ「金融庁」を設置させ、その実施を徹底させたのは、アメリカの政治力が働いたと考えるのが妥当であろう。
実際、BIS規制の正当性とは裏腹に、「貸しはがし」「貸し渋り」で、中小企業が断末魔の苦しみをもたらし、デフレスパイラルといわれる新たな事態を生みだす結果となったのである。
BIS規制で、銀行がひとたび自己資本8%を切ってしまうと、テコの原理が働いて、銀行は毀損した資本の12.5倍の貸し出しを減らさなければならなくなるという。
銀行が一斉にそのような行動をとると経済は雪だるま式に悪化し、そのことが銀行の自己資本をタタキ、経済全体に対して深刻な問題を引き起こす。
銀行へ公的資金の投入に対して、マスコミは「国民が働いてえた血税をなんで銀行救済にあてるのか」と批判し、政府当局も銀行がその業務内容からみて「公共的存在」であることを十分に説明できず、公的資金投入が遅れたという面もあった。
しかし日本のこうしたデフレ・スパイラル状況にあって、アベノミクスの登場は一筋の「光明」をもたらすようにも思えた。しかし今やその成果につき、疑義の方が大きくなりつつある。
しかし、よくよく考えると「場面消費」というのは、少し範囲を広げればいくらでもある。冠婚葬祭、特に結婚式や成人式という場面。
「歩く」という何気ない動作が、実は個人の健康や未来の街づくりに役立つデータの宝庫だったりする。
靴から得られるセンサーデータを自分自身の健康管理や社会の安心・安全のために役立てようと開発された「次世代センサーシューズ」です。
自分の足の動きにあわせて、画面に表示されたシューズがリアルタイムに動く。
ジャンプしたり、片足で立ったり、少しだけ傾けてみたり、靴から得られるデータは、健康管理やゲームにも応用可能!
実はこの「次世代センサーシューズ」の中には、このようなセンサーが入っています。
センサーからは、靴にかかる「圧力」、「曲がり」、「加速度」、「回転」、「足の向き」はもちろん、「温度」や「湿度」、「気圧」までもデータとして取得することができ、分析すると歩数や歩幅はもちろん、歩き方の特長や、「走る」、「座る」、「止まる」などの状態もわかってしまいます!
「歩く」、「立ち止まる」、「座る」などの状態が色分けされたマップ。 赤が「歩く」、ピンクが「ゆっくり歩く」、青が「立ち止まる」、空色が「座る」を表しています。
取得したデータは、健康管理やゲームなどアプリケーションの開発にも応用が可能です。今回は、足首をくるっと外側にまわすと猫がジャンプして天井のコインをキャッチするゲームを体験してみました。スポーツ感覚で直感的に遊べるので、小さい子どもたちも楽しめそうです!
実はビッグデータととても相性のよい次世代センサーシューズ。「歩く」データから人々の行動パターンを分析すれば、健康面では年齢層別で適度な運動ができているかの調査や、社会インフラ面では道路や施設の安全性や利便性の向上に役立てるなど様々な活用方法が考えられます。
将来的にはワイヤレス充電も可能になりそうで、そうなればセンサーが入っているのもまったく気にすることなく、普通の靴と変わらずに履けるようになりますね!
近年、製造業のインダストリー4.0とスマート工場が注目されています。スマート工場は製造業における価値観を一変させるほど大きなインパクトがあるものです。ここではスマート工場の3つの特徴と、工場をスマート化する3つのポイントをご紹介します。
第1次産業革命:18世紀の蒸気機関による機械化の時代
第2次産業革命:20世紀初頭の電力による大量生産の時代
第3次産業革命:20世紀後半のコンピュータによる自動化の時代
そして第4次産業革命は「21世紀のIoTによる製造業の革命」という訳です。すなわち、100年単位で起こる産業の大きな変革の波が訪れようとしているのです。
日本でも経済産業省が2015年8月より、第4次産業革命に対応するための「新産業構造ビジョン」の策定に向けて検討を進めています。この第4次産業革命に対応した工場のことをスマート工場(賢い工場)と言われています。
では、スマート工場は今までと何が違うのでしょうか?ここでは3点について解説します。
スマート工場の特徴の一つは、どのような顧客の要求にも応じるカスタマイズ性です。
今までの工場では、いくつかのバリエーションはあるものの、標準品の大量生産が当たり前でした。顧客は自分の好みにぴったりの商品を選ぶのではなく、数ある標準品の中から自分の好みに一番近い商品を仕方なく選んで買っていたのです。
または、自分の好みにぴったりの商品を買おうとすれば、ある程度の量をコミットする必要がありました。
スマート工場では顧客が望むものを必要な数だけ、たとえばTシャツ1枚、ズボン1本でも注文に応じて自分ぴったりの商品が生産できるようになります。
世界のどこにもない自分だけのバイク、車、服、靴などが誰でも手に入れられるようになります。
繊維メーカーのセーレンは、顧客がホームページ上でデザイン・色・柄などを指定して注文すると、自動的に生産を開始し、たとえ1着からでも顧客の注文通りの商品が3週間で手元に届く仕組みを構築しました。
カスタマイズの要求に応えるには、注文生産のため、通常であれば顧客仕様書の受け取りから始まり、部品リストの作成、部品の調達などを経てから製造に入るため、かなりの日数がかかってしまいます。
顧客はホームページを通じて自分の好みに合わせた商品を「仕様化」し、注文を受けた時点で製造が開始され、必要な部材が自動的にリストアップされて在庫管理システムと連動して製造工程へ進むといった具合です。
大型バイクメーカーのハーレー社の事例では、注文を受けてから製造開始まで、今まで15~20日かかっていたのが、スマート工場になってからは6時間に短縮できました。
このように今までにない革命的なビジネス価値をもたらすスマート工場ですが、それを実現するためにはどのような技術・仕組みを導入しなければいけないのでしょうか?単なる工場のIT化は今までもやってきたはずですが、何がどう変わっていくのでしょうか。
スマート工場は工場内のさまざまなセンサー、製造装置、制御装置、電力装置などをネットワークで接続し、製造工程の情報をリアルタイムで取得できることが求められます。
また、製造現場からの情報はネットワーク上で共有することができ、部品システム、受発注システムなどが連携して動作する必要があります。さらに、複雑なシステムを人が特別な訓練を受けなくても容易にコントロールできるため、モバイル端末などを駆使し、設備が人と協調して動く仕組みを作ることが求められます。
センサーやIoTで生産現場には大量のデータを収集し、蓄積することが可能になります。これらのデータを活用し、AIで分析することで、今までできなかった生産性向上、品質向上を実現することができます。
不良品の原因分析や作業員の最適配置、生産計画の見直しなど、今まで人間が行ってきた業務はビッグデータとディープラーニングといった技術で瞬時に正確に分析し、結果を自動的にフィードバックすることができるようになります。
スマート工場は工場内の製造装置、生産管理システム、各種センサー、製造実行システム(MES)が統一化されたデータの元に、互いに連携できる必要があります。しかしそれだけでは不十分で、社内のERPや受発注システム、顧客管理システムなどとも連携が取れる必要があります。
さらに部品を調達する下請企業とも統一されたデータでやり取りできるよう、システムを統一する必要があります。こうなるともう、一企業だけの取り組みでできる領域を超えてしまいます。このように複数の企業にまたがって繋がる仕組みを構築することを可能にするため、スマート工場のための標準化の検討が進められようとしています。
これまで説明してきたスマート工場ですが、これらの設備をすべて見直すことになれば、莫大な費用と時間がかかってしまうでしょう。すぐには実現できなくても、長期的にはスマート工場への流れは続いていくものと思われます。千里の道も一歩から。先を見据えつつも、まずはできるところから取り組むのがいいでしょう。
スマート工場では、工場のあらゆる機器からデータをリアルタイムで収集できることが求められます。このデータは工場の稼働状況の見える化に繋がります。まずは今の生産現場をもう一度見直し、工場設備の見える化から始めてはいかがでしょうか?工場の見える化に取り組んだ事例を、以下でご紹介しています。
しかし、これらの出来事はいわばハレの出来事だから、お金をかけるのが普通なのだが、もっと身近に手軽に出来事を仕組んで「見せる」。見せることの中には、人々を驚かせて楽しむという面もあるだろう。
要するに、幾分「非日常」をみせようというもの。その点、カラオケやコスプレを楽しみ人々が狭い範囲での承認であったのに対して、より広い範囲から承認を求めることとのちがいがある。
「こと消費」の典型といえば、「旅行」がそれにあたる。
「ななつ星」の列車旅は、「コト消費」の仕掛けに満ちたものであろう。
「ななつ星」は出発する駅も到着する駅も同じで、「乗ること自体を楽しむ」列車。列車の豪華さに加え、人を感じられることが魅力。
料理は様々なシェフが入れ代わり立ち代わり、九州各地の四季折々の食材を提供する。
車窓からは、列車に向けて手を振る沿線の人々。
この企画を思いついたのは、元日本航空の客室乗務員。
飛行機は点と点を結ぶ移動手段。国際線では、「休める空間」を用意するために、できるだけ、お客様が静かにゆっくりできるようなサービスに努めていく。
実はこの女性、佐賀県の田舎で育ちで、時差に追われ無機質な飛行機の中で働くうちに、四季を感じられる自然の中で心の豊かさを養いたいと感じるようになった。
夫婦で熊本・阿蘇に移住。貸別荘を営んだり、シイタケを栽培したりしていた時、「ななつ星」の乗務員募集と出会った。
「新たな人生にめぐり逢(あ)う、旅」というコンセプトと「世界一のサービス」で九州の魅力を発信するとの理念に共鳴しました。
列車も結ぶのは点と点ですが、飛行機とは違い、窓を超えて地域につながることができる、そう思ったという。
料金は2人60万~190万円と高額ながら、乗るための抽選の倍率は約20倍。ななつ星に関わる人にまた会いたいという方も多く、12%が繰り返し応募しています。
情報だけならインターネットでも見られる時代に「ここでしかないもの」を提供し、体験してもらっている。
説明は、パソコンやタブレットではなくクルーがすべてする。こうした現代では少なくなったアナログな世界は、主に60代以上の客層の「回帰志向」にも合っている。
お客様に接して、家や車などに満ち足り、海外旅行にも繰り返し行った富裕層が、「空間、時間の過ごし方」に重きを置きつつあるな、と実感する。
今年はJR各社による新たな豪華寝台列車、「トランスイート四季島」「トワイライトエクスプレス瑞風」の運行も始まりました。寝台でなくても、「乗ることを楽しむ」観光列車は全国で誕生している。
こうした列車を楽しむ人の嗜好(しこう)に合うものは他にもあると思います。例えば、すばらしい夕日が見えるスポット。
偶然が生み出す自然の美しさには、何物にも代えがたい大きな感動がある。
そこに、ちょっとした人の手間が加わることで、ぬくもりや心地良さを感じられる「偶然で特別」な空間になる。
個人で訪れても味わうことのできない空間。そんな体験が人の心を動かすのではないか。