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管理者パニック

最近の役人の言い分がすごすぎて、役人の生態がなまなましく伝わってくる感じである。
自分の録音音声を自分の声とは判別しがたいといい、存在する資料を廃棄したと隠したり、公文書に匹敵するものを単なる個人のメモだからと言い逃れる。
数年前の年金記録消失問題の時、役所が職業的「良心」に欠けているほどに思ったら、トップの指示による「公文書の改竄」に至っては、もはや役所が「理性」を失っているようにしかみえない。
それに関わって死者まで出しているが、管理者がある種のパニックに陥っているかのようだ。
森友学園問題で、安倍晋三首相の昭恵夫人が、学園が開設をめざした小学校の名誉校長だったことで、不当な値引きがあったのかどうかが問われた。
土地内のごみの撤去代を「8億円値引き」したというのだから、これはもはや担当者に「理性ありや」というレベルの問題である。
しかも財務省は、国と学園側との交渉を記録した文書を「廃棄した」と繰り返し、財務省はこの3月、取引に関する決裁文書14件を問題発覚後に改ざんしていたと発表。
理由を「国会答弁に合わせる」とし、自らの都合で書き換えていた。
改ざん前の文書には、昭恵夫人の名前や複数の政治家側による照会の経緯が記載されていた。
文書の廃棄や改ざんで取引の経緯の検証が妨げられていた。
遡って、2007年に明らかになった「消えた年金記録問題」で、文書がきちんと記録、保管されていなかったことが批判された。
与野党から省庁など国の機関を対象にした「公文書管理法」が必要だとの声が高まり、11年4月に施行された。
加計学園の獣医学部新設問題では、内閣府が愛媛県職員らと首相秘書官との面会予定を文部科学省に連絡したメールについて、機密性を示す「機2」という表示があるのに、内閣府は「行政文書だと言い切る、そうでないと言い切る、いずれも難しい」と判断を避けた。
防衛省も、自衛隊のイラクへの派遣や南スーダンPKOに関する「日報」が同省内にあったのに、開示請求に対して「ない」と繰り返した。
だが、最近になって、日報の存在が判明。自衛隊の海外での活動についての資料が一時、「ない」ことにされていた。
ところで、2001年の東北大震災後、被災者の沈着冷静で礼儀正しさが世界の「賞賛」を浴びる一方で、政府の原発事故についての「対応の遅れ/情報の秘匿/責任逃れ」は、批難をあびた。
東北大震災での冷静さにとは対照的に、菅首相や東北電力の幹部の情報の秘匿や責任回避は、官邸の危機対応能力に弱さを露呈する。
同じ日本人というのに、官と民という立場の違いで生まれるこの差とは、一体何に由来するのか。
その答を、「災害ユートピア」(レベッカ・ソルニット)にある「エリート・パニック」という言葉に見出した気がした。
ソネット女史は意外にも災害直後に「ユートピア」が出現するということを指摘している。
その内容はかつて読んだ幸徳秋水の1906年サンフランシスコ大地震遭遇記と一致している。
明治時代、社会主義者は日本国内では弾圧されたために、サンフランシスコに革命の拠点を置こうとしていたが、秋水は皮肉なカタチではあったが、自分が理想とする社会の一端が震災後に出現したかと思ったという。それは平等と相互扶助の世界であった。
ソルニット女史は、サンフランシスコ大地震で、被災した女性が公園で始めたスープキッチンが瞬く間に協力者が次々と現れて皿や調理道具、食材が集まり200~300人規模になっていった。
東北大震災でも、被災して店を流された料理人が、食材を集めて熱い味噌汁を皆にふるまうシーンが見られた。
大災害が起きると、秩序の不在により暴動、略奪、レイプなどが生じるという見方が一般にあるが、本来的には、災害のあと被害者の間にすぐに「相互扶助的な共同体」が形成され、「利他主義」が支配するのだという。
多くの人々は「利他的」になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。
しかし、中には他の人々は野蛮になるだろうから、自分はそれに対する防衛策を講じる必要あると信じる人々も少なからずいるに違いない。
それが混乱に陥ってしまうのはそこに別の力が作用するからだとした。
では何が「混乱」をもたらしているのかというと、意外にも「政府官憲」が原因となっているものが多いというこである。
混乱の実態は、必要以上に特定の集団の暴動を恐れた政府官憲が、意図的にデマを流して「封じ込め」をはかった結果起きることが往々にしてある。
サンフランシスコ大地震では、市長が軍と警察に「略奪者の即時殺害」を通達したり、2005年のハリケーン・カトリーナの際ですら「暴徒」の乱入を恐れて近隣地域は橋を武装保安官で封鎖し、威嚇射撃でニューオーリンズからの避難民を追い返した。
そして、サンフランシスコにおける死者のかなりの部分は、「暴動」を恐れた軍や警察の介入による火災や「取り締まこのり」によってもたらせた。
ソルニット女史はこのことを「エリート・パニック」で説明しているが、ここでは「管理者パニック」とよぶことにしよう。
「管理者」のデマや風評が人々を混乱に陥らせるのは、身の安全をはかるために余分なことをしてしまうからだ。
彼らは「もてる人々」言い換えると、「失うのが多い人々」なのだ。
管理者層自身がパニックに陥ると、大衆が「暴走」することを防ごうと、自分が不利になるような情報を隠蔽したり、極端な場合には武力を行使しようとさえする。
その代表例は、1923年の関東大震災の際の朝鮮人や社会主義者の虐殺である。
また1960年6月、日米安保改定の際に、国会周辺を30万人の人々が取り囲んだことがあった。
この時に東大の女学生が機動隊ともまれ死亡するにおよび、人々は参議院の承認を経ないままに新安保の自然成立へともちこもうとする岸内閣への怒りを高めていった。
この時、岸首相は、警察隊ばかりではなく自衛隊の投入を強く主張した。
しかし、防衛大臣の赤城宗徳は「自衛隊を出したら、同士撃ちになり、まちがいなく自衛隊は国民の敵になるといって反対した。
この時もしも、赤城宗徳氏が自衛隊投入に強く反対しなかったならば、国会議事堂周辺は大量の流血の騒ぎになり、1986年の中国の天安門事件と同様の事態が発生することになったかもしれない。
また自衛隊の憲法論争は、さらに違った形で展開していたかもしれない。
とすると、新安保成立の舞台裏で行われた赤城防衛大臣の自衛隊投入の反対は、「現代史の分岐点」になったといえる。

官僚機構や大規模な組織は、一定の「指揮命令」系統と分業体制によって成り立っている。
それが平時であれば、組織の円滑な運営の為に必須だとしても、非常時にはそれ「無効であったり、足枷にななたりする。
そして、管理者層の無能をあらわす機会ともなる。
そこで自ら無能さや失政を隠すために「情報の秘匿」がおこなわれる。
管理者は、民衆のパニックを恐れるあまり、情報を操作し民衆の生命をかえって危機に陥れる傾向がある。それも「失うもの」が大きい人々つまり管理者やエリートにによっておこされるという特徴がある。
それは、ここのところ、日本の最も優秀な集団といわれる役人の世界でみうけられることではなかろうか。
官僚の世界のトップ事務次官への600人の候補者の多くは、次の役職が与えられなければ「退官」という立場にある。
以前なら「天下り」ポストが用意されていたが最近では非常に限られる。
このことが、有力な政治家に「忖度する」ことがはびこる最大の要因にちがいない。
忖度とは、天下り禁止の対応策とみることもできる。
官僚が出した法案を、政治家が多少の修正を行って成立する立法過程が一般的なものであった。
それに比べて議員提出の法案の少なさが、行政優位を物語っている。
特に、1990年代に大蔵省の官僚の不祥事をきかっけに、政治(立法)が主導権を取り戻そうという機運がたかまった。
なにしろ国会議員は、選挙を通じて、官僚は優秀ではあっても国民が選出した人々ではない。
松本清張の「現代官僚論」(1964年)は、政治家と官僚の間ににみられる心理、官僚の中でも出世が約束されたキャリアと、上までけないノン・キャリアの心のヒダまでをも描いたものが、特段に面白い。
というより、官僚社会を知るうえでこれ以上のテキストなのではないか、と思う。
それは単なる組織論ではなく、そこに生息する人々の「心模様」が描かれているからだ。
その他、「中央流沙」「棲息分布」は、今読んでも、というより「今だから」こそ面白い。
ちなみに、この本の中に「斟酌」はあっても、「忖度」という言葉を探したが見当たらなかった。
これらの本の中に描かれた官僚の生態についていくつか紹介したい。
政党人が、利権を得ようとすれば役所の機構を利用しなければならないから、おのれの手先となりそうな局長や、将来有能な部課長まで目をつける。
政党の実力者は、たいてい一度は大臣になるので、その椅子にある間に省内の有望な官僚を自分の勢力下に置く。
また反対派の前大臣の息のかかった官僚を追い出しにかかる。
かくして大臣と有力局長のコンビが生まれ、局長はまた部課長や係長までも抱き込むことになる。
一方、官僚は自分の頭を押さえつけていた上司をやっつける腹いせのためにも、国会議員になりたがる。
官僚が国会議員になれば、ほとんど出身官庁に関係のある常任委員などに任じられるから、今度は委員会などで、かつての上司または同僚、後輩などを存分に追い詰める「快楽」を得ることができる。
年の若いエリート官僚(キャリア)に仕える年配の事務官(ノンキャリア)の心理を「中央流沙」の中で次のように描いている。
年下の課員には、将来の出世が約束されているキャリアが多くいるが、年配の事務官であってもそうした連中に幾分遠慮する。
なぜなら、いつかは彼らが自分を追い越して上司になる。未来の転倒した位置を考えて、何となく斟酌したものだが、定年を間近に控えた事務官には、もうそんな遠慮はいらない。
自分がいる間に彼らは、絶対に自分を追い越せることはないからである。
実務に限って言えば、彼らキャリアの知恵は事務官の足元にも及ばない。したがって、彼らに意地悪くしようと思えば、いくらでも出来る。
黒澤明の映画「生きる」にも描かれたとうり、例えば町に公園を作ったり、飲食店を開くなどのために役所を訪れる多くの庶民の実感は、なんとか行政事務を簡素化してもらえないかということだ。
実際、関係管轄を簡素化し単純化したら官庁能率はあがり、国民は不経済な時間の浪費と煩雑さからのがれることができる。
のみならず官庁の経費も減少するから、予算の倹約となる。
事実これまで行政の簡素化はしばしばいわれるが、いつも掛け声だけに終わってしまう。
役人がものごとを「変える」ことを好まない。それは自分を引き上げてくれた先輩(上司)がやってきたことを 否定することに繋がるからだ。
彼らは少しでも自己の責任の場を持ちたいのである。この場合の責任とは、「権限」を意味する。
役人の楽しみは出世することで、上に行けばいくほど多くの部下に威張れるし、外部からも平身低頭の扱いをうける。
経済的にも恵まれてくる。これは役所からもらう給与のことをさしているのではなく、上級職になればなるほど妙味のある金がなんとなく転がりこんでくる。
出世と共に、個人の権力も増大するから、利権関係に介入する機会が多くなり、その方面のからの金が求めずして転がり込んでくることになるからだ。
官僚の世界で権限と権力とは同意語で、民間企業では出来るだけ人を少なくして事務の簡素化、スピード化を図っているが、官庁では人員の減少は絶対というほど望めない。
これは整理される人たちへの同情からではなく、一人でも多くの部下を持ちたいという官僚の権力志向からくるものである。
東大でのキャリアが本省の局長になるのは、だいたい四十代前半だが、彼らは定年までうかうかしているわけにはいかない。
彼らの同期生か、それに近い中の一人が次官なり長官なりの最高地位に上ると、他の連中はほとんど本省を去る 習慣になっている。
これはお互いが煙たいという面と、トップに漏れた組の不平分子を省内に結束させないためである。
このような場合、たいていは地方行きか、やめて公社や公団(独立行政法人)の幹部に横すべりする。
ポストがないところでは、わざわざそのための役所をつくる。
また、中央官僚の受けのよい県はには補助金を多く与えたりもするが、そのために副知事には官僚出身者を迎えることが多い。
その一方、野党系の県庁や市町村長などがいるところは補助金を出し渋ったりするくらいは、自由自在である。

長く、日本社会は官僚が主導権を握る「行政国家」ということをいわれてきた。
選挙で国民の信任をうけた国会議員ではなく、国家公務員試験にうかった官僚がほとんどの法案を作成する。
「政治主導」は、与党内支持基盤が脆弱だった小泉首相や小渕首相らが官僚から実権を奪おうという「スローガン」として広まったものだったが、1990年代に大蔵省の役人の不祥事などで、政治が主導権を握ろうという機運が高まった。
その到達点が、2014年の改革で「内閣人事局」ができ、内閣が官庁幹部600人の人事を左右できるようになったことである。
それは、他国にも例がないほど強大な権力を「内閣人事局」や大臣に与えている。
しかし官庁人事までも「政治主導」なると、人事評価の基準がわからなくなり、その結果チェック機能が働きにくくなる。
そのため与党大臣や首相の信任の強い次官や政治家に忖度するため、「政治的中立」を欠く傾向にある。
政治主導で進められた「国家戦略特区」の選定は、透明性を欠いており、その表れの一つが「首相案件」という記載が見つかった加計学園問題である。
アメリカは大統領が変わると、官庁幹部は大幅に入れ替わるが、ただし、その多くは民間からの登用なので、官庁の官僚たちが昇進を期待する「忖度」は働きにくい。
また上院が人物審査を行い、チェック機能を果たしていて、米国は大統領と議会が分立している制度なので、大統領による人事を上院がチェックする。
日本の官僚世界で圧倒的な重きをなしてきた「年次」の重きが低くなった点や天下りの規制などのだめ、優秀といわれる「持てる者」ほど倒れることへの警戒心から、かえって理性を欠いたかに見える行動に出てしまうということか。