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悪役レスラー

1980年と81年のウインブルドン決勝での対戦で死闘を演じたビヨルン・ボルグとジョン・マッケンロー。
2018年の夏公開の映画はそのまま「ボルグとマッケンロー」で、副題は「氷の男と炎の男」。
ウインブルドン五連覇のかかったボルグは「皇帝」とよばれ、マッケンローは「悪童」とよばれた。
いずれの対比も、両者の間の際立った対照性を示している。
ただ、成育歴をみると、意外やボルグは貧しい家庭の生まれでラケットも買えないほど、その一方でマッケンローは、裕福なエリート家庭の生まれで何不自由なく育った。
イメージとは随分ちがう点では、庶民階級出身のビートルズと貴族階級出身のローリングストーンズの対照性を思わせる。
映画を見て一番意外だったのは、ボルグは才能はあったが手の付けられない悪がきで、コーチの厳しい指導で冷静さを身に着けたこと。
大人になったボルグとマッケンローが入れ替わったような印象があるが、1980年ウインブルドンで前の試合まで審判に暴言を吐いて観客を敵に回していたマッケンローが、決勝では別人のように己を律してみせ、観客の好感度をあげた。
映画は、1980年の決勝でボルグが僅差で勝利する場面をえがいていたが、1981年にはマッケンローが同じ対戦での決勝でリベンジする。
ボルグは、この戦いの後、わずか26歳で引退を表明している。
個人的に心に残るのは修行僧のようなプレーをするボルグではなく、観客の評価はどうあれ、自己の素(す)をコートにぶつけたマッケンローの方であった。マッケンローの方が見ていて、よほど面白かったからだ。
話はまったく変わるが1970年代、東映の「やくざ映画」がヒットした。映画館を出ると、ポケットに手を突っ込んで肩をいからせながら大股で歩くことはよくあることだった。
しかしあの時代、東映のヤクザ路線が一時どうして成功しえたのか。
背景には、学生が、長い髪を短くして角を矯めておとなしくサラリーマンとなった「怨念」を反映していた。
当時、映画館で、ヤクザ達の殴り込みが決定した場面において、観客席各所から「意義な~し」という言葉さえあがったという。
その観客のなかには、角棒を振り回し火炎瓶を投げつけられ上、機動隊になぐられ刑務所にはいったものも少なくなかったにちがいない。
そういう学生視点からすれば、この場合悪人に映ったのはヤクザではなく、"権力の手先"である警察官の方ではなかったか。
また、学生同士の内ゲバは、やくざ同士のバトルを連想せざるをえないほどエスカレートしていった。
そんな彼らのハートに染み入る様に響いた曲が、宇多田光の母親である藤圭子の「恨み節」であったことを、ただいま”下山中”の五木寛之が書いていたのを記憶している。
ともあれ、学生達は、ヤクザのバトルに自分たちの学生時代を重ね、溜飲をさげたということだが、どこかマットの上で演じられる、「悪役プロレスラー」の役割と似ているのではなかろうか。
悪役プロレスラーといっても、引退後に覆面をかぶってバラエティ番組に登場したブラッシーや、日本人悪役の上田馬之助など、実際に会ったら紳士的で好感のもてる人達だったという。
むしろ嫌われていたのは、周囲に不満をあたり散らしていた「国民的ヒーロー」の力道山の方であった。
ただ、力道山が北朝鮮籍であるにも関わらず、それを隠しつつ日本人のヒーローであることに、心中穏やかならぬものがあったことは察することができる。
よほど「悪役レスラー」の方が気が楽だったかもしれない。

トランプ大統領は、どこか「悪役」として人気を集めるプロレスラーを思い浮かべる。
そのひとつが、"けんか腰"の貿易戦争である。
中国との高関税の応酬ばかりか、北米経済機構(NAFTA)や欧州連合(EU)に対しても、その矛先を向けている。
トランプからみて、貿易赤字は悪いこと、したがってアメリカに赤字をもたらす国に対して関税をあげるという単純さ。
アメリカに貿易赤字をもたらす国の順位は、1位中国、2位メキシコ、3位日本、4位ドイツ、5位ベトナムである。
日本も来年、新たな日米通商交渉が始まれば、同じように厳しい要求を突きつけられることは、推測できるところである。
アメリカのターゲットになった欧州連合は32憶ドルの報復関税で応じ、最大の標的中国も500億ドルという桁違いの報復関税で応じ「貿易戦争」の様相を呈している。
さて、悪役レスラーといえば椅子をリング上に持ち出したり、審判を殴りかかるなど、やってはいけないことをやる。
観客は眉をひそめる一方で、どこかそれを見て楽しんでいる節もさえある。
ルールの代理人である審判を、国際社会が営々と築いてきた「国際ルール」とおきかえてみればよい。
国際協調や自由貿易を重視するのが、最近のアメリカの外交路線であった。
ところがトランプ大統領は、これまで築き上げた外交の成果をまったく考慮することなく、気まぐれで無謀な決定を繰り出すばかりである。
我々を驚かせたのはTPP、 パリ協定離脱ばかりか、イランやソ連との核軍縮の取り決めなどを反故にするなど、「トランプ流」に世界が翻弄されている。
昔、悪役プロレスラーのタイガージェット・シンなどは何をしでかすかわからない怖さがあった。
「相手に予測させないのは強み」との評価がある半面、独断専行の対応が政策の「一貫性」への疑念を生むし、スタッフがトランプの発言を訂正するなどのことも頻繁に起きている。
ただ、トランプは悪役レスラーに似て、コアとなる客層が喜ぶことを知っている。
プロレスラーが、全方位に「いい子」なんかでやっていては魅力が薄れる。それよりも、コアのファン層を失わないのが大事。そのファン層に対しては配慮をおこたらない。
その一つが対中国の巨額の赤字解消で、トランプにとって大統領選以来の公約だ。
国際競争で鉄鋼業などが衰退した「ラストベルト(さびついた工業地帯)」で固い支持を得てきた。
アマリカは自由貿易の勝ち組といえるが、米国内の労働者の「我々は恩恵を受けていない」という不満が渦巻いていた。
実際に、製造業の労働者に限れば実質時給はこの40年間まったく上がっていない。
その見捨てられた白人労働者層の支持で誕生したトランプ政権は、その不満の声にこたえなければ次の選挙に勝てない。
そのため、国内雇用のためと保護貿易に舵をきったのだが、白人労働者の雇用が上昇しているという話はあまり聞かないし、中国の安価な輸入品の恩恵を受けていたのは、アメリカの低所得者層でなのである。
その点で疑問が残るが、トランプ大統領の場合、コアの支持層というのは”忘れられた”白人労働者層で、もうひとつはキリスト教の福音派。
それは、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転させるなどの”暴挙”にも表れている。

悪役レスラーといえども衝動的でハチャメチャばかりではない。トランプ大統領も、「逸脱」にも限度があるところをわきまえている。
アメリカは長らく中国の発展を支援し、国際秩序に組み込めば、改革や民主化も進むと期待してきた。
だがここ数年、習近平(シーチンピン)体制下で進んだ軍事力の増強や国内統制の強化に、オバマ政権の頃よりから失望が広がっている。
さらには、失望から脅威をさえ感じ始めたのが、習政権が打ち出した「シルクロード経済圏構想"一帯一路"」で、中国の深層にある中国中心の世界秩序つまり中華思想が頭をもたげてきた感さえもある。
国家統制に重きを置く中国モデルで、アメリカ主導の国際秩序に取って代わろうとしているのではと懸念さえ抱かせるのは、そのハイテク分野の発展である。
実際に、"国家資本主義"のもとで資本、技術、情報を集中させた中国経済は予想以上に強い。
アリババや華為技術(ファーウェイ)など強大な企業も誕生している。
プライバシーそっちのけで14億人のビッグデータを集め、かんたんに自動運転の実験都市まで造ってしまう。
今のままだと、2020年代末にも国内総生産(GDP)の米中逆転がありうる。
もし最大市場が米国から中国に移ると、多くの国が中国との経済関係を優先し、企業は対中取引に力を注ぐようになる。
人民元が決済通貨として広がれば、ドルは基軸通貨の地位さえ脅かされかねない。
トランプ大統領が中国への技術輸出の制限措置を導入しはじめたのも、そうした危機感を抱いたからである。
トランプ大統領の中国強硬策は、知財侵害や国有企業優遇に不満を募らせるアメリカ産業界も同調しているのである。
さて、トランプ大統領を悪役プロレスラーになぞらえたくなったのは、マット上でのレスリングの戦いのように、1対1の戦いに持ち込もうとしているからだ。
トランプ大統領が交渉を二国間交渉(FTA)に持ち込んで、大国アメリカの政治力を背景に、直接圧力をかけてものごとを有利にしようという点である。
つまり、独自の主張を通しにくい多国間の枠組みよりも、さらには議会など国内事情に縛られる民主国家の首脳よりも、独断即決で「取引(ディール)」できる強権指導者との対話を好むことがみてとれる。
また、その手法にいくつかのパターンがある。
悪役レスラーが試合のリング前から、相手を挑発したり、相手に殴りかかったりする。
相手を脅して自ら危機を高めてから、一転して対話を持ちかけ、問題を解決したと誇りたがる。
FTA(自由貿易協定)は、複数の国や地域が互いの関税を削減・撤廃したり、貿易を制限する障壁をなくしたりするルールを定めた条約だ。世界貿易機関(WTO)のルールで”例外的”に認められている。
最近、米国が中国への高関税措置の第3弾を発動し、中国からの輸入品の半分にまで追加関税の対象を拡大した。
家電製品から雑貨まで幅広く、日本企業にも影響への懸念が広がりだした。
この9月の日米首脳会談で、トランプ大統領は安倍首相との会談で、米国が優位に立てる二国間交渉に日本を引き込んだことを「勝利宣言」とした。
トランプ米大統領の圧力は強く、首相は「FTA(自由貿易協定)ではない」との防衛ラインを守るのが精いっぱいだった。
もしもFTAとなれば、TPPの例外として交渉が行われることになり、マット上でフォール。結局はアメリカ側の言い分が通ってしまうことになる。
そこで、 米国に環太平洋経済連携協定(TPP)への復帰を働きかけるなどして、関税をめぐる二国間交渉を回避し続けた。
しかし、中国をはじめ各国と摩擦を広げるトランプ大統領が、自動車への高関税措置の発動をちらつかせて譲歩を迫る中、日本は二国間交渉に合意せざるを得なかった。
とはいえ、国内の農業関係者にはFTAになれば、農産品でTPP以上の市場開放を迫られるとの警戒感が強い。
それは、来年には統一地方選や参院選にも影響を与えかねない。
そこで安倍首相は、TPPで合意した水準を守るために、包括的な自由貿易協定であるFTAとは違うことを国内向けにもアピールしたい。
そこで、日本の役人が考えついた日本側の提案が「物品とサービス」と「投資」の2段階に分ける手法。
さらに物品の関税交渉だけを「日米物品貿易協定(TAG)」と名付けることを提案し、包括的ではないからFTAではないと国内向けに説明できるようにした。
まるで国会の答弁に見られる詭弁にも近いが、茂木経済再生相は、アメリカ米通商代表に参院選前に国内で批判を浴びれば、米国は取れるものも取れなくなると強調することによって、なんとかTAGは受け入れられた。
とはいうものの、具体的な関税交渉に入れば、トランプは局面に応じてTPPを上回る譲歩を求める可能性がある。
特に、自動車への高関税という強硬手段を、強力な「切り札」として持っている状況に変わりはない。
日本は、それに対して「報復関税」などで対抗するなどのことができるだろうか。
さて、プロレスでは、相手の嫌がることを執拗に繰り返すが、例えば頭突きをついてくるのに対して、額に握りこぶしをあてて、それを見事に防いで相手にほくそえんでいたレスラーがいた。
中国側も、アメリカの追加関税に対する「報復関税」に工夫を凝らしている。
例えば、大豆を制裁対象に組み込んだ。中国で米国産大豆が値上がりすれば、米中西部の穀倉地帯にいるトランプの有力な支持層の収入に打撃を与えられる。
また報復関税の中に、トランプ政権が中国に輸入増を約束させた液化天然ガス(LNG)を含めた。
それは、アメリカが対中交渉で得た成果を台無しにする狙いがあるものであった。
最大の標的となった中国側も報復関税で応じるなど、引く気配は見せないのだが、その理由のひとつは日本経済に学んでいるということもある。
中国は、バブル崩壊など日本経済が衰退した理由を学んで政策に生かしていることは従来より指摘されている。
そして中国は、日本経済衰退の原因を遡って1980年代の日米経済摩擦当時、米国の圧力に屈した点にあると考えているのかもしれない。

トランプ大統領にポピュリズム的傾向がある点はしばしば指摘される点である。それは、トランプ流の様々な言動によく表れている。
その表われの一つは、合意の中身には頓着しないで、ディール(取引)ができたとアピールできればいいという点である。
例えば、非核化の具体的な道筋が描けなくても、ともかく非核化の合意を得たという点を強調して自画自賛する。
とはいえ、保護主義の旗をふって支持者や有権者に戦う姿をアピールしても、公約であるラストベルトの復活の「実」をもたらしたわけではない。
トランプ大統領は、最近、米国はカネをむしり取られるピギーバンク(ブタの貯金箱)だといった表現を好んで用い、同盟国が通商や安保コストで米国に”ただ乗り”してきたと非難する。
日本に対しても我々は巨額の金を費やして日本を守り、日本は車を米国にたくさん輸出してもうけているのは、筋が通らないといっている。
トランプ大統領の政策について、関税をかける理由について従来とは異なるのは、「安全保障上の理由」をもちだしている点である。
それは中国ばかりか、EUなどの同盟国に対してでもある。
つまり、トランプ大統領は、安全保障と通商を切り離す米国の伝統的アプローチを否定しようとしているのである。
これは日本にとって大変危険な局面を生む可能性がある。一つは、日米の通商交渉の中で、安全保障をカードとして持ち出されること。
もう一つは、中国と通商で取引が成立すれば、南シナ海や尖閣列島などの日本の安全保障に関わる分野でも妥協する可能性を否定できないということだ。
日米"二国間"関税交渉は、来年ゴングが鳴る。