しぐさとサイン

20年前、ハリウッド版「ゴジラ」(1998年)をみた時、これは「全然違う」と感じた。
それは、ゴジラが爬虫類に成り下がっていて、日本版ゴジラに漂う雰囲気が微塵も感じられなかったからだ。
それでは、ゴジラに漂う「雰囲気」とは何か。
最近、ゴジラ最新作のしぐさ(動作)が歌舞伎の野村萬斎の動きをコンピュターで再現したと知って、驚いた。そして納得することができた。
それは、TV番組の秘密戦隊「ゴレンジャー」が、歌舞伎の「白波五人男」をモデルに出来たと知った時と同じぐらいに意外ではあったが。
人間とゴジラの関係から思い浮かぶのは、動物を見る面白さは、人間と同じような動きをしつつも、どこか違うということ。両者が全くかけ離れた存在なら、気持ち悪いだけであろう。
メッセージの伝達方法において、動物は腹を見せるのが「降伏」で、毛づくろいは「親愛」を示すなど、どこか人間味さえ感じるが、人間の動作は動物よりもはるかに複雑で捉えがたい。
そんな動作(仕草)が、重要な意味をもつ(生死を分けた)映画があった。
1960年代のフランスでド・ゴール政権に不満を持つ秘密組織が、大統領暗殺を目論むが、ことごとく失敗に終わってしまう。
そこで最後の手段として、凄腕の殺し屋ジャッカルにド・ゴール暗殺を依頼する。
この計画をいち早く察知したフランス警察のルベル警部はジャッカル暗殺計画に立ち向かうが、ジャッカルの照準は着実にド・ゴールを追いつめていく。
この映画は実際にあった大統領暗殺計画を描いた、フレデリック・フォーサイスの傑作小説を映画化した「ジャッカルの日」(1973年)である。
狙う側と狙われる側、双方ともストイックかつ緊迫感をもって描かれていた。
ドキュメンタリータッチの演出もあいまって、観る者をひきこんでいくサスペンス映画の最高峰といえるが、その分クライマックスの「狙撃の場面」は不評が多いようだ。
大統領が予期せぬ動きをしたため、ジャッカルの放った弾丸がそれてしまうのだが、映画ではそれだけのことで、終わってしまう。
ところが、大統領が何故動きジャッカルが狙いを外したかにつき、原作を読むとその理由が書いてあった。
「照準器の十字の線の中点がこめかみに合わさった。やわらかくやさしく彼は引金をしぼった。次の瞬間、彼は信じられないという表情で、駅前広場を見下ろしていた。 炸焼弾が銃口から飛び出す前に、大統領は、ついと頭を傾けたのだ。ジャッカルが茫然として眺めていると、大統領は、前にいる退役軍人の両頬に、おごそかに接吻した。大統領は長身なので、祝福の接吻を与えるためには、ちょっと前かがみにならなければいけないのだ」。
この接吻は、フランスその他のラテン系民族の習慣なのだが、アングロ・サクソンであるジャッカルには、そうした習慣はなかったのだ。
そうしたドゴ-ルの「しぐさ」の意味について、映画では充分に伝わらないのが惜しかった。

「サイン」と「シグナル」の違いが気になってネットで調べたら、人間が出すのがサイン(合図)で、機械が出すのがシグナル(信号)、という素っ気ない説明があった。
しかしサインとシグナルの違いは、「受信側」によって定まる部分が大きいのではなかろうか。
「サイン」は特定の人間だけわかるようパーソナルに発せられたもの、つまり特定の人間だけが読み取れる「何か」である。
それに対して「シグナル」は、誰にでも認識されるように発せられるものである。
したがって、同じものをみたり聞いたりしても、受け取り方がそれぞれに違うなら「サイン」といえる。
アイルランド移民であったケネディ大統領の父親は、靴磨きの少年から「株はどうなりますかね、旦那」と聞かれた時、靴磨きまでが株に手を伸ばしていることに「異常のサイン」を感じ取り、株の暴落前に売り抜けることができた。
また、憎たらしいほど強いといわれた横綱の北の海は、自分への声援が大きくなって、相撲取りをやめる決意をしたという。
歴史上で思い浮かぶのは、ルイ15世の愛人ポンパドール夫人が「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」といったこと。
つまり、夫人は「フランス革命」による自身の「滅び」を正しく予言する。
なにより、夫人自身が散々浪費散財したことが大きいが、日常の生活の中で様々な「滅び」のサインを感じ取っていたに違いない。
一方、ルイ15世の孫ルイ16世の方はといえばフランス革命の勃発事件たる「バスチューユ襲撃」が起こった当日、日記に「何もなかった」と書くくらい能天気だった。
当日のハンティングの収穫の多さぐらいにしか、気持ちが動かない人間になっていたのだろう。
ちなみにポンパドール夫人の「洪水は我が後に」という言葉は、聖書の創世記にある「ノアの箱舟」物語の連想があったに違いない。
聖書には、「洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた」と記してある。
ところで、「世の滅び」ではなく「人間の死」を直接的に伝えるものに「死に装束」というものがあるが、これが文化論的に興味深い。
なぜなら死者は、様々な「サイン」を身にまとうからだ。一番わかりやすいのが額につける「三角巾」であるが、それ以外にも死者にまつわるサインは色々ある。
欧米では死化粧をするくらいだから肉体を重視する。お棺も家具のように立派である。これはキリスト教の復活信仰に基づくものであろう。
日本では、戦没者の遺骨拾いなどでもわかるとおり骨に対する崇拝感があるが、棺は簡素なものである。これは霊魂が事物(骨)にやどるというアニミズム的世界観の表れである。
ただ神社を思わせる霊柩車は日本独自のものであり、一つの文化でもある。
日本人は、もともと仏教とは違う「あの世」感をもっており、この世もあの世もそう違わない生活をしていると考えていた。
天国も地獄もなく、あの世は天の彼方にあり、そこでは先にあの世へきた御先祖様が待っている。
ただ、この世とあの世は、何もかもあべこべで、風習もあべこべである。
この世の人が右前に着物を着るとしたら、あの世の人は左前に着物を着る。
この世の人が、お茶に水をうめるとしたら、あの世の人は水にお茶をうめるのである。
北枕で寝るなとか、靴下(足袋)をはいたまま寝るなとか、親から注意された のも結局は、死人の真似をすると縁起が悪い、ということでしょう。
昔、豪華客船から暗い海に飛び込んだのは誰かと探している時、靴をそろえてあったところから日本人と判明した、という話もある。
あの世へはちゃんと靴をそろえないと渡れないという日本人の意識が、解明のカギとなったのである。
そういえば我が高校時代、ポ-ル・マッカートニーは死んだのではないか、との噂が広がったことがある。
理由はビートルズのアルバム「アビーロード」のジャケット。ビートルズの4人が道路を渡っている写真だが、ポ-ル・マッカートニーだけが裸足(はだし)で道路を歩いている。裸足が「死のサイン」と受けとめられたからかもしれない。

最近、テレビでふたつの「しぐさ」の意味が解明されていて、なかなか興味深いものがあった。
まず、「あっかんべー」とは何かというと、立教大学のある教授によると「あっかんべー」は、赤い目を見せる事だという。
たしかに、目瞼結膜(がんけんけつまく)は、毛細血管が集まっているので赤く見える。
ではなぜ、「赤目」が「あっかんべー」になり、さらには赤目を見せるせることが「いやだ」という拒絶の意味になったのか。
教授によれば、1800年頃の江戸時代の絵「山姥と金太郎 髪結いあかんべい」では、母親に髪を結ってもらう少年が、あっかんべーをしていて、まぶたを下げて、舌を出している。
さらに遡ると、博多の櫛田神社は、安土桃山時代に豊臣秀吉が造った社殿が今も残っているが、その中の風神が、なんと「あっかんべー」をしているのだ。
雷神が雨・風を降らし災いをもたらそうと風神に呼びかけをしているのだが、風神が「いやだよ」という意味で「あっかんべー」をしている。
平安時代の説話集「大鏡」の一文に「めかこうして稚児をおどせ」とあり、「めかこう」とは「目が赤い」つまり「赤目」の意味である。その赤目で「子供を脅す」というのだ。
赤目を見せて、相手を脅すという伝説が今でも残っている場所が奈良市にある、約1300続く世界文化遺産のお寺「元興寺」。
このお寺の別名を「鬼寺」というが、奈良時代、この地に鬼が出没して、お寺の法師が鬼を退治したと言い伝えが残っている。
その退治した方法が、法師が恐ろしい形相をして、悪いものを追い払うために、目をむいて「あっかんべー」をする。その言い伝えが、「あっかんべー」のルーツだという。
ちなみに舌・ベロを出すのは、あっかんべーの「べー」が「べろ」のべーと勘違いされて、舌を出すようになったという。
「しぐさ」のもうひとつは、親が子供とよくやる「こちょこちょ遊び」である。
皮膚感覚の第一人者の大学教授によれば、「くすぐったい」のは、人間の天敵から身を守るための重要な防衛本能だという。
教授によれば、人間の天敵は「虫」。 虫は最も多くの人間を殺している天敵だと言い、そのナンバー・ワンは「蚊」なのだという。
蚊に殺される人間はなんと年間83万人いるという。ジカ熱、マラリアなど蚊が媒介する病気で命を奪われているそうだ。
しかし「蚊」は「かゆい」というイメージで、「くすぐったい」という感覚はない。
実は、「くすぐったい」という感覚は、蚊のような害虫が「皮膚に止まった時に感じる不快な感覚」なのだそうだ。
実際に腕を半分ぐらい入れて、たまらずすぐ出したのだが、第一声は「くすぐったい」というものだった。
教授によれば、「くすぐったい」というのは「血を吸われる危機を察知する不快さ」を示すものなのだそうだ。
くすぐったいと身をよじる。たとえ笑っていたとしても、れっきとした「防衛反応」だと言う。
また、体の部位によっては、くすぐったいところとそうでない所がある。
くすぐったいのは、おもに皮膚の表面近くを動脈が通り自律神経が集中している場所。
耳・首筋・わきの下・手の甲・膝の裏・足など。このように敏感なのは「体の急所」だという。
くすぐったいは、「不快な感覚」を脳で感じているということに外ならない。
それでは、自分でくすぐるとあまり「くすぐったくない」のはなぜかというと、この違いは、予測できるかできないか生じるという。
親子でじゃれあってする「こちょこちょ」の遊びは、そうした「皮膚感覚」を磨いているということ。つまり「防衛本能」を強化していることに他ならない。

1993年 ワールドサッカーアジア予選で、日本がワールドカップ出場を逃した試合は、「ドーハの悲劇」といわれた。
イラクが「引き分け」に持ち込めば、日本は出場できない。日本が試合で頑張るのは当然なのだが、出場の可能性のないイラクがなんでそんなに頑張るのか。
後で聞いた話によれば、イラク選手は、負けたら「鞭打ち」まっていたという。
今時、そんな罰があるのかと驚いていたら、その後のニュースで、イランや北部アフリカなどのイスラム教国では未だに「石打ちの刑」が行われているという話を聞いた。
半身を生き埋めにして、動きが取れない状態の罪人に対し、大勢の者が石を投げ死に至らしめる。
残酷なのは、罪人が即死しないよう、握り拳から頭ほどの大きさの石を投げつけるという。
こんなこといまだにやっているのかと驚きあきれたが、イエスの時代にはそれが普通に行われていたのである。
聖書は、その出来事を次のように伝えている。
律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
モーセは律法の中で、こういう女をを石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
「ヨハネの福音書」8章が伝えるこの出来事の顛末だが、罪なき者はいるかと問われ、年寄りから始めて、ひとりびとり出て行ったというのも、含蓄のある言葉ではある。
イエスの「あなたがたの中で罪のないものが 石をなげつけよ」という言葉には、それだけの権威があったに違いない。なにしろ、人々はそこから一人残らず立ち去ったのだから。
しかしそれ以上に気になるのは、「イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた」という箇所である。
パリサイ人や律法学者が問い続けている真ん中で、身をかがめて地面に何かを書くことを二度まで行っているのだから、全体の文脈の中で「地面に文字を書く」ということがいかに重要なのかがわかる。
それでは、イエスは、地面に何を書いたのか。そしてそのことで、人々に何を伝えようとしたのか。
新約聖書を旧約聖書をつき合わせてみると、「謎」が氷解することがある。
実は、イエスが”指”で地面にものを書くということに対応する箇所が旧約聖書にある。
、 それは他でもない、神が石の板に刻んだ十戒をモーセに与える箇所である。
「こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、”神の指”で書かれた石の板をモーセに授けられた」(出エジプト31)とある。
「十戒」のなかの第七戒は「汝 姦淫するなかれ」であるが、イエスがここで地面に書かれた文字が、モーセの「十戒」であるならば、「地面に文字を書く」という仕草は、この戒律を与えたものこそがイエスであること。さらには「イエスが神」であることのサインなのである。
ただ、このような解釈は聖書に近すぎて、ヨーロッパ版・キリスト教の神観念「父と子と聖霊」とを分ける「三位一体説」からは、出そうもない解釈である。

こうした文化の違いといえば、最近「ソバ」を訪日外国人の間で、麺類をすする音が話題となっている。
日本でも食事時に音を立てないのがマナーとされているが、そばのすすり音はむしろ粋であるとみなされてきた。この日本文化、どのようにして生まれたのか。
東京都中央区の築地市場。ラーメン屋には外国人の姿も多い。米国から訪れたマーク・ブラウンさん(30)は箸を使い口をすぼめて必死に麺をすすろうとしていた。「豪快な音を出して、麺をすすっても変な目で見られないと聞いて挑戦しているんだけど」とおどける。
一方、音を「不快」とする「ヌードル・ハラスメント」という和製英語も生まれている。日清食品は昨年、麺類用のフォークを開発した。すする音を感知すると、音楽が流れて音を隠す仕組みだ。
担当者は「すする行為をポジティブなものに変えれば、世界中の誰もが一緒にラーメンを楽しめる」。
予約が5千個に達したら生産を開始する予定だったが、結果は249個。すすり音が許容されている一つの表れなのか?
歌舞伎の演目「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」では実際にそばを食べる。ツルッと音も立てて食べる姿が評判を呼ぶ。上演されると、歌舞伎座の裏にあるそば屋に客が殺到するゆえんだ。
落語でも、「時そば」「そば清」など、そばの演目は数多い。そばをすする場面は見せ場の一つ。「江戸情緒を醸し出すのに必要な音」と落語プロデューサーで料理研究家でもある山本益博さんは指摘する。
ズルズルと音を立てながらそばを食べるしぐさの名人が五代目柳家小さん(1915~2002)。小さんがそば屋に行くと、あまりにも注目され食べられなかったこともあったという。
現代の名人といえば小さんの弟子の柳家小三治。山本さんは「ソムリエがワインを口に含んだ時にズズズと味見するのと同じ。そばの香りを引き立てるために空気を入れ込む。おいしく食べる工夫です」と話す。
つまり、実用の観点からなのだが、実は意外なソバの歴史があった。
そばは元々麺ではなく、餅状のそばがきなどとして食べられていた。東京家政学院大学名誉教授の江原絢子さんは江戸時代に外食文化が発達し、そばがきを食べやすいように麺にした屋台の流行がきっかけとみる。
「寒い外で立ち食いをする場合も、すすれば麺が冷め、早く食べられる。塩辛い汁を少しつけてすすればおいしくなり、食文化として定着していったのでは」。同時に、すする音も浸透していった可能性がある。
江原さんによると、日本人は限定的ではあるが、食事時の音に寛容だ。たくわんやせんべいを食べる「ポリポリ」「バリバリ」がおいしさを示す音と認識される。
お茶漬けも、口におわんをつけ、音をたててかき込むのは日本ならでは。米が主食のアジア各国ではおわんは持ち上げず、通常はスプーンを使う。
「自然環境が食文化を左右する。木材豊かな日本では、軽くて、持っても熱くない漆器が作られた。生活や環境が一部のすすり音を許容する文化を作ったと考えられます」。
一方、すする音は本来は無粋だったとの見方も。鎌倉時代から武士の礼法を継承してきた小笠原流礼法31世宗家の小笠原清忠さんによると、武家社会では食事時に音を立てないのが常識だったという。
「江戸にやってきた今でいう観光客が、ズルズル食べる町方文化を粋に感じ、まねしたところから日本中に伝わったのではないか。麺類は音を立てなくてはいけないと思っている人もいますが、誤解から始まった文化の可能性があるのです」。

最近、NHKの番組で、米相場を知らせる「手旗信号」というのを放送していた。
日本のシグナルの歴史の一つだが、それよりも大阪堂島の米市場は、世界初の「先物市場」ということを知った。
江戸時代は、税(年貢)を米で納めたので米が通貨同様の役割を果たし、米が経済の中心になっていた。
しかし、やっかいなことに米はほ豊作/不作によって大きく政治や経済を狂わせるため、「米価の調整」に幕府は頭を悩ませた。
自然の成り行きにまかせると、平年でも年貢の納め時には米があふれ価格が下がるし、米が減ってくれば値が高騰する。
凶作になれば米が無くなり餓死するものが増え、豊作になってうまくいくのかというと、米の価値が下がるので米価にアワセて給料をもらっていた武士の生活が苦しくなってしまう。
何よりも、豊作・凶作にかかわらず「米の価格」の安定が望まれた。
江戸時代には、全国の米が大阪に集められ諸藩の蔵屋敷(大阪堂島に多く軒を連ねた)に米が納めらたのち「米切手」(証明書)が発行され、「切手」による取引が行われた。
ここでは、国元が飢饉で米が高騰していても、全国平均の相場で米を手に入れることが出来、米が豊作となった藩は値の上がるのを待って「余剰米」で利益を上げることも出来た。
さらには現物の米の価格に加え、将来入荷する「米の見通し」(先物)をみて、商人により米価の極端な変動が修正されるならば、米価の安定に好都合である。
一方商人は、米価の上がり下がりの予想をその時々でうまく行えば大きい利益を生み出すことも出来、国全体の商経済が発展することにもなる。
そこで、8代将軍徳川吉宗は米価の操作に四苦八苦したすえ、享保15年(1730)堂島(現・大阪市北区)に帳合米市場(米の先物取引)の開設を命じたのであった。
のちに吉宗はこのことによって「米将軍」と呼ばれた。
この制度の案は、吉宗が信頼していた名奉行・大岡越前守忠助が作り上げた優れた制度で、現在行われている先物取引の骨格を網羅していた。
不正が行われないように幕府の監視のもとで行われる初の公設の先物市場であって、のちに1848年に設立されたアメリカのシカゴ商品取引所は、「堂島米会所」をモデルとしたという。
外国でも商品先物取引は、日本より古くからアントワープ(ベルギー)とロンドン(イギリス)などでおこなわれていたが、公設の「商品先物取引所」を誕生させたのは、日本が「世界初」であった。
さて、江戸時代において、「旗振り通信」も考えられなかったわけではないが特定の人間だけを利するのはよくないという理由で禁止された。
そして「米飛脚」によっての伝達しか認められていなかったが、一刻を争う相場の動きにはナカナカついて行けず不自由であった。
明治には「旗振り」の禁止が解かれ、電話がひかれるまで町の近くの見晴らしの良い丘や山の頂に櫓やぐらを組んだりして、「旗の信号」のをツナギながら名古屋や津・大阪方面に相場を伝えたという。
建物の屋上には櫓が組まれて「旗振り場」として利用された。
それらは「旗振り山」とか「相場山」などといった名で呼ばれたり、地域の古老の言い伝えを残していたりするので、それを線で結ぶと明治時代の「米相場」の連絡網の様子をウカガウことができる。

要するに、経済は「生き物」のようで、「何か」のシグナルで人間の行動が大きく変動することがある。

ノンバ-ババルな仕草や行動は、その意味や意図を充分に読み取れない場合に、お笑い系からシリアス系まで様々な出来事を引き起こす。
最近流行語となったKY族、「空気が読めない」族は、結局、そうしたノンバ-バルなコミュニケ-ションにおける不全感のある方々ということか、と思う。
普通に会話する場合でも、言語部は3割でノンバ-バル(非言語)部は7割でコミュニケ-ションがなされているそうだ。したがってノンバ-バル部分の理解が不足すると、あらぬ、いらぬ、妄想を抱きがちで、サインの読み違いからストレスとなり、笑い事ではすまない事件なんかに発展することにもなる。
要するに現代日本社会は、誤ったサインの出し方、誤解を招くサインの出し違い、サインの読み違い、などに特に気をつけないと、ヤバイよ、というそんな社会風潮なのだ。
「私はこれで会社をやめました」という時に、立てる指を間違ったりしたら変だし、石鹸を送ったら相手から「俺は臭いのか」と敵意を抱かれたり、妊婦と思って席を譲ったら単なるデブで失礼なことをしてしまったりと、あるゆるミスリ-ディングの陥穽にあふれているのが現代社会なのだ。
ある教師の笑い話の中で、先生若き日に、天神のオフィス・ビル2階の窓から若いOLが自分に向かって手を振っているので、ハットして即座に手を振り返した、ついでに微笑み返しまでも付け加えたら、どうも彼女の手の動きの幅が大きすぎる。よくよく観察するとそのOLは窓拭きをしていたのです、というものであった。
せっかくつくった「微笑み」のあと処理に困ったということもある。
どうしてこういうことがおきるのかというと、教師というのは巷に自分の教え子が多くいるので、誰かが手を振ったら、即座に手を振り返すという天皇陛下のような習性があるからなのだ。
大竹しのぶさんデビュ-前のしくじり話で、大竹さんがタバコ屋の手伝いをしていたら、若い男がきて自分にむかってピ-スとVサインをおくる。彼女もそれに対して何度もピ-ス、ピ-スとVサインを送り返したら、男はあきれたようにその場を立ち去った。
彼女がタバコにピ-スという銘柄があるのを知ったのは女優になってから、つまり立ち去ったあの若い男が彼女におくったVサインとは、ピ-ス二箱という意味であったのだ。br<> 最後に異文化にまつわるサイン違いの話です。私の知っているある外国人神父は、色彩の強いカラフルな服を着た女性信者達に、「色っぽいですね」を連発して、教会から追い出されそうになったという話をきいたこともある。
正月などに人々がコインを賽銭箱に投げ込むのは、日本の風物詩だろう。
受験、結婚、安産、金銭、健康、恋愛、交通安全、家内安全、あらゆる願いを「たった5円玉」にこめて、柔らかな放物線を描くように賽銭箱に投げ込むのです。
ちなみに、「ロ-マの休日」で有名になったトレビの泉には、後ろむきでコインを投げ込むと願い事がかなうという。2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができる、のだそうだ。
ところで身体、英語でBodyは、もともとミイラを造るときに内臓を入れる壷の呼び名からきているらしい。
その壷は頭が広がり人間の身体をかたどったものである。ついでにいえば人間の内臓のイメ-ジは、「迷路」のコンセプトを生みだしました。

黒沢明監督の名作「隠し砦の三悪人」のリメイク版を見たところ、村の祭りは、日没から翌朝の日の出まで、領主・部外者の立ち入りを許さずに、農民(氏子)達が踊り、祈願する。
この映画に見るとおり「村の祭り」の最も基本的なことは、踊りを含めて共同の祈願ということである。しかし、近世以降そうした村の祭りに変化がおきはじめた。
神祭りとは、神と何らかのつながりのある特定の人々によって執り行われるのが本来の姿であるが、氏子以外の見物人 もやってくるようになるにつれ、祭りがイベント化していった。
つまり祭りに山車などが登場し見世物化すると、祭りの時間帯までもが見物人の時間帯にアジャストされ、昼間に行われるようになったのである。
部外者が村に立ち寄り始めると何がおきるか。いつもお世話になっている神様にはそれなりのことはしているのだが、たまたま旅して神祭りを見て、そこの神様に何がしかの畏敬の念を抱くことにもなれば、なんらかのささげげモノでもしたくなる。
そこで賽銭箱がおかれるようになったわけだ。
村に賽銭箱が置かれたということは、村人自身の意識にも重大な変化をもたらした。
村では通常、氏神に対して共同の祈願をするのが常であったが、賽銭箱の登場によって「個人の祈願」が行われるようになった。<>br もちろんそれまでも氏子の中で、一身上のことを祈願するものがあらわれたら、神主に村祭りとは別に特別の参拝方式を依頼していたのだが、その必要性もなくなった。
村全体の幸福への願いだけではなく、個人の幸福の願いごともなされるようになったわけだ。そして共同の祈願から個人本位の祈願を象徴するのが「賽銭箱」である。
マルチン・ルタ-のドイツ語訳聖書により一人一人が祭司として聖書にアクセスでき、「個人主義」を生み出したのを幾分連想するが、 賽銭箱が人々にもたらしたものは、「個人主義」などというものではなく、むしろ「神祭りの日常化」、もっといえば「信仰の世俗化」ということになろうか。
「祈願の個人化」は、お百度参りといった風習を生み出し、さらにいつ神社に出かけても神々がつねにいますかのような神観念を一般化させた。
これは伝統的な神観念とは全く異なる。日本の伝統的な神観念とは、神と出会う、神に仕えるためにはそれ相応の大変な手続きを要するのである。
日本の伝統的な神祭りにおいては、厳重な忌みごもりもりこそ祭りの大前提なのである。
祭りに参加するものは、食べ物を制限したり、夏冬問わずに海水をあびたり、旅行、会合を控えたり、性的な交わりを一定期間断つことにより、心身ともに清らかに神々に出会える状態となって、ようやく清新な気持ちで神祭りを執行したのである。
神はこちらが会おうと思えばいつでも会えるという簡便さ。本来は、川や水をもって身体を清めなければいけなかったのが、「手水鉢」によって手を洗い、口をすすぐことによってことたれり、ほとんど日常の生活を維持したまま、または日常に多少の変化をつける程度で神に近づけるようになっていった。
その潔めの不十分さを補うかのように、神主が人々のお祓いをするのである。
そして参拝というものが本来、神の前に長時間伺候するのものであったのが、一回限りで短時間で済むようになっていった。かしわ手3回、1分黙祷ですむ程度のものになったのです。
神祭りは、もともと日常の生活をいったん中止して村人全員が長期にわたる忌みこもりに参加するなど、日常とは異なる生活をつくり出すことによって営まれるものなのだ。
このように「賽銭箱」→「祈願の個人化」→「信仰の日常化」というながれを考えると、賽銭箱の影響をけして軽くみなすことはできない。たかが賽銭箱、されど賽銭箱。

そして様々な宗教的行為を営みながらも、日本人が自らを「無宗教」と自覚するのも、それが「宗教」とよぶのもおこがましいほどに、生活の中に日常的に溶け込んでいるからだ。
いいかえるならば信仰もまた四季折々の風物のように、日本人の生活の中の一コマ一コマにすぎずということだ。