「後のものが先になる」(マタイ20章)とは聖書の言葉である。
この言葉の奥深い意味の探求は置くとしても、現代のグローバル社会を実によくいい表している。
遅れて来た中国は、人件費と土地の安さを武器に、今や「世界の工場」となった。
経済的にははるか日本の後塵を拝していた中国が、日本を凌駕し始めたのは、アメリカそのものを中国が招き入れたからにほかならない。
実は、中国にとってアメリカが「獅子身中の虫」となった理由は、意外にも日米の貿易関係がきっかけである。
アメリカが膨大な「対日貿易累積赤字」を抱え世界経済への悪影響が懸念さえることから、先進国の財務大臣や中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに集まって1ドル約200円を約150円にまで一機に「円高」にもっていた。
日本経済にとって「暴挙」にも思えた「プラザ合意」だが、「超円高」の下、日本の輸出はとどまるところを知らず、「対日貿易赤字」は減るどころか増え続けた。
そこで、アメリカ経済は「中国シフト」をし始めた。
アメリカの弱点は製造の現場であり、労働コストは高く、品質でも日本にかなわなかった。
一方中国では優秀な労働力が信じられないほど安く手に入った。
とても日本に追いつけそうもない中国と、押されっぱなしのアメリカが手を組むカタチとなった。
その証拠に、中国に進出したアメリカ企業が輸出するため、中国が強くなりすぎても「元」高にもっていくことはしない。つまりアメリカは中国に対して「プラザ合意」のようなことをしていない。
それまでコストの高い先進国どうしで競いあったのが、劇的にコスト削減効果の働く中国の存在によってその図式は大幅に変わった。
日本の100円ショップやアメリカのウォールマートのような安さを売り物にするような企業は、中国の存在なしには考えられない。
かつては景気がいいとインフレになり、金利があがり、それがブレーキとなった景気を冷やした。
しかし今、インフレと金利の上昇というブレーキはなきに等しい。最大の理由は、労働と土地のコストの安い中国で世界のものが作られているからだ。
遡って、1960年代に露わになった毛沢東の失敗とか70年代の文化大革命の無残な実態を踏まえ、80年代より事実上の最大権力者であった鄧小平の下で中国は「改革開放」路線を歩みはじめた。
最初に私有財産を認め、自分で作ったものを自分で売ることを国民に許した。
多くの農民は努力すれば収入が増えていったのので、多くの「人民公社」は解散された。
「鎮郷企業」と呼ばれる村や町の中小企業も様々な業種で生まれ、人民公社や国営企業をしのいで発展し、農村に商工業をもたらした。
しかし、長年の計画経済に慣れ、消費者という概念すら理解できなかった中国国営企業は、マネンジメントの能力も資金力もなかった。
さらには、「自由化」の更なる進展を目指した民衆の動きを力で押さえつけることになった天安門事件で、中国は世界の中で孤立し、それまでの「改革開放路線」ではもはや立ち行かないところまできた。
そこで中国は沿岸部を中心に「経済特区」を設けることにより、さらにギアを踏み込んだ。
税金はとらない。労働者はどんどんつれてきて、土地や農民は立ち退かせ用意する。
道路や電気も準備し、労働者もいくらでも連れてくるというものである。
これで、中国は日本よりもはるかに外国企業に開かれた国になった。
「ネズミをとるならば白い猫でも黒い猫でもいい猫だ」という言葉に代表されるように、最高指導者の鄧小平は、貧富の差はついてもとにかく豊かになることをめざした。
とはいえ、世界で通用する製品を作り出すには、マネンジメントが必要で、消費者の好みを熟知し、低コストでつくり、世界に販売網があり、かつアフターケアができなければならなかった。
アメリカ企業は中国から労働と土地とを安く手に入れ、中国にはアメリカ企業そのものが持ち込まれ、世界で売るマネンジメント能力と巨大な資金が持ち込まれたである。
そして現在、日本の後を走っていた中国が前に出るというシーンがしばしばみられるようになる。
2018年4月の北京モーターショーは、電気自動車(EV)や人工頭脳(AI)搭載など近未来を現実のものに引き寄せる光景だった。
なかでも中国車は、EVやAIはあたりまえ、デザインで挑戦してきた感がある。
自動車産業のリーダーである日本車のデザインが、あくまで過去の延長上というのとは対照的。日本の場合、系列の部品メーカーとの絆が逆に「しがらみ」になって、革新のスピードを鈍らせているのか。
「キャッシュレス化」においても日本は中国より遅れている。
韓国が9割弱、欧米や中国も4割~6割に達する中で、日本は現状2割にとどまっており「現金大国」といってよい。
日本が低い背景には、偽札が少ない日銀券への信頼感、治安の良さ、ATMの高い普及率など、日本社会特有の状況がある。
結婚式にピン札でご祝儀といった風習も影響しているといわれる。
一方、事業者側にとって電子決済は現金取り扱いコストの削減、店舗の省力化に繋がるし、購買履歴データを活用した売り込みなど、新たなサービス提供の機会がうまれる。
ただ、超高齢化が進むなか、スマホのアプリを日々更新して自由に使いこなせる国民ばかりでない。
スマホ決済が普及する中国やスェーデンでも、高齢者の「決済難民」が生じている。
もうひとつの懸念は、個人情報である。電子決済は我々の行動が把握、監視されるリスクをはらむ。
中国では、高速鉄道の改札や大学構内に入る際など、身分証提示による本人確認を「顔認証」に変える仕組みも試験的に始まった。
一部の都市では、警察官が顔認証できる眼鏡状のAIカメラを身につけてパトロールを始めた。
当局が故意に選ぶ思想信条、人種、宗教などによりプライバシーが侵されるならば、人権侵害にあたることはいうまでもない。
また、中国の生命保険の市場規模が昨年日本を抜き、米国に次ぐ世界2位となった。
中国では長年続いた「一人っ子政策」の影響で少子高齢化が進み、比較的若い世代にも、老後不安で保険が普及しつつある。
中国で前年比2割増の高成長が続く背景には、所得の向上で中産階級が増えて保険を買う余裕が出たことや、民間の健康保険加入者に対する個人所得税の優遇など政策措置がとられていることがある。
現在、年金保険や養老保険といった貯蓄型の保険商品が売れているという。
「所得水準が向上していることや、老齢化していく「一人っ子」政策の世代が老後に備えるというニーズがあるためである。
国内市場が伸び悩む日本勢にとって中国市場は魅力で、今後の「外資規制緩和」を見据え、日本勢も参入をうかがっている。
「持てる者はますます富み、持たざる者は持っているものまで取り上げられる」(マタイ13章)とは、聖書の言葉である。
ここで「もてる者」とは信仰の世界の話だが、「経済の法則」としてもよくあてはまる。
ところで安倍内閣がカジノ法を早急に成立に持ち込んだことに対して、アメリカの「影」というものを感じさせる。
実際、トランプ大統領への最大の大口献金者はアメリカのカジノ王であり、安倍内閣が「カジノ法」成立を急いだのも、そうした圧力の存在を推測できる。
最近、国会はもはや内閣の「下請け機関」かという気がするが、持てる者は、自分に有利なように一国の法律さえ変えうるほどの影響力をもつばかりではなく、自分の「影」を消し去ることさえできるのである。
またグローバル化の一つに「企業が世界的に生産拠点や活動拠点を移す動き」があげられる。
こうした動きを企業がすることによって、世界の先進国と開発途上国との格差は縮まる傾向があるとしても、それぞれの国の中では格差は広がりやすくなると考えられる。
まず先進国では経済が発展しているだけに、人件費が高くなっていく。一方開発途上国では、経済がまだ発展していないだけに人件費が安く、安い製品を作ろうと企業が考えれば企業は生産拠点を海外に移すことになる。
そうすると製造業は、その国の中で空洞化することが考えられるが、その典型がアメリカのラストベルト地帯である。
トランプ大統領が、中国がアメリカ自動車企業に入り込むことで安全保障上の危険があるとして関税をあげようとしているのも、中間選挙に向けそうしたアメリカのラストベルトの白人労働者層のことを意識してのことだろう。
このようにグローバル化が進むと、先進国に住む人たちから考えると、世界の安い労働力を供給する人たちとの競争を余儀なくされる。
そして、失業率が高くなったり給料が安いままだったりするうち、派遣社員が生まれるという状況になってしまった。
一方、世界的に活躍する企業は、国内で活動するだけに比べるとそれだけ利益を確保しやすくなっていくので、経営者はその高い利益に見合った報酬を確保するようになり、給料が高い人と低い人との差が大きくなる。
これは先進国ばかりではなく開発途上国でも格差は大きくなる。
先進国の商品が流入すれば、確かにそれで生活が便利になる人もいる一方、それまでの仕事を奪われる人たちや、高いレベルの教育を受けていない人たちは、新しい経済の波に、対応することが困難な状況に陥り貧困化する。
開発途上国でも、教育の格差から収入の格差に広がりがでる。
さて、ピケティの世界的なベストセラー「21世紀の資本論」は、18世紀から21世紀初頭の膨大な各国データで歴史的実証分析を行った。
ピケティは、まず「資本蓄積」について各国の租税データなどからの実証分析に基づいて展開している。
そしてピケティは、歴史上ほぼすべての時期で「r>g」という単純な式があてはまることを実証した点で話題を集めた。
つまり、株や不動産などの投資からの年間の収益率(r)が、過去300年で4~5パーセントなのに対して、賃金の伸び率(g)は1~2パーセントにとどまっている。
つまり、「投資の元手がある人」は、「普通に働く人」より所得を増やしやすく、格差は自然に広がり、それは「世襲」によってさらに強化される。
1980年以降は、国民所得に占める「相続と贈与の価値比率が増加に転じた」ことを確認し、相続による「社会階層の固定化」に警告を発する。
さらに、世界的な資金の流れは富裕層をますます有利にしている。
対日貿易の累積赤字は、アメリカのレーガン政権の知恵者によって、日本の黒字でアメリカの国債を買うことが定着し、国債は自国の国民に買ってもらうという常識を覆した。
そして「金融自由化」という大義名分で日本と交渉を始め、日本の金融機関が米国債を買いやすいように、日本の金融制度を変えさせることに成功した。
つまり、日本が対米輸出で稼いだドルは米国債に戻ってアメリカの財政赤字を支え続け、それを踏襲するように、中国が稼いだドルは米国債でアメリカの対中貿易赤字を補ってきたのである。
アメリカという国は、政府は5パーセント程度の金利の国債で外国から借金して、民間ははるかに高い利回りで外国へ投資して稼いでいる。
そのため、アメリカは海外に払うお金より受け取るお金が大きく、貿易赤字国とはいえ金回りで余裕があるのだ。
この構造こそがアメリカの富裕層をさらに富ませる結果となっている。
「新しい葡萄酒は新しい革袋に」(マタイ9章)とは聖書の言葉だが、現代の技術と生活うや意識のたとえとしも、 言い得て妙である。
かつてアルビントフラーが「第三の波」(1983年)で予言したことの中で、個人的にとても実現しそうもないと思ったことがある。
それが「家庭内生産」で、トフラーは生産(プロダクション)と消費(コンシューマー)を合わせて「プロシューマー」という言葉を造語した。
何しろ大量生産では「規模の経済」が働きを生産コストを低く抑えられる。
家庭でモノを作ったとしても、それが大量生産で生産されたものよりも安くならない限りは、「家庭内生産」が主流とはならないと思っていた。
しかし従来の「生産」の概念を覆す発想で生まれた技術3Dプリンターによってそれが可能になりつつある。また、従来の通貨の概念を覆した「仮想通貨」とともに、両者ともまだ限定的とはいえ、我々の日常が根本から変わっていきそうだ。
現在、スマホのアプリを利用したサービスが急速に発展している。自家用車で他人を運ぶライドシェアや、自宅を民宿替わりに貸す民泊などだが、今はまだ技術的に過渡期。
仲介者が手数料をとる中央集権的な樒だからだが、近い将来、仲介者がいなくても、所有者と利用者が直接結びつく究極的な「シェアリング・エコノミー」が誕生しそうだ。
それを可能にするのが、仮想通貨の基礎となる「ブロックチェーン」という技術で、中央集権的な管理者がいなくても、経済的な取引ができるようになる。
イスラエルでは、この技術によるライドシェアの実験がすでに行われている。
また、モノがインターネットに繋がるIoTや電子頭脳制御で人が不要になる生産工場なども含めて「新しい革袋」がでてきつつある中、その中に納まる「葡萄酒」すなわち我々の方も、何を価値とするか、どんな知識をみにつけるべきか、新しい革袋にふさわしい「葡萄酒」が求められているといってよいであろう。
神戸大学では15年、「3Dスマートものづくり研究センター」ができた。
センター長も務める貝原俊也教授は「考える工場(スマートファクトリー)」をつくる。
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機器や材料にはAI(人工知能)が内蔵されていて、各作業をどの順番でどの機械で処理するかAI同士が話し合いをして決めていく。
目指すは、大量生産のように低コストで使い手の要望に合わせてオーダーメイドの商品を作る手法を研究している。
この工場で何をつくるか。目をつけたのは地場産業であるゴム底のシューズだった。
スマホのカメラで足の写真を複数枚撮影すれば、サイズや足の形状といった足型を計測し、立体データを作成することができる。
さらに「早く走りたい」「疲れにくい靴がほしい」といった要望や好みのデザインを入力すると、専用の靴を提案、製作してくれる。
靴底は新たに開発したという3Dプリンターで製造する。従来のように樹脂ではなく、耐久性などに優れる天然ゴムを使い、受信した設計データをもとに、3種類のゴム材料を噴射して成形する。
貝原教授は、こうした作り手と使用者が一体になり、新しい価値を生み出す「価値共創」が重要になるとしている。
こうしたIoTで吸い上げた情報を使って生産効率や品質の向上を図る取り組みは、ドイツや米国など世界各国で進められている。