新ルックイースト

1975年制作「暁(あかつき)の七人」というアメリカ映画があった。
イギリス軍が、ナチスドイツのチェコ占領により、イギリスに亡命したチェコの若者7名を「特訓」して、占領軍総督の暗殺を企てた実話に基づく物語である。
かつて日本軍も同じようなことをやった。
イギリスからのビルマ(現ミャンマー)独立をめざす、ビルマの若者30人を猛特訓したのである。
彼らはビルマの独立の「あかつき」に居合わせた若者達でもあった。
アウンサンやネ・ウィンなどの若者達はビルマ独立という熱いキズナで結ばれていたが、アウンサンの娘スーチーが後に戦うことになる「軍事政権」の首領こそがネ・ウインだった。
ビルマは、115年の長きにわたりイギリスの植民地であり、1942年にようやくイギリスから独立を果たす。
それは、太平洋戦争開戦とともに破竹の勢いで進軍する日本軍が、イギリス軍を駆逐し、首都ラングーンを陥落した時のことであった。
当時、アジアの国々には有力な指導者もおらず、武器もなく欧米の列強支配に甘んじる他はなかった。
そこでビルマの若者達は、日露戦争における日本の勝利に曙光を見出そうとしていたのである。
鈴木敬司大佐を長とする「南機関」は、背後でビルマ独立に燃えるアウンサン将軍ら30人の志士を極秘裏に訓練していた。
鈴木敬司は偽名を「南益世」を名乗ったことから「南機関」とよばれた。
海南島の訓練は厳しいもので、志士のひとりは「ビルマがもし海南島から陸続きだったら、どんなに困難が待ち受けていようと逃げ帰った」というほどだった。
訓練の厳しさだけでなく、習慣の違いもあった。
ビルマでは親でも子供を殴らないのに、日本式の体罰(ビンタなど)にはビルマ人にとってショックなことだった。しかし、その不満を独立へのエネルギーに変えていった。
その反面、イギリス人はビルマ人とどんなに親しくなっても一緒に食事したりはしないが、日本兵と一緒に食事し、一緒に寝転がって喋るなどやっているうち、日本人とビルマ人との間に信頼関係が芽生え増していった。
ところが、日本と英米との開戦(太平洋戦争勃発)によって事態は急変した。
というのも、南機関は、或る国家的使命を帯びることになる。
日本と中国と戦争した際に、アメリカやイギリスが中国・蒋介石政権へビルマの港から輸送する物資のルートを「遮断」する必要があった。
これがいわゆる「援蒋ルート」で、それを遮断スルために、ビルマに「親日政権」をつくるという使命である。
中国は、イギリスからの物資援助を「ビルマ経由」で受けて、日本と戦っていたのである。
南機関を率いた鈴木敬司大佐は、イギリスからビルマ独立運動弾圧の中、クーリーに変装してアモイに逃れたアウンサンらを脱出させ、故郷・浜松で匿まう。
そして南機関は、冒頭で述べたような壮健な若者30人を選んでビルマと気候のよく似た中国・海南島で地獄の猛特訓を施し、「ビルマ軍政」の基盤を作ったのである。
その時、日本関与の跡形を消すために、中国製の小銃を手渡したりしている。
しかし、その後の南機関の歴史を語ることは、ビルマ人にとっても日本人にとって心苦いものがある。
ビルマが「親日」から「反日」さらに「抗日」へと変遷する過程を語ることでもあるからだ。
それは、真珠湾攻撃つまり太平洋戦争勃発による、情勢の大きな変化のためである。
つまりアメリカとの戦争のため、アジアに「大東亜共栄圏」という実質日本による「アジア植民地化」の流れが生じたからである。
そして1942年3月9日アウンサンらが日本人を含むビルマ国防軍をひきいてラングーンを解放したものの、日本軍がイギリスに代わって軍政を敷いた。
この時の日本軍政下の日本軍人の横柄さは、仏教徒の多いビルマ人の感情を相当傷つけたといえる。
アウンサンにとって南機関は「恩人」に違いなかったが、1941年2月南機関を直属とした日本軍部の横暴を見せられるにおよび、「親日」から「反日」へと変わっていく。
ただし、「大東亜共栄権」が喧伝される以前に、日本の財界にはアジア人同士の「純粋な共感」に基づくアジア独立を支援する空気があった。
日本には、日本軍上層部とは違い、「アジア人のアジア」という「大義」以外何の野心も栄達心もない義侠の人々が多くいたのも忘れてはならない。
戦前、ビルマとビジネスで関わりが深かった人々の中に岡田幸三郎という人物がいる。
俳優の岡田英次は幸三郎の甥にあたり、岡田の娘が作家・遠藤周作の妻・順子である。
その関係で、遠藤順子女史は「ビルマ独立に命をかけた男たち」(2003年)という本を書いている。
岡田は慶応卒業後に台東拓殖会社に就職し台湾に赴任し、製糖工業の実態調査のためにジャワ・インド・ビルマなどに出張を繰り返すうち、欧米の植民地支配から脱出しようとするアジア民衆の動きに共感するようになった。
岡田は、南機関の人々を社員として自由に行動できる便宜をはかり、資金援助をした。
しかし日本軍によるビルマ軍政により、鈴木大佐や岡田とアウンサンとの友情もいたく傷つけられていった。
アウンサンは、当初日本軍と協力してイギリスと戦おうとしたが、イギリスに代わってってビルマを植民地化しようとした日本軍に対して、兵を翻して日本軍と戦うことになる。
「北伐」を命じられラングーンを出発したアウンサンら9千人あまりの兵士は、北方50マイルのペグーで、「敵は本能寺」とばかりに反転する。
日本軍により軍事訓練をうけて育てられたアウンサン将軍率いる「ビルマ国防軍」は、夜間突然にその日本軍に対して銃口をむけたのである。
1945年日本が敗戦し、アウンサンらは1947年にイギリスから最終的に独立を勝ち取るが、あと5日後に「新憲法発布」の時、建国の英雄アウンサンは政敵によって暗殺されてしまう。
この時アウンサンは32歳で、娘のスーチーはわずか2歳であった。
さて、日本のアジア進出を裏面から支えた「南機関」と同じく重要な働きをしたのが「藤原機関」である。
その藤原機関に見出された 谷豊の波乱の生涯は、我が母校の出身ということもあり、しばしわが心を占めた。
、 谷豊は、現在は福岡市に属する旧筑紫郡曰佐村の農家に生まれた。父親がシンガポールにわたり理髪店を経営するが、子供の教育のために一時日本に戻った。 弟が小学校を卒業した後、谷家はふたたびシンガポールに戻る。
1937年に日中戦争が始まるとマレー半島でも反日的な機運が高まっていた。
トレンガヌにあった谷家の理髪店は華僑によって襲撃され、谷豊の妹が殺害されるという悲劇がおきた。
その後の谷豊の経歴は不明であるが、成人した谷豊が馬賊の首領として人々から「マレーの虎」(ハリマオ)と呼ばれて出没するようになったことが判明している。
日中戦争の長期化にともない日本軍は東南アジアに活路を求めていた。
そこで現地の地勢や情報に詳しい谷豊と接触し、日本軍諜報機関(藤原機関)の一員として谷豊を取り込んだ。
家も家族も失った感のある谷豊はこの時はじめて、公的な働き場所を得ることができたともいえる。
1942年、真珠湾攻撃の約2時間前にマレー半島に進攻した日本軍は、その後銀輪(自転車)部隊で半島を南下し、2月に英国の東アジアにおける要衝であるシンガポールを制圧した。
しかし谷豊はシンガポール占領から約1ヶ月後にマラリアにかかり、シンガポールの陸軍病院で32歳の生涯を閉じている。
その後、谷豊の生涯は、映画化またはドラマ化され「怪傑ハリマオ」として蘇ったのである。

マハティール首相といえば、1981年から2003年の首相在任中、「ルックイースト(東方)政策」を推進した人物として知られる。
日本の成長モデルを見本に、マレーシアを東南アジア域内で急成長させ、東南アジアの優等生といわれるまでの開発成長を主導し、アジアの指導者とまで目されるようになったのである。
マハティールは、英領マラヤに生まれだが、日本軍のマレー半島侵攻が始まった時、高校生であった。
少年マハティールはイギリスの圧倒的な国力を知り、長年のイギリス支配による白人への劣等感から、日本が勝てるはずはないと思いこんできた。
しかし、その予想に反して日本軍は快進撃を続け、短期間でマレー半島からイギリス勢力を一掃した。
この時、マハティールは初めて白人が敗北することもあるということを学んだ。
日本軍占領時代のマレー半島は、イギリス支配下の時よりも食糧事情が悪化しており、マハティールも学校を退校するなどの不幸に見舞われた。
つまり、日本の侵略はマレーシアにとって不幸な出来事に違いなかった。
しかし、マハティールは、戦後日本を訪問し、日本の勤勉さに心打たれ、日本に学ぶべきと多しという思いを抱くようになった。
マハティールは本来の仕事は医者たが、1961年、家族を伴って、初めて日本にやって来た。
「大阪にも戦後の焼け跡が残っていたが、その中で水田の真ん中に聳え立った松下電器産業の工場を目にして、度肝を抜かれた」と語っている。
さらに、1964年の東京オリンピックを前に、インフラ開発事業が進む東京で、日本橋の高架上に、高速道路建設が着々と進んでいた状況を見て、敗戦しながらも、急ピッチで復興を遂げる日本人の勤勉さと職業倫理観の高さに感銘を受けたという。
しかも、当時の日本はまだまだ豊かではなかったが、日本人の復興への愛国心にも心を打たれたという。
さて、2018年6月12日、トランプ大統領と金正恩がシンガポールで会談した日に、マレーシアのマハティール首相が日本を訪問し、財界人やメディアを前に講演を行った。
ちなみに、シンガポールは華僑とマレー系との対立から、1965年にマレー連邦から離脱している。
今回のマレーシアの政権交代の裏には、打倒「ナジブ政権」を旗印にかつての政敵アンワル元副首相との野党連合があった。
そして、マレーシアにおけるマハティール首相の返り咲きは、アジアに勢いを増す中国の「一帯一路」計画に、歯止めの杭を打ち込む意味でも大きな意味を持ちそうである。
マハティールは、ソニーの盛田昭夫と松下電器の松下幸之助を最も尊敬するというが、マハティール首相の「日本シフト」は、就任後初の外遊先が日本であったことによく表れている。
遡って、初来日の1961年当時、政治家と薬局の二足のわらじを履いていて、大阪の武田薬品工業を訪問し、そこで目にした光景が強烈なイメージとなり、自分が首相になったとき、「日本を見習う政策を進めたい」と固く心に誓ったという。
1970年代初頭、国営の食品会社の社長の頃、そこで作るパイナップルの缶詰がおいしくないという悩みを聞きつけた三井物産が、おいしい缶詰の作り方を研究し、技術提供したことが、後のルック・イースト政策につながったと言われている。
1981年にマレーシアの首相に就任したマハティール首相は日本を手本に「ルックイースト政策」を提唱した。
当時、マレーシアでは同政策に対して、何故、欧米を見本にしないのかとの批判が噴出したが、マハティールは、1961年の日本初訪問から、何度も日本を訪れ、政策を進めることがマレーシアの国益にかない、国の建設に寄与すると固く信じてぶれることはなかった。
ナジブ政権の19年間は中国への傾倒が強く、日本が直接投資額では抜きん出ていても、マレーシアへの政治的な影響力が薄くなりつつあった。
マハティール首相は“新ルックイースト”で、日本との新たなパートナーシップに新生マレーシアの未来を託そうとしている。
ここ10年、日本と中国は、激しい受注合戦を展開してきた。特に、インフラ輸出をアベノミクスの成長軸に置く安倍政権下では、受注合戦の前線に立つ官僚や企業関係者が「中国打倒」を旗印をしてきた。
マハティール首相は、5月28日、マレーシア・シンガポール間の高速鉄道計画(HSR)の中止を電撃的に表明して、世間をあっといわせた。
マハティール首相による「一帯一路」の主要事業の中止や見直しは、中国の面子を潰すだけでなく、「一帯一路」の実現そのものに大きな打撃を与えることになりそうである。
それでもマハティール首相はなぜこの時期に、中国を敵に回すことになるHSRの中止を公表したのだろうか。
その背景には、国内財政上では、選挙公約の消費税廃に伴う財源確保がまず第一に挙げられる。
ナジブ前政権下から引き継いだ膨大な国の債務額(1兆リンギ=約28兆円)を抑えるため、歳出削減を迅速に進めなければならなくなったことが大きい。
HSRは、マレーシアの首都クアラルンプールとシンガポール間、約350キロを(シンガポール側は15キロ)時速300キロで走る計画(所要時間1時間半)で、ナジブ前政権下で決定、進められてきた。
かつて、ケニアの鉄道を管轄する大臣が「JRの新幹線は世界一素晴らしかった。しかし、我々に必要だったのは、物資も輸送できる鉄道網だった」と述べ、結局、中国が在来線の鉄道を張り巡らせたことがある。
マレーシアに限らず東南アジアの経済成長を過大評価する中でのインフラ整備は現実的ではない。
ミャンマー、カンボジアでは道路などのインフラが未整備の中、高速鉄道の有用性には疑問があり、ベトナムやタイも、首都圏と地方の格差は大きい。
実は中国が異様なほどのHRSに執着を見せるのは、経済だけが理由ではない。
同路線は、中国からラオス、タイを通過し、シンガポール海峡へ抜ける習国家主席が進める「一帯一路」の安全保障戦略における「生命線」ともいえる。
資源や物資を中東地域から運びこむ要衝のマラッカ海峡を、シンガポールに環太平洋の海軍の本拠地を置く米国などに封鎖される事態を回避するため、その迂回路として抜けるルートになるため、“債務トラップ”による融資で、この地域への政治的覇権を拡大することが戦略上にある。
マハティール首相の最大の目的はマレーシアの「国益」だ。
その意味では今回の高速鉄道計画中止は、国内では歓迎され、「大英断」と国民からも高い支持を得ている。
またマハティール首相は父親がインドからの移民であるせいか、インドのモディ首相と脳会談を開く予定である。
つまりマハティールは、政権誕生直後からインドと日本に接近し、「脱中国依存」を鮮明に打ちだしているのである。
2018年の首相返り咲きでマハティール首相は、「ルックイースト政策」を復活させたい思いを抱き、同時に日本にはアジアのリーダーとして自信を取り戻してほしいと語った。
アウンサン将軍の娘スーチーは、一時日本(浜松)に身を隠した父親の面影を追うように京都大学で学んでいる。マハティールもスーチーも、日本と深く関り日本に学び、アジアの指導者として成長した。
少なくとも、東南アジアは複数の国々との利害を考慮しなければ生きられない。
どんになに、経済力があっても「対米従属一辺倒」に慣れた国からは、そうした指導者は出そうもない。

郵便局や年金分の行動は、単に運用能力のない人間が、お金を運用しているのが間違いです。 日銀については、ちょっと話が面倒です。 日銀は円高になったとき、為替介入として大量のドル買いを行います。 このドルを円に換えるのが大変難しいのです。 下手に売却したら、円高になります。 日本経済は輸出によって成り立っているので、円高では景気に良くありません。 こうして扱いに困るドルがつみあがっていくので、とりあえず利息のつく国債を買うわけです。 本当は円安に振れたとき、円キャリー取引が騒がれて130円くらいになったとき、ドルを売るべきだったんです。まさに埋蔵金を国庫にもどして歳入にすることができます。 でも日銀の判断か政府財務省の判断かわかりませんが、それをしませんでした。永遠に国民に還流することのないドルが、積みあがっていき実質アメリカへの献上金となるのでしょう。(もとは税金にするべき日銀の刷ったお金です。) 米国の貿易赤字を埋める為です。米国は貿易赤字を埋める策の一環として、日本へ日米間に置いて共に得をする施策と称しアメリカ国債を買うように圧力をかけてきました。 アメリカは日本の製品を買い、日本はアメリカの国債を買う、そうすれば円高防止になり、日本はこれまで通りアメリカへ製品を売ることができるようになるではないか、という米国のご都合主義なお話です。 日本が稼いだ利益は、米国へ投資資金という名目で流すようにという事です。 日米貿易摩擦時期の日銀総裁も言っているように、日本はこれ以上米国から買うべき物はないような状況でしたが、米国の提案を断れば何をされるかわからないということで、米国の施策を全面的に日本側が飲むことになったということ。そんなこんなで米国のご都合主義と自民党政治の堕落が重なり合ってできた茶番劇の結果です。 まぁこれは日本に限った事ではなく、他の国々などへも行ってきたことでもありますが。つまり米国から流失した資金を再び米国へ舞い戻らせるには、金融商品を他国に買わせる事でそれが実現出来ると、金融によるごまかしを世界に対して行ってきたということです。 good >日本政府が買っていると思っていました。それは郵便貯金、簡易保険にお金が流れているというイメージがあったからです。  これはそのとおりですよ。しかし、それは国庫とは何の関係もありません。郵貯銀行が運用のためにアメリカ国債を買っているであろうことはほぼ確実です。しかしそれは政府が買っているのではありません。 >また、アメリカの方が財政赤字は酷いとも思っていました。 巨大な貿易赤字国でもあるからです。 日本は失われた10年の間赤字国債を発行しつづけたのです。それは景気浮揚のための公共投資に振り向けられたと見るのが妥当で、本来ならそれがGDPの増加を呼び、税金になって返って来るという思惑があったのですが、そうはならなかったのです。なぜななら利権べったりの建設業者救済の投資に終始し、真に必要なインフラ整備に使われなかったのです。これが厖大な財政赤字を呼んだのですよ。  小泉さん・・・というより竹中氏の努力でこれが是正の方向向けられ、赤字国債の発行は大幅に縮小していますが、またぞろバラまき政策の要求が産業界からわき起こっています。これに応じたら元も子ももないのは明白です。だから麻生さんは赤字国債を出さないと言わざるをえない状況おなのです。  また、アメリカの貿易赤字は政府の国庫の赤字ではありません。アメリカのドルは世界経済の成長に見合った分を垂れ流してくれないと通貨不足のために景気が悪くなる恐れがあるので、適正な赤字は必要なのです。基軸通貨の特権ですよね(^_-) 0 件 . 通 水原一平(大谷翔平の通訳)の結婚相手や画像は?経歴や実家の和食店も! ?2017/12/28 ?2018/4/12 ?大谷翔平 独身の大谷翔平選手の渡米後の生活について気になりませんか? 現地でエンゼルスの大谷選手の生活をサポートするのは、通訳の水原一平さんです。 通訳といっても、ただ語学ができるだけでは務まりません。 また、単に選手をサポートするだけでも不十分です。 お互いの「相性」がよくなければ、選手の心の平和は期待できず、野球の結果にも影響を及ぼしかねません・・・よね。 ? 今回は、水原一平さんの経歴や画像について、調査してみることにしました。 ? 彼女がいるのか?結婚して嫁さんや子供がいるのか、といったことも気になりませんか? ? 調べていく内に、通訳の水原一平さんのご実家がなんとエンゼルスの本拠地アナハイムにある!ということがわかりました!! ? 店の名前や場所についても調べてみましたのでお楽しみに! ? スポンサードリンク Contents [hide] 1 水原一平の経歴(プロフィール)は? 2 水原一平(通訳)の彼女は?結婚しているの? 3 大谷翔平が水原一平を通訳に選んだの理由は? 4 水原一平の実家の和食店の名前や場所は? 5 大谷翔平の米国での食事は? 6 まとめ 水原一平の経歴(プロフィール)は? ? 大谷選手の通訳である水原選手の経歴について、情報をまとめてみました。 ? ?出身は、北海道苫小牧市 ?年齢は、32歳(2017年12月現在。大谷選手よりも9歳歳上) ?日本料理の板前である父の仕事の関係で6歳のころに渡米(ロサンゼルス) ?当時野茂英雄選手がロサンゼルス・ドジャースに在籍していたことから、メジャーリーグに興味を持つ ?岡島秀樹投手がメジャーリーグ(ボストン・レッドソックス)在籍時に通訳を担当 ?その後、日本ハムが通訳募集をしていること知り応募 ?2012年から日本ファイターズの通訳に ?2017年、大谷選手の通訳となるため日本ハムを退団 ?2018年2月、大谷選手とともに渡米 ? 水原さんの場合は、渡米というよりも「帰郷」という方が言葉として適切でしょうか。(後述) ? スポンサードリンク 水原一平(通訳)の彼女は?結婚しているの? この情報については、気になっている方が多いようです。 ? 筆者は当初、プロ野球選手の通訳という仕事の性質を考えると、「彼女(結婚相手)」をつくる時間的な余裕などないかな・・・と想像していました。 野球選手の通訳というと、試合で活躍した選手がヒーローインタビューで一緒にお立ち台に登るイメージがありませんか。 ? でも、それは通訳の仕事のゴクゴク一部です。 ? 調べてみると、通訳のお仕事はこんなお仕事でした。 ? ?選手の練習の手伝いをする ?通訳自ら周りの選手とコミュニケーションを取る ?そして、その選手がチームメイトやコーチといい関係を作れるようにサポートする ?試合中は、コーチの助言を通訳をする ?選手の家族の生活のサポート(病院に連れていく、空港への送迎・・・などなど) ? つまり、1年中時間や曜日を問わず、選手や家族と常に一緒にいてサポートするお仕事なのです。 ヒーローインタビューのときだけ一緒にいて、「後はプライベートで彼女とのデートの時間なので、ここで失礼します!」なんて言って抜けられるようなお仕事ではないのですね・・・ ? しかし後日、水原さんは婚約されているとの情報を得ました。 ? 大谷翔平が婚約を祝福したマネジャーは通訳の水原一平?乗客の反応も! ? こうなると、大谷選手の彼女や結婚(予定の?)女性について、やはり気になりますよね。 ? これまで「彼女か!?」と名前が挙がった女性達をまとめてみました。 大谷翔平の彼女はいない?好きなタイプと噂の女子アナ・陸上・モデルの画像! ? ? 大谷翔平が水原一平を通訳に選んだの理由は? そもそも、大谷選手はなぜ水原さんを自分の通訳に選んだのでしょうか。 それに関しては、こちらの記事をお読みください。 大谷翔平の通訳者が水原一平の理由は?英語会見場が笑顔になった回答はコレ! ? 水原一平の実家の和食店の名前や場所は? ? 水原さんの父親の水原英政さん(58)は、和食店「Akaya Sushi and Robata」でシェフとして働いていました。 ? 筆者は当初、この和食店が水原一平さんのご実家の和食店なのかと思いましたが、そうではありませんでした。 ? ? “ 今はAkayaと言うレストランではなく違う店で働いています。 出典:水原英政さんご本人情報 ” ? では、水原英政さんはどこで料理の腕を奮っているのでしょうか。 ? まずわかったことは、日本ハムのアリゾナキャンプでということです。 ? “ 2018年の日ハムアリゾナキャンプの食事作り行って来ます。 出典:水原英政さんご本人情報 ” ? 英政さんは、2017年の春季キャンプでも選手食堂でもシェフを務めていました。 大谷選手から大好評! ? では、キャンプ後はどうされているでしょうか。 ? これについては以前、このように教えていただきました。 “ キャンプ終了後は、居酒屋Hachiと言うお店に居ます。 ただ知り合いから、「うちの店手伝って」と言われると移ったりするので、はっきりは言えません。 でも大谷君への協力は出来る限りしたいと思っています。 大谷君頑張っているのでみんなで応援したいですね。 出典:水原英政さんご本人情報 ” ということで、居酒屋Hachiの場所について確認してみると、エンゼルスタジアムから割りと近い距離にあることがわかりました。 ? ? 大谷翔平の米国での食事は? ? 独身で渡米する大谷選手にとっては、現地での食生活は特に大事ですね。 ? シーズンが始まってからも、水原さんのお父様は、大谷選手が満足する食事を提供し続けてくれることでしょう。 ? 大谷選手と水原さんの間では、例えばこんな会話が繰り広げられるかもしれませんよ。 ? 大谷選手:お腹すきましたね・・・ 水原さん:じゃあ、ウチの実家に行きましょうか。昨日オヤジ(英政さん)が「日本からうまい魚や野菜を仕入れた」って言ってましたので。 大谷選手:是非行きましょう! ? また、水原さんのご実家は、エンゼルスタジアムから車で15分ほどの距離にあるそうです。 ? 大谷選手のアナハイムで暮らす場所(自宅)は、水原さんと同じマンションとの話もあります。 ? 水原さんは、家族ぐるみで大谷選手をサポートできる環境が既に整っていることが強みですね。 ? 大谷選手においては、野球で結果を出すことに注力してもらいたいと思います。 ? 大谷選手がメジャーリーグ(MLB)で活躍できるかどうかは、水原一平さん、英政さん親子のサポート力にかかっている!!と言っても過言ではない・・・と思えてきました。 ? まとめ 今回は、大谷翔平選手を現地でサポートする通訳水原一平さんについて調査してみました。 プロ野球選手(メジャーリーガー)の通訳という仕事についても少し垣間見れた気がします。 彼女や結婚相手を悠長に探している暇などは、ほとんどないかな・・・と感じていましたが、婚約者がいたとなると、水原さんはしっかりされてますね!(笑) ? 婚約?結婚となると、水原さんもいいお年頃なので、ご両親は「早く孫の顔をみたいな・・・」なんて思っているのかもしれませんね・・・w ?? 印刷 ? プッシュ通知 寮生活からいきなり異国で一人暮らしとなる大谷(写真)にとって、水原氏は欠かせないパートナー 寮生活からいきなり異国で一人暮らしとなる大谷(写真)にとって、水原氏は欠かせないパートナー 水原氏 PR ? 印刷 ? プッシュ通知 寮生活からいきなり異国で一人暮らしとなる大谷(写真)にとって、水原氏は欠かせないパートナー 寮生活からいきなり異国で一人暮らしとなる大谷(写真)にとって、水原氏は欠かせないパートナー 水原氏 PR  予定では大谷の渡米は2月に入ってから。日本ハムの本隊が米アリゾナ州や沖縄県国頭村でのキャンプに出発してからは水原通訳が全てのパートナーを務める必要が出てくる。打つ方はマシン打撃でカバーできても、投球練習の強度を上げられそうにないのが辛いところだ。  エンゼルスの本拠地アナハイムには水原通訳の実家があり、10年ほど暮らしていたという。免許を持たない大谷を乗せて現地で運転するのも、報道陣への広報役も水原通訳が務めることになる。大谷にとって気心の知れた水原通訳はパートナーを超えて分身とも言える存在。二人三脚の戦いはすでに始まっている。(  年初に大きなため息をつく姿は毎年恒例だ。日本ハムから米大リーグ・エンゼルスに移籍した大谷翔平投手(23)が5日、千葉県鎌ケ谷市の2軍施設で自主トレーニングを公開した。 大谷翔平  ランニングや室内練習場でのキャッチボール、打撃練習などで約2時間半汗を流し、「年末年始は実家に帰ってゆっくりできました。初詣は行きました。願い事? 特にしてない。おみくじも引いてないですね。普通にお参りして帰っただけなので。初夢? 特にないです」。  テレビ局から『今年の漢字』を求められるのは毎年のこと。今年もご多分に漏れずリクエストされたが、ため息交じりに「特にないです」。昨年はそれでも「本当にないので『無い』って書いていいですか?」と断りを入れて色紙に『無』としたためたが、今年はとりつく島もなかった。  これまではトレーナーや日本ハムの若手選手がキャッチボールなどのパートナーだったが、この日は米国に同行する水原一平通訳(32)がグラブを手に相棒役を務めた。ところが、「これまでスポーツ経験はサッカーとバスケだけ。野球の経験はないんです」と話す水原通訳は、大谷が軽く投げたボールを捕り損ねるなど悪戦苦闘。  大谷自身は「捕って返してくれたらいいだけなので。うまさは求めません」と意に介さないが、調整段階のキャッチボールで全く力を入れていないとはいえ、日本球界最速投手が投げるボールを野球未経験者が受けるのは怖さもつきまとう。水原通訳は「もっと長い距離や強さが出るなら代わってもらわないと」と苦 ハリルホジッチ新監督を迎えた新生サッカー日本代表。 ハリルジャパンのメンバー選定では、ひとりひとりの選手の選考理由などを堂々とプレゼンテーションする姿が印象的でしたよね。 身長が高く、表情豊かなハリルホジッチ監督は、とても60歳過ぎとは思えないパワー全開の雰囲気に、自ずと期待が高まります。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のハリルホジッチ監督ですが、フランスリーグで選手・監督として活躍されフランス語は堪能です。 (現在はハリルホジッチ監督はフランス国籍を取得されています) hiwata.PNG そんなわけで、ハリルホジッチ監督の通訳に白羽の矢が立ったのは、フランスで監督として活躍した経験を持つ樋渡群さんです。 樋渡群さんは、すでにハリルホジッチ監督の記者会見でも姿を見せていらっしゃいますので、ご存じの方も多いと思います。 つるっぱげ(スミマセン)にサングラスというやや怪しい容貌ながら、情熱的で自信にあふれた語り口が早くも話題になっています^^ スポンサードリンク そんな樋渡群さんの経歴をご紹介しましょう。 1978年 広島県で生まれ 東京都立大学経済学部卒業後にフランスに渡る パリ・サンジェルマンのU12監督 帰国後JFAアカデミー福島にてコーチに就任 男子U14、15監督を経て、女子U16-U18監督に就任 ということで、プロ・サッカー選手としての経験はないものの、サッカーの指導者として本格的な経験を積み重ねている方だということがわかります。 なかでも、樋渡群さんが女子U16-U18の監督としてヤングなでしこの育成に関わり、多くの名選手を育て上げた経歴は特筆すべきでしょう。 なでしこジャパンといえば佐々木則夫監督に注目が集まりますが、なでしこたちの活躍の影に樋渡群さんの努力があったというわけなのです。 さらに、樋渡群さんは、日本サッカー協会公認A級ライセンスと仏サッカー協会公認指導者ライセンスのダブルライセンス保持者という点も大注目。 日本とフランスの架け橋的な方ということで、樋渡群さんがハリルホジッチ監督の通訳にはうってつけの人材だということがわかります。 ハリルホジッチ監督がどんなに素晴らしい監督だったとしても、意図を正確に選手に伝えなければハリルジャパンは成立しません。 樋渡群さんは、単なる通訳ではなく、ハリルジャパンの成功の鍵を握っている超超重要人物というわけです。 ハリルホジッチ監督とともに、樋渡群さんの活躍にも大いに期待してサッカー日本代表を応援していきたいと思います。 いつも会見でハリルホジッチ監督の隣で通訳をしている、スキンヘッドの通訳の方、ひときわ目立って気になりますよ樋渡 群(ひわたし ぐん、1978年- )は、日本のサッカー指導者。広島県広島市出身。元サッカー日本代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチの専属通訳を務めていた[1]。 目次 [非表示] 1 略歴 2 取得ライセンス 3 人物 4 典拠 略歴[編集] 1978年、広島市に生まれる。 1997年、広島市の崇徳高等学校を卒業。 2002年、東京都立大学経済学部を卒業。卒業後、渡仏。サッカー指導とフランス語を学ぶ。 フランスではパリ・サンジェルマンFC U-12監督などを歴任。この時期にハリルホジッチがパリサンジェルマンFCの監督を務めている。 2006年に帰国し、JFAアカデミー福島やJFAアカデミー熊本宇城でクロード・デュソーの通訳兼コーチを歴任。[2] 2009年からはJFAアカデミー福島男子U-14、男子U-15コーチ等を歴任。 2012年から2014年にかけてJFAアカデミー福島女子U-18監督を務める。 2015年、サッカー日本代表監督に就任したハリルホジッチの専属通訳に就任。[3] 取得ライセンス[編集] 日本サッカー協会公認A級コーチライセンス 仏サッカー協会公認指導者ライセンス 人物[編集] 樋渡の通訳について、元日本代表監督のフィリップ・トルシエのアシスタントを務めたことでも知られるフローラン・ダバディは自身のtwitterで「通訳、上手いです。問題ありません。やはり彼も現役の指導者なだけに、サッカーをよく知っています?? 真面目そうですから、ハリル氏と気が合うでしょう」と評価した上で、樋渡をメインの通訳とした上でもう数人の通訳配置の必要性を主張している。[4] スペインの元選手ジョセップ・グアルディオラ似というそのスキンヘッドでインパクトのある風貌もさることながら、異色の経歴も相俟って注目されるようになった。また、2015年5月16日にはTBS系情報7days ニュースキャスターでも紹介された。 典拠[編集] サッカーにおける監督通訳の重要性 「誤訳」の恐ろしさ サッカージャーナリスト 大住良之 (1/6ページ)2012/6/29 7:00 閉じる ? 共有 ? 印刷 ??? その他?  日本中を「誤訳」が駆け巡ってしまった。多くの日本メディアがその言葉を引用して伝えたが、私もその一端を担いでしまったことを謝罪しなければならない。  ワールドカップ・アジア最終予選のオーストラリア戦(6月12日、ブリスベーン)を扱った前回のコラムで、私はオーストラリアのホルガー・オジェック監督のこんな言葉を引用した。記事の冒頭の部分である。  「内田は、ファウルはしていない。私はテレビで確認した」  しかし、これは間違いだった。オジェック監督はこんなことは言っていなかった。 ■「ウチダ…ファウル…」  以下しばらく「言い訳」になるので、読み飛ばしてもらっていい。  あの試合の後、私は超特急で書かなければならない原稿があり、試合後、先に行われた日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督の会見が終わると、記者会見場でいつもの最前列から2列目の端に席を移して、原稿にかかり始めた。  目の前の記者が自分の話を聞いていなかったら、監督もいい気はしないと思ったからである。オジェック監督が入ってくると、そのテーブル上にレコーダーを置き、会見を聞きながら原稿を書き続けていた。  オジェック監督の口から「ウチダ…ファウル…」という言葉が出るのを聞いたのは、原稿が終わりかけていたころだったと思う。はっとして顔を上げると、通訳の女性が前述のように日本語に訳して語った。  非常に印象的な言葉だったので、すぐにノートにメモした。そしてその通訳の言葉で会見は終わった。急いで原稿を書き上げて送稿すると、レコーダーを回収し、荷物を片付け、慌ただしく空港に向かった。 ■機中でコラムを執筆  日本経済新聞電子版のコラムを書いたのは、ブリスベーンを飛び立った深夜便の機中だった。キャセイ・パシフィック航空はエコノミークラスでも全座席に電源がついていたし、前の座席が倒れてこないタイプのシートだったので、非常に助かった。  薄暗い機内で、ひざの上の公式記録とノートを見ながら、パソコンと格闘するように書いた。  日本が取られたPKのシーンについて、ザッケローニ監督とオジェック監督の言葉を並べて冒頭に置いたのは、オジェック監督の言葉(と信じ込んでいたもの)がとても印象的だったからだ。 なにしろ、試合相手に与えられたPKを「ファウルではない」と語ったのだ。あの試合があのPKだけで左右されたわけではないが、いずれにしても、ガムディ主審(サウジアラビア)が「自作自演」のように試合を曲げてしまったのは間違いないことだった。  当然ながら、私はこの時点でオジェック監督の言葉を確認すべきだった。レコーダーは機内持ち込みの荷物の中に入っていた。だが、20分ほどの時間を惜しんだわけではないが、そのときの私は聞き直す必要性さえ感じていなかった。  香港経由で羽田についたのが13日の午後。空港で原稿を送り、ようやく締め切りに間に合わせることができた。 ■ミリガンへの判定についてのコメントだった  オジェック監督の記者会見を聞き直したのは、後になってのことだった。オジェック監督には浦和の監督時代に何回もインタビューしたことがあり、どんな人物か、ある程度のイメージがあった。そのイメージと、(通訳の口から)聞いた言葉に何となく違和感があった。  聞き直して驚いた(ここからは言い訳ではなく、前回書けなかった事実なので、ぜひ読んでほしい)。  オジェック監督は、PKにつながった後半24分の日本代表DF内田篤人(シャルケ)のプレーの話をしていたわけではなかった。  彼が言及したのは、後半10分、内田へのファウルで2枚目のイエローカードを出され、退場となったオーストラリアMFマーク・ミリガンのプレーについてだったのだ。 ■「内田に触れてさえいない」  「ミリガンに出された2枚目のイエローカードについてどう思うか」というオーストラリア人記者からの質問だった。質問者にはマイクが渡されないため、非常に聞きづらい状況だったが、オジェック監督は以下のように答えた。  「はい、私はこれについては確かな考えをもっています。あれは絶対にファウルではありませんでした。あとでテレビのリプレーも見て、確認しています。内田が頭からボールに飛び込んできましたが、ミリガンには背後からくる内田が見えなかったので、プレーを続け、シュートしようとしました」  「彼は内田に触れてさえいないので、絶対にファウルではありません。レフェリーがどんなポジションにいたのか分かりませんが、私の場所からは危険なプレーのようには見えませんでした」 この言葉を通訳は「内田はファウルはしていません。私はテレビで確認しました」と訳したのだ。  なぜ、このようなことになってしまったのか。 ■パニックのなかでの誤訳  この通訳は、当然のことながらホームであるオーストラリア・サッカー協会が手配し、試合の日だけやって来た(前日の記者会見は、別の人物が通訳に当たっていた)。  不安な感じはあった。会見の半ばで、オジェック監督が英語で話したのを受けて、英語で通訳を始めてしまい、隣に座っていたオジェック監督が笑って「それは英語だよ」と注意したシーンがあった。  そのときには、会見場内も穏やかな笑いに包まれた。だが、さて日本語にしようとしたとき、彼女の記憶はまったく飛んでいて、言葉が出なかった。  オジェック監督が何を話したか分からなくなってしまったのだ。慌てて聞き直し、簡単な訳をしたが、この時点でパニックになってしまったようだ。  そしてこの最後の質問自体を、彼女はよく聞き取れなかったのではないだろうか。質問の内容が分からず、それもあってオジェック監督の言葉に集中できなかったため、「ウチダ」「ファウル」という言葉から短絡的にあのような「誤訳」をしてしまったのではないだろうか。 ■もしザッケローニ監督の通訳だったら…  サッカーの世界では、通訳の役割がますます重くなっている。とくに監督につく通訳の能力は、監督の仕事の成否を半ば握っているといっても過言ではない。  ドイツ人ではあっても、オジェック監督は流ちょうな英語を話すので、オーストラリアの選手やメディアとの間のコミュニケーションに問題はない。  6月12日の試合後の通訳は、日本メディア用のサービスだから、オジェック監督の仕事に影響を与えるわけではない。  だが、これがもしザッケローニ監督の通訳だったら、メディアとの関係どころか、日本代表チーム自体がばらばらになってしまっただろう。 幸いなことに、現在、ザッケローニ監督の通訳を務めている矢野大輔さんは監督がイタリアのトリノで指揮を執っていたとき、当時そのチームに在籍していたFW大黒将志(現在横浜M)の通訳をし、ザッケローニ監督から信頼を受けた人物だ。  単にサッカーというだけでなく「ザッケローニのサッカー」を熟知し、それをきちんとした日本語で表現する力と、何よりも誠実さがある。ここまでザッケローニ監督の仕事がうまくいってきた功績の一部は、彼のものといってよい。 ■就任記者会見での混乱  実は、ザッケローニ監督の就任記者会見ではこんなことがあった。そのときは矢野さんではなく、日本サッカー協会とザッケローニ監督との間に入って契約の話を進めた人が通訳に当たった。彼は日本語もイタリア語も流ちょうに話し、サッカーに関する知識も豊富なのだが、通訳というのはそれだけでは務まらないらしい。  ザッケローニ監督の言葉、考えを分かりやすい日本語に置き換えることができず、会見は大混乱となった。今後、ザッケローニ監督はきちんとした仕事ができるのかと、私だけでなく、多くの記者が大きな懸念を抱いたのである。  しかし、ザッケローニ監督が実際に指導を始め、指揮を執るころには矢野さんが通訳として着任。それ以降は選手との間も、メディアとの間も非常にうまくいっている。 ■ザック監督より前に5人の外国人監督  日本代表には、ザッケローニ監督より前に5人の外国人監督がいた。  オフト監督(オランダ、1992~93年)のときには協会もまだ財政が豊かではなく、協会職員の鈴木徳昭さんが通訳にあたり、英語でコミュニケーションがとられた。  ファルカン監督(ブラジル、94年)には、ポルトガル語通訳の向笠直さんが通訳を務めた。ファルカン監督は日本サッカー協会から「コミュニケーション不足」を指摘され、わずか1年で任を解かれたが、これは向笠さんの通訳が悪かったわけではなく、ファルカン監督の問題でもなく、どちらかといえば日本サッカー協会が「外国人監督」の扱い方に習熟していなかったことが最大の要因だった。 トルシエ監督やジーコ監督を支えた通訳  だが、98年にトルシエ監督(フランス、98~2002年)を招へいしたころには、通訳の重要性を理解し、十分な予算もとられた。  最初はパリ在住で日本サッカー協会の仕事をしている茂木哲也さんが務めたが、後にトルシエ監督のパーソナルアシスタントとなったフローラン・ダバディさんがチームとの間の通訳を務め、記者会見は「日本のフランス語通訳の第一人者」と言われる臼井久代さんが担当するようになった。  臼井さんは歴代の代表通訳のなかで唯一の女性だが、サッカーへの理解も早く、トルシエの魂を見事に日本のメディア、ファンに伝えた。トルシエ監督と一部メディアの間にあった緊張感は、臼井さんの責任ではなく、100パーセント、トルシエ監督が意図的に仕掛けたものだった。  ジーコ監督(ブラジル、02~06年)の通訳は鈴木国弘さんだった。ジーコが選手として鹿島アントラーズ(当初は住友金属)にやって来たときからの通訳で、ジーコ監督も絶大な信頼を置いていた。鹿島というクラブが軌道に乗ったのも、鈴木さんの力が大きい。 オシム監督の通訳は国際政治学者だった千田善さんが務めた ?画像の拡大 オシム監督の通訳は国際政治学者だった千田善さんが務めた ■オシム監督の通訳は国際政治学者  ジーコ監督の後を受けたオシム監督(ボスニア・ヘルツェゴビナ、06~07年)の通訳は、千田善さんだった。  オシム監督がジェフ市原・千葉の指揮をとっていたとき(03~06年)には間瀬秀一さんが通訳だった。コーチ修行中だった間瀬さんは通訳という仕事の専門家ではなかったが、オシムの情熱をよく理解し、「オシム語録」として日本のサッカー界に大きな影響を与えた。  千田さんは旧ユーゴスラビア関係の著書をいくつももつ国際政治学者・ジャーナリストだったが、敬愛するオシム監督の通訳を志願した。  オシム監督の考えを忠実に伝えることで、日本代表の成長に寄与し、メディア(=ファン)にオシム監督がやろうとしていることをしっかりと伝えてくれた。 「通訳だって大事な戦力」と、千田さんは胸を張って語る。  コミュニケーションと相互理解、意思統一は、現代のサッカーチームに欠くことのできない要素といえる。さらにチームを預かる監督は、ファン(社会)の理解を得ることで、自分自身の仕事に専念することができる。  98年以降の日本代表の急成長の背景には、優秀な通訳たちの身を削るような仕事があったことを忘れることはできない。私たちメディアの仕事も、通訳が優秀かどうか、正確に伝えられているかどうかで、大きく左右される。  だが、それでも、今回のオジェック監督のコメントについては、誤訳をした女性のせいにはできない。オジェック監督は分かりにくい英語を話す人ではないし、私自身が彼という人間を知らないわけではないからだ。  今回の間違いは、記事を書く前 カタカナで表記される日本の野球用語は、英語のようで英語ではなくアメリカ人に通じない日本独自の言葉が多いことは、前回までに取り上げましたが、そのような言葉とは別に漢字に当てはめた表現もたくさん使用されています。明治時代にベースボールが「野球」と訳され、日本の野球黎明期に、「飛球」「四球」「走者」など現在も使われる野球用語が生み出されました。今回は普段からよく使われている漢字の野球用語をはじめ、新聞、雑誌で使われる漢字の野球用語、言い回しや略語などを取り上げてみました。 「ベースボール」を「野球」と訳した中馬庚 アメリカから日本へベースボールが伝わったのは、明治4年(1871年)のこと。来日した米国人ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科で学生に教え、その後全国的に広まったとされています。その「Baseball(ベースボール)」を「野球」と最初に訳したのは、中馬庚(ちゅうまん かなえ)です。第一高等中学校で名二塁手として活躍した中馬が、卒業時に「ベースボール部史」の執筆を依頼され、執筆も終盤の明治27年(1894年)秋、「Ball in the field」という言葉をもとに「野球」と命名しました。ベースボールは野原でするので「野球」と説明したそうです。その部史は、翌明治28年(1895年)2月に、学制改革で第一高等学校となったことから「一高野球部史」として発行されました。中馬は、明治30年(1897年)に一般向けの野球専門書「野球」を出版。これは日本で刊行された最初の野球専門書で、日本野球界の歴史的文献と言われています。明治30年代には一般にも「野球」という言葉が広く使われるようになったといいます。バレーは排球、サッカーは蹴球、テニスは庭球、ボクシングは拳闘など、ほとんどのスポーツは日本語の名前がついていますが、 現在も普通に使われて定着しているのは、野球と卓球くらいじゃないかと思われます。このように長く使われ愛される言葉を生んだ中馬庚は昭和45年(1970年)には野球殿堂入り(特別表彰)を果たしています。 野球用語を多く生み出した正岡子規  日本を代表する俳人、歌人の正岡子規も野球黎明期の熱心な選手で、野球を愛した一人です。中馬庚が「ベースボール」を「野球」と翻訳する4年前の明治23年(1890年)に、本名の升(のぼる)をもじった「野球(の・ぼーる)」という雅号を使っています。そのため「野球」という言葉を編み出したのは正岡子規という俗説も生まれましたが、「野球(の・ぼーる)」はベースボールを訳したものではなくベースボール好きの子規が自分の名前をもじってボールを球に置き換えたものと思われます。野球という言葉の正式な生みの親ではありませんが、正岡子規は現在まで使われている漢字の野球用語を多く残してします。明治29年に新聞「日本(にっぽん)」に連載した随筆「松蘿玉液(しょうらぎょくえき)」の中で、子規は「打者」「走者」「四球」「死球」「直球」「飛球」などと野球用語をオリジナルで訳し、ベースボールについて詳しく紹介したそうです。子規は、野球を詠んだ短歌、俳句も数多く残しており、新聞や自分の作品の中で野球を紹介し、その普及に多大な貢献をした功績が認められ2002年には野球殿堂入りを果たしています。 ちょっと物騒??。野球用語に使われる「死」「殺」「刺」「盗」。 アウトカウントを数えるときに、普段はノーアウト、ワンナウト、ツーアウトと数えるのが一般的ですが、文章に書くときには、無死、一死、二死と表されことが多いですね。また、ダブルプレーは「併殺」、トリプルプレーは「三重殺」、フォースアウトは「封殺」、ランダウンプレーでアウトにすることは「挟殺」いう言葉が使われます。野球用語では、「死」はアウト、「殺」や「刺」はアウトにすることを意味します。走者が投手の牽制球でアウトになった場合は「牽制死」、ホームでアウトになったときは「本塁憤死」などと書かれます。文章でなくても、例えば、捕手が一塁走者の盗塁を阻止するために二塁に送球してアウトにしたときは「二塁で刺した」とか、内野ゴロでバックホームして三塁走者をアウトにしたときは「三塁ランナーをホームで殺す」など、ちょっと物騒な表現が使われます。盗塁の場合は英語でも「スチール=steal」ですから「盗む」は直訳だと思われますが、「死球」は和製英語の「デッドボール」(英語ではhit by pitch)をさらに漢字に置き換えたと思われます。野球というスポーツは、文字だけでみると物騒なゲームに見えてきますね。 太平洋戦争中には、野球用語を全面日本語化  1943年(昭和18)の3月、野球の用語、ルールから英語が消えました。軍の意向を受け、野球用語を全面的に日本語化することが、職業野球(プロ野球)理事会で決定されたからです。この当時は太平洋戦争の真っ只中であり、敵性語として英語の排除が進んでいました。戦局が悪化するなか、中等野球(現在の高校野球)、都市対抗野球、東京六大学野球などが相次いで中止されましたが、職業野球だけは行われており、職業野球を存続させるためにと軍の意向通りに日本語化を受け入れました。ストライクは正球、ボールは悪球、セーフは安全、アウトは無為などに変わりました。審判も、ストライクワンは「よし1本」、フォアボールは「一塁へ」、アウトは「ひけ」、三振アウトは「それまで」などとコールするようになりました。また、ルールも敵性語の影響や武士道に反するという理由でいくつか変更されました。ユニフォームのロゴは全て漢字、打者は球をよけてはいけない、最後まで戦い抜くために選手の途中交代は禁止、9回表で勝負がついていても敵を徹底的に打ちのめすために9回裏の攻撃も行ったそうです。 このときに作られた言葉の中にも、生還、封殺、総当戦、自責点、球団などが現在に残っています。 太平洋戦争中に日本語化した野球用語 ストライク 正球 ボール 悪球 ヒット 正打 ファール・ボール 圏外 セーフ 安全 アウト 無為 ファール・チップ 擦打 バント 軽打 スクイズ 走軽打 ヒットエンドラン 走打 ボーク 疑投 ホームイン 生還 タイム 停止 フォース・アウト 封殺 インターフェア 妨害 スチール(盗塁) 奪塁 リーグ戦 総当戦 コーチ 監督 コーチャー 助令 アーンドラン 自責点 チーム 球団 ホームチーム 迎戦組 ビジターチーム 往戦組 グラブ、ミット 手袋 フェアグラウンド 正打区域 ファールグラウンド 圏外区域 ファールライン 境界線 スリーフィートライン 三尺戦 コーチャーズボックス 助令区域 太平洋戦争中に日本語化された審判用語 プレイボール 始め ストライク 一本、よし一本、よし二本、よし三本と数える 三振アウト それまで ボール 一つ、二つ、三つ、四つと数える、四球の場合は「一塁へ」 フェアヒット よし ファールボール だめ セーフ よし アウト ひけ ボーク 反則 インフィールドフライ 内野飛球 新聞や雑誌で使用される野球用語の略語。 新聞や雑誌の野球記事は漢字表記が中心となっています。さらに、略語も多く使われます。略語は、打撃結果、守備結果を読者に伝えるために使われますが、それはポジション(方向)+打撃内容・守備内容という形で表現されます(※表1+※表2の組み合わせ)。例えばヒットの場合「一安」だとファーストへの内野安打、「遊安」だとショートへの内野安打、「中安」はセンターへのヒットといった具合です。長打の場合、レフトへの二塁打は「左二」、センターへの三塁打は「中三」、ライトへの本塁打は「右本」と表記されます。また、どのようなヒットだったかを記事本文で具体的に表現する場合は、センター前ヒットだと「中前打」、レフトオーバーのホームランだと「左越本塁打」などと表現されます。「三ゴ」「遊直」「左飛」「捕邪飛」などは、アウトに打ち取られたときの表現ですが、それぞれ「サードゴロ」「ショートライナー」「レフトフライ」「キャッチャーへのファールフライ」を意味します。ファールフライは邪飛と表しますが、なぜだと思いますか。それは、「邪(よこしま)」な飛球(フライ)だからです。邪(よこしま)の意味は「正しくないこと。道にはずれていること」ですが、そもそもは横しま「(正しい方向から)横にそれる」という意味合いを持ちます。つまり、fairな(正しい)方向からファウルラインの横にそれた飛球(フライ)は「邪飛」ということになります。 ※ショートストップの日本語の訳「遊撃手」は、最初に正岡子規が「short=短く」「stop=遮る」を直訳して「短遮」と呼んだ。その後に、野球の名付け親でもある中馬庚が「 ショート・ストップは戦列で時期を見て待機し、動き回ってあちこちを固める"遊軍"のようだ」と説き、「遊撃手」という名称が広まった。 ▼ヒットを表す略語例 「一安」=ファーストへの内野安打 「中安」=センターへのシングルヒット 「左二」=レフトへの二塁打 「中三」=センターへの三塁打 「右本」=ライトへの本塁打 ▼アウトを表す略語例 「三ゴ」=サードゴロ 「遊直」=ショートライナー 「左飛」=レフトフライ 「捕邪飛」=キャッチャーファウルフライ 「犠打」=犠牲バント・送りバント 「犠飛」=犠牲フライ 「併殺」=ダブルプレー 「三重殺」=トリプルプレー ▼ その他のよく使われる新聞(雑誌)用語 「敵失」=相手の失策(エラー) 「野選」=野手選択・フィルダースチョイス 「守妨」=守備妨害 「振逃」=振り逃げv 「暴投」=ワイルドピッチ 「補逸」 =パスボール 「適時打」=タイムリーヒット 「重盗」=ダブルシチール 「主戦」=エース 「主軸」=クリーンアップ 「制球」=コントロール 「救援」=リリーフ ドミニカンがアツい! ドミニカ・カープアカデミー陣が絶好調だ。6月に育成選手から支配下登録され、何度も逆転勝利に貢献したサビエル・アレクサンデル・バティスタ。そして彼と同じく育成選手として広島にやってきたアレハンドロ・メヒアも7月20日についに、支配下登録された。猛暑に悩まされる2017ニッポンの夏、暑さに強い助っ人ドミニカンはなんとも心強いじゃないか! ブラッド・エルドレッドの闘争心にはますます火がつくだろうし、外国人枠で悩む監督の姿も楽しみになる。  しかし、広島は今、バットを握るドミニカンではなく、マイクを握るドミニカンブームの真っ最中だ。  6月2日に支配下登録され、翌日即プロ初本塁打で鮮烈デビューを果たしたバティスタの通訳、ヘンディ・クレートのことである。「ありがとうございます。みなさん、バティスタです。よろしくおねがいします」と、バティスタの一生懸命な日本語の挨拶にほっこりしたその直後、クレートさんのあまりの「カタコト通訳」と一生懸命な様子が超カワイイ・超面白いと、現地もネットも騒然となったのだ。 ブルペン捕手兼通訳のクレート c森田和樹 ブルペン捕手兼通訳のクレート c森田和樹  本職はブルペンキャッチャーのクレートさん。ドミニカ・カープアカデミーでは、ブルペンキャッチャーになると、日本語の勉強をすることになっているという。クレートさんはさらに、来日してからも日本語学校に通い、普段はもっと流暢な日本語を喋れる。しぐさや挨拶などは日本人よりも日本人らしいそうだ。それなのに、初めてのマツダスタジアムでのお立ち台、緊張しすぎてカタコトになっちゃったという。なんとかわいいエピソードだろうか。  デビュー戦から4日後、バティスタは1試合2本塁打の活躍でまたヒーローになった。札幌ドームのスタンドには、明らかに通訳さんを楽しみにするファンの笑顔が並んでいた。期待通りの「カタコト通訳」に大盛り上がり。最後の締めの言葉「あのー、きょう、応援、ありがとございました。またあした、きてください。ませんか」で、さらなる大爆笑をかっさらった。バティスタ・クレートコンビは、たった二晩でカープの新名物となったのだ。  今やファンには「クーちゃん」と呼ばれ、選手に負けない知名度だ。ラジオ番組で、バティスタ無しの単独インタビューが放送されたり、直筆サインがテレビやラジオの番組プレゼントになったりと、大変な人気ぶりである。  大好きなクーちゃん節であるが、わたしには一つだけ気になることがある。  現地ドミニカでは、クレートさんがきちんと通訳できているのかと聞かれ、駐在員の八谷智隆さんは「mas o menos(まぁまぁ)」と答える。解説の山本浩二さんは「ほんとに通訳してるんですかね」と疑いのコメント。  そう、バティスタは実際何と言っているのだろうか……? という事だ。そこで、最新のヒーローインタビューを日本人通訳さんに訳してもらうことにした。 バティスタが本当に言っていたことは……  7月10日のDeNA戦、0-1の7回裏 一死二塁、先発・野村祐輔の代打でバティスタが登場すると、7号となる2ラン本塁打でカープは逆転。野村の5勝目に貢献した。その日のヒーローインタビューである。 ??逆転2ランホームラン、バティスタ選手、ナイスバッティングでした! バティスタ:アリガトウゴザイマス! ??あのバッティング振り返ってください。 クレートの通訳:あのぅ……高いボールを、どんどんどんどん振るに、いってました。 バティスタの発言:甘い球を待っていました。コンパクトに振れるよう心がけていました。チームの勝利に貢献できて良かったです。 ??野村投手の代打でした。どんな思いで打席にむかいましたか? クレートの通訳:あの……やっぱり、甘い球を、どんどんどんどん振るに、いってました。 バティスタの発言:甘い球を探して、良い仕事ができるように心がけていました。 ??それにしても飛距離も十分。すごいホームランでしたね。 クレートの通訳:まあ、やっぱり、あのー、自分の武器は、あのー、パワー。そのパワーで、あのー、あそこまで飛んだです。 バティスタの発言:非常に良い気分です。わたしはパワーが持ち味ですので、良いミートが出来ることをシンプルに考えていました。 ??チームは引き分けを挟んで4連勝となりました。チームの雰囲気はいかがですか? クレートの通訳:あのー、えっと、4連勝してるから、あのー、いまチームを、ほんとは最高です。 バティスタの発言:良いスタイルのチームです。ファンの皆様に勝利を与えられるように、チームは日々100%の力で動いています。 ??大きな声援のなかでホームランを打ちました。改めて勝利の喜び、お気持ちいかがですか? クレートの通訳:ま、ほんとは、あの、うれしいです。あのー、チームもチャンスもらってるから、すごく喜んでるです。 バティスタの発言:チームからチャンスをもらい、そして信頼してくれて、嬉しいです。 ??大きな応援をしてくれました、カープファンにメッセージをお願いします クレートの通訳:あの……やっぱり、今日の応援、すごかったです。あの、100%を毎日、します。 バティスタの発言:チームの勝利に貢献できるように、毎日100%を尽くします!  やっぱりちょっと違った。でもやっぱり、文字にしても面白くてたまらなかった。「今日の応援、すごかったです」というのはクレートさんが追加した感想だったのか、と知るとますます愛おしさが込み上げてきた。まだ現地で聞いた事のないわたし、クーちゃん節を生で聞く事、今年の観戦目標に加わった。  当のヒーロー・バティスタ本人はというと、クーちゃんに対して「もっと勉強して日本語を頑張ってほしい」とテレビで発言するなど、事態を把握しているようである。しかし、正確な通訳よりもクーちゃん節を欲しがっているファンの方が多いだろう。クーちゃん見たさにバティスタの活躍を祈っているわたしがいる。  バティスタには悪いが、どうか「mas o menos(まぁまぁ)」のままでいてください。ませんか。 ◆ ◆ ◆ ※「文春野球コラム ペナントレース2017」実施中。この企画は、12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレースです。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイトhttp://bunshun.jp/articles/3472でHITボタンを押してください。 1 2 関連記事 【広島】「甲子園の悲劇」があったからこそ「七夕の奇跡」は起こった 【広島】「甲子園の悲劇」があったからこそ「七夕の奇跡」は起こった 【広島】カープ女子が押し寄せるカープに「ガールズユニ」なんて必要ない!? 【広島】カープ女子が押し寄せるカープに「ガールズユニ」なんて必要ない!? 【広島】カープにも「アベ」がいる “黄金世代”の10年目・安部友裕がブレイク間近 【広島】カープにも「アベ」がいる “黄金世代”の10年目・安部友裕がブレイク間近 【野球メシ】広島・若手選手を育てる“大野メシ”を食べに行ってみた 【野球メシ】広島・若手選手を育てる“大野メシ”を食べに行ってみた 【広島】“炎上騒ぎ”の加藤拓也、外れドラ1スターへの道を突き進め 【広島】“炎上騒ぎ”の加藤拓也、外れドラ1スターへの道を突き進め 「美しすぎる東大王」鈴木光が初めて語った、麻布高校の男子と過ごした青春時代 経営者の強い味方!ステータスカードの優待を全社員に。 PR(ダイナースクラブ) 福田次官セクハラ更迭 なぜかテレ朝の女性記者が叩かれる日本 「なぜ谷岡学長の会見は逆効果だったのか」臨床心理士が分析する 「女性問題」という仕事の能力とあんま関係ないトラップで轟沈する人について 明治「R-1」がTBS系番組でステマ疑惑 放送作家音声データ公開 いつまで太っているつもりですか…?痩せたい女性必見! PR(スクエア) 「めざまし」大絶賛で注文殺到!?9割が実感した減量法が凄すぎ PR(ビアンネ) Recommended by ハリルホジッチ監督のフランス語通訳は、樋渡群(ぐん)氏(36)に決定した。大学卒業後にフランスへ渡り、パリサンジェルマン(PSG)U-12監督の経験がある。新指揮官がPSGの監督時代と同時期に在籍していた。 日刊スポーツ 名前は樋渡群(いわたしぐん)さん、広島県出身の方です。 サッカー経験も豊富で、大学卒業後にフランスに渡り、ご覧の通りパリサンジェルマンU12の監督を務めた経験もあり、JFA公認A級ライセンス、フランスサッカー協会公認指導者ライセンスを持っている指導者でもあります。 通訳もできて、サッカー指導経験もあるところからも、ハリルホジッチ監督の指示を的確に、しかも選手に分かりやすく通訳できる人材を抜擢したわけですね。実際、監督インタビューなどでも小刻みに区切って通訳してくれていますし、監督もそれをわかってコメントしてくれているのを見ると、凄く信頼関係を築けているなと感じます。 PSG時代に面識があったでしょうし、もしかしたら結構交流していたのかもしれませんね。 広島カープのサビエルバティスタ選手に寄り添う、あの面白い通訳の人は誰? 球場が笑いに包まれたヒーローインタビュー、まさかの通訳する人は日本語がカタコトだったために、球場全体が笑いにつつまれましたが、あのおもしろい通訳さんを調べて見ました! まず、西村公良さん、この人は言わずと知れたカープで有名な通訳さんですが、2004年から通訳としてカープに携わられているようで、今や球団には欠かすことのできない存在ですよね。 そしてカープの通訳と言えば、松長さん、そして2軍の通訳長又さんも広島の外国人選手たちを支えてくれていますね。 他にも昔は岡本さんという面白い通訳さんもいましたね、ランスのヒーローインタビューの時に、「いま調子がええですけぇ」というような通訳をしてしまっていましたが、ランスは広島弁ではないはずなんですけどね(笑) そんなサビエルバティスタ選手の通訳ですが、クレートという選手で、ブルペン捕手を務めながらドミニカ選手の通訳をしていますよね、以前カープにいたルナの通訳をしていたこともあり、カープアカデミーの出身だそうですね! またバティスタにホームランを打ってもらって、是非クレートのヒーローインタビューが聞きたいですね! スカッとするホームランシーンをどうぞ!! ※この記事を読んだ方はこちらの記事も読んでいます。 日本社会は、中空構造という。中心には、何もない、という仮説を言っている。 それを心理学者の立場で、神話から読み取れるのだ、という。 学究的なアプローチではないものの、昭和時代か平成へと時代が変わっても、 それに近い事象がいくつか垣間見られる、なんとなく進む事の決定や何か生じた時の 誰も責任を取らない社会が直近でも見られる。例えば、豊洲市場トラブル、 オリンピックの大幅な予算超過、挙げればきりがないほど、散見される。 言うだけで何も結果を残さない政治が最たるものかもしれない。企業活動でも 大差はないかもしれないが。 1.「中空構造日本の深層」について、 河合隼雄氏の本である。河合氏の心理学の本は、わかりやすいこともあり、自分が ユングやトランスパーソナルに興味を持っていることなどからよく読んだ。 彼は、ここで日本人の子供に自殺が多いこと、親子の関係が歪んでいること、父性の 失墜がはげしいこと、そうしたさまざまな社会病理に悩んでいるころ、ハイゼンベルク とパウリの「共時性」についてなどを読んで、現代人の病理が「科学の知」とは あいいれないはずの「神話の知」と深い関連をもっているのではないかと見て、 その「神話の知」に入りこみ、そこから日本社会の構造のルーツをさぐろうとした。 彼は言う、 「以上の考察によって、それぞれの3神は日本神話体系のなかで画期的な時点に 出現しており、その中心に無為の神を持つという、一貫した構造を持っている ことがわかる。これを筆者は古事記神話における中空性と呼び、日本神話の 構造の最も基本的な事実であると考えるのである。日本神話の中心は、 空であり、無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、 宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。 、、、、、、、 高天原にいたイザナキが根の国という低い所との接触で子供を産み、 後者においては、コノハナサクヤヒメという中つ国の住人が、高所より 降臨してきた二ニギとの接触によって子供を生んだ、という巧妙な類比関係 の存在を指摘しておいた。子らは日本神話全体にわたって見られる顕著な 傾向なのである。日本神話においては繰り返し繰り返し類似の構造を持った 話が巧妙な対比を見せながら立ち現われてくるのである。 、、、、、、、 日本の神話では正・反・合という止揚の過程ではなく、正と反は巧妙な対立と 融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがない。あくまでも、 正と反の変化が続くのである。つまり、西洋的な弁証法の論理においては、 直線的な発展のモデルが考えられるのに対して、日本の中空巡回形式においては、 正と反との巡回を通じて、中心の空性を体得するような円環的な論理構造に なっていると考えられる。、、、 日本神話の論理は統合の論理ではなく、均衡の論理である」。 河合氏が注目したのは、「古事記」の冒頭に登場する三神タカミムスビ、 アメノミナカヌシ、カミムスビのアメノミナカヌシと、イザナギとイザナミが 生んだ三貴神アマテラス・ツクヨミ・スサノオのうちのツクヨミとが、神話の 中でほとんど無為の神としてしか扱われていないということでであった。 アメノミナカヌシもツクヨミも中心にいるはずの神である。それが無為の存在に なっている。これはいったい何だろう、という疑問からそれは始まった。 さらに、天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた三神は、 海幸彦ことホデリノミコト(火照命)、ホスセリノミコト(火須勢理命)、 山幸彦ことホオリノミコト(火遠命)であるのだが、兄と弟の海幸・山幸のことは よく知られているのに、真ん中のホスセリの話は神話にはほとんど語られない。 このことから河合氏は日本神話は中空構造をもって成立しているのではないかと 推理した。簡単にいえば“中ヌキ”である。 「このようにして日本神話の構造を男性原理と女性原理の対立という観点から見ると、 どちらか一方が完全に優位を獲得することはなく、たとい、片方が優勢のごとく 見えるにしても、それは必ず他方を潜在的な形で含んでおり、直後に カウンターバランスされる可能性をもつ形態をとったりしていることが分かる。 このため、類似のパターンを持った事象がそのうちに微妙な変化と対応を もちながら繰り返し生じるという形式が認められるのである。これは、日本人の 特徴としてあげられる。敗者に対する哀惜感の強さ、いわゆる判官びいきの 原型となるものであろう。これはまた、先に述べた日本神話の中空性と いうことに関連付けるならば、日本の神話においては、何かの原理が 中心を占めることがなく、それは中空のまわりを巡回していると考えられる。 つまり、類似の事象を少しづつ変化させながら繰り返すのは、中心としての 「空」の周りをまわっているのであり、永久に中心点に到達することのない 構造であると思われる。このような中空巡回形式の神話構造は日本人の 心を理解する上において、そのプロトタイプを提示しているものと 考えられるものである」という。 2.中空性をどう見るか 中空の空性がエネルギーの充満したものとして存在する、いわば有である状態 にあるときは、それは有効であるが、中空が文字どおりの無となるときは、 その全体のシステムは極めて弱いものとなってしまう。 相対立するものや矛盾するものを敢えて排除せず、共存しうる可能性をもつことは 今の特にイスラムの各地で起きている不幸を考えれば、望ましい社会意識 なのであろう。 そのような状況の中で、中空にいかにエネルギーを充満せるのは、我々の 責務なのかもしれない。 1)父性について 「確かに戦前の父は怖かったが、それは社会制度によって守られている家長としての 強さであり、個々人が厳しい父性を身につけていることによるものではなかった。 戦前の日本は母性優位の心理的状態を、父親を家長とすることによって、一種の 補償を行ってきたのであるが、敗戦後にそのような制度が壊されると、父親の弱さが 暴露され、母性優位の傾向があまりにも強くなってきたと思われる。 母性はすべてのものを全体として包み込む機能を持つのに対して、父性は物事を 切断し分離してゆく機能を持っている」。 彼は、父性と母性のバランスを考える必要があるといっている。強い父性を 復活させるという輩にとって、一考すべき事実である。 2)自意識について 「日本の昔話が伝説に近いという事実である。 小沢氏も、「日本の場合には民話と現実と離れた、純粋なおとぎ話の世界として 考えにくくて、現実の世界とおとぎ話の世界との境目が溶けあっている」と 語っている。 この点は心理学的に見れば、日本人の心性における意識と無意識の境界の 不鮮明さを反映しているように思われる。、、、、、 境界を不鮮明にして全体性を求める態度は日本人の自然に対する態度にも反映され、 それはまた昔話の中にも示されている。日本の昔話において「色彩とか四季折々の 変化、いろいろな植物、動物など一切を含んだ風景が語り手の観念のなかで重要な 地位を占めている。、、、、、 確立した自我意識にとって、自然はいかにしてそれと戦い克服していくかという 対象になる」。 民話、昔話、いずれにしろ、日本人以外をみれば、意識の違いがあるという事実だけ は忘れるべきではない。 3)ヒットラーについて これは中々興味深く、考えさせられた。 「ヒトラーおよびドイツ国民を動かすものとして、背後に神話が存在していること である。ヒトラーはその神話の存在と意義について、おそらく深い自覚はなかった であろう。ともかく、彼は神話にふさわしい道具立てや演出を好んだ。夜空に映えて 続く松明の行進は、神秘的な効果をもたらせる。彼の好みのワグナーの音楽は 神話的雰囲気をもたらすのに、正に適切なものであった。 ヒトラー自身に意識されたテーマは、「世界に冠たるドイツの国」であり、彼の 理解する「新人類」の創造であろう。それを無意識内で支えている神話については 後述するとして、ともかく、ヒトラーのこのようなイメージが彼を動かし、 ひいてはドイツ国民を動かしたことをわれわれは銘記しなくてはならない。、、、 ヴォータンは北欧神話の主神であり、「嵐と狂奔の神であり、情熱と闘争心を解き放つ 者であり、さらには優れた魔術師、幻覚の使い手」なのである。嵐と狂奔の神として のヴォータンは、ゲルマン全土にわたって信じられている、あらしの夜にはヴォータン の軍団が山野を駆け抜けていくという伝説に示されている。 彼が首相や指導者などというものではなく、救済者として大衆の前に立ち現われている ということであった。彼はまさに、ゲルマンの主神としてのイメージを体現していた のである。ゲルマンの神々はキリスト教によって地下に押し込まれ、その上に 近代合理主義という舗装を行って、すべて安泰と思われていた時、2000年近くの 眠りを破って、ヴォータンは火山の爆発のごとく、すべてを突き破って20世紀 の文明国に躍り出てきたのである。 ヒトラーはこのように考えるとき、ドイツ国民を指導する英雄などではなく、 ヴォータンの元型の作用する集団現象の上に乗っかった兆候の1つであったこと がわかる」。 さらには、 「現代人と言えども、神話の力に対してはまだまだよわいものなのである。 現在の不況や沈滞ムードの中で、若者たちは英雄の出現を待望するものと、 英雄の末路をすでに知る故に感じるシラケとに2極分解を起こしている のが実情であろう。、、、シラケよりは英雄待望の方が望ましい、と思う人もあろう。 しかし、その英雄は真の英雄でなければならない。集団心理によって倫理性を 希薄にされ、唯一の神話元型によって正当化された単層構造の集団の動きに対して それがいかに凄まじいものであれ、せめてわが身1つの重みであれ、それに抗する 者として立ち向かうモノこそが英雄はないだろうか。そのとき、集団の動きに抗する 個人を支えるものとして、その個人の内奥にいかなる神話が存在するかが 問われることになろう。このとき、われわれは合理精神のみによって戦える ものではないことは、ヒトラーの映画が如実に示してくれている。 このような強さを持つためには、われわれはもっと自らの神話を探る努力を いたさねばならないのではなかろうか」。 独裁というものが概ね人々を苦しめる方向に進めるものではあるが、「なんとなく ぼやーと進む日本社会」が必ずしもいいとは言えない。 中空構造が良い面も悪い面も併せ持つものであり、弱い面だけを強調し、言い訳の 1つとせず、協調のあるバランスの取れた社会にしていきたいものである。  すごいタイトルである。日本の本質は中空構造にあるのではないか、中心はカラッポなのではないかというメッセージを直裁に突き出したタイトルである。  このタイトルを見たとき、この手の日本論に関心がある者は、誰もがロラン・バルトの『表徴の帝国』を思い出した。バルトは日本に関する乏しい知識にもかかわらず、東京のど真ん中に皇居があることを見て、ただちに日本の中心が穿たれていることを喝破したものだった。もっともたいした説明はしていない。  しかし、河合隼雄はロラン・バルトに触発されたのではなかったようだ。日本人の子供に自殺が多いこと、親子の関係が歪んでいること、父性の失墜がはげしいこと、そうしたさまざまな社会病理に悩んでいるころ、マーク・ヴォネガットの『エデン特急』とハイゼンベルクとパウリの『共時性をめぐる対話』を読んで、現代人の病理が「科学の知」とはあいいれないはずの「神話の知」と深い関連をもっているのではないかと見て、その「神話の知」に入りこみ、そこから日本社会の構造のルーツをさぐろうとした。これが河合の入力方法だった。  日本の「神話の知」は日本神話の中にあるはずである。けれども多くの日本神話研究を読んでも、現代の日本人の病理にかかわるような問題は出てこない。そこで河合は自分なりに日本神話の謎解きにかかわっていく。その謎解きのひとつの結論が本書となった。最初は『中央公論』や『文学』に発表された論文だった。  なぜ河合が日本神話に関心をもったかということは、本書にのべられている。  臨床家をめざす河合は心理療法をマスターするためにヨーロッパに学びに行くのであるが、それをもちかえって日本人にあてはめてみると、なるほどある程度は適用が効くものの、かんじんのところが日本人にはあてはまらない。どうも日本人の心のありかたが西洋人とは異なっている。  そこでしだいに日本人全体の心の深層構造を知りたくなって、だんだん日本神話に関心をもち、その深みにはまっていったというのである。  ごくかんたんにいうと、河合が注目したことは、『古事記』の冒頭に登場する三神タカミムスビ・アメノミナカヌシ・カミムスビのアメノミナカヌシと、イザナギとイザナミが生んだ三貴神アマテラス・ツクヨミ・スサノオのうちのツクヨミとが、神話の中でほとんど無為の神としてしか扱われていないということである。  アメノミナカヌシもツクヨミも中心にいるはずの神である。それが無為の存在になっている。これはいったい何だろう、おかしいぞという疑問だった。  もうひとつ、典型的な例がある。天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた三神は、海幸彦ことホデリノミコト(火照命)、ホスセリノミコト(火須勢理命)、山幸彦ことホオリノミコト(火遠命)であるのだが、兄と弟の海幸・山幸のことはよく知られているのに、真ん中のホスセリの話は神話にはほとんど語られない。  このことから河合は日本神話は中空構造をもって成立しているのではないかと推理した。簡単にいえば“中ヌキ”である。この推理はいささか性急なものであるが、当時のぼくには、このような直観的な見方こそがある種の本質をつけることがありうると見えた。  河合は書いてはいないが、神話構造だけではなくて、日本には多くの中空構造がある。だいたい神社がそうなっている。神社というものは中心に行けばいくほど、何もなくなっていく。一応は中心に魂匣(たまばこ)のようなものがあるのだが、そこにはたいていは何も入っていないか、適当な代替物しか入っていない。また、鏡があるが、これはまさに反射するだけで、そこに神という実体がない。そればかりか、そもそも日本の神々は常住すらしていない。どこからかやってきて、どこかへ帰っていく訪問神なのである。折口信夫が客神とかマレビトと呼んだほどだった。  古代において井戸が重視されていたこと、死者を葬るのは山中他界といって山の途中であったこと、宮中というものが大極殿と内裏に分かれてしまっていること、こうしたことも日本の社会構造や文化構造に中心が欠けていることを暗示する。  そのようなことはぼくも以前から感じていたのだが、そこを河合は『古事記』の叙述にひそむ神話的中空構造としてズバリ抜き出したのだった。  その後、この中空構造論は本気で議論されてはいない。理由はよくわからないが、あまりにも当然のことだと見えたのか、研究上の議論にはならないと見えたのか、それとも河合がその後はあまりこの話をしなくなったせいかとおもわれる。しかし、ぼくはこの議論をもっとしたほうがいいと思っている。  なぜそのように思うかということは、すでに『花鳥風月の科学』(淡交社)にも『遊行の博物学』(春秋社)にも、また『日本流』(朝日新聞社)、『日本数寄』(春秋社)にも書いた。日本の祭りの構造やウツロヒの問題、あるいは床の間や民家構造や書院の意味、さらには歌合わせ・連歌・枯山水といったことを説明するには、どこかで中心がウツである文化のしくみにふれるべきであると思われるからだ。  ただし、日本は中空構造をもっているとともに実は多中心構造でもあるとも考えるべきである。日本が一つの中心をもったことはない。都が頻繁に遷都されてきたように、中心はよく動く。中心はうろつきまわる。天皇すら南北朝がそうであったように、二天をいただくことがある。天皇家と将軍家の並立もある。中心は穿たれているとしても、そこは複合的なのである。そうも言うべきなのだ。そのあたりについては本書ではふれられていない。  ところで河合は日本の深層が中空構造をもっていることを、必ずしも肯定しているのではない。そこには長所と短所があると言っている。  そこで、こんなふうに説明した。 [1]中空の空性がエネルギーの充満したものとして存在する、いわば無であって有である状態にあるときは、それは有効であるが、中空が文字どおりの無となるときは、その全体のシステムは極めて弱いものとなってしまう。 [2]日本の中空均衡型モデルでは、相対立するものや矛盾するものを敢えて排除せず、共存しうる可能性をもつのである。  結局、河合はこのような推理のうえで、日本が中空構造に気がつかなかったり、そこにむりやり父性原理をもちこもうとすることに警鐘を鳴らした。  中空構造仮説が独創的であるわりには、この警鐘はふつうすぎるところがあるが、ぼくとしてはこの議論をひとまず継承するところから、日本社会を史的に問題にしていくことを勧めておきたい。 参考¶河合隼雄の著述はわかりやすくて、示唆に富むものが多い。いいかえれば少しラフである。しかし、そのような書きっぷりがかえって有効なのだとおもいたい。とくに物語構造と心理構造の関係をめぐる著述は、なかなか示唆に富む。本書については、姉妹篇に『母性社会日本の病理』(中公叢書)があり、本書と併読できるようになっている。 日本史上で有力者が誰も朝廷を潰そうとしなかったのって不気味じゃない?:哲学ニュースnwk これって、天皇=部長、将軍=次長と考えると、サラリーマンならピンと来る話じゃないでしょうか。 つまり、部長がおかざりで、NO2の次長とか部長代理が実権を持って仕切ってる部って、意外と仕事がしやすいということです。もちろん条件はいくつかあって、 ? 部長は大幅に次長に権限移譲している ? 次長は叩きあげで、現場の細かいことまでよく知っている ? 部長の「出自」がいい (親会社や銀行からの出向組とか) これだと、部長と次長が仲良くなくて違うこと言ってても、下の者は迷うことが少ないんです。 部長が、朝礼で何かトンチンカンな方針を言うと、すぐに次長が「あの人は現場のことがわからないから、適当に合わせておいて、今まで通りやればいいんだよ」とかフォローしてくれる。 逆に、部下が失敗して次長から厳しく叱責された時には、部長がフォローしてくれる、みたいな感じで、相互に役割を補完しあっている。 要するに、実務を仕切るリーダーの上に、何もしない人が形だけ立っているっていう形が、日本人にとって受け入れやすいんです。逆に言うと、強いリーダーシップを持った人は、いくら優秀でも一番上に立つと感情的な反発を持たれやすい。ひとつクッションがあった方がリーダーシップを発揮しやすい。 中空構造日本の深層 (中公文庫) 中空構造日本の深層 (中公文庫) 河合隼雄さんはこの本の中で、古事記の中に、このパターンが繰り返しあらわれていると言って、それを「中空構造」と呼びました。 私なりに言うと、「社会のOSとしての神話」という話ですね。OSは起動時にしか自分の存在をアピールするメッセージを出しませんが、マシンが動いている間中、常に裏で稼動しています。同じように、神話は建国というはるかな過去の話のようで、現代の社会の背後で動いていて、アプリケーションプログラムのような今動いている目に見えるシステムの制約となっているということです。 安倍首相が戦後70年の談話の内容を決める時に、天皇陛下の「お言葉」を強く意識されたという話が伝わっています。この真偽はフォローしていませんが、この話を、ほとんどの人が「あり得る話」と受けとったことが重要だと思います。 天皇陛下が、誰かに政治的な意向を述べられたという話は、オフレコの話としても一切出てきませんが、同時に陛下はリベラルなお考えをお持ちで安倍政権の右傾化に懸念を持たれているのではないかという話は、よく聞きます。 河合さんは「中空」が単なるからっぽではなくて、中心への侵入を許さないという意味の存在感を持ちつつも、何も形や意図やエピソードを持たない存在、としていますが、今上陛下は、日本の歴史の中でも特にピュアな形での「中空の象徴」として、日本という国の中心に存在しておられると思います。 もうひとり、「中空の象徴」としての役割を見事にこなしている(いた)人は、2ちゃんねるのひろゆきだと私は思います。ひろゆきも具体的なことは何もしない人ですが、多くの2ちゃんねらが2ちゃんねるの中心にひろゆきがいることを意識していました。 「おまえら、ひろゆきの前で、そんなマジレスして恥ずかしいと思わないの」 ひろゆきの存在が、2ちゃんねるに最低限の(本当に最低限ですが)抑制となっていたような気がします。ここで言いたいことは言いたいように言うけど、本当はここで言っていることは表に出しちゃいけないことであるというような暗黙の合意が共有されていたように感じます。 それで、河合さんは、こういう日本独特のリーダーシップのあり方と対比して、欧米の社会は、「英雄神話」を基盤としていると言います。 私は、エアフォースワンのハリソン・フォードとかスタートレックのカーク船長のことかなと理解しました。つまり、リーダーは自分でどんどん決断して前に出て行く人がいいということですね。そういうタイプのリーダがなじみやすいし、そういう人に率いられている国には神の庇護があるという感覚です。 「英雄神話」には、「剣でモンスターを切断する」という重要なモチーフがあります。この「切断する」という働きが、科学技術を発展させてきた。科学は真と偽をまっぷたつにすることで、英雄神話になじみやすいんですね。 法治とかアカウンタビリティとか市場とか、そういうルールとプロセスを明確にするという近代国家のベースは、全部この「英雄神話」というOSの上にのっかっているということです。 だから、これを別のOSで動かすには、エミュレータ層が必要になって、このエミュレータはアプリケーションレベルに見えているので「意識高い系」とか揶揄されたりしてしまいます。エミュレータの上で動いているアプリと、OSに直接乗ってるアプリの間では、通信がうまくできないのが、明治以来の日本の宿痾です。 ここまででもお腹いっぱいですが、さらにこの一つ上のメタレベルに河合さんの最も重要なメッセージがあります。それは、「神話を言語化せよ」ということです。 これは、社会契約説のことを考えると、よくわかるような気がします。 これって、神話レベルから実務や学問のレベルに連続的に話がつながっているんですね。 河合さんとか井沢元彦さんとか阿部謹也さんの本て、どちかと言えば学説や論文でなく「面白エッセイ」として読まれていると思います。本の内容でなく読者への受容のされかたが「面白エッセイ」だと思います。 でも、ロックやホッブスだって、出た時は、同じように「面白エッセイ」だと思うんです。「自然状態」とか「一般意思」なんて、典型的な「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」です。河合、井沢、阿部あたりとそんなレベルは違わない。 違うのは、後に続く人たちが、ロックやホッブスに厚みを与えていったことですね。歴史的な検証をして、哲学的にも深めて、その後の時代に合わせてフォローしていった。それによって、「社会契約説」というWikipedia の項目は個人名とは別の項目になっています。脱属人化して実務レベルとのインターフェースが整備されてる。 その結果できた「社会契約説」には普遍性があるので、2ちゃんねるでも自民の憲法草案のスレッドとか見てると、これを解説してる人がたまにいたりします。相対性理論が誰にでも勉強できるよう社会契約説も本読めば誰でもわかるんです、今は。日本人は、河合、井沢、阿部あたりから、同じレベルまで持ってかないといけないと思うんです。 実は、河合隼雄が死んだ時は、私はすごく腹が立ちました。「今こんな大事な時に、河合隼雄が死ぬなんて、そんな無責任なことが許されると思うのか」と思ったんですね。 それで、この文を書き出しに追悼エントリーを書きはじめたんです。「しめしめ、ここからあちこち寄り道しながら強い尊敬の念を表現する所にもってけば、面白いエントリーが書けるぞ」と思ったんですね。 ところが、いくら考えても単純な罵倒の言葉しか出てこなかったので「ああ、自分はどうもこいつが死んだことに本気で腹を立てているらしい」と気がついて、追悼エントリーはあきらめました。 この「中空構造」をもう少しちゃんと書いてほしいと切実に思っていたのですが、まあ、今考えると、あの人がいくら書いても「面白エッセイ」にしかならないので、その望み自体がちょっと的はずれだったような気がしますが。 私は利権ってどこにでもあるし一般的にはそんなに大きな問題ではないと思っています。でも日本の利権は、暴走して自滅してしまうんですね。ネット私刑なんかより、状況判断ができない利権のほうがよっぽど怖いですよ。 利権が状況判断できなくなる時は、「中空構造」が壊れている時で、そういう時こそこれを言語化する必要がある。修復するにせよ、破棄して別のOSに乗りかえるにせよ必要。英雄神話的コンプライアンスに実質を持たせるためには、これを相対化することが必要で、その足場として、「中空構造」を「面白エッセイ」以上のものにした上で、英雄神話と対比することが必要です。