組織の空気圧

ここ最近、学校教育が教える「道徳」のひとつの方向性が明確になってきたように思う。
そのひとつは周囲の同調圧に負けないこと。特に上の者が手を染める不正に対して、人間として正しく対応できる力を養うこと。
さて、中国では習金平主席の「不正撲滅運動」の中で、高官が処分されたり死刑になったりしているが、中国の腐敗は一個人や一族が私腹をこやすというタイプのものである。
日本の不正で多いのは「組織悪」、善良な人々が皆でルールをやぶり、バレれば皆で「隠ぺい」さえも行うというもの。
そうした組織悪の要因に同調圧があるとするならば、学校における道徳教育は、「組織悪を見抜き、組織悪と戦う実践力を養うこと」ということになる。
とはいえ、弱い個人がどうしたら「組織悪」に立ち向かえるかをも教えるべきである。
最近では、組織の不正の「内部告発者」を守るという制度が考えられているが、「組織外」に味方をつくるというのも一つの方法である。
インターネットが普及していない時代、政府や企業から反対を受ける四面楚歌の中、アメリカのレイチェル・カーソンは、公害問題と戦った。
レイチェル・カーソンが発表した「沈黙の春」は、農薬の無制限な使用についての世界で初めての警告の書である。
1939年に発見されたDDTが害虫を駆逐し、著しい収穫の向上が見られたため、その経済的な利益ばかりが注目された。
州当局が積極的に散布していたDDTの蓄積が環境悪化を招いていることは表面化していなかったのである。
1958年1月、カーソンのもとには「一通の手紙」が届いた。差出人の近くで毎年巣をつくっていた鳥が薬剤の散布によりむごい死に方をしていたことが綴られていた。
彼女はいくつかの雑誌にDDTの危険を訴える原稿を送ったが、取り上げられることはなかった。
心を痛めたカーソンが雑誌編集者にこうした本を書ける人物はいないかと問うが適当な人物は見当たらなかった。そのため、彼女自身が書く決意をする。
実はカーソンは海洋文学者としてすでに名前が知られた人物だった。
その彼女が「沈黙の春」を書くにあたって戦わなければならなかった相手は、州政府、中央政府、製薬会社などであった。同時に彼女自身の病に加え身内の不幸との戦いであった。
州政府からの攻撃、製薬会社からの反キャンペ-ン、のみならず彼女の人格や信用を傷つける非難や中傷の数々~「ヒステリー女」「なぜか遺伝を心配する独身女」「共産主義のまわし者」などなど。
実は、彼女の専門は生物学でありこうした問題を取り扱うだけの化学的知識は充分ではなかった。
そこで彼女は専門家に数百通の手紙を出し、論文やデータを集めた。わずかな間違いも訴訟問題ともなれば、出版できなくなる心配があったからだ。
また、こうした専門家達が政府や企業からの攻撃から彼女を守る味方になってくれるという彼女なりの「戦略」でもあった。
そしてケネディ大統領が記者会見で、カーソンが農業の汚染問題を明らかにしたと肯定的な発言をしたことで、一気に流れが変わった。
こうして、とてつもない生みの苦しみを経て、1962年「沈黙の春」は完成する。
彼女は、この本を世に出す以外に自らの心を安らげる方法はなかったと振り返っている。
そして世界は、その詩情さえ湛えた書物の警告の重大さに目覚めていった。

学校教育の道徳では、早くから上に立つものの倫理を教えるべきではなかろうか。
もし自分がトップに立った場合、地位というものが言わずもがなの空気を醸し、それが自分に都合がよく気持ちのいいものであっても、全体の中では「歪み」を生じさせることを肝に銘じておくべきこと、など。
誰がみても明らかなほど「歪み」が大きくなれば、トップの「解任劇」にも発展する。そうした解任劇から見えるのは、組織内での「同調圧力」の強さということである。
1970年代、三越には岡田茂という宣伝畑一筋の出世頭がいた。
三越日本橋本店の本店長から1972年に社長に就任。自身に批判的な幹部を次々と左遷、「岡田天皇」と呼ばれる独裁体制を確立した。
ところが1982年8月に、三越日本橋本店で開催された「古代ペルシア秘宝展」の出展物の大半が「贋作」であることが発覚。
さらに、愛人の経営する「アクセサリーたけひさ」に不当な利益を与えていたり、自宅の改修費用に会社の資金を流用していた問題までもが表面化してきた。
三井銀行の「社外取締役」が岡田に辞任を勧告するが、岡田はこれを拒否。背後で岡田社長追い落としの画策がなされる。
1982年9月22日、取締役会で議長が岡田の社長職と代表権を解くという動議があり、それに賛同するものに起立を求めたところ、それに応じて14人すべての取締役が起立した。
この時岡田は驚きのあまり「なぜだ」と発するが、この「なぜだ」こそが、この会社のそれまでの「空気圧」を表している。
その時、その空気圧がはじけた瞬間だったからだ。
社外取締役から念を押すように「岡田君、もう終わったのだよ」と声をかけられても「なぜだ」と力なく呟き続けていたという。
なおこの年、「なぜだ」は流行語となった。
本田技研工業創業者・本田宗一郎はホンダの創業者であり天才技術者でもある。
それだけに、技術者としての引退は潔くというわけにはいかなかった。
「ホンダの独創性は"空冷エンジン"にある」との信念を抱き続けてきた本田宗一郎。しかし、若手技術者には「空冷は時代遅れ」という認識があり、「空冷水冷論争」が起こる。
実際、新しい空冷技術を商品化した新車「H1300」は大衆にアピールせず、販売は不振をきわめた。
若手の技術者が集まって、どう本田に反省してもらうかを議論するが、その場に本田の朋友で副社長の藤澤も招かれた。
藤澤は研究所の幹部からもじっくり話を聞いて「水冷」に分があると確信した。
かつて、藤澤は本田から「技術については口出ししないでくれ。その代わり、俺はカネのことは口出ししない」と言われ、ずっとそれを守ってきた仲であった。
それでも藤澤は、初めて「聖域」に踏み込む。
「あなたは本田技研の社長としての道をとるのか、それとも技術者として残るのか。どちらかを選ぶべきではないか」
しばらく沈黙の後、本田はこう言った。「俺は社長をしているべきだろう」。
本田はついに水冷エンジンの開発にゴーサインを出し、同時に技術の第一線から退く決断をした。
1970年、創業以来の本田と藤澤による二人三脚の指導体制から、4人の専務による集団指導体制に変更された。
そして73年、副社長の藤澤は引退を宣言、本田は「俺は藤澤武夫あっての社長だ。藤澤が辞めるなら、俺も一緒。辞めるよ」と67歳の若さで取締役最高顧問に退いた。

官庁による障害者雇用の水増しや企業による外国人技能制度の悪用など、最近、弱者を守る制度を悪用する不祥事が全国的に蔓延している。
思い出すのは、検察の密室での「ストーリー作り」で、検察により厚生省の当時課長・村木厚子が冤罪を被った事件。
その発端は、福岡市に本社をおく電器会社が行った「障害者団体向け郵便料金割引制度」の悪用であった。
ではなぜ日本社会はこうした悪質な「ルール違反」が組織的に行われてしまうのだろうか。
日本の近代化が市民社会を経ていないということがあげられる。
村落などの共同体が一旦解体されて市民社会というものを体験したヨーロッパ人は、村落の掟を超えたより普遍的なルールで営まれる市民社会を体験することになる。
つまり、共同体から切り離された個人を守るのは、市民社会のルールしかないということを学んでいる。
日本は藩・村落社会から、天皇を中心とした近代国家をつくるものの、戦前の財閥や戦後の企業や官庁は形を変えた「共同体」であり、その「共同体」を守ることが至上命令であるということにある。
いわば、上からの近代化で、人々が自ら参加して作ったルールで、社会を運営していくという体験をしないので、人々の権利や社会を守る意味でのルールの大切さが身に染みてはいないということである。
そうした、日本とヨーロッパのルール観の違いを見事なコントラストで示したのが、オリンパスの「外国人社長解任劇」であったように思う。
オリンパスといえば、デジタルカメラや医療用の内視鏡が主力商品で、 最新のカプセル型内視鏡も開発。 世界シェアの7割を占めている。
菊川社長は、2001年に社長に就任して以来、オリンパスの改革を目指してきた。というのもバブルの時期に財テクに力を入れすぎて、巨額の損失を抱えていた。
2000年ごろには、その損失が表面化しそうになった。会計のルールが変わることになり、会社はこれまで表に出さずに済んだ損失を決算で公表しなければならなくなったためである。
会社は「飛ばし」という手法で、損失隠しを行うことを選択。「飛ばし」とは値下がりした株などを、いったん海外のファンドに買い取らせ社外に移すことである。
当時対応にあたったのが菊川で、ごく一部の幹部しか知らなかった。
菊川はその後、社長に就任。 事業の拡大路線を大きく打ち出した。目標として掲げたのは1兆円企業で、10年以内に売り上げ2倍を目指すというもの。
ベンチャー企業の買収を積極的に行い 子会社は100社を超え、これまで関連のなかった分野にも進出していった。
しかし、事業拡大のための企業買収というのは一面で、巨額の損失を隠蔽することにも利用されていた。
菊川社長らは、実際の企業価値を大きく上回る金額で買収すると見せかけ、過剰に支払われた資金の多くは、海外のファンドに移した損失を消すのに使われた。
菊川の社長在任期間は10年に及び、「負の遺産」だった損失を消し去る一方で、売り上げ1兆円も達成する。
そうなると次第に、誰も菊川体制に異論を挟めなくなっていった。
2011年4月菊川は代表権のある会長職に就任。ヨーロッパの子会社のトップだったウッドフォードを後任の社長に抜擢した。
菊川社長は、ウッドフォードに「国際企業の顔」としての役割と、30年間働いてきたオリンパスへの忠誠心に期待した。
しかし、このことが思わぬ展開をよぶ。
過去の企業買収の問題に気付いたウッドフォードは、菊川社長と森副社長に、買収はショッキングな額に上る株主の損失を招いている、この事実に直面することが必要であると詰め寄った。
これに対して菊川社長はウッドフォードを解任し、彼を激しく非難するメールを全社員に送った。
自分や森副社長を悪人に仕立て上げオリンパスの社会的な信用をおとしめる常軌を逸した行動をとっているといった内容であった。
ところが、この「解任劇」をきっかけに、オリンパスの一連の不正な損失隠しが発覚する。
こうした不正がおきるたびに監査法人は一体何をしているのかという思いにかられる。しかしそれ以前に、「上場会社」というものが他人から会社を預かっているという意識が欠如していたというほかはない。
ウッドフォードは、オリンパスの海外拠点に勤務してきたが、社長として初めて見た本社の体質に衝撃を受けたという。
ウッドフォードが企業買収の異常について尋ねると、社長は迷惑そうな表情を浮かべるだけ。また副社長に対して、何のために働いているのかと尋ねると、驚いたことに菊川社長のためだと答えたという。
ウッドフォードは、そこに内向きの歪んだ仲間意識を感じたばかりか、カルチャーショックを受けたという。
実際、菊川社長らの言葉は、世界に衝撃を与え、日本企業に共通する問題だという論調が目立った。
「自己防衛の姿勢や仲間意識の経営体質が企業の価値を落としている」「オリンパスが日本の負の側面をあらわにした」などである。
こうした「負の側面」は、戦前の太平洋戦争末期の「特攻作戦」に典型的にみることができる。
特攻作成委では約4千人の若者が命を落とした。
上官が21歳の若者に「次は死んでこい」と命じるのだが、当時、参謀や司令官たちは爆弾を落として船を沈めてても、まったく評価しない。死ぬことそれ自体が目的になっていた。
最近、鴻上尚史が近著で、当時の日本に巣くう同調圧について次のような事例を書いている。
上官が隊員を並ばせて、「志願する者は一歩前に出ろ」と言い全員が出るまで待ち続けた例や、「行くのか行かないのかはっきりしろ」と突然叫んで、全員が反射的に手を挙げた例もあった。
それは、志願という名の強制、命令だったのは明らかである。
一方、上官の方は「我々が非難されるのは甘んじて受け入れるが、国のために散った若者を馬鹿にしないで欲しい」などと巧妙な言い逃れをする。
つまり、我々は同調圧力の強さの中で、つい忖度してしまう国民性なのだ。
日本の組織は、少数の異論をいつのまにか多数派にとりこんでしまうような圧力がかかる。
一方鴻上は、9回も出陣し帰ってこられた特攻兵を取材している。
その特攻兵によれば、生き残った最大の理由は、空を飛ぶことが大好きだったからだという。
彼が乗った九九式双発軽爆撃機は評判のよくない飛行機だが、乗りこなすと鳥の羽みたいになるという。
まるで「カモメのジョナサン」の心境のようだが、自分の手でそんなに大好きな飛行機を壊すことに耐えられなかったということであった。
またその特攻兵は、上官にいくら文句を言われても、パイロットとして飛び立てば一人になれ、「精神の自由」を保てたということがある。
「飛行機が好き」「飛ぶのが好き」などと、当時の軍隊でそんなロマンを口に出そうものなら半殺しにあったにちがいない。
その特攻兵によれば、こうした圧力対抗する最も強力な武器は、「(空が)本当に好きだ」という気持ちを持ち続けること。
まるで「星の王子様」のサン・テグジュペリのようなことをおっしゃる。
現在、「働き方改革」が議論となっているが、上役よりも先には帰れないとか、仲間より先に帰っては仕事への熱意に欠けるとみなされるなどといった「空気圧」が働く。
まずは、共同体を守ろうとする意識が先行し、個人の自由や家族のことを犠牲にしてしまう。
鴻上尚史は、戦前の特攻が日大アメフト部の選手が悪質なタックルをした問題の構造と、あまりにも同じなので笑いがでるほどだったという。
指導者側は選手にヤレと言った覚えはないのに、選手側は「指示」と受けとめたという。
要するに、選手は従わざるを得ない「空気」があったということだ。
あらゆる日本の組織に生じる独特の「空気圧」。
ただ、「空気圧」がいったんハジケてしまうと、かつての空気の存在をすっかり忘れて、新たな空気の中でさほどの異和感もなく呼吸ができるのも、日本人の特技といってよい。

2012年、発覚した違法な損失隠しに使われた企業買収について、買収の決定に関わったのは 菊川社長、森副社長、山田常勤監査役であることが判明した。