労働の質と量

2018年、6月29日、国会で「働き方改革」関連法が成立し、議論が多かった「高度プロフェッショナル制度」の導入が決まった。
高度プロフェッショナルとは、「高度の専門的知識等を必要とし、その性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められる業務」とされている。
具体的な業務内容は、まだ決められていないが、厚労省が「省令」で決めることになっている。
「高度プロフェッショナル制度」の最大の問題点は、その適用される対象者が、労基法上の「労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定」が適用されないということ。
具体的には、残業代や深夜勤務手当の支払いが不要になる、残業時間の上限規制が一切なくなるといった点がある。その分、休日数など「健康確保措置」も一応ついてはいるが。
「働き方」関連法では、労働者の給与の平均額の3倍を相当程度上回る水準とされ、具体的な金額も厚労省が省令で決め、 現段階では「1075万円以上」とすることになった。
一旦法律が成立すると、具体的な業務内容や給与は、厚労省が省令で定めるので、その具体的な中身について国民は立ち入れない。
思い浮かべるのは1985年成立の「労働者派遣法」の対象者の拡大の経緯である。
もともと労働者を派遣して働かせるというのは「中間搾取」や人権侵害につながるおそれがあり、本来、労働基準法で禁じられていた。
しかし、業務の電算化や、機械化が急速に進み、ビジネスの現場では外部の専門的な技術や知識を活用したいというニーズが高まってきたことを受けて「労働者派遣法」が制定された。
初めは、ソフトウエア開発や秘書など「13の専門業務」にのみ限定して、派遣事業が認められたが、その後、「26業務」に増え、2004年には長く議論されてきた製造業への派遣も「解禁」となった。
これは、営業、販売、一般事務、製造といった専門業務以外の業務に対する企業の派遣ニーズの高まりや、経営戦略にアウトソーシングが大きく組み込まれるようになった時代背景とも呼応している。
この「労働者派遣法」施行の年1986年、JRもJリーグも、J-POPという呼び名もなかったこの年、シンガー・ソング・ライター浜田省吾の「J.BOY」というアルバムがリリースされた。
メディアにほとんど姿を見せない浜田が、「4週連続、通算5週にわたりアルバムチャート1位」を記録したのは快挙というべきで、特にタイトル曲「J.BOY」は、インパクトのある曲だった。
戦後40年、「MADE IN JAPAN」が世界を席巻していた。
浜田は、一見サクセスストーリーの中にいるように見える日本だが、“果てしなく続く生存競争サバイバルレース”とか“頼りなく豊かなこの国”などフレーズで「時代への懐疑」を露わにした。
そして、意味もなく働きずくめで死んでいった友の姿を「J.BOY」という言葉で表現した。
いわゆるバブル世代。バブルがはじけ何度か大規模なリストラがあり、給与も減った。
管理職はヘッドハンティングでころころ代わる。若手は「希望を見いだせない」「激務に耐えられない」と辞めていった。
浜田の「J.BOY」の曲の登場は 「バブル」前夜だっただけに、その「先見性」を評価したい。

高度プロフェッショナルとは、「従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くない業務」なので、マルクス以来の労働量ではなく「質」、質を量で換算することも否定したことにある。
時間さえかければ、確実にこなせる仕事ではなく、本人の能力で大きく左右する仕事と推測できるが、知的に高度(創造的)な仕事は、「一瞬の閃き」で生まれることもあるし、四六時中脳を働かせてようやく生まれることもある。
そこで二人の人物の「働き方」の例をあげて、「高度プロフェッショナル制度」の意義について考えたい。
ところで、千昌夫の「北国の春」は、国民的ヒット曲といってもよいが、意外なエピソードがある。
中国語訳もあり、中国でも「北国の春」は、故郷を離れて生きる青年の「望郷の歌」となったのである。
日本からの出向者が「北国の春」を歌ったら、「もうこの歌には日本語の翻訳もあるのか」と言われた。
「これは日本の歌だ」と説明しても誰も信用してくれなかったという。
あげくに、生意気な新入社員が「日本人は、いいものはすぐ真似て自分のものにする」と言ったら、みんなが「そうだ、そうだ」と歓声をあげたという。
そして彼らは、日本人を前に何の衒いもなく中国語で歌い始めたのが「津軽海峡冬景色」であったという。
さて本家の「北国の春」の歌詞を書いたのは、作詞家の「いではく」という人物であった。
レコード会社の依頼で歌手・千昌夫の為の新曲の詞を考えていた。
千昌夫は「岩手県出身」と言っていたから北国の歌をイメージして作ろうと思った。
「いではく」は、長野出身であるが千と同じく雪深い故郷があることには変わりはない。
「北国の春」のイメージは岩手ではなく長野であり、歌詞にでてくる「コブシ咲く」は、実は作詞家1「いではく」の故郷・長野県南牧村の風景なのである。
「いではく」は、故郷の様々な湧きでる思いを詞にして並べたら、歌い出しは「白樺 青空 南風」「雪解け せせらぎ 丸木橋」「山吹 朝霧 水車小屋」とで名詞ばかりになった。
上京してこの歌詞を作曲家の遠藤実に渡したら、ちょっと待ってくれといって二階に上がっていった。
5分もせずに戻ってきたので、忘れ物かと思ったら、もう「北国の春」のメロディーが出来上がったという。
実は遠藤の故郷もやはり北国の新潟であった。
父は刑務所の看守で単身赴任し、母親は枯れた松葉を集めて売り3人の子を育てた。
同級生からは「ボロ屋」とよばれ、夜中に雪が枕元に散っていたという少年時代だった。歌う時だけが冷たい現実から解放される時だったという。
「北国の春」の作曲では、春になり雪がとけ、林の上に青空が広がった時の晴れやかさが心に浮かんだ。
そんな思いが迸り出てきて、ほとんど歌う速さで「北国の春」のメロディーが出来上がったのだという。
実は千昌夫にとっても北国の思いがこの曲に結集していたといってよい。少年時代は千にとって「冬」の時代であった。
小学校の時、父親が北海道の出稼ぎ先で急死し、母親が工場で働き3人の子供を育てた。
千は自ら身を立てようと高校でボクシング部に入り、相撲とりになろうと思った時期もあったが、根本的に「体」が不足していた。
家に橋幸夫のレコードがあり、作曲家に遠藤実の名前があった。弟子入りする他ないと高校2年の春休み友人からカンパしてもらい上京した。
遠藤の家を訪ねたが何度も断られ、三日三晩通いようやく「面接」の約束をとりつけた。
ノックの仕方も知らず怒鳴られ、座ったこともないソファーでふんぞり返る姿勢になった。
ただ遠藤の内弟子に「アキ」ができていたタイミングで。早速、高校の退学届けをだした。
そして北国の美少年が歌う「星影のワルツ」が大ヒットしたが、当初はそのウブな無口さがうけた。
美少年が一旦喋り出すと、「東北訛り」でイメージが崩壊するので、できるだけ「喋るな」といわれていたのが真相だった。
紅白で3年連続で歌われた「北国の春」は、遠藤実により「ほぼ5分間」で作曲されたが、それが出来たのも、作詞家・作曲家・歌手3人の「北国への思い」が重なっていたことが大きいであろう。

戦後、コンピューター市場に君臨したのはアメリカの大企業IBMであった。
IBMは世界市場の7割を抑え、高い技術で他を圧倒し、「巨大な象」と呼ばれた。
その巨象に挑んだのが池田敏雄で、富士通のコンピュータ業界における基礎をつくり、「ミスター・コンピューター」とよばれた。
実は池田は学生時代よりトップクラスのバスケットの選手として活躍したばかりではなく、それ以外にも囲碁・麻雀をはじめ趣味は多彩だったが、遅刻・欠勤・行方不明の常習犯で、問題社員の1人でもあった。
その池田が社内で一躍注目を浴びることになったのは、1947年、電話機を納入していたGHQから苦情が入ったときのことだ。
「雑音が聞こえる、欠陥商品だ」と返品され、会社側は大慌てで、必死に調査を行ったが、原因はわからなかった。
そんな中、池田が研究室課長に二冊の大学ノートを差し出しながら、 「この電話機ではダイヤルが100回転するたびに、構造上必ず1度雑音が起こり、理論的に避けられない現象」と明快な答えを出した。
ノートには、精緻な証明がびっしりと書き込まれていて、課長はあ然とした。
富士通がIBMに挑むのは、資金力や技術力の差からみて「象と闘う蚊のようなものだ」と笑われた。
実際、池田らが何度、コンピューターを開発しても、更に性能の高いIBMのコンピューターが市場を席巻していった。
それでも池田は、大規模集積回路「LSI」こそが逆転のカギだと確信し、当時不可能といわれた「LSI」の搭載に挑んだ。
池田は何かの閃きを得ると、職場・自宅のほか、同僚の家でもひたすら考え続けた。
ついには出社することさえ忘れ、夕方になって突然会社にやってきて、今度は会社から帰らずに数日考え続けたというエピソードもある。
数日出社しないことはザラであり、「日給制」が普通だった当時、これでは池田の給料が支払えないと困った会社側が、池田を支持する同僚の訴えを聞き入れて、彼だけ「月給制」にしたという。
池田が在籍していた当時の富士通にはこうした奇行を受け入れる社風が存在し、池田の天才的能力を生かせる環境にあったわけだ。
ただその環境が池田にとってすべて幸いしたとはいいきれない。
完成した「LSI」売り込みのために海外出張を繰り返す中、1974年、クモ膜下出血で51歳の若さで急死している。

労働基準法における労働時間は、「原則1日8時間、週40時間」で、それを超えると「割増賃金」となるが、今でも経営者に近い管理職には「適用除外」となっている。
部長級などの上級管理職や研究者などの一部の専門職に限って、企業が労働時間にかかわらず賃金を一定にして「残業代」を払わないことが認められている。
そのため「名ばかり管理職」などの長時間労働問題が起きているわけである。
また、「残業代が出ない」というのは、仕事を時間ではなく「成果」で評価するということと表裏一体の考え方である。
例えば、遊んでいるのか、働いているのか、明確に線をひけないような仕事というものがあり、こういう雇用形態の方が相応しいかもしれない。
前述の池田敏雄の場合は極端な例だが、創造的な仕事をする人は、会社にでることがあまり意味がない場合もあるし、会社に来たとしても働いるのか、頭脳労働したり、閃きを待ったりして、傍目には遊んでいるかような時間を過ごす場合も多い。
それならいっそ、労働時間よりも「成果」で評価したほうが適当であり、本人も満足できる。
ただ、「高度プロフェッショナル制度」の場合「成果主義」よりも、政府は「柔軟な働き方」が可能になるということを全面に打ち出している。
「高度プロフェッショナル制度」は、金融商品のディーラー、アナリスト、コンサルタントなどを対象としているが、成果を出せば数時間で帰宅することができる等、対象業種の方の働き方を柔軟にするという。、 外為のデーラーなど早朝から出勤する仕事などで、1日の中で一定の仕事が完了すれば、それで早く帰ることができるなどというのは、実際にあるのだろうか。
現状でいうと、彼らは給与に組み込まれた定額の残業代、いわゆる固定残業代を除いて残業代が支払われておらず、「サービス残業」をしている。
新規プロジェクトの開発やシステムの入れ替え時には徹夜になる。裁量労働制を適用され、何時間働いても「みなし労働時間」分の給与しか支払われない。
そのため、「高度プロフェッショナル制度」は、「到底、常識的な労働時間では終わらない業務量を課した上で、残業代を支払わないこと」を正当化する制度になる可能性が高い。
なお、「高度プロフェッショナル制度」の年収要件の下限として想定される年収1075万円という金額は、一見、相当高額に見える。
これらの対象業種の方は、過労死基準を超える長時間残業をしている。
休日や休憩時間に関する一定の措置を講じることが求めらるが、労働時間(残業時間)の上限を設けることが必須とされていないため、例えば、土日休みを与えれば、平日は毎日長時間残業させても適法ということになりかねない。

高度プロフェッショナル制度への個人的な疑念は、最近の企業が介在する「違法就労」の問題と切り離せない。
日本の技能を途上国に広める「国際貢献」を掲げる制度として「外国人技能実習制度」がある。
実習生は3年間は同じ職場で働くのが原則で、時給は最低賃金よりわずかに高い程度が一般的だ。
三菱自動車と日産自動車でこの制度を悪用した「不正」が発覚した。
両社は一部の実習生を「技能」が学べる現場に充てていなかった。
三菱自では、溶接技能の習得が目的のフィリピン人33人が岡崎製作所(愛知県岡崎市)で車の組み立てなどをしていた。
日産ではフィリピン人とインドネシア人の計45人が、横浜工場(横浜市)と追浜工場(横須賀市)で実習計画外のバンパー塗装などをしていた。
作業内容はいずれも国が定める「技能」に当たらず、不正行為になる。
そして、彼らの脱法行為を助長しているとみられるのが、「教育」の看板を悪用する「悪質日本語学校」である。
東南アジア諸国での留学ブームに乗って日本語学校の数が今年、過去最多を更新した一方で、「悪質校による不正の事例も目立ってきている」という。
また、乱立する日本語学校の一部では留学生の「不法就労」を黙認するなどの不正行為も横行している。
実態は、出稼ぎ目的で来日する「偽装留学生」の駆け込み寺のようなものになっている。
以上のように、最近の企業の「検査データ偽造」や偽装などの連続した摘発をみるかぎり、「高プロ制度」が良い方向に向かうとは到底思えない。
例えば、「年収要件」が引き下げられ、労働者派遣法の時に見られたように、対象が拡大したら体を壊す人が増える。
責任感のある誠実な人間ほど、無理をしてしまう。
「柔軟な働き方」は「柔軟な生き方」にも通じる。
仮に「高プロ制度」がうまくいったとしても、その「対象者」を特別扱いするのは、どうか。
「高プロ制度」の本質は、労働には「量」ではかるのが相応しいものと、「質」ではかるのが相応しいものとを、「二分して」考えることにあり、労働の「質」の判断は会社側に委ねられる部分が大きい。
過労死で亡くなった高橋まつりさんの働いた電通では、若い社員でも年収は1千万円前後になるという。
まつりさんは月100時間前後の残業が続き、徹夜勤務も繰り返した。高プロが適用されると、こうした働き方は違法ではなくなる。
母親は、「人間の命と健康に関するルールに特例を設けてよいはずがない」と訴えている。